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2023.01.14
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カテゴリ: 中城村



沖縄本島中部の西海岸沿いに「中城村/なかぐすくそん」があり、この村の中央部に「当間/とうま集落」があります。現在の「当間公民館」の敷地から国道329号線を含む西側一帯はかつて松の大木が生い茂る松林が広がり「トーママーチュー/当間松」と呼ばれていました。そこは沖縄の真夏の暑い太陽が照りつけても木陰になるため、集落の住民が涼みに集まる社交場として親しまれていました。お年寄りが孫を連れて遊ばせたり、昼寝をするといった平和な光景があったと言われています。また「トーママーチュー」の東側を通る旧県道には「西原製糖工場」に収穫したサトウキビを運搬するため「泡瀬」から「与那原」までの区間を南北に馬車駆動が敷設されていました。


(トーママーチューの殿/向かって左側)

(向かって左側の祠内部/火の神/氏神)

(トーママーチューの殿/向かって右側)

(向かって右側の祠内部/殿神)

現在、かつて「トーママーチュー」と呼ばれた場所には「殿/トゥン」の祠が2つあり「ノロー殿/ノロードゥン」と呼ばれています。向かって左側の祠には「火の神/氏神」が祀られ、向かって右側には「殿神」が祀られています。戦前は「当間公民館」のゲートボール広場の南側に祠が建立されていましたが、戦後の国道建設に伴い現在の場所に移設されました。集落の「グングヮチウマチー/5月稲穂祭」と「ルクグヮチウマチー/6月稲大祭」の際には「当間集落」を管轄する「屋宜ノロ」により祭祀が執り行われました。「当間集落」は「泡瀬」と「与那原」の中間地点にあり「トーママーチュー」は馬とトロッコムチャー(サトウキビの運搬業者)が交代する交換所となっていました。そのため乗客の休憩場や馬に餌を与える場所として村内外の人々に広く知られていたと伝わります。


(トーママーチュー)

(旧県道/馬車駆動跡)



(ミジャレー橋跡)

「トーママーチュー」の西側にはかつて馬車駆動として使われていた「旧県道」が南北に通っており、この道は現在「県道吉の裏線」と呼ばれています。「旧県道」の南側の屋号「新仲門/ミーナカジョー」の屋敷の隣に「ミジャレーヌサンカク」と呼ばれる場所があり、戦前まで三角形の畑地となっていました。ちなみに「新仲門」の「仲門門中」は「義本王」3代目が元祖と伝えられており、本家は北中城村「字喜舎場」の屋号「上ヌ安里/イーヌアサト」と言われています。「ミジャレーヌサンカク」の土地は収穫したサトウキビの集積所として利用され、この地点から「旧県道」に敷設されたトロッコにサトウキビを積み込み馬に引かせて「西原製糖工場」へと運んでいました。この「ミジャレーヌサンカク」から更に南側には戦前まで「ミジャレー橋」という橋が架かっていました。


(ビジュルグムイ)

(サーターヤーヌメー/ウマアミシグムイ跡)

(サーターヤーヌメーのカーラ)

「ミジャレー橋跡」の東側に「ビジュルグムイ」という湧き水の溜池があり「ヘンザガー」とも称されていました。周辺は草に覆われていますが現在も水が湧き出ています。「ミジャレーヌサンカク」の北西側に「サーターヤーヌメー」と呼ばれる場所があり、隣接して「当間集落」の各組(集落における住民編成)が営む「サーターヤー/製糖小屋」が3箇所並んでいました。「上組/イーグミ」は屋号「前喜友名・亀前喜友名小」などが営み「中組/ナカグミ」は屋号「前喜屋武・上喜屋武・東喜屋武・新仲」などが運営し「下組/シチャグミ」の家が所有していました。かつて「サーターヤーヌメー」の側には「ウマアミシグムイ」という溜池があり「カーラ/川」に隣接している事から水量も多く「サーターヤー」で使った馬の体を洗う時に利用されていました。クムイ(溜池)の入り口から徐々に深くなり馬を洗う地点まで石が敷き詰められていました。製糖で使った馬は作業が夜遅くまで続いても必ず綺麗に洗ってから馬小屋に戻しました。もし馬を汚れたまま戻すと、馬の疲れが取れずに翌日に働く事が出来なかったと伝わります。


(ガンヤー/龕屋跡)

(ターチムイ)

「サーターヤーヌメー」の北西側にかつて木造瓦葺きの「ガンヤー/龕屋」があった場所があります。火葬が一般化する以前は遺体を納めた棺桶を墓まで運ぶ「ガン/龕」と呼ばれる漆塗りの輿があり、それを収納しておく小屋は「ガンヤー」と言われていました。「ガン」を担ぐ人は体力がある青年が選ばれ「ガンカタミヤー」と呼ばれました。遺体を乗せた「ガン」を担いでいる時は、重さでどんなに肩が痛くても肩を左右に入れ替えてはいけなかった慣習がありました。もし途中で肩を入れ替えると、後ろで「ガン」を担ぐ人が早死にすると信じられていました。この「ガンヤー」の北側には2つの山の間に「ンナトゥガーラ」と称する道が通っており、この一帯は「ターチムイ/2つ森」と名付けられていました。なお、集落の住民の多くはこの森に薪を拾いに行っていました。


(タントゥイモー)

(上ヌ池ニー/イーヌイチニー)



「当間集落」の西側で現在の「中城メモリアルパーク」の上方に「タントゥイモー」と呼ばれる丘陵があり、集落の祭祀に使用する神酒を造る為の稲を育てる「ナーシル/苗代」として利用され、旧暦の11月に稲ね発育を祈願する「タントゥイ/種子取」の行事が行われていました。また「タントゥイモー」周辺一帯は屋根ね葺き替えに使われる茅が生い茂る「カヤモー/茅毛」となっていました。「タントゥイモー」の東側には「上ヌ池ニー/イーヌイチニー」という、かつて松の木が生えていた場所があり「上ヌ池/イーヌイチ」という名前のクムイ(溜池)がありました。「タントゥイ」の行事の際には住民が松明を持って「タントゥイモー」から降りてきて「上ヌ池ニー」の広場を3回周って下方の「サーターヤー」近くの「ウマアシグムイ」まで下って行ったと言われています。


(クボーウタキ/クボー御嶽)

(クボーウタキ/クボー御嶽のウコール)

(クボーウタキ/クボー御嶽の石碑)

「当間集落」の南西側にある「小字久保原/クボーバル」と、隣接する「安里集落」の「字安里」の境界付近にある森の中に「クボーウタキ/クボー御嶽」があります。「シチャクボー/下クボー」や「安里クボー」とも呼ばれるこの御嶽は、1713年に琉球王府により編纂された『琉球国由来記』に『コバウノ嶽 神名 コバウ森御イベ 安里村』と記されており「安里集落」の拝所として書き述べられています。「クボーウタキ」のイビ(威部)にはウコール(香炉)が北向きに設置され、古いビジュル石(霊石)が建立され祀られています。御嶽の周辺にはマーニ(クロツグ)やクバ(ビロウ)が生い茂っており「安里集落」では稲の豊作祈願と収穫を祝う「グングヮチウマチー/5月ウマチー」と「ルクグヮチウマチー」の際に拝しています。






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最終更新日  2023.01.14 14:46:28
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