JINさんの陽蜂農遠日記

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2008.06.11
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カテゴリ: 海外旅行
翌朝、スペインの旅6日目も早朝散歩、




八重咲きのハイビスカス。



オレンジ。



こちらもハイビスカス。



塔が立っていたが。



集合時間が近くなりホテルへと戻る。



そしてホテルに戻る。手前の交差点角には新聞等の売店が。



朝食後バレンシア市内観光。

フランコの独裁政治にも対抗でき、自由を守ったとのこと。
バレンシアの見所は「カテドラル」「ラ・ロンハ」「中央市場」の3ヶ所。
女性現地ガイドもバスに乗り込みバレンシア市内観光のスタート。



世界遺産の「ラ・ロンハ」近くでバスから下車して市街地を散策。



前方に「サンタカタリーナ教会の塔」が垣間見えた。



バレンシアは陶磁器の街でもあり、ポーセリン・アートで有名なリヤドロ兄弟は、バレンシア近郊
で生まれた。その直営店がバレンシア市内にある。



ビルヘン広場( plaza de la Virgen)から「カテドラル(大聖堂)」と
「エル・ミゲレテ(El Micalet)」を見る。



ビルヘン広場には大きな彫刻と噴水があった。
水の神と周りにバレンシアの8個の水源を現す女神たち。




バレンシアにとって水は大切という象徴とのことであるが、
「ネプチューンの噴水」は休止中であった。
大聖堂に隣接し、聖母広場に面したサーモンピンクの建物は、バレンシア市民にもっとも愛される
「聖母デサンパラードの聖堂」。



「バレンシア大聖堂」のゴシック様式の「ファサード」。




愛称「ミゲレテの鐘」を持つ八角形のゴシック式鐘楼。14~15世紀の間に造られた
石造りの鐘楼。1418年の聖ミカエルの祝日に大鐘が奉献されたことを記念し、
ミゲレテの名が鐘に付けられた。それ以来、この塔はミゲレテの塔と呼ばれている。
ミゲレテとは、バレンシア方言でミカエルの意味で、地元では親しみを込めて
ミカレット(ミカエルの愛称)と呼んでいる。
50mの高さにある展望台まで207段の階段を上れば、バレンシアの街並みを一望できると。



『カテドラル』は旧市街のシンボル。
キリストの聖杯が安置されている旧市街のシンボル。かつてモスクがあった場所に、
イスラム教徒からバレンシアを奪還したアラゴン王が教会として建設。ロマネスクに
ゴシック、バロックなど改修した各時代の建築様式が混在している。
内部の礼拝堂には、イエス・キリストが最後の晩餐に使ったといわれる聖杯を安置。
美しいメノウで作られた聖杯は15世紀にバレンシアまで運ばれた。
1238年、ジャウマ1世により建設が始められた。
中に入ったがミサの最中のため静かに退場。

DSC07101_R.jpg

そして世界遺産の「ラ・ロンハ」
スペイン第3の都市ここバレンシアにある正式名称「ラ・ロンハ・デ・ラ・セダ」は、
バレンシアが経済的に大きく発展した15世紀後半に建てられた「絹の商品取引所」。



1996年にユネスコの世界遺産に登録された。
バレンシア旧市街の中央部に在る「ラ・ロンハ・デ・ラ・セダ」はイスラム王宮跡に
1482年から1533年に掛けて作られたゴシック後期のフランボワイヤン様式による建物で、
絹取引の貿易会館として作られた。スペイン語で「セダ」とは「絹」で、「ロンハ」は「貿易」であるとの
女性現地ガイドの説明。
単独で世界遺産に指定されたとのことですが日本からの添乗員からも疑問の声。
建物も大きくなく何故?

DSC07115_R.jpg

中央市場前に立つこの建物は
「サンジョアンデルメルカット教会(Iglesia de San Juan del Mercado)」。



その前に「中央市場(Mercado Central)」。
中央市場の建築工事が始まったのは1914年で、施工から100年!もはや歴史的な建造物。



総面積8160㎡、1200店舗以上が並ぶ、ヨーロッパでも最も大きな生鮮食品市場のうちの一つ。

ヨーロッパ最大規模を誇るスペイン【バレンシア中央市場】|KeisukeBlog

見事なドーム。



中央市場内に1200店以上の店がある。



野菜、肉、魚等庶民の台所が容易に想像できる場所。
イベリコ豚がぶらさがっていた。建物の正面は市場とは思えない立派な作りであった。

DSC07132_R.jpg

スイカ、アーティーチョークも。



桃が売られていましたが日本では見かけない扁平型の桃が山積みされていました。

DSC07136_R.jpg

一緒の旅友Sさんががアメリカンチェリーを買い配ったため、大いにツアー仲間から点数を
獲得していました。
このあと9時に中央市場を出発して、北東方面約350kmに位置する最後の訪問地
バルセロナへ。メディテラネオ自動車道(AP7)をひたすら走る。
直ぐに大きな川があったが。



トイレ休憩でドライブイン『AUTOGRILL』へ立ち寄る。



ツアーバスの前で旅友と一緒に。



再び地中海が見えて来た。



バンデリョス原子力発電所(Central nuclear de Vandellòs II)が右手に。
1号機は廃炉となり、2号機は1080MWeの加圧水型原子炉。
さらに3号機が計画されていたがこれは1995年9月2日に断念されたのだと。



高速道路脇にあった『ラス・ファレラス水道橋(』。
ラス・ファレラス水道橋はスペインで2番目の大きさを誇る別名 ”悪魔の橋”と言われている。



タラゴナの中心部から約4km離れた場所にある、ローマ皇帝アウグストゥス時代の水道橋
「悪魔の橋」。2層アーチ式で状態がよく、スペインではセゴビアに次ぐ規模の重要な水道橋。
北を流れるガイア川から、タラゴナの街へ水を引いた当時は、全長が35kmもあったという。



現在地はタラゴナ(Tarragona)。
タラゴナはスペイン北東部に位置するカタルーニャ州の港町です。
この町はローマ帝国時代にはタラッコと呼ばれており、当時の古代遺跡も多数。



ここからバルセロナ方面への高速道路は2本に分かれていた。
1本は山側を走るAP-7、もう一方は海岸線を走るC-32号線。



我々のバスはそのままAP-7を進む。



バルセロナが次第に近くなる。
独自の文化を持つカタルーニャの中心都市、バルセロナ。サグラダ・ファミリア聖堂に代表され
るガウディ建築や旧市街のゴシック地区など、趣深い建築物が待っているのであった。



バルセロナ市街地に入り、車窓からガウディ建築を紹介された。



バルセロナ市街地のレストランで昼食。
先客で韓国人観光客が食事中でテーブルには持参のキムチが。
我々のテーブルには梅干しはなし。



前方に「バルセロナ凱旋門(Arc de Triomf)」が姿を現した。
バルセロナ、シウタデリャ公園の近くにあるこの凱旋門は、1888年の万国博の時に、
万国博の入口として建設されたもの。建築家ジュゼップ・ビラセカ・イ・カザノバスによる、
当時流行していたネオ・ムデハル様式。レンガで作られた高さ約30メートルのこの門には、
農業、産業、芸術、商業をイメージした様々な彫刻が施されていると。
バルセロナ凱旋門はフランス・パリの白い石を使った凱旋門とは異なり、情熱の国
スペインらしさが表れている赤いレンガで作られていたのであった。 



車窓からガウディ建築の『カザ・ミラ』が左手に。
ガウディがインスピレーションを得た、最終日に訪ねたモンセラットから切り出された
石灰岩は、都市のなかに聖なる岩山を生み出したのだと。



曲線がユニークな集合住宅である『カザ・ミラ』
独特の形状からバルセロナ市民にラ・ペドレラ(石切場)の愛称で親しまれるガウディ晩年の作品。



波打つ曲線のファザード、地中海の巨石を思わせる造形は、カタルーニャの聖地モンセラットの
奇岩がモチーフ。断崖絶壁を想像させる自然主義的作品であり、曲線のみで構成されるユニーク
な形状は、ガウディのもっとも完成したスタイルが見て取れる。最上階にはガウディの作品を
紹介する博物館になっており、屋上には兜をかぶった騎士を連想させる奇妙な煙突がそびえる。

DSC07225_R.jpg

そしてサグラダ・ファミリアへ。
着工から120年間を経過した現在でも建設中のスペインを代表する
建築家ガウディーの代表作。



彼の構想では、聖堂の外側にイエスの「生誕」「受難」「栄光」の3つのファザード
が建ち、各ファザードは4本ずつ鐘塔を持つ。計12の塔はそれぞれ12使徒を意味する。
また、4人の福音書家を表す4本の鐘塔の交差部上にイエスとマリアに捧げる中央塔が
建てられ、計18の塔がそびえる壮大な教会は石に刻まれた聖書ともいえる。
現在、完成しているのは地下聖堂と後陣「生誕」「受難」のファザードと8本の鐘塔のみ。
ガウディの死後も工事は続けられ、2020年ごろ完成予定といわれていたが
さすがに観光客が多く混雑していた。大きすぎてデジカメに収まらない。

DSC07241_R.jpg

ファサードは、主に4本の鐘楼(塔)と、聖家族に捧げられた3つの門
「望徳の門」「愛徳の門」「信仰の門」で構成され、ファサード壁面の彫刻には
キリストの誕生から青年期までの成長が、喜びや生気に満ちたシーンで表現されていると。
唯一の日本人彫刻家、外尾悦郎氏の作品もあると。

こちらは「愛徳の門」。
愛徳の門は、救世主イエスの誕生を祝福する彫刻群で飾られているのが特徴。
各彫刻では。イエスの誕生にまつわる様々なエピソードや、それに関連した登場人物たちが
表現されていると。



正面入口の下から頂上を見上げる。



塔の前に立ち説明されたが遠くて分からず、ガイドブックから。
黄色線内が、「聖母マリアの戴冠」。
ガウディの友人の息子で彫刻家の「ジュアン・マタマラ」が手掛けた作品。
神がマリアの献身的な愛に対して戴冠を行う姿が表現されています。
向かって左がマリアの婚約者でイエスの養父の「聖ヨセフ」です。



ズームして。

Barcelona サグラダファミリアの見るべきところ:情熱と食の街スベインバルセロナからアメリカ大陸フロリダへニューアムステルダム大西洋横断の旅 |  Cruisemans

「受胎告知」



「イエスの生涯」。
この彫刻「イエスの生誕」では、イエスの誕生に喜ぶ養父「ヨセフ」と、赤子のイエスを
抱きかかえる「聖母マリア」の姿が表現されている。



「東方三賢人の礼拝」
エルサレムでイエスが誕生した際に、東方で星を見た三賢人が、その星を追って、
エルサレムの「ヘロデ王」を訪れるという聖書の一場面を表現。



「羊飼い達の礼拝」
ベツレヘムの町の郊外で、夜通し羊の番をしていた羊飼いたちに、天使がキリストの誕生を
告げた一場面を表現。



そして「希望の門」
左手のエジプトへの逃避の場面の下には、“希望の門”と名付けられた扉が。

ガウディにとってのサグラダ・ファミリア: ツリーハウスの棟梁

彫刻の多さに圧倒される。



「信仰の門」
生誕のファサードに向かって右側に位置する「信仰の門」は「聖母マリア」に捧げられた門。
ファサードを飾る彫刻では、イエスの幼少期から青年期、更に聖母マリアを
主題にした場面が表現。



見上げる旅友。



現状の全景が見える位置から。



鐘塔には上れないとのことであったが幸運にもエレベーターに誰も並んでいないことを
現地スペインガイドが発見。急遽上る希望者を募る。もちろん手を挙げる。
再びファサードを見上げる。



上部からはバルセロナ市内が一望でき銃弾の形をした水道局の建物も見えた。

DSC07269_R.jpg

別の方向を見る。





DSC07271_R.jpg

展望台から上部を望む。



タワークレーンがセットされて。



塔の内部から上部を見上げる。



塔の中を歩いて下る。



廻り階段を下る。



塔の上から廻り階段を降り1階の作業場



1階から見上げる、高い足場が積み上げられていた。



手作業で部品を作成。



日本人もいるとのこと。



型があり細かいものを作っていた。



作業場の片隅に完成図であろうか置かれていた。



複雑な形状。



ステンドグラス。



外に出て、下から見上げた受難のファサード。



「受難のファサードの彫刻」。
受難のファサードの彫刻は、キリストの苦悩と悲しみがテーマとなっており、最後の晩餐から
キリストの十字架磔刑までの場面が12の彫刻群で表現されていた。
更にその遙か上には復活を遂げた「キリストの昇天」の彫刻も飾られていた。
彫刻家の「スビラックス」は、ガウディの意図を最大限に汲み取りながらも、細部の作風に
関してはガウディに囚われず、角張った縦長のフォルムで人物を表現し、自身の作風で仕上げたと。


中央上に「十字架磔刑」、その下に「聖ベロニカと複音史家」。



中央に「3人のマリアとキレネのシモン」、右に「ピラトの判決」。



一階部分。



方向を変えて。



ズームアップ。
「この人を見よ(エッケ・ホモ )」
鞭を打たれてイバラの冠を被せられたイエスを罵倒し騒ぎ立てる群衆に向けて、
ローマ帝国のユダヤ属州総督「ピラト」が「この人を見よ」という言葉を発した
瞬間が表現されている。



サグラダ・ファミリア聖堂の彫像は聖書の各場面を表現している。



ツアーガイドであろうか。



スペインを代表する建築家ガウディが設計した2026年完成予定の大聖堂。着工した
1882年3月19日から137年が経とうとしているが未だに建設が続いている。
行った時は2020年ごろ完成といっていたが。



後6年位で完成するのであろうか。
最後に見上げてバスに乗車。



幻に終わった公園都市『グエル公園』
グエルがスポンサーとなったガウディ最初の都市開発プロジェクト。約20haの土地に当初60戸
の住宅を建設する予定だったが、グエルの死により計画は失敗に終わり、美しい公園が残された。



緻密な計算で設計された広場横から続く石の柱廊。蛇をイメージしたという遊歩道。



鳩の巣になっている。



柱廊の下でギターを弾く人物。



おとぎの国の家を思わせる建物が並ぶ。



下の広場へ降り。



公園管理者用に建設された事務所
塔の先端にガウディ建築物の象徴、ダブルの十字架が鎮座する。

DSC07318_R.jpg

ズームで。



公園のシンボルである、モザイク造りのトカゲ。
トカゲは水の守護者と言われている。



丘の上に立つ塔。



この建物は違うが、グエル公園内にはガウディが暮らしていた家が博物館として保存されている。

ーーーーー アントニ・ガウディの一生 ーーーーー
アントニ・ガウディはタラゴナ近郊の都市レウスで1852年に生まれた。バルセロナ建築学校に21
歳で入学、苦学生だったガウディは、複数の建築家の助手として早くから現場で実践を学んだ。
卒業後、後にパトロンとしてガウディを生涯支え続けたバルセロナの新興ブルジョアジー、エウセ
ビ・グエルに認められ、斬新なデザインと構図美を持つ作品を発表、建築家としての地位を確立す
る。晩年はサグラダ・ファミリア聖堂の建設にすべての時間と情熱を捧げるが、1926年、路面電
車にはねられて73年の生涯を閉じる。



広場から遠くに地中海が見える。



公園ではノカンゾウ(野萱草)が満開
ユリ科ワスレナグサ属の野草で、一日花で食用にできる。



多くの観光客が。



17:37
グエル公園を後にする。



旧市街地を散策し各自で夕食へ。




各自で夕食後集合して、宿泊ホテルへ『CAMPANILE』。時間は22時過ぎ。



室内に入り水廻りをチェック。



ツインルームに入り。



我々は1日の延泊にしているので連泊となる。


                              ・・・​ もどる ​・・・

                  ・・・​ つづく ​・・・








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Last updated  2020.09.02 11:26:27
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