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11月中旬、会津若松市と会津美里町の史跡巡りをしてきました。まずは、会津若松市の六地蔵から。こちらは国道沿いにあり、いつも気にはなっていたお寺でしたなんでもその昔、祖母も養父を連れてお参りに来たと言っていたお寺です。一ノ堰六地蔵、または萩之原六地蔵尊とも呼ばれているそうです。寛治4(1090)年、村人の山田近右衛門が草刈りをしていると、1寸8分の地蔵尊を発見し、同に安置した。天永3(1112)年、大川の洪水で大木が流れ着き、近右衛門の名を呼ぶので流木を拾い上げると、目の前に地蔵尊が現れた。霊木だと悟り、6体の地蔵尊を刻み、同を建立し祀ったのが始まりだそうです。子どもの守り本尊とされ、昔は「二つ子参り」で賑わったそうです。この二つ子参りに祖母も訪れたのでしょう。堂内は自由に入って参拝できるようだったので、入って参拝させていただきました。向かって左側奥に二つ子参りの守り本尊様が鎮座していると思われました。次は会津美里町の会津薬師寺へ向かいました。道沿いにあるもののちょっとわかりづらく、通り越してしまいました(戻ってきました)境内は紅葉真っ盛りで赤と黄色の紅葉がとてもきれいでした。この日は境内の雪囲い作業などがあったようで、お檀家さんが作業をされていました。宝亀10(779)年に千寿院として創建され、嘉祥元(848)年に慈覚大師円仁によって開基したと伝えられています。その後、奥州平泉の藤原氏滅亡の折、平泉高館に祀ってあった薬師如来像を、藤田忠重の氏族佐藤清澄がこの地に持ち下り、上総国産まれの沙門円鑁が薬師堂を建立して以降、寺号を「会津薬師寺」と称するようになったそうです。境内の親子地蔵もマスクをされています境内にあった鐘楼を撞かせていただいたりもしました。息子ちゃん大喜びそして、続日本百名城に選定されている向羽黒山城へ。入り口にあった看板東日本最大級の山城だそうです。山城だけに山全体が城なのですが、熊が出没したため、入山禁止になっていました。まぁ、出るよね、熊なので、資料館だけ見ることに。向羽黒山城は阿賀川に沿って細長く平坦部に突き出している白鳳三山(観音山・羽黒山・岩崎山)の岩崎山全域と羽黒山の一部に位置しています。向羽黒山城は中世会津を支配した蘆名盛氏が永禄4(1561)年から8年かけて、隠居城として築城した城です。その後、息子の盛興が亡くなったため、盛氏は黒川城(現在の会津若松城)にに戻り、向羽黒山城は廃城になったとされています。しかしその後、蘆名氏を滅ぼした伊達政宗が向羽黒山城に出掛けていることを示す資料もあり、蒲生氏郷、上杉景勝の時代も継続して機能していたと考えられています。資料館内にあった向羽黒山城の復元模型向羽黒山城遠景この日は霧に包まれて見えなかったので、後日撮影したものです。後日は12月下旬だったため、雪景色になりました・・・そして最後は史跡ではないのですが、芦ノ牧温泉大川荘へ。「鬼滅の刃」の無限城に似ていると話題になっている、大川荘さん。日帰り温泉も入りたかったのですが、時間が合わなくて断念見学だけはさせていただけるとのことで、無限城チックな浮舞台を見学しました昔からこの浮舞台の存在は知っていましたが、何が起爆剤になるかわかりませんね。ちなみに、芦ノ牧温泉は丸峰さんに2回ほど泊まったことがあります。大川荘は泊まったことがないので、泊まってみたいですおまけ向羽黒山城を12月に撮影した際に「まち歩きスイーツ&カフェ」で立ち寄った「あいづ浪漫亭しおぐら」さんの昔懐かしプリンです(コーヒーも付く)あいづ浪漫亭しおぐらさんは、野口英世青春館そばにある、蔵をリノベーションしたカフェで、雰囲気満点でした
2021年03月20日
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通院の帰りに、会津大塚山古墳に来ました。本当なら、福島県立博物館の企画で、学芸員の方に説明を受けながらの古墳見学になるはずだったんですが・・・申し込み開始日をメモしていたにもかかわらず、すっかり忘れ次の日に連絡をしたところ、「即日定員に達しました」とのお返事・・・ああ、無念ということで、ぼっち墳活と相成りました。しくしく実は以前も来ていたりします。雪国の真冬の墳活はやめようと思った次第のこちら→会津大塚山古墳へまあ、けっこうな頻度で横の道は通っているんですけれど(苦笑)紅葉時期で木々も色づいていて、きれいではありました。会津大塚山古墳遠景位置写真(「福島のトリセツ」昭文社刊より)横に霊園があります。古墳だけに、周りに霊園を作ったのかは謎。墳丘部の解説版(以前撮影のものより)今回は雪はないので、難なく登っていけました。多少、数日前の雨でぬかるんでいたのと、落ち葉で滑りましたけれど。入ってすぐある、こんもりとした土壇。何かわからない。解説が欲しい・・・後円部から見た前方部同アングルで以前、雪の中から撮ったものこの石板は棺の位置なのだろうかああ、解説が欲しい・・・石板を離れて見たところ。標柱付き。もう、やっぱり解説がないとよくわからないですね次の機会があったら、やっぱり参加しなければ解説が後になりましたが、会津大塚山古墳は全長114mの前方後円墳。後円部の経は70mと大きくなっています。築造年代は4世紀後半と推定されており、東北地方では最古の部類に入ります。埋葬施設は2本の粘土槨(木棺を粘土で覆ったもの)で、合計380点もの副葬品が発掘されています。三角縁神獣鏡・銅鏃(どうぞく)・三葉環頭大刀など、他の古墳からはあまり見つかっていない品々が出土しているところも、会津大塚山古墳の特徴だそうです。なかでも注目を集めたのが三角縁神獣鏡で、大和王権が自作した鏡であり、大和王権から贈られたものでした。この三角縁神獣鏡は、岡山県備前市の鶴山丸山古墳出土のものと同じ鋳型で作られたものであることが判明しています。会津大塚山古墳から三角縁神獣鏡が発掘されたことで、大和王権の東北への勢力伸長が4世紀末と考えられるようになりました。(以上、解説は「福島のトリセツ」昭文社刊より抜粋)副葬品や発掘の様子については、現在福島県立博物館の常設展部門展示室で行われている「よみがえる会津大塚山古墳」で知ることができます。副葬品の数々(最初の写真が三角縁神獣鏡)発掘時の様子会津大塚山古墳は、一箕(いっき)古墳群に含まれており、古墳群の中には他に堂ヶ作山古墳、飯森山古墳(白虎隊自刃で有名な飯盛山)があり、この2つは会津大塚山古墳よりさらに前の時代のものだそうです。会津大塚山古墳から見た堂ヶ作山古墳と飯森山古墳解説版霊園内を散歩する方々に混じって霊園内をウロウロしていたのですが、ちょっと怪しいかなと会津大塚山古墳、三角縁神獣鏡が発掘されたことで、昔から興味がある古墳でした。この発掘された三角縁神獣鏡の触って持てるレプリカが、実は白河市のまほろんにあります。持ったことは言うまでもなく(笑)秋だし霊園だしで、なんとなく寂しくなる、ぼっち墳活でした会津大塚山古墳を後にして、「まち歩きスイーツ&カフェ」で「なぬかまち茶房 結」さんの豆腐もちスイーツ「ゆきうさぎ」を食べに行きました。もちアイスって何だろうと思いましたが、雪見大福ですね。左からベリー、クリーム、抹茶味。とけかけが一番おいしかったです。
2021年03月10日
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