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陸路でウルムチからイーニンに向かう途中に立ち寄ったセリム湖(サリム湖、サイラム湖、賽里木湖)の風景です。各種情報によれば、この湖は天山山脈の西の博璽塔拉蒙古自治州に位置し、面積は約458~475平方キロメートル。水面の標高は2071m、0.3%の塩湖で、流出河川は無いそうです。現在は、湖岸に周遊道路が整備されており、幹線道路から湖岸に達して反時計回りにほぼ一周しました。写真上の4枚は西岸、写真下の2枚は東岸で、時間的には下の2枚のほうが先に撮られたものです。右下は、湖岸で昼寝したいというポーズで撮って貰ったのですが、何だか、打ち上げられた水死体のようにも見えます。
2011年09月10日
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今回のツアーは、上海経由で西安に1泊、翌日、国内線でウルムチに向かうという行程になっていました。西安からウルムチまではほぼ直線のコースとなっており、左の窓からは、うっすらと青海湖が見え、さらに、祁連山脈越え、タクラマカン砂漠西端を通って、ボゴタ峰の北に回るというコースとなっていました。写真上は、祁連山脈上空、写真下は、タクラマカン砂漠西端のオアシス都市(場所は未確認)、その砂漠越しに南西方向に見えていた雪山(阿爾金山脈?、左下がそのズーム写真)です。私の本来の座席は、左の窓際から2番目のB席でしたが、なぜか、A席の人が搭乗せず、窓際に移動して眼下の景色を満喫することができ、まことにラッキーでした。
2011年09月09日
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昨日も掲載しましたが、イシククル湖畔の一部には広大なリゾート地がありました。敷地内には、写真A~Gのような別荘があり、キレイに整備されていました。もっとも、利用可能な期間は6月から9月頃までと、ニューイヤーの特別期間だけだそうです。所有者が有料で貸し出すこともあるらしい。庭に植えられている草花や樹木は、おそらく、施設の従業員の手で管理されているものと思われます。私自身が2週間程度利用するのであれば、B、C、E、Fあたりが好みですが、もっと長期間利用することになると、おそらく飽きてしまうのではないかと思われます。(一年中、自分で庭の管理をするなら飽きないでしょうが...。)写真HやIは、この施設より数十kmほど西にある普通の民家です。こういうところの一室を借りたほうが、生活感や季節感があって長期間くつろげるのではないかと思ってみたりします。
2011年09月08日
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昨日も述べましたように、イシククルは、かつてはミステリアスなイメージの強い湖でしたが、現在では、一部の湖岸は完全にリゾート地化しています。私たちが泊まったのはRadugaという、広大な敷地を持つリゾート施設内の宿泊所でした。写真は敷地内の様子です。ログハウスや石造りの別荘はすべて分譲地で、何でも20万~30万ドルだったとか。政府要人や大金持ちでないとなかなか手に入れられない金額です。この季節は、バラ、アスター、ペチュニア、ヒャクニチソウ、マリーゴールドなどが花盛りでした。花の種類は日本と変わりませんが、比較的涼しいため、バラの花は、夏中ずっと咲き続けているようです。
2011年09月07日
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今回の旅行は、新疆ウィグル自治区・ウルムチから陸路で国境を越えて、イーニン、カザフスタン、キルギス、カシュガルに到るバスツアーでした。写真は、その中の目玉の1つであるイシククルです。旧・ソビエト連邦支配下では、外国人の湖畔への立ち入りは禁じられており、また湖底に遺跡が沈んでいるらしいといったミステリアスなイメージの強い湖でしたが、現在は、一部の湖岸は完全にリゾート地化していました。写真左下は、宿泊先のプライベート湖岸でくつろいでいるところ(早朝)、写真右下は、仰向けに浮かんでいるところです。長袖が必要な涼しい気温でしたが、水温は20℃前後のため、晴れていれば十分に泳ぐことができました。
2011年09月06日
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旅行から戻ってまいりました。今回の旅行は、年末年始のエチオピア旅行からまだ間もない時期でもあり、日程調整上も、資金的にも苦しい事情があったのですが、現地の情勢が流動的で、この機会を逃すともしかすると一生行かれなくなるかもしれないと思い、無理を押して参加した次第です。写真は、その中でも特に気に入った風景です。台風で大きな被害が出たことは帰国直前まで知りませんでした。旅行先は翌日にでもお知らせします。
2011年09月05日
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8月15日の日帰り旅行のアルバムの最終回は、皆生温泉のオーシャンです。8月15日の日記にも書きましたように、家族が帰省した時の日帰り旅行先としては、蒜山→とっとり花回廊→近隣の温泉が定番となっています。但し、利用する日帰り温泉はそのつど変えており、今回は、昨年12月にリニューアルオープンした、皆生温泉・オーシャンというところに行ってきました。ここは、中国地方最大級の露天風呂、もしくは、海の見える展望風呂のいずれかに、男女交替制で入浴することができます。この日は、男性は、2階の展望風呂のほうになっていました。写真上は入り口付近の足湯、中段と下段は、2階の休憩所から海を眺めたところです。ここの海岸は北東方向、美保湾を見渡すことができ、この季節は、北西方向に沈む夕日をかろうじて眺めることができます(海ではなく、島根半島方向の山の向こうに沈みます)。写真下は、それより右手にある、美保関方面です。美保関は4年前に訪れたことがあり、そのときの写真が、2007年9月4日2007年9月5日などにあります。
2011年08月21日
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先日の上京は、久しぶりに飛行機を使いました。岡山・羽田便は通常、羽田行きの時は伊豆半島上空、帰りの岡山行きの時は富士山頂上のすぐ北側を通ります。もっとも、その時の気象条件により、頂上の真上を通ったり、高度が異なっていたりします。この日は高層で強い西風が吹いていたため、通常よりは低い高度6000m前後で通過しました。富士山上空の写真は、2003年2月2日や2000年2月13日の日記にも掲載していましたが、今回もよく見えていたほうではないかと思います。
2011年05月21日
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新宿御苑内で渋谷川の源流を探していたところ、偶然、ラクウショウの気根群がありました。しかし、この風景、以前にも見たことがあるぞ、特に、ウサギが立っているような気根は絶対に見たことがあるはず、という既視感を覚えました。新宿御苑には、50年前ほど前に数回は訪れており、その時の記憶が蘇ってきたと考えられないこともありませんが、気根が50年間変化しないままでいるはずはない、おかしいなあと思いつつ、岡山に戻ってから検索したところ、その原因が分かりました。いぜん、みなみたっちさんの、こちらのお写真(2007年11月6日)を拝見したことがあり、その時の記憶が蘇ってきたのでした。なお、みなみたっちさんは「ジブリアニメに登場する猫のような形」と表現しておられました。そう言われてみればウサギではなく猫にも似ていますね。
2011年05月19日
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新宿御苑の連載3回目は、ホオノキの花です。昨日のユリノキと同様の巨樹ですが、木そのものが大きいばかりでなく、案内板には「葉と花は日本の樹木の中では最も大きい」と解説されていました。ウィキペディアにも「葉は大きく、長さ20cm以上、時に40cmにもなり、葉の大きさではトチノキに並ぶ」とありました。葉っぱの大きさだけならバショウのほうが大きいのではないかと思いましたが、バショウは木ではなくて多年草でしたね。タイサンボクやモクレンの花にも似ているように見えましたが、いずれも「マグノリア」の仲間。英語では、ホオノキ:Japanese whitebark magnoliaタイサンボク:Southern magnolia普通のモクレンは「Tulip magnolia」あるいは「Lily magnolia」などと呼ばれるそうです。
2011年05月17日
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新宿御苑の連載2回目は、ちょうど見頃を迎えていたユリノキ(チューリップツリー)の花です。写真左上のように、ここにあるユリノキはものすごい大木になっています。殆どの花ははるか高いところに咲いていましたが、一本だけ、腕をのばすと1mくらいまで近づける枝がありました。来園者のためにわざわざ見えやすいように剪定していたのかもしれません。
2011年05月16日
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1泊2日の日程で上京しています。宿泊先が水道橋だったこともあり、近くの新宿御苑に行ってみました。ここを訪れた記録としては小学校1年の時の遠足の写真があります。小学校の時は遠足でもう一度、他に、中学生の頃に一度という記憶がありますが、はっきりした記憶はありません。写真は、プラタナス(正確にはモミジバスズカケノキ)の巨樹です。太さ、高さともバオバブの木を超えているように見えました。写真下の樹については説明看板があり、樹高約27m、幹周約5m70cm。1892年から栽培した記録があるそうです。(アメリカスズカケノキとスズカケノキの交雑種ということですので、明治より前には生えていなかったものと思われます。)
2011年05月15日
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秘境シリーズの第3回(最終回)は、宮崎県都城市関之尾町にある関之尾滝と甌穴です。溝ノ口洞穴の近くの県道沿いあるということで訪れることにしましたが、入り口の看板に気づかず、財部の中心部まで行ってしまってから引き返しました。けっきょく、「関之尾緑の村」のテニスコート横が入り口になっていることが分かりました。ウィキペディアの当該項目には、大淀川支流の庄内川にかかる。大滝、男滝、女滝の3つからなり、幅約40m、落差18mの大滝はおよそ11万年前の加久藤カルデラの噴出物である溶結凝灰岩を浸蝕している。... 関の尾の甌穴関之尾の甌穴滝の上流600m、幅40mに及ぶ川床には数千個の甌穴群(おうけつぐん)があり、世界有数の規模といわれている。1928年(昭和3年)2月18日には国の天然記念物に指定された。と解説されています。でもって、滝の見物なのですが、昨日ご紹介の「溝ノ口洞穴周辺」と同様、2010年7月の集中豪雨の影響で、岩肌が崩壊し遊歩道や吊り橋が通行禁止となっていました。予算が無いのでしょうか、復旧工事が行われている形跡は見当たりませんでした。私たちが訪れた時は、滝の上流域にある甌穴群の水量は少なく、岩を飛び越えながら滝の落ち口を覗きに行かれるほどでした。水害当時は水位が7~8mも上がっていたそうですから、大自然の力は恐ろしいものです。吊り橋は一見、渡れそうにも見えましたが、これまた、つり橋を支えるワイヤ周辺部がむき出しになっているとか。もっとも、通行可能な範囲にある展望所からでも、滝は十分に鑑賞できました。
2011年04月09日
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霧島高原では、昨日掲載の高千穂牧場のほかにもう1カ所、霧島神話の里公園を訪れました。高千穂牧場のほうが、大自然の中で動物とふれあったり、乳製品のほか手作りパン、菓子類、ハム、ソーセージなどの美味しい食べ物が魅力なのに対して、神話の里のほうは、大自然のパノラマを楽しんだり、グラススキーやスーパースライダーなどの遊具を楽しむのに適しています。新燃岳(写真上)と高千穂峰(写真中)は、高千穂牧場でも神話の里でも眺めることができますが、神話の里のほうが間近にあって迫力を感じました。このほか、神話の里からは、錦江湾越しに桜島を遠望することができました(写真下)。写真には写っていませんが、開聞岳もうっすらと見えていました。
2011年04月06日
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写真上は、霧島高原にある高千穂牧場、右側の山は高千穂峰、左奥は、噴煙を上げる新燃岳です。写真下は、今回の宿泊先の温泉(実際の宿泊はログハウス)です。ここは泥湯パックで有名です。標高が高いのでもっと寒いところだと思っていたのですが、各所で満開の桜を眺めることができました。
2011年04月05日
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妻の実家がある北九州で、ふだんバラバラに暮らしている家族全員が揃いましたので、記念に南九州方面への小旅行に出かけました。写真は、垂水付近から眺める桜島です。鹿児島市方面からの桜島はこれまで何度か眺めたことがあったのですが、このアングルからは初めででした。活動が活発な昭和火口がはっきり見えています。
2011年04月04日
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エチオピア・ダナキル砂漠のアルバムの最終回は、アディスアベバで見つけた色とりどりの花です。青色の花はブルージャカランダ、他にブーゲンビリアの大木が各所に咲いていました。赤色系の花は、カエンボク、ホウオウボク、デイゴのいずれかの可能性が高いと思われますが、近づいて確認することはできませんでした。中段右端はアザミゲシです。ということで、エチオピア旅行の連載はこれにて終了。
2011年01月24日
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エチオピアで体験したコーヒーセレモニーの写真です。左側はダナキル砂漠の西端にあるベルハアレのお茶屋でいただいているところ。右側は現地旅行会社社長さんのご自宅(アディスアベバの住宅街)でいただいているところです。どちらも豆を煎り、砕いて、お湯をそそいでふるまわれます。ウィキペディアには、日本の茶道と同様、コーヒーを飲むという行為に精神的な要素や教養などが含まれる文化的な習慣であり、他者に対する感謝ともてなしの精神を表すものである。【中略】客の前でコーヒーの生豆を煎るところから始め、3杯飲むことが正式であることから、1時間半から2時間以上かかる場合もある。その間は香を焚き、客はパンやポップコーン(ファンディシャ)などを食べながら待つ。と解説されています。
2011年01月23日
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アディスアベバの標高は2400m。富士山の富士宮ルート新五合目とほぼ同じです。当然、気温のほうも相当の差があり、朝晩は寒く感じるほどでした。写真上段:左から順に、エチオピア正教の教会と、イスラム寺院、八百屋さん写真中段:教会の前で布教活動をしている男性、婦人服の店、靴磨き写真下段:屋根の上の衛星放送受信アンテナ、材木屋、建築現場(トルコと同じ方式で、地震には弱そう)
2011年01月22日
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海抜ゼロメートル以下のダナキル砂漠から、標高2000mのメケレに戻る途中の風景です。ダナキル砂漠の生活はきわめて過酷で、塩湖の塩と交換した小麦粉とヤギの乳だけで生き延びているような印象を受けましたが、標高が高くなるにつれて農地が広がり、物質的には豊かになっているように見えました。A:牛を使った脱穀風景。牛は繋がれていないので、時々サボったり、脱走を試みていました。B:同じく農村地帯。C:リュウゼツランの花が咲く家。D:リュウゼツランの花と携帯電話塔?のコラボレーション。E:高台の民家。こういう家なら住んでみたい。F:斑入りのリュウゼツラン?とサボテン。サボテンは実を食べるために植えてあるそうです。ダナキル砂漠の気温はおおむね30℃~40℃前後でしたが、メケレはぐっと涼しくなり、翌朝の出発時はおそらく20℃以下。長袖が必要な気温でした。
2011年01月21日
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エルタ・アレ火山の最終回は、夜の風景です。この火山は活発に活動しているものの、マグマの性質上、噴石が飛び出すような激しい噴火は起こらず、むしろ夜のほうが火映現象や溶岩を眺めるのに適していると言われています。じっさい、欧州系の外国人観光客の人たちは22時頃に山頂に到着し、明るくなる前にはすでに下山していました(はるばる来たのに、ちょっと、勿体ない気がしました。)私自身は、こちらにあるような簡易ベッドで夜を過ごしました。ダナキル砂漠は日中は40℃前後になりますが、山頂はさすがに涼しく、夜半過ぎには、ゴアテックスの上着を2枚着て、シュラフカバーをつけた夏用シュラフに潜って寝ていました。上の4枚の写真は南クレーター、その下の2枚は北クレーター中心部の写真です。今回は、大規模な溶岩湖は消失していましたが、北クレーターの岩の割れ目から真っ赤な溶岩を眺めることができました。なお、アルバムサイトに、南クレーター周辺の写真を追加しました。明日以降は、帰路の風景と、アディスアベバ市内の写真を掲載していく予定です。
2011年01月20日
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こちらの地図に示されていますように、エルタ・アレ火山には、活発な火口が2つあります。1つは、1月16日に御紹介した南クレーターです。そちらは、しばしば溶岩湖が出現するため、テレビやツアーのパンフでよく知られています。今回は、その北側にあるクレーターで、リンク先の地図にもあるように、南クレーターの3倍くらいの規模になっています。私たちが訪れた時は、北クレーターも活発な状態となっており、中心部の岩の割れ目からは真っ赤な溶岩を眺めることができました。↓の写真は、地図上のGのあたりで撮ったものです。
2011年01月19日
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エルタ・アレ火山は溶岩湖が見られることで知られていますが、今回は、あいにく、火映現象と、北クレーターで炭火程度に赤々とした溶岩を覗き見ることができた程度でした。その代わり、一週間ほど前に流れ出したという、固まりたてホヤホヤの溶岩を間近に眺めることができました。これらはけっこうもろくて、子どもの頃に食べたカルメ焼きのような感じでした。また、固まりは繊維状になっていて、世界ふしぎ発見!でも紹介されていた「火山の神様の髪の毛」も至る所で見ることができました。
2011年01月18日
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初めに、この楽天日記のアクセス数が、1月17日未明に40万アクセスを突破いたしました。たくさんの方のご支援に感謝いたします。ちなみに、この日記は6年前に開設しました。本日までのデータは以下の通りです。総アクセス数:400243 アクセス(平均 183 アクセス/日).開設日数:2185日(開設日:2005/01/24).日記記入率:92.9% さて、エルタ・アレ火山やその周辺には、とがった岩峰がいくつか見られました。いずれも、粘り気のあるマグマが噴出し塗り固まったものと思われます。それらを見ていたツアー参加者のなかから、「ギャートルズの世界みたいだ」という声があがりました。ウィキペディアにも解説されているように、「ギャートルズ」は「はじめ人間ギャートルズ」、あるいは「はじめ人間ゴン」などの漫画やアニメの総称です。この漫画に限りませんが、原始人の世界には、とがった火山が描かれることが多いですね。なぜかなあ。写真上の火口右側の岩峰は、昨日の写真の撮影地点です。この岩峰の山麓にも噴気孔がありました。写真下は、北クレーターの外輪山から眺めた大地です。岩峰や小さな火山は、大地溝帯に沿って、ほぼ一直線に並んでいるように見えました。
2011年01月17日
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こちらの地図に示しましたように、エルタ・アレ火山には2つのクレーターがあります。今回は、午前中に赤色のルート、夕刻に黄緑色のルート、夜暗くなってから青色のルートを探索しました。写真は、地図のE地点の山頂から眺めた南クレーターです。今回はあいにく、1カ月ほどまえに、溶岩があふれ出す小噴火があり、テレビや案内写真で紹介されているような溶岩湖は直接眺めることができませんでした。火口から左側に伸びている黒い部分が、最近あふれ出した溶岩です。その日の夜には、火映現象のほか、火口から溶岩があふれ出して飛び散る様子を目撃した方もおられました。中央のチムニーはいずれ崩壊し、陥没が起こって、その後に再び溶岩湖が出現するものと思われます。
2011年01月16日
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ダナキル砂漠の砂あらしの中でもしっかりと生育しているガガイモ科の植物です。ネットで調べたところでは、カロトロピス・プロケラ Calotropis proceraまたはその近縁種ではないかと思われます。添乗員さんは「ソドムのリンゴ」で、汁が目に入ると失明することもあると言っていました。そう言えば、以前、モニュメントバレーでもそっくりの植物を見かけたことがあり、過去写真をチェックした限りでは全く同じ葉っぱでした。どの程度有毒なのかは不明ですが、少なくとも、ラクダやヤギたちは一切口にしないようです。砂漠のどこにでも生えているわけではありませんでした。おそらく、このあたりは、地下に水が通っているのではないかと思われます。
2011年01月15日
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昨日の日記に、エルタ・アレ火山に向かう途中の荒涼とした大地の写真を掲載しました。こんな過酷な場所では人は生きられないだろうと思っていたところ、牛の行進やラクダの群れが現れてビックリ。このあたりは、アファール人が、放牧で生活をしているようでした。アファール人の家は、木の枝を並べてその上に木の皮(バナナの葉っぱ?)をかぶせた簡素なものですが(一番下の写真)、中はけっこう涼しく、また、砂あらしを防ぐのに適しているように見えました。このあたりでは風が強くてキャンプ用のテントは張れませんし、高山用のテントでは暑くてたまりませんが、アファール人の家の木のベッドなら楽に寝られそうです。
2011年01月14日
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今回の旅行の一番の目的は、エルタ・アレ火山の火口を覗くことにありました。この火山は、地図上ではアハメッド・エラの村から40~50km程度のところにあるように見えましたが、途中は道らしい道は無く、ランクルで砂漠の中を8時間かけて移動しなければなりませんでした。一口にダナキル砂漠と言っても、砂ばかりではありませんでした。写真はその中の代表的な風景4種を並べたものであり、上から丸い石と砂からできた河床のようなところ。ここには井戸が掘られていたりします。粘土層がひび割れて地平線まで広がる光景。砂あらし。溶岩地帯。となっています。よくこんな道が走れるものだと驚くこともしばしば。さすが、世界のトヨタです。(市街地を含め、エチオピアでは、9割以上の車が「TOYOTA」のロゴをつけているように見えました。)
2011年01月13日
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1月6日と、1月7日の日記に、それぞれ、ダロール火山の「黄金の湖」と「エメラルドグリーンの泉」の写真を掲載しましたが、あの周辺では赤い色の湖は見当たりませんでした。今回の写真は、これとは別の場所にあった「赤い湖」です。光線の関係であまり鮮やかには写っていませんが、別府の血の池地獄に似ているとの印象を受けました。このほかにも、いくつか温泉が湧いていました。この場所は特定の固有名詞がつけられておらず、現地ガイドさんは「ホットスプリング」と呼んでいました。試しに指を突っ込んでみましたが、温度は30℃以下のぬるま湯になっていました。また、血の池地獄のほうは「酸化鉄や酸化マグネシウムを含んだ赤い熱泥」が赤色の成分のようですが、こちらは、何だか油っぽくて、もしかすると、原油が混じっているのではないかと思われました。
2011年01月12日
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昨日の日記で、エチオピア・ダナキル砂漠のアサアレ塩湖が、ボリビアのウユニ塩湖によく似ていると書きました。であるなら、ウユニ塩湖で流行っているという「トリック写真」も撮れるはずだということでさっそく挑戦。↓はその作品の一部です。なお、一番上の「靴から生まれた男」では、左足が靴の後ろ側にあるのが見え見えでしたので、その部分をほんのちょっぴり加工してあります。2番目と3番目は無修正。
2011年01月11日
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ダロール火山探索のあと、塩の採掘場のあるアサアレ塩湖(旅行会社のパンフでは「アサレ湖」となっていました)に向かいました。この湖は、半分が干上がっていて、塩原となっています。規模は小さいですが、6年半前の夏に訪れたウユニ塩湖(ウユニ塩原)そっくりの光景も見られました。ちなみに、塩湖になぜ六甲模様ができるのかについては、こちらに解説があり、何となく理解できました。A:ウユニ塩湖の「インカワシ島」に似た島に向かうところ。B、C:六甲文様D:塩水のたまったところ。水深10cmくらいなので歩いて探索できました。但しとがった結晶があるため、ゴム草履などが必要。E:ダロール火山周辺の塩原。硫黄のせいか、黄色に染まっています。F:再び、六甲文様の塩原。G、H:帰りがけに見た蜃気楼です。連休を利用して、こちらのコンテンツを増やしました。
2011年01月10日
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ダロール火山のふもとから、山麓を時計回りに数分移動したところに、モニュメントバレーのような岩山群がありました。もっとも、元祖モニュメントバレーのほうが比較的固い岩山でできているのに対して、今回訪れた場所の山はすべて岩塩でできているとのことでした。なぜ、このような山になったのかは説明を受けていません。おそらく、ダロール火山が隆起した時に、周辺の岩塩層も持ち上がり、その後さらに侵食を受けてこのような形になったものと推測されます。※連休を使用して、こちらのサイトに、【Life-X】のアルバムへのリンクをはりました。よろしかったらご覧ください。
2011年01月09日
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昨日に続いて、ダロール火山(ダロル窪地)の写真です。今回は、硫黄泉の周囲で眺めることのできた奇岩群の御紹介です。これらの写真は12月27日の午前中(日本時間では夕方)に撮影したものです。日本ではそろそろ、おせち料理の準備に取りかかっている頃でしたので、食材をイメージしてみました。地質学的にはおそらく、硫黄泉のお湯が何らかの理由で消失したあとに残った結晶、あるいは、噴気孔のチムニーの残骸ではないかと思われました。A:貝柱B:鯛の塩焼きC:エビの天ぷらD:茶碗蒸しE:かぶら蒸し食い気が先行してしまいましたが、Aの奇岩は蓮華座のようにも見えました。さっそく瞑想してみましたが、うまく足が曲がりませんでした。※1月8日放送の世界ふしぎ発見!でダナキル砂漠が取り上げられます。これらの風景が紹介されるかもしれません。よろしかったらご覧ください。
2011年01月08日
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昨日に続いて、ダロール火山(ダロル窪地)の硫黄泉の写真です。今回は、エメラルドグリーンの泉です。このあたりは、お湯が噴き出していて、段差のある場所では滝のように流れていました。湯気が出ていますが、大部分はぬるま湯程度の温度でした。こちらに記念写真があります。
2011年01月07日
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参加者の多くから、ツアー中最高の絶景であると評されていた、ダロール火山の硫黄泉です(※)。ここにはカラフルな硫黄泉やさまざまな奇岩があり、地球上とは思えないような光景ばかりでした。今回の写真は、そのうちの、湖岸部分が黄金色に輝いていたエリアです。規模が大きいため、繋ぎ取りで合成しています。銃を持って座っている男性(上の写真の右端の岩の上)は、護衛の警察官です。今回のツアーでは、各所でお世話になりました。[※追記]2011年1月6日に放送されていた「空から見た地球」では「ダロール火山」を「ダロル窪地」という名前で紹介していました。しかし、実際には山を登った頂上に広がっており、窪地という感じはありません。ウィキペディアでも、「Dallol is a volcanic explosion crater (or maar) in the Danakil Depression, northeast of the Erta Ale Range in Ethiopia.」と解説されています。
2011年01月06日
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アハメド・エラの村で、塩のキャラバンの出発風景(上の2枚)と、塩の採掘場から戻ってくる途中の風景(下の1枚)を見学しました。海外旅行先では、しばしば観光客相手の「ヤラセ」がありますが、このキャラバンはホンモノであり、かなりの労力をかけて、岩塩の板を運んでいます。じぶんの日記(1月4日)に記しましたように、こうした採掘・運搬方法はきわめて非効率ながら、現地に暮らす人々の雇用を保障し、少ない資源を平和裏に分配する仕掛けとしてうまく機能しているように思いました。
2011年01月05日
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エチオピアというと、マラソン選手を輩出する高原の国というイメージがあります。実際、首都アディスアベバの標高は2400mもあって、この季節はジャンパーやカーディガンが必要なほどでした。しかし、東部のほうはアフリカ大地溝帯となっていて、海面下の地域もあります。今回、アディスアベバからメケレに向かう飛行機から、大地溝帯の境目を眺めることができました。すごいと思ったのは、断崖の上にも、真下にも人家や農耕地があったことです。なお、バンコクからアディスアベバに向かう飛行機からも大地溝帯の一角が見えていました。写真右下はその時に撮影した月のクレーターのような火口です。Googleの航空写真にも写っていましたが名前は不明です。※今回の旅行のアルバムサイトを、こちらに開設しました。春までには完成したいと思っております。ときどきお立ち寄りください。
2011年01月04日
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水戸市を訪れたのは2005年7月以来2回目のことでしたが、前回訪れた時に、へんてこな塔が目にとまり、ずっと気になっていました。今回、宿泊先に戻る途中でその塔のすぐ横を通る機会がありました。公式の名称は分かりませんが、ウィキペディアによれば、高さは100m、「くねくねタワー」という愛称があるようです。余談ですが、このタワーのある水戸芸術館に2001年、100トン以上の新聞紙を運び込んで個展を開催した川俣正さんという現代芸術家のお話を聞く機会がありました。スライドでいろいろな作品を拝見しましたが、私自身はどうも、保守的すぎて現代芸術を見る目が無く、街角に無断で作ったという段ボールハウスはどう見てもホームレスの人の家にしか見えないし、ビニールハウスはビニールハウス、廃材は廃材にしか見えませんでした。写真上は間近に見るタワー。写真下は、仙波湖の水鳥を前景にしたタワーです。(左側の白鳥のすぐ右隣にいるオオバンの頭の上の方向にタワーがあります。) キラキラと輝いて水面に反射していました。
2010年11月30日
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昨日の日記に、朝食後に仙波湖を半周し、偕楽園の中を通ってからタクシーで茨城大学に向かいました。と書きましたが、実は大誤算があり、あやうく遅刻しそうになりました。あとで知ったのですが、水戸市内というのは基本的に、流しのタクシーが走っていないんですね。携帯も持っていなかったし、ヒッチハイクをするわけにもいかず、非常に焦りました。しかし、じっと待っていても解決するわけでもなく、まだまだ時間的余裕があったので、ダメなら歩け、タクシーが見つかれば儲けもの、北西方向の車の賑やかなところをめざして、てくてく歩いていたところ、「偕楽園北口」(実際には偕楽園から相当離れた所)でやっとタクシーを拾うことができました。水戸市内を観光される方はご注意ください。写真上は、偕楽園で見かけた「二季咲桜」で、秋から冬にかけてと、春に咲くそうです。写真下は、タクシーを探している時にたまたま通りかかった洋風建築で、ネットで調べたところ、旧水海道小学校本館という建物だったようです。この場所から数百メートル歩いたところでやっと空車のタクシーが見つかりました。なお、その場所から茨城大までのタクシー料金は1050円也。茨城大から水戸駅までのバス運賃は320円でしたので、数人で行動される時はタクシーのほうが割安かもしれません。
2010年11月29日
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茨城大学に用事がり、水戸市にやってきました。ネットでいろいろ調べたところ、東京駅八重洲口から茨城大まで直行するバスがあったので、鉄道ではなく高速バス「みと号」で水戸に向かいました。この日はよく晴れていて、車窓から関東平野を楽しむことができました。写真は上から、隅田川の紅葉。隅田川はソメイヨシノが有名だから、紅葉しているのも桜の木でしょう。荒川と、建設中の東京スカイツリー。右側の座席からはもっと間近に見えたようです。利根川を渡る。筑波山をのぞむ田園風景。こういう場所をトレッキングしてみたい。
2010年11月27日
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11月22日(月)は平日ですが、大学祭の期間にあたっていたため、午後から休みをとって近隣の近水園(おみずえん)まで夫婦で紅葉見物に行ってきました。雨降りでしかも休園日でしたが、そのおかげでかえって静かに紅葉を楽しむことができました。ちなみに、休園日というのは、園内の吟風閣に入館できないという意味であり、庭園自体には門はなく、いつでも無料で見学できるようです。写真中段には灯籠が写っています。有名な「マリア灯籠」かどうかは確認を怠ってしまいました。写真下段の背景は、足守川を隔てた「宇野山」であり、借景となっています。ここを訪れるのは初めてでした。岡山県内の紅葉の名所の1つとして毎日、NHKローカル放送で紅葉情報が伝えられていますが、京都の庭園ほどの規模ではありません。
2010年11月22日
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11月4日は、大歩危温泉から、西祖谷、かずら橋、国道439号、京柱峠、大豊までドライブをしました。ウィキペディアにも記されているように、国道439号はこの峠越え区間は全線が狭隘であるだけでなく、ガードレールが無い箇所や陥没している箇所等もあり、酷道と呼ばれる国道439号の中でも屈指の難所となっている。ことで知られています。特に、徳島県側は、道路の所々にボコボコ穴があいており、道が細くて、集落の中では間違えて私道に迷い込んでしまうほどでした。また、それより手前の祖谷付近では30分間通行止めという工事区間があり、待ちきれずに細い山道の迂回を余儀なくされました。ホテルを出てから大豊ICまではおおむね2時間の難路でしたが、じつは、私は助手席に座っていただけで、すべて妻の運転となりました。こういう山道では座っているだけだと車酔いになるので自分で運転したいという妻の要望によるものです。写真は京柱峠からの風景で、上の2枚は三嶺(1893m)とその手前の山、奥には剣山の一部も見えています。写真下は、南西方向、高知方面の眺めです。
2010年11月05日
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11月3日は夫婦で、四国の大歩危温泉に1泊してきました。当初は、3日の早朝に出かけて剣山に登って紅葉見物をする計画だったのですが、種々の用事のため、当日の出発は昼過ぎ、また11月4日は12時までに戻る必要が出てきたため、あまりゆっくりはできませんでした。岡山から大歩危までは、高速道路経由で2時間弱という近いところにありますが、瀬戸大橋の通行料金が高すぎるため、鳥取・島根方面に比べると気軽に出かけるわけにはいきません。今回の高速道路料金は、往路は祝日特別割引のため2000円で済みましたが、帰りは平日のため、大豊・岡山間の昼間割引適用で、2870円(瀬戸大橋)+1750円(その他の区間)=4620円かかりました。もっとも11月4日は平日のおかげで、道路はがら空き。朝風呂は私一人だけでした。写真は、ホテルから眺めた吉野川と土讃線鉄橋です。
2010年11月04日
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先日、夫婦で、岡山県立児童会館に行ってきました。車で5分ほどのすぐ近くにあるのですが、子どもたちが小さい時に隣の太陽の丘公園に遊びに行ったきりで、館内には一度も入ったことがありませんでした。お目当ては、はやぶさの映画鑑賞でした。この映画はあまり宣伝されていませんが、涙が出るほど感動したという、奥様連中の口コミで伝わってきたもので、上映期間終了間際に観ることができました。人間は一度も登場せず、ナレーションとCGのみの45分間の映画でしたが、実際に小惑星まで旅行しているような迫力があり、感動的でした。最近流行の3D映画もけっこうですが、既存のプラネタリウムを利用した全天周映画は、それを上回る臨場感があるように感じました。この児童館は、岡山県の財政難により来年春に閉館になるそうですが、こういう映画を上映していくことができれば、子どもたちに夢を与え好奇心をふくらませる施設として十分に活用できると思います。ぜひとも存続させてほしいものです。なお、写真は、その隣にある「太陽の丘公園」の恐竜。次世代型・集光型太陽光発電パネルを睨んでいるようにも見えます。
2010年10月31日
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9月22日の夜は、翌日の用務先の都合で、大阪市内中心部のホテルに泊まりました。格安プランを利用したので素泊まり5000円で、28階の角部屋に泊まることができました。夜になって東の空には中秋の名月。28階の高さからの名月は今回が初めてです。しかし、夜明け前になってから大雨が降り出し、窓の外では雷鳴と稲光。28階の高さから稲妻を鑑賞したのもこれが初めてでした。大阪市内はまだまだ蒸し暑かったものの、岡山に戻ったらすっかり秋の気配。23日は満月ですので、22日以上に丸い月を眺めることができそうです。
2010年09月23日
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昨日に続いて、大阪万博跡地の写真です。写真上はホテルの窓からの眺め。万博公園と反対側の部屋という宿泊プランだったのですが、ホテル側の都合で眺めの良い部屋になりラッキー。写真下は、エキスポランド跡地と思われる場所です(エキスポランドには行ったことがないので不確か)。ウィキペディアによれば、2009年2月で閉園。その一部は現在は暫定的にファームエキスポとなり、ブタ牧場や乗馬体験場があるようです。個人的には、絶叫マシンよりは、こういう施設のほうが好きですが、人は集まるのかなあ。
2010年09月21日
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大阪大学・豊中キャンパスに用事があり、万博公園前のホテルに泊まっています。本日は朝4時半に起きて大阪に向かったため、くたびれてきたので、少々早めにホテルにチェックインしました。ところが、夕食をとろうと外出したものの、この周辺にはラーメン屋もコンビニも一軒も無く、ホテルのレストランで夕食をとるのはあまりにも高すぎるということで、やむをえず万博公園内のショップで親子丼を食べました。入園料はJAF割引で200円、親子丼は480円。ホテルの3500円ディナーよりは割安でした。ところで私は、1970年万博の時は高校3年の受験の年でもあり、結局、見物には行きませんでした(←受験だからというより、博覧会と名のつくものには、科学博、花博、旅博、愛地球などを含めて一度も足を運んだことがありません)。ですので、太陽の塔を間近に眺めるのは、今回が生まれて初めてとなりました。
2010年09月20日
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トルコの旅行記の最終回は、イスタンブルで見た、オリエント急行の終着駅(シルケジ駅)です。といっても、パリ - イスタンブル間の直通列車は1977年、パリ発5月19日、イスタンブル発5月22日の列車が最終列車となり、それ以降は運行されていないそうです。建物や遺跡にはあまり興味が無い私ではありますが、学生時代から鉄道旅行を趣味としていたこともあり、鉄道の駅舎、とりわけ終着駅には特別の気持ちがわいてきます。なお、楽天ブログでのトルコ旅行記はこれで最終回としますが、こちらのサイトには、あと3カ所ほどアルバムを追加する予定です。ご高覧いただければ幸いです。
2010年09月16日
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イスタンブルのガラタ塔からの眺めです。塔の高さは67m、展望テラスは53mあるとか。写真上がボスポラス橋方面、写真下はガラタ橋、スレイマニエモスク方面です。入場料は10トルコリラ(約580円)とちょっと高めでしたが、街全体や海峡を眺める場所としては最高でした。なお、トルコの旅行記はあと1回で終了の予定です。
2010年09月15日
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今回のツアーは東トルコを目的としていましたが、帰国前に、イスタンブルで1泊しました。写真は、翌日、帰国便に乗るまでの間に散策した風景です。この時のイスタンブルの気温は30℃前後だったと思いますが、東トルコと違って湿気が多かったため、遙かに暑く感じました。写真上段は、「世界で一番短い地下鉄」を降りてガラタ塔に向かう坂の途中で飲んだ、ザクロジュースです。天然100%で、1杯3トルコリラ(約180円)。オレンジジュースは1トルコリラでした。写真中段は、ここの名物という「サバサンド」です。中段右は、そのレストランのあったガラタ橋からの眺め。チューリップは増加でした。確か4トルコリラ(240円)だったと記憶しています。写真下段右は、ホテルに戻る直前に食べたアイスクリーム(ドンドルマ)。下段左のような、コーンに入れても売っていましたが、あまりにも暑かったので、アイスクリーム屋さんの2階にあった喫茶で食べました。確か5トルコリラ(約300円)だったと思います。※本日、トルコ語を専門とする方と話をする機会がありました。「イスタンブール」より「イスタンブル」のほうが現地読みに近いそうなのでここではイスタンブルとしておきます。なお、4日目に訪れた「ヴァン」は、正確には「ワン」と読むそうです。といっても、多くの観光情報で「ヴァン」と表記されていますので、そのままにしておきます。
2010年09月14日
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