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2023.05.10
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カテゴリ: 恩納村



沖縄本島北部の西海岸線沿いに「恩納村/おんなそん」が南北に長く広がり、この村の中央部に「谷茶/たんちゃ集落があります。この村の集落は東西に細長い形をしており、西側にある弓状の浜辺の砂堆上に位置しています。「谷茶」という村名は1713年に琉球王府により編纂された「琉球国由来記」から記載され始めました。さらに1743〜1745年にかけて琉球王国の正史として編纂された歴史書である「球陽/きゅうよう」には『一六七三年(延宝元年)恩納間切創設に読谷山間切から八邑、金武間切から四邑を割き、十二邑で恩納間切を創めた。』と記載されています。このことから「谷茶」は読谷山間切から割かれた八邑の一つである事が分かります。また、1731年に成立した漢文による琉球王国地誌の「琉球国旧記」には『谷茶大屋子(地頭代)』の記事が記されています。


(御嶽の丘陵)

(御嶽の登口)

(谷茶の御嶽)

「谷茶集落」の中心部から南側にある丘陵の頂上に「御嶽」の社が「谷茶」の古島がある北側に向けて建立されています。「谷茶」の草分け旧家を見晴らす位置にある「御嶽」は村の守護神として昔から崇められてきたと考えられます。この御嶽は旧正月1日の「ハチウガン/初御願」で「谷茶集落」の老若男女が初詣に参拝しました。前年に子供が産まれた家は「カミジン酒」をつくり神に捧げ「ニーガン/根神」により神への報告が行われます。寄り合った人々は神酒を戴き、三線の演奏に合わせて歌舞が奉納されます。まず最初に男達が舞い、次に神女が舞う慣わしとなっていました。御嶽参詣は祭りの日や年中行事の際だけではなく、日付けを問わず出稼ぎに行く人や試験を受ける人などが御嶽を拝し、それぞれの日程から集落に帰った時に「フトゥチウガン/解き御願」を行いました。


(アガリメーウフヤ/東前大屋)

(ニーチュヤー/根人屋)

(ナカミチ/中道から見たニーチュヤー/根人屋)




( ニーチュヤー/根人屋のカミヤー/神屋)
(

(ニーチュヒヌカン/根人火神)

(ニーチュヒヌカン/根人火神の祠内部)

「根人屋」の屋敷の南側に赤瓦屋根の「カミヤー/神屋」が建てられており、内部には3基のウコール(香炉)が設置された仏壇、2基の石造りウコールが祀られたヒヌカン(火の神)、1基のウコールが設置されたトゥクシン(床の神)が設けられています。この仏壇に向かって右側には観音図が祀られており、ウコール、湯呑、花瓶が設置されています。かつて「根人屋」の炊事場に2つの竈(カマド)があったと伝わります。竈に向かって右側が「根人火神」が祀られ「根神」が拝し、左側は「家庭火神」とされてきました。戦後になり「根人火神」は「御嶽」入り口の右側に祠を設けて移動され、その祠内部には更に2つの火神が祀られ「谷茶集落」の民間霊媒師である「ユタ/シャーマン」により拝されています。現在、この祠には10体の霊石が祀られ、3基のウコールと3つの湯呑が設置されています。


(クラントゥー/蔵ン当のカミヤー/神屋)

(シードヌヤー/勢戸ヌ屋の屋敷跡)

(ウフヤー/大屋のカミヤー/神屋)

(アガリ/東の屋敷跡)

「谷茶集落」の「御嶽」の南側には他にも「クラン根/蔵ノ根・クラントゥー/蔵ン当・シードヌヤー/勢戸ヌ屋・ウフヤー/大屋・アガリ/東」の旧家屋敷がありました。「御嶽」で祭祀が執り行われた際、稲穂は「シードヌヤー」の「メーンター/前ン田」から三穂を収穫して神に捧げ、お供えする神酒もこの家で造られました。「山田ノロ」による「冨着神アサギ」での四村合同祭祀には「ウフヤー・アガリ」の両旧家から神女が1人づつ参加し「ニブトイ/根ブ取」と呼ばれる神人は「アガリ」が出席したと伝わります。桶の神酒を杓子で汲み、再び桶に戻す事を3回繰り返した後に改めて神酒を汲む「神酒起し」と呼ばれる儀式が神女達により行われました。正月と6月25日の年2回「御嶽」の清掃と枯木採取が3人の神女により行われ、〆縄は「ニブトイ」が張り巡らしたと言われています。


(川端屋の屋敷跡地)

(谷茶集落入り口の古墓)



(タンチャバシ/谷茶橋の石碑)

旧家「アガリ」の北側で「谷茶前浜」の近くに「川端屋」の屋敷跡地があります。この家は耕地が少ない「谷茶集落」でも土地持ちの裕福な家として有名でした。恩納間切の「南恩納・熱田」や金武間切の「屋嘉」などの集落に多くの水田を所有しており、その土地の住民に小作をさせていたと言われています。この「川端屋」から借金をした人は利子を労働で返済し、多くの日雇いも使用していたと伝わっています。 「おんなサンセット海道」から「谷茶集落」の西側に入る位置に古墓があり墓門にはウコール(香炉)が設置されています。この墓の正面に流れる「メーンカー」には「谷茶橋」が掛けられており、川岸には『大正十二年十一月築設』と刻まれた、当時実際に使用されていたと思われる2本の石柱が記念碑として保存されています。その昔、この川には「ヤンバル/山原船」や村船の「入り船・アガリ船」が往来していたと伝わります。






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最終更新日  2023.06.01 08:42:21
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