JINさんの陽蜂農遠日記

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オジン0523 @ Re:「市制70周年 佐倉花火フェスタ2024」へ(その3)(09/06) そして9:20になり、カウントダウンが始ま…
jinsan0716 @ Re[1]:旧芝離宮恩賜庭園 へ(その3)(08/06) オジン0523さんへ 書き込み、ありがとう…

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2019.02.08
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『旧東海道を歩く』ブログ 目次

昨年12月4日に旧東海道の国府津から箱根旧街道の始点の『三枚橋』まで
旅友のSさんと二人で歩いて来ました。
この日の旧東海道のルートです。
JR国府津駅から海沿いを歩き、酒匂川を渡り」小田原城近くの小田原宿を通過し、
小田急線に沿って箱根湯本駅手前の三枚橋までのルート。



JR国府津駅を9時にスタート。



旧東海道の国道1号線には『国府津・曽我の里散策コース』と書かれた支柱が。
国府津駅から曽我丘陵を尾根づたいに「曽我の里」へ。菅原道真. 公を祀った「菅原神社」や
「中河原梅林」の中にある曽我兄弟ゆ. かりの「瑞雲寺」などを通ります。天気の良い日は、
富士山や足柄. 平野が一望でき、爽快な気分を味わえるコースであると。



『国府津駅前』交差点を右折して小田原方面に。



左側に相模湾が姿を現す。



左手に『御勧堂(おすすめどう)』
南側は全部太平洋。ここは親鸞聖人草庵の旧跡で聖人が7年間、民衆を教化されその後 
弟子の顕智坊に譲り上洛されたのだ。



石碑の裏側。



親鸞聖人が、布教のために、ここ国府津にとどまっていた時に、民衆を教化した庵室跡



親鸞聖人御草庵之旧跡



『親鸞聖人7ヵ年御旧跡真宗大谷派真楽寺』の石碑。







もともとは天台宗のお寺でしたが、親鸞聖人の教えにより真宗に改修しました。
「真楽寺」という名前も親鸞聖人がつけました。切支丹禁制下に、
観音像だと偽っていたマリア像がある。



『帰命堂』。中には親鸞が指で字をなぞった帰命石があるそうです。



『本堂』。



『鐘楼』。



細い木の奥にあるのが『真樂寺のボダイジュ』。



新編相模国風土記稿(1830~1841年編纂)にも当時の菩提樹の記述があり
《親鸞手植のものと云、囲7尺》とあり、当時は幹回り2.1mの大樹で、単幹であった事が
分かるが、幕末の頃、真楽寺で火災があり損傷しその後、蘖(ひこばえ)が生え、成長したものが
現在の菩提樹だとのこと。この木が親鸞上人の植えたものかどうかはっきりしないが、
樹齢370年位と推定されており、植え継がれたものと考えられる。



次に釼持山(けんじさん)『法秀寺(ほうしゅうじ)』を訪ねる。



小田原市国府津2-9-4にある日蓮宗の寺。



境内にある神社。



『本堂』。
開創は永禄7年(1564)。
開基壇徒釼持佐右門の父大蔵(法号法秀)が深く法華経を信仰し、別邸を挙げて寺を
建立しようとし、永昌院日運上人に願い開山したと。
本尊は一塔両尊四士。



『水子供養』



『永昌院日運上人像』。



洞に安置された石仏。



日蓮宗の寺ですが火灯窓・花頭窓(かとうまど)が。



『森戸川』に架かる『親木橋』



『森戸川』と奥に『西湘バイパス』が。



曽我梅林方面への道には東海道本線が。



西湘バイパス『国府津IC』。そしてその奥に相模湾が拡がる。



日本橋から79Km。



左手に『山近記念総合病院』。



「一里塚」というバス停。



続いて「ガスト」を過ぎた所に、民家の塀前に説明板のみ立っている『東海道小八幡の一里塚』
このあたりは、旧東海道に設置された江戸から19番目の一里塚があった場所です。
慶長9年・・・小八幡の一里塚について、天保年中の相模国風土記稿に
「東海道中の東にあり、左右相対せり、高二間、舗六七間、塚上に松樹あり
上は小田原宿入口一里塚、下は淘綾郡山西村小名梅沢の一里塚に続けり」とあると。



『八幡神社』入口。



次の「宮の前バス停」の傍に三寶寺があった。
街道際に『弘法大師筆跡 利劔名号 安置』と刻まれた大きな石碑が建っていた。



八幡山神明院『三寶寺』
境内の銀杏の大木は全て葉を落としていた。



三寶寺『本堂』。
三つの寶とは、一つは「佛」、一つは「法」、一つは「僧」の「ぶつぽうそう」のこと。
佛教の信仰の基本はこの三つの寶に帰依することから始まると。
「佛とは明るく・法とは正しく・僧とは仲良く」みんなで明るく、正しく、仲良く日々を
生きていこうという教えの寺なのだと。

「小田原 三寶寺」の画像検索結果

見事な彫刻。



破風の彫刻も見事。



『茶枳尼天(だきにてん)』
吒枳尼信仰は、空海によって、日本に持ち込まれたと。
日本においては、吒枳尼天(だきにてん)と呼ばれ、密教の教主である大日如来 (だいにちにょら い)の
化身とまで呼ばれるまで崇(あが)めら、白い霊狐(れいこ)に乗った天女の姿として描かれ、
稲荷神(御饌津神 (みけつかみ))と同一視されていると。



『六地蔵』。



手水舎。



蓮の花の中に水場が。



『鐘楼』。




平成の本堂大改築への礎となった建造物(棟梁、内田定春氏)。
昭和六十二年春落慶、鐘の音調は129ヘルツの黄鐘調、重量:二百貫、外口:二尺八寸、
鋳造:昭和六十二年二月二十日京都唐渡町鋳匠岩澤宗徹師、形態は井上三綱画伯の作品「
黄鐘調」のレリーフが鋳込まれた美術梵鐘。
徒然草に「およそ鐘の音は黄鐘の調べなるべし、其の無常の調子祇園舎の無常院の声なり」とあると。
母親が低い声で子守歌を唱いながら赤ん坊を寝かしつけるあの音程を黄鐘調といい、
元々東洋の雅楽の音程で「すべての生きとし生けるものが平和に幸せになりますように」との
願いを込め銘文「諸行無常 諸法無我 涅槃寂静」が鋳込まれ制作されたものであると。



『南無阿弥陀仏』と刻まれた石碑。



『小田原邪宗門』
道路脇の看板にあった、「てらカフェ」、11時からOPENと。



銀杏の大木の乳根も見事な大きさ。



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                  ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2020.04.28 14:21:36
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