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2023.07.15
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カテゴリ: 本部町



「辺名地/へなじ集落」は方言で「ヒナジ」と呼ばれ、沖縄本島北部「本部町/もとぶちょう」の「八重岳」の西側山麓から東シナ海に向かって緩やかに広がる丘陵地に位置しています。集落の西側は「大浜・谷茶」の台地に続いており、北側は低地が広がる「渡久地・東」と丘陵が連なる「大嘉陽」に隣接しています。集落の南側には大小堀川が流れており、その中流「ヒナンジャー」と下流「ウフグムイガー」は隣接する「健堅/けんけん集落」との境界になっています。「辺名地集落」は内陸から「喜納/キンナー」「桃山/トウヤマ」「辺名地本字/ヘナジホンアザ」の3つに分かれ、そのうち中心的な部落は「辺名地本字」となっています。この「辺名地本字」地区は東シナ海を見下ろす丘陵の最西端に位置し、本部半島の山並みを背景に「伊江島・水納島・瀬底島」の離島や「美ら海水族館」で知られる「海洋博公園」を眺望する景勝地となっています。


(五穀蔵神の祠)

(古御嶽/フルウガミの拝所)

(地頭神/村火神の拝所)

(三釜/五釜/七釜の拝所)

「辺名地本字」は「ムラウチ/ムラ」と呼ばれ一班と二班に分かれており、一班は「ヒチャクブ/下窪」二班は「ウイグブ/上窪」に区分されます。また「ヒチャクブ」を「へー/南」「ウイグブ」を「ニシ/北」と言う事もあり、これは旧6月25日に行われる綱引きの単位となっています。「辺名地公民館」は「ヒチャクブ」に位置しており、公民館の南東側にある高樹齢のデイゴの大木の下には集落の合祀拝所が設けられています。コンクリート製の祠内部には3基のウコール(香炉)が祀られ「五穀蔵神」と刻まれた石碑が建立されています。この祠に向かって左側には「古御嶽」と記された石碑があり、霊石とウコールが設置されています。かつて「古御嶽」は現在の御嶽から南側に位置しており住民からは「フルウガミ」と称されています。「古御嶽」の拝所に向かって左側には「地頭神/村火神」の石碑とウコールが祀られています。さらに「五穀蔵神」の前方には「三釜/五釜/七釜」と刻まれた石碑が建立しており、かつての窯元のヒヌカン(火の神)がこの地に合祀されていると考えられます。


(辺名地公民館)

(ニードゥクルヒヌカン/根所火神)



(神アサギ)

「ヒチャクブ」の中でも「辺名地公民館」周辺は「プシマ/大シマ」と呼ばれています。「ムラウチ」で最も古い部分であるとされる「プシマ」には集落の主要な祭祀場や旧家が集中しています。公民館の西側に「ニードゥクルヒヌカン/根所火神」があり、1713年に琉球王府により編纂された「琉球国由来記」には『根所火神 辺名地村 麦・稲四祭之時、仙香 巫、花米五合宛・神酒壱宛 百姓。竈廻之時、仙香 巫、花米五合・神酒壱 百姓。ミヤ種子ノ時、仙香 巫、花米五合・五水三合 百姓。アラザウリ・向ザウリノ時、仙香 巫、花米五合宛・五水五合宛 百姓。畔払之時、仙香 巫、花米五合・五水三合 百姓、供之。瀬底巫・辺名地根神祭祀也。』と記されています。公民館に隣接した場所に「ヒナジンヤー」と呼ばれる旧家があり「ニガミ/根神」はこの家から自出します。さらに公民館に隣接して旧家「並里家」の「神アサギ」が建立されており「琉球国由来記」には『神アシアゲ 辺名地村 麦・稲四祭併柴指・芋祭之時、 仙香 巫、花米五合宛・神酒壱宛 百姓。 』と記されています。


(ウルン/御殿)

(御殿改築記念碑)

(ウルン/御殿の内部)

(ウルン/御殿のヒヌカン/火の神)

「辺名地公民館」から「神アサギ」を中心とした周辺には「辺名地遺跡」が広がっています。遺跡にはグシク時代の土器や陶磁器等が散布していた事から原始時代の遺跡であると言われ、古くから部落が形成され人々が居住していた事が認められています。1635年に近世琉球における各村の石高と田畑を間切ごとに集計した古文書「琉球国高究帳」には本部の8村が「今帰仁間切」に属し、その中に「辺名地村」が記されています。また「仲村家/屋号カラヤマヤー」の辞令書によると、1604年には「仲村家」から「辺名地村」の村長助役である「目差役人」が命じられていた記述があります。「神アサギ」に隣接して「ウルン/御殿」が建立されており「御殿改築記念碑」と「神社改修記念碑」があります。「ウルン」の内部には石造りウコール(香炉)と陶器ウコールが3基づつ祀られており、それぞれにクバ扇と稲穂が飾られています。さらに向かって左側には「ヒヌカン/火の神」があり、こちらにも稲穂が祀られています。


(タキサン/ウタキサン)

(メーヌファ)

(ミャークニー散策道の標識)



「辺名地公民館」の北側約200メートルの位置に「タキサン/ウタキサン」と呼ばれる森があります。「琉球国由来記」に記されている『西森 神名 コバヅカサノ御イベ 辺名地村』に相当すると考えられ『稲・麦四祭之時、仙香 巫、花米五合宛・神酒壱宛 百姓。山留ニ竹木伐枯、為作物祈願之時、仙香 巫、花米五合・神酒二 百姓、供之。瀬底巫祭祀也。』と記述されています。旧5月9日に執り行われる「ウフウガン/大御願」の祭祀には、集落の人々は神役と共に「タキサン」に登り祈願します。ただし男性は「メーヌファ」の広場から奥には入れない男子禁制の御嶽となっています。「辺名地集落」の古老によると、この「タキサン」は3回移動していると伝わっています。以前は南側の丘陵にあったとされ「フルウガミ/古拝み」と称されています。さらに、それ以前は「ナカヌウタキ」と呼ばれ「プシマ」の南西側にある「シニグイバル」という小高い森にあったと言われています。






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最終更新日  2023.07.17 15:43:30
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