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下土棚にある白山神社に向かう途中、善然寺の墓地裏にあった小さな稲荷神社。
そして22号線を横断し白山神社に。
石の鳥居の手前左にあった狛犬 阿像。
参道を進み境内へ。
善然寺の解説碑にあるように白山権現は下土棚の氏神。
社殿左前に寛永四年(1664)の再建の記念として植樹されたという
樹齢三百五十年の大銀杏が。
社殿。
天正十八年(1590)、徳川家康に従って三河国より東上した竹尾三九郎は
下土棚の地頭を命じられ、下土棚の支配は七代目・竹尾善左衛門元貞まで続いたとのこと。
善然寺には「相模国土棚郷」と刻まれた善左衛門元貞の墓碑が今に残る。
此の墓碑は「土棚」という地名が残されている最古のものと。
文化六年(1809)頃には松平築前守及び遠山清右衛門の支配下にあり、
幕末には江川太郎左衛門の支配下に属し、明治維新を迎えたのだと。
奧の本殿を斜めから。
御祭神は伊邪那岐命、須佐之男命。
庚申供養塔群。
一番右の庚申供養塔には寛政?年の文字が。
その他の庚申塔の年代は確認できなかった。
境内社。
右手に「堅牢地神塔」 嘉永六年癸丑二月(1853)。
春分、秋分に最も近い「戌(いぬ)の日」を社日(しゃにち)といい、我が地域付近の各地では、
前夜に講の人々が当番の家に集まり、神禮寺(藤沢市酉俣野町)の「堅牢地神(けんろうじじん)
の掛軸をかけて、地神(じじん)の日待(ひまち)を行い、翌日の社日は農耕作業を休んだと。
社日は、田の神と山の神が交代する日と考えられたため、その年の稲の豊作を願い、
農業に関係の深い土地神様(とちかみさま)を祀るこのような行事が行われるようになったのだと。
よって堅牢地神塔は地神(じじん)信仰の石塔。
私が子供の頃、我が生家でも近所の人が当番の家に集まり『おひまち(御日待)』と呼ぶ
今で言う食事会を行っていたことを想い出したのであった。
その食事会用に、米を一合ずつ集めるために私が近所の参加者の家を訪ねた事も懐かし想い出。
境内西側には招魂塔が2塔。
左の招魂碑には
『日中戦争から太平洋戦争終結迄に、当地の白山神社、社殿にて祖国の為にと念じ
出征して大陸、孤島洋上に於いて、参戦し戦死をされた勇士の御霊を祭るもので有ります。
犠牲となられた尊い御霊の安らかなる眠りと併せて世界平和を祈念し遺族有志、
並びに賛助者によって建立されたものです。』 と。
この白山神社社殿から出征していった大東亜戦争の戦没者28柱の名前、没地、没年月日、
年齢が詳しく刻まれていた。
平成11年9月建立。
碑高198cm、幅190cm、厚さ35cm、台石60cm、基壇65cmの石碑に合掌。
境内社(右)と神輿舎?。
石碑が2塔。
右手は石祠、年不詳。
自然石板碑。
「水神宮」と刻まれていた。
明治十九年十二月吉日。
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