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妻の実家の近くにある善行神社を訪ねました。
善行神社は、源義経を祀る白旗神社の末社。善行稲荷とも呼ばれます。
善行団地に行く坂道の途中にありました。
鳥居の右側にある石柱には善行神社と。
鳥居脇には参道向きに狛犬が一対。
左に宝珠を乗せた獅子(阿形)、右に角を持つ狛犬(吽形)で逆位置?に。
善行稲荷神社の創建年代は不明とのことですが、嘉永3年(1850)には既にあり、
善行稲荷と呼ばれ親しまれて来たのだと。
江戸期には金龍寺を別当寺とし、平成9年(1997)善行稲荷と八坂神社を合祀して
善行神社になり、白旗神社(藤沢2-4-7)の末社となったのだと。
祭神「宇迦之御魂命 手置帆負神 屋船久久能智神 屋船豊受姫神 彦狭知神」を安置。
宇迦之御魂神:うかのみたまのかみ、名前の「ウカ」は穀物・食物の意味で、穀物の神。
手置帆負神:たおきほおいのかみ、紀伊(きい)の忌部(いんべ)の祖。
国ゆずり・国土平定の話に登場建築・祭器具製作の神。
屋船久久能智神:やふねくくのちのみこと、神産みにおいて、イザナギ・イザナミの間に
産まれた神で木の神。
屋船豊受姫神:やねとようけのみこと、神名の「ウケ」は食物のことで、食物・穀物を司る女神。
彦狭知神:ひこさしりのかみ、岩戸隠れの時、手置帆負神(たおきほおいのかみ)と共に
天御量(あまつみはかり)を使い木を伐り、瑞殿(みずのみあらか)という
御殿を造った神で、土木、建築の神。
以上、商売繁盛 五穀豊穣 家内安全 木の神様(上棟式に記される四神)として篤く
信仰されていると。
昭和58年(1983)善行稲荷神社時代に改築された社殿(切破風向拝の入母屋造)。
社殿の掲額にも「善行神社」。
この地域にはその昔、八坂神社と稲荷神社があったようで、これらを合祀して出来た
神社とのこと。
正面に龍の彫刻をあしらった扁額「善行神社」、格天井張り。
社殿前に善行稲荷時代の神使・狛狐(建立年代不明)も。
狛犬と狛狐が同じ境内に仲良く。
日露戦争記念碑。
塀沿いには、善行地区内各所から移された?文化・寛永・文政・天明期等の地神塔
地蔵・双体道祖神等の石仏・石塔群が安置されていた。
藤沢市の地理的なヘソ?・善行は、往古の時代から人々の生活の営みがあった地とのこと。
江戸期、善行村は東海道藤沢宿の枝郷で、青面金剛には善行村と刻まれた塔が。
左は庚申供養塔 寛永4年(1627)の文字が。
五輪塔か?
本殿の左にある赤い屋根の祠は、現在の善行1丁目21番5の辺りにあった全竜寺から
移した薬師堂であると。
薬師前に地蔵菩薩立像が祀られていた。
帰宅途中の善行と亀井野との境を流れている白旗川に橋が架かり、
コンクリートの欄干が。
この橋の場所が昔、藤沢町と六会村の境だったのです。
我が養蜂場のある畑の下を流れる小川はこの白旗川に繋がっていると
以前義兄から。
橋の名は「藤會橋」と漢字で 。
橋には入口 、出口が決められているのです。
橋の入口には漢字、出口はひらがな。
起点に近い方が入口⇒漢字になるのです。
基本的に、その道路または線路の両端のうち、東京(道路は日本橋 、線路は東京駅)に
近い方が起点とのこと。
反対側には「ふじあいばし」とひらがなで。
なるほどと再認識。
白旗川の上は暗渠となっており舗装され通路に。
「昭和26年11月竣工」と。
藤會橋の手前に「馬頭観世音」と刻まれた供養塔が。
この馬頭観世音塔は台座の中央に「馬持中」そして両側に近隣七村の村々の
村名が刻まれているのです。
我が地域には昔は馬の持ち主・馬主が多く暮らしていたのでしょう。
そして鶴嶋天神社(つるしまてんじんしゃ)に立ち寄る。
鶴嶋天神社は天満宮と御嶽神社を総本社とする神社。
正面に 一の鳥居。
二ノ鳥居。
境内はあまり広くないが、多くの樹木が密生した緑豊かな神社。
「鶴嶋天神社」と刻まれた 社号標。
手水舎。
手水舎の龍は小形ですが、毅然とした姿。
社殿正面。 創建年代は??。
御祭神:菅原道真公 と 御嶽(おんたけ)大神
御嶽神は御嶽教の主神で国常立神、大己貴命、少彦名命の3柱の神様の尊称だと。
梅鉢紋はご祭神の菅原道真の象徴。
手水舎の前には白梅が開花中。
「東風吹かば 匂いおこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」 。
新田自治会館横の藤沢市消防団第十五分団の消防車車庫のシャッターには
地元の子供たちによる防火のポスターが描かれていた。
近くにありながら、この神社を訪ねたのは初めてなのであった。
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