JINさんの陽蜂農遠日記

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2018.11.24
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『旧東海道を歩く』ブログ 目次

「旧東海道」を立会川方面に向かって進む。



途中右手の路地に入ると、すぐ左手に、大きな石碑が2つ並んでいた。
左側の石碑は「贈太政大臣岩倉公御墓参拝道」を刻まれていた。
右側の石碑には「鮫洲正観世音菩薩道場」とあって、天保2年(1831)の銘が。
二つの石碑の前の道の先には、「海晏寺(かいあんじ)」というお寺があるので、
その参道ということを表す石碑なのであろう。
「海晏寺」のご本尊は聖観音菩薩、岩倉具視のお墓があると。



商店街の入り口両側に『東海道龍馬がゆく』というプレートの付いた柱が。

近くにあった浜川砲台というところの警備に坂本龍馬が付いていた時期があったのだ。



『十五番 鮫洲 右 青物横丁 品川宿』石柱。



子供達によるハロウィンパーティーの広報活動であろうか?



『鮫洲八幡神社』。



旧御林町(のち大井鮫洲町、現在は東大井一丁目、同二丁目の一部、同四丁目)の総鎮守。
創立の年代はさだかではないが、寛文の頃(1661~1672)には、すでにあったと。
境内には漁師町の鎮守らしく漁業関係者が寄進した灯籠や狛犬が。
祭神には、誉田別尊、気長足姫尊、並びに昭和四年ハ月十四日に合祀された
白山神社の伊弉諾尊、伊弉冉尊が祀られていると。
また、境内には稲荷神社(通称 出世稲荷社 御祭神 宇迦之御魂命)、
厳島神社(通称 弁天社 御祭神 市杵島姫命 鮫祠)、漁呉玉神社(通称 水神社 御祭神 綿津見神)の
末社も鎮座。



境内の老木の枝下ろし中。



『平林九兵衛翁遺徳碑』
地元の発展に尽力したという、衆議院議員の記念碑



狭いながらも境内には富士塚や、出世稲荷神社、漁呉玉神社、鮫祠神社と、
摂社・末社が立ち並び、こんな立派な池のある厳島神社までも。



『しながわ百景:八幡神社』。



境内には『出世稲荷』も。
「新編武蔵風土記稿」では「八幡社」の境内社として簡単に『稲荷社 本社の北にあり』と
記されていると。
「出世稲荷」の大元は、豊臣秀吉は稲荷神信仰をしていた(秀吉は農民で当然の話)ので、
聚楽第を作った時に邸内に稲荷神社を設けており、其の神社を外部に移したとき、
秀吉にあやかる意味で「出世稲荷」と呼んだのが元になっていると。



『しながわ百景:立会川の坂本龍馬像』



立会川駅近く、品川区立北浜川児童遊園に建つ坂本龍馬のブロンズ像。
2010年に京浜ロータリークラブより寄贈されたもので、龍馬が立会川にいたと
思われる20歳頃の顔を再現。
かつてこの辺りには土佐藩の鮫洲抱屋敷があった。この屋敷内には浜川砲台が築かれ、
若き坂本龍馬もこの地で守備についたと。
龍馬にとって浜川砲台は、人生のターニングポイントとなる大切な場所であったと。



立会川駅が右手前方上に。



立会川駅商店街。



『立会川 二十歳の龍馬像』
「嘉永6(1853)年、黒船4隻によるペリー艦隊来航の折、坂本龍馬は藩からの許可を得て
立会川河口付近にあった下屋敷で剣術始業中。
立会川は後に海運貿易の亀山社中の設立、薩長同盟の斡旋など、近代を切り拓いた
龍馬が志を立てたゆかりの地といえます。
北浜川児童遊園には地元有志、品川龍馬会の人々のはたらきで、桂浜にあるものと
同じ姿のプラスチック製の龍馬像が高知市の寄贈により設置されていましたが、
平成22(2010)年11月15日、東京京浜ロータリークラブが関係者と共にブロンズ像の
二十歳の龍馬像として建立されました。
なお、この像には平成11(1999)年修復時の高知県桂浜の像の金属片が溶かし込んであります。
龍馬像の履物はブーツではなく草履で、土佐藩の下屋敷にいた頃の龍馬を表しています。」と。

1853 8 日(嘉永 6 6 3 日)に浦賀沖に午後 5 時に現れ、停泊した。
日本人が初めて見た艦は、それまで訪れていたロシア海軍やイギリス海軍の帆船とは
違うものであった。
黒塗りの船体の外輪船は、帆以外に外輪と蒸気機関でも航行し、帆船を 1 艦ずつ曳航しながら
煙突からはもうもうと煙を上げていた。その様子から、日本人は「黒船」と呼んだ。
浦賀沖に投錨した艦隊は下の写真の如く、旗艦「サスケハナ」(蒸気外輪フリゲート)、
「ミシシッピ」(同)、「サラトガ」(帆走スループ)、「プリマウス」(同)の 4
隻からなっていたと。




「ペリー が初めて来航した嘉永六年 ( 一八五三)、一九歳の坂本龍馬 は藩からの許可を得て
江戸で剣術修行中でした。
土佐藩 は立会川河口付近にあった下屋敷(今の品川区東大井)警備のため、江戸詰の節を動員し
龍馬もその中に加わりました、
同年九月には「異国船処々来り候へば、軍(いくさ)も近き内と存じ奉り候、
其節は異国の首を打取り・・」と、父親に手紙を書いています。
品川での黒船警護 から、龍馬の幕末は出発したのです」と。



『こころざしの馬』。
多摩美術大学の上林剛典さんの作品であると。



全国の坂本龍馬像の場所についての説明板。



『フジテレビ ラッキーセブン ロケ地』。



『ラッキーセブン』は、2012年1月16日から3月19日まで、
フジテレビ系列の月曜21時枠ドラマ(月9)枠で放送されていた松本潤主演のテレビドラマ。
そのドラマで北品川ラッキー探偵社として使われていたのがこちらなのだと。



歩いていると浜川橋の袂に「浜川砲台跡」の案内板があったので従って進む。



浜川橋は別名を 「涙橋」 と言われたと。
江戸時代、小塚原と鈴ヶ森はともに犯罪者の刑場であり、磔火焙り獄門が行われ牢内で
斬首された首はここに運ばれて晒された。
小塚原は山谷地区の北端にあり、地区のはずれに泪橋がかかっていた。
刑場にいくにはこの橋をわたった。
一方、鈴ヶ森は江戸の北の刑場である小塚原に対しての南の刑場として設置された。
鈴ヶ森刑場の周辺は、かつて海岸沿いのさびれた地であった。
鈴ヶ森の刑場に向かうには、近くの立会川にかかる泪橋をわたった。
これら泪橋は、罪人にとってはこの世との最後の別れの場であり、家族や身内の者には、
処刑される者との今生の悲しい別れの場。
お互いがこの橋の上で泪を流したことから、この名が付けられたと。



立会川の水は緑に。



河口堰に黒船と龍馬が書かれていた。
平成19年度に実施した実験の成果を踏まえ、平成20年度に高濃度酸素溶解水発生装置を
この建物内部で本格稼動。平成21年度には、より効率的に浄化が進むように、潮の干満に
あわせて高濃度酸素溶解水の吐出口を切り換える装置を設置し、立会川の水質改善に
取り組んでいるのだと。



更に歩を進めると、新浜川公園内に『浜川砲台』が。



「嘉永6年(1853)6月、アメリカ合衆国はペリー提督の率いる4艘の艦隊を
日本に派遣して 開国を迫った。国書を幕府に渡すと、来春、再来航するとしてペリーは去った。
日本側は、次回は戦争になると想定して、江戸湾の防備に力を入れることになる。
土佐藩はここに鮫洲抱屋敷を持っていたので、砲台を造ることを幕府に願い出た。
嘉永7年(1854)1月、ペリー艦隊が再来航した時、急遽、土佐藩が造ったのが、
浜川砲台である。
6貫目ホーイッスル砲 1門(復元)
1貫目ホーイッスル砲 2門
鉄製5貫目砲     5門
計8門を配備した砲台だった。ここに復元したのは6貫目ホーイッスル砲である。
実物のない他藩では丸太を大砲らしく見せた偽物もあった中で土佐藩の装備は江戸っ子の
評判も上々で、次のような 狂歌も作られている。品川の固めの出しのよくきくは 下地もうまく なれし土佐武士

[品川の固め場(守備陣地)の良く効果的であったのは、準備もうまい熟練の土佐のサムライだからだ]

これは土佐の鰹節にかけた狂歌で堅目のダシの良く効くは、料理の下ごしらえも、
上手くできる土佐ぶし(鰹節) だからだという意味である。
この浜川砲台に佐久間象山塾で大砲操練を学んだ20歳の坂本龍馬がいたのである。」と。



復元された6貫目ホーイッスル砲。



浜川橋から立会川を見る。
この緑色が何故か長年の仕事から大いに気になるのであった。



以前は太い鋳鉄管が橋の脇に配管されていたようだ。



『天祖諏訪神社』。
昭和40年(1965年)に旧東海道沿いに立会川を挟んで並んで鎮座していた天
祖神社(南浜川鎮守)と諏訪神社(北浜川鎮守)が合祀してできたもの。



『二十三番 競馬場通り 左 立会川駅』と書かれた石柱。
競馬場とは大井競馬場。



                             ・・・​ その3 ​・・・に戻る

                 ・・・​ つづく ​・・・






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Last updated  2020.04.26 15:01:25
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