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本堂脇の永代供養墓。
案内書によると、
あとの憂いが少しでも楽になるように…
近年、皆様のこういうお声を耳にする機会が増えてまいりました。
★将来ご先祖さまのお墓を継ぐ後継者がいない。
★独身、離婚などにより自分単身の入る墓を得たいが、供養してくれる人がいない。
★子供が娘しかなく、家のお墓のために我が子の人生を拘束したくない。
★結婚により、実家の代が途絶え、お墓の面倒を見ることが難しい。
上記のような諸事情でお困りの方に代わり、納骨後永代にわたって総本山が供養 及び
管理をするための墓所です と。
動物の供養塔。犬が二匹。
こちらは猫が仲良く。
大悲水子地蔵菩薩像。
菩薩像の後ろにはたくさんの小さな地蔵様が。
本堂も人影は無し。
新しい地蔵堂は、本堂手前の右側に。
内部には高さ3mの木造地蔵菩薩像「日限地蔵尊」が黄金に輝いて。
南部右馬頭茂時の墓。
南部茂時は陸奥国南部氏の十代当主。
1333年(元弘3年)、新田義貞の鎌倉攻めによって、鎌倉東勝寺で北条高時一族とともに
自刃。家臣の佐藤彦五郎が遊行寺に葬ったのだと。
宇賀弁財天。
宇賀弁財天は開運弁財天ともいわれ、俗に銭洗弁天として江戸時代から藤沢宿の人々に
信仰された。現在でも銭を洗うことによって、財福を招くと信仰されていると。
宇賀神は、天女の様で頭上には白玉と白蛇を刻した宝冠をのせていた。
遊行寺の庭。
立派な石塔が庭に映える。
手前は放生池。
元禄7年(1694)、5代将軍・徳川綱吉の時代、生類憐れみの令が発布され、江戸市中の
金魚・銀魚が集められて、この遊行寺の池に放生されたと。
寺務所。
寺務所玄関内部。
大きな達磨が迎えてくれました。
御朱印を頂きました。
境内の大銀杏は樹齢500年。
中雀門。
遊行寺境内の建造物の中で一番古いと。安政6年(1859)。紀州徳川家の寄進。
通常は閉まっていますが、開山忌(春・秋)等には開かれると。
屋根などに菊のご紋と葵のご紋が。遊行寺は天皇の行在所(あんざいしょ)、
天皇をお迎えする為に用意されたとのこと。
見事な彫刻。
真浄院。
歴代上人が法燈(一宗を代表するような高僧)を継がれるときは、この寺院で旅装をとき、
この真浄院住職の先導により、清浄光寺に入山する由緒ある伝統的な慣例が、
今日まで続けれらていると。
境内内部。
真徳寺(赤門)。
清浄光寺の塔頭。住職を本山役僧が務め、講中の宿泊所だった。
別称は赤門、鎌倉北条氏邸より赤門を寄付され以来、朱塗りの門であるためという。
山門前の巨大灯籠。
初代歌川広重「東海道五拾三次 藤澤(狂歌入東海道)」が建物のシャッターに
描かれていた。
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