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ビュータワーでの壮大な白きヒマラヤ山脈の絶景に感動した後は、ナガルコットから
チャングナラヤンまでの4時間程度ののトレッキングを開始した。
粘土の渇いた様な、滑りやすい曲りくねった道を歩き始めた。
このコースはチャングナラヤンまで下りが多く、我々のトレッキングレベルで十分対応可能と
私が判断し現地のRamさんに、このコースのトレッキングを事前予約しておいたのである。
途中多くの段々畑(棚田:陸稲と粟を栽培)が見られ、その中に民家が散在していた。
途中の広場では子供達が例のブランコで遊んでいた。
この様な山間の田舎の子供達の明るい表情を見ると足の疲れが吹っ飛んでいく気分に
なったのである。そして子供達の目が、我が家の近くの公園で遊んでいる日本の子供達より
数倍も輝いていると感じたのは私だけではないはずである。
トレッキングコースとは言え、民家の前庭を通るところが各所に。日本であれば民家の
敷地に無断で入り込んで行き叱れる状況。
民家の軒先には、保存食用であろうか、乾燥のためのトウモロコシが見事に積み上げ
られていたのである。
あどけない子供達の表情、そして右の男の子はふるチン。
途中、中学生くらいの男の子2名が私に近寄ってきて英語で『自分の村は貧乏なので
図書館に本が非常に少ない。本を購入するためにお金が欲しい』と。今一うさんくさいので
無視して歩いていると、今度は私の目の前に広げた手を。その手のひらには日本円の
硬貨が。100円玉と50円玉の2枚。この硬貨はこの村では使えないし、カトマンズの街へ
行っても両替できないのでネパールルピーに両替して欲しいと。日本人の誰かが本の購入用
に寄付したのであろう。これには負けてしまって100ルピー2枚と交換。
この時のためにトレッキングをしている日本人を探していたのであろうか。
1回の休憩を入れ2時間ほど歩きテルコットという地に到着。ここテルコットはミニトレッキングの
開始地点。ここから歩く事2時間で目的地のチャングナラヤンに到着するのだ。
テルコットにあったヒンズー教の寺院。
この場所でしばらく休憩していると屋根にも多くの乗客を乗せた乗り合いバスが到着。
ネパールでバスの屋根に人が乗っているのを最初に見た時は、アクション映画以外では
初めてでビックリしたのであるが・・・・・・・・・・・・。
しかし、車で観光地を移動中にすれ違う多くのバスにも、同じようにバスの屋根に座って
いる人がいたのでネパールでは普通のことのようだ。普段は穏やかなネパール人の
ワイルドな一面をみた気がしたのであった。そしてガイドによると、最近屋根に乗っていた乗客が
樹木の枝に引っかかり転落し死亡したと。
ネパールは公共交通がほとんどない。市民はもっぱら遠いところへは白タクを利用するのだ。
白タクはこのようなバス、乗用車、オート三輪などいろいろ。白タクはカトマンドウ、ポカラ
市内ではどこでも拾えて、どこでも降ろしてくれるとのこと。市内なら10ルピー
(日本円12円以下)とのこと。
よって、道路のあちこちに白タクが呼び込み駐車するので、道路は一車線完全にふさがれて
いたのだ。これも数十年前の日本の姿にそっくり。よって先程の2階席付バスも高原行きの
白タクバスに違いない。
そして2階席のバス料金は室内と同額との話もあった。
いやネパールはこの時期でもかなり気温が高いので、ここが冷房の効いたビジネスクラス
になるのであろうか?
暫く歩くと民家の庭先で洗濯をしている主婦の姿が。裸足で足も洗剤で真っ白。
おそらく金ダライに衣類をいれ裸足の足で踏みつけて洗濯しているのであろう。
流石に私の記憶の中では足踏み洗濯の姿は初めて見るのであった。
山道では主婦が羊の放牧の最中。山の斜面は芝刈りをした如く、綺麗に草が山羊により
見事に食べられていたのであった。まるでゴルフ場のグリーンの如し。
そして最後の坂を汗をビッショリかきながら登りきると、目的地のチャングナラヤンの
街並みが丘の上に姿を現したのであった。
ナガラコットからチャングナラヤンまで4時間弱の山道を歩いてみたが、標高2000mの
高地まで段段畑が造成され、盆地では稲作と野菜、山地では大麦の栽培と羊などの牧畜が
盛んに行われていたのであった。
こんな高地の山頂まで段段畑になっているのには、感動と感心の連続であったのだ。
トレッキングの山道ですれ違うオバちゃん達に手を合わせ『ナマステ!』と言うと、にっこりと
笑い、オバちゃんもやや恥じらいながら?『ナマステ!』と答えてくれたのであった。
彼女等の所作を見ていると、自然の時間の流れの中で日の出と共に起床し、日の入りと共に
寝るといった、ゆるやかな時の流れに身をゆだね生活をしている様で、遠い昔の日本の
懐かしい原風景を見ているように感じられたのであった。
彼女等は素朴に同じ事を毎日繰り返す、変わりの無い日常の中に、幸せを見付けている
のであろうか。
ヒンズー教では毎月祭りや行事があると。これも素朴な生活に潤いを与える為の彼らの知恵