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★カトマンズ・ ダルバール広場(Durbar Square)
「ダルバール」とは「宮廷」という意味。名前のとおり、マッラ王朝時代には
カトマンズ王国の中心地となっていたのだ。王たちが美しさを競い合って建てた
広場のため、建物の装飾の美しさには目を見張るものが。ダルバール広場に
立ち並ぶ20数棟にも及ぶ寺院にはいろいろな時代のものがあるとのこと。
この広場には生き神の住むクマリの館やハヌマン・ドカと呼ばれる旧王宮を
始めとする見どころが数多くあったのだ。
左よりナラヤン寺院、はヴィシュヌ神を、シヴァ寺院はシヴァ神を祀る寺院。
一番右には緻密な彫刻が施された、木彫りの窓枠が見事であった
シヴァ・パールヴァティー寺院。
ガッディバイタクの右手に続く 白い壁、茶色の屋根の建物がマヘンドラ博物館、
その右の4重の塔のように見えるのがナウタレダルバール
(ナウ=9 タレ=階 ダルバール=宮廷)。
バサンタプールダルバールとも言うと。
広場の中央にはシヴァ神とその妻パールヴァティーが窓から顔を覗かせる寺院が。
これは「シヴァが見てる」ということを意味するので、ここの下で様々な儀式を行う
とのこと。
神様の人間的な面が垣間見られ、親近感も湧いてきたのでした。
★クマリの館
1757年にカトマンズ最後のマッラ王朝の王であるジャイ・プラカース・マッラに
よって建てられた館で、生き神と信じられているクマリが住んでいるのだ。
2頭のライオン像が入り口を守っていた。
クマリはタレジュー神(ドゥルガ)の化身であると信じられ、ネワール・サキャ族の
由緒正しい家の出身の少女の中から選ばれるとのこと。
さらに、昔はネパール王国の王様もひれ伏すこの少女は、過酷な条件をクリアした
少女しかなれないと。選ばれるクマリの条件は、
・怪我の跡や体に欠けたとこがない
・血の汚れないのない少女(つまり初潮前)
・美しく利発
その他にも・・・青または黒い目、牛のようまつ毛、神のような脚線、手がやわらかく
繊細等。
他の地域にもクマリは何人かいるとのことだが、このカトマンズのクマリが最も
重要なクマリであるとされていると。
★カーラ・バイラヴ(Kala Bairav)
ヒンドゥーの恐怖の神・破壊神シヴァの化身
地球の歩き方によると、「世界を創造したのは俺だとシヴァとブラフマーが口論し、
激高したシヴァ神はバイラヴに変身してブラフマーの頭をひとつ切り落として
しまった」と。
ほど色鮮やか。この像の前には、怒りを鎮めるために毎日いけにえ(鶏や豚など)を
捧げていると。
帰り道、ネパールのお茶の産地として有名な、イラム地方の紅茶を
買いこんだのであった。
カトマンズの中心部から西に3kmほど離れた丘の上にたっているスワヤンブナートを
最後に訪ねた。400段弱の急な石階段を上ったところが寺院の中心になっていた。
我々は楽な回り道で頂上まで歩く。この場所にも、物乞いの老若男女や若い母親が
乳飲み子を抱きながら我々に近づいてきて、『この子はお腹が空いている。
ミルクを欲しがっている、お金を恵んで欲しいと』。これがネパールの真に
現実の姿の一面であったのだ。
寺院中央には 仏塔 がそびえていた。
大きさではボダナートの仏塔よりもはるかに小さいが、ここもネパール仏教に
とっては最も重要な仏塔。
仏塔には仏陀の『知恵の目』が四面にここでも描かれていた。
この旅行の至るところのヒンズー教徒の民家にも仏教の民家にも見られるのだが、
いずれにせよ神の目を表し、この世界が神が見つめるひとつの空間にあることを
示していたのだ。
また、この仏塔の周囲にも、チベット仏教の特徴を示すマニ車が並んでいた。
そしてストゥーパを飾る5色の旗、タルチョーが強い風になびいていたのであった。
この5色の光の中から5人の仏が現れたといわれており、またストゥーパの頂上は
仏の世界を現し、旗が天界へ通じる通路の役割を果たしているのだ。
民家に知恵の目やこのタルチョーが飾られているのは、神の空間を再現しようと
しているわけだ。ネパール人の信仰の深さに驚く毎日であった。
スワヤンブナートの立つ丘からはカトマンズの街並みが拡がっていた。
この後に、日本への帰路のスタートとなる、カトマンズ・トリブバン国際空港も
遠くに小さく見えた。
周囲山に囲まれたカトマンズの街を見下ろしながら、この旅行の懐かしき思い出に
耽りつつある私がいたのであった。