JINさんの陽蜂農遠日記

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2019.02.26
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カテゴリ: 海外旅行
4日目の朝は何と4時に目覚ましが鳴り起床。
前日はスペインにいたために時差が1時間ずれていて、二人のスマホの時間が
自動で切り替わっていなかったのであった。
スペインでは、フランス、ドイツなどと同じヨーロッパ中央時間を、 
ポルトガルは、イギリスと同じ西ヨーロッパ時間(グリニッジ標準時間)を使っているので、
2国の間には1時間の時差があるのであった。
現在、中央ヨーロッパ時間を使用している国の中には、実際の経度がUTC+1のタイムゾーンから
外れている国もあり、スペイン、フランスなどは、国土のほとんどがUTC+0のタイムゾーンに
あたる経度に位置しているのではあるが・・・。

イベリア半島の隣国、ポルトガルや経度の近いイギリス、地中海を挟んだお向かいの
モロッコでは、1時間遅いグリニッジ標準時(GMT)を採択しています。
実は、もともとスペインもこのグリニッジ標準時だったものの、1942年に当時の
フランコ独裁政権が同盟国だったドイツに合わせて変更したのだと。
なるほど、経度的にはスペインはグリニッジ標準時(GMT)が適当ではと。

SP_20131201_01.jpg

この朝は、モーニングコーヒー替わりに日本から持ち込んだソーメン(揖保乃糸)を
部屋内で楽しむ。



麺つゆも日本から持って来た液体濃縮タイプ。



そして我が部屋からの日の出。



ホテル(AXIS PORT)のロビー。



ホテルの玄関。







そしてバイキング式の朝食後、9時にホテルを出発して116km離れたコインブラへ向かう。
横断歩道で信号待ちするポルトの人々。



この日は快晴。
高速道路には既に多くの車両が。



国鉄(



ドラガン競技場が車窓から。



ポルトガル・ポルトにあるサッカースタジアム。
スーペル・リーガに所属するFCポルトのホームスタジアムである。
雨が多い土地柄を考慮し、透明な素材の開閉型屋根を持つ。 
スタジアム名は、FCポルトのロゴマークの上にあるドラゴンの存在に由来すると。



高速A20をドェロ川に向かって南下する。



あっという間に濃霧に包まれる。
渡っているドェロ川の影響と添乗員から。



霧も晴れ、車窓にブドウ畑が拡がる。



牛が草を喰む牧場も。



ポルトガルの田園風景を楽しみながら進む。



A1高速からイグレージャのSanta Maria da Feiraの村の風景。



IP3インターチェンジ(IC)近くで再び霧が。



コインブラ郊外のインターチェンジ(IC)。



コインブラの街に入りサン・ジョアン通りを進む。
コインブラはポルトガルの学問の町、因みにリスボンは政治、ポルトは商業の町と
呼ばれていると。



コインブラ大学の角を左折しラルガ通りへ。



コインブラ大学の校舎の壁には3体の像が。



バスが停車すると、黒のマントを着た女学生がバスに近づいてきた。
ボランティアで鉛筆を売り寄付金を集めているのではと添乗員から。
想いを寄せた男子学生のマントの裾を、女子学生が歯で噛み切るという習慣が
今も残っていると。ディニス王の時代から続くならわしで、裂け目の多い学生ほど
「人気がある」という証拠なのだと。
日本でいう制服の第2ボタン!!。なんと甘酸っぱい(笑)、しかし今、日本では???



そしてコインブラ大学の散策開始し「鉄の門」に向かう。
ポルトガルで最古のこのコインブラ大学は、ヨーロッパでも4番目に古い。
大学の前身は、ディニス王が1290年にリスボンに創立した大学で、何度か移転した後の1537年、
ジョアン3世がコインブラの宮殿内に、大学を設置した。
当時から、ボローニャ・パリ・サマランカ・その他から教授が招聘され、
国際的に重要な研究機関だったという。特に、人文学は伝統を誇ったとか。
現在は、医学部・法学部・科学技術でも、優秀な学生が育っていると。
因みに、リスボン大学は1911年創立されたが、これがポルトガルで2番目の大学だ。
コインブラ大学が、如何に重要な学問の担い手だったかがわかるのであった。



大学が街の中心とみなされ、黒いマントを着たコインブラ大学の学生が行き交うと。
約2万2千人が学んでいる。8つの学部が存在し、その学部ごとにシンボルカラーがあると。
右手には芸術学部/文学部の校舎。



石像が校舎の前に並ぶ。



対面の総合図書館の壁にも3体の像が。



「鉄の門」の右横の建物。



ここにも。



歩いて来たラルガ通りを振り返ると大学創設者のディニス王の像(Estatua de D. Dinis)の
後ろ姿が。



鉄の門(ポルタ・フェレラPorta Ferrea)、別名「無情の門」。
無情の門とは、この大学の学生はこの門を入ったら学問以外のことを考えてはならないとの
教えであると。



女子学生が噛み切ったマントの切れ端?
ここに縛り付けておくのは、「私のこと以外は考えてはならない」とのアピールか?
白の切れ端は他の意味が?



「無情の門」の上部。
門の上にはディニス1世の像、最上部には知の神ミネルバが飾られているのだと。



「無情の門」の右横の石像。



「無情の門」の左横の石像。



ラテン回廊(Via Latina)、左は時計塔で「カブラ(山羊)」と呼ばれている。
ラテン回廊と呼ばれるのはここではラテン語しか話してはいけないからだと。



先日のBS放送の上空からの写真も紹介します。





時計塔。時間は10:45。
1733年に建てられたこの時計塔は、コインブラ大学のシンボル的存在として
親しまれているのだと。そして時計台は今でも現役で時を刻み続けているのだ。



コインブラ大学の敷地をぐるりと望むラテン回廊(Via Latina)



ジョアン3世(1502 - 1557)像。
1537年、コインブラ大学を創設する。
ジョアン 3 世は、前世紀にイタリアで生まれた新しい理念を導入することを試みた。
彼はポルトガル人が留学するための奨学金を創設し、ポルトガルの人文主義者で
当時パリにいた博識のアンドレ・デ・ゴウヴェイアをコインブラ大学の
コレジオ・ダス・アルテス  (Real Colégio das Artes e Humanidades / Colégio das Artes,

1542-1837)
ゴウヴェイアは、神学のエリ・ヴィネ、数学のペドロ・ヌネシュ、法学や古典学の
ディオゴ・デ・テイヴェなど、多くの教授たちを招聘したのだと。



別の角度から。



マヌエル様式の門・ファサード(Portal Manuelino)。
サン・ミゲル・チャペルや聖ミカエル教会とも呼ばれる礼拝堂
が内部にあると。




1255年までポルトガル王国の首都であった古都コインブラ。
レコンキスタを推進し、ポルトガル王国の独立を達成した
初代国王アフォンソ・エンリケシュ(Afonso Henriques)が住んでいた王宮が
あったのがまさにこの場所。
その後首都はリスボンに移され、この王宮があった場所はコインブラ大学の敷地となった。
礼拝堂に対面する建物が下の写真。



建物の入口門の上の彫像。



ここでトイレタイムで建物の中へ。女性陣は土産物売り場の前に長蛇の列が。



通路の壁にはアズレージョが。



私もトイレを済ませしばし土産物屋を散策。



大学のカフェ。一般観光客も利用することが可能なのではと。



旧校舎内の回廊。



ここにもアズレージョが。





そして再び土産物売り場へ。



店内。



可愛らしい人形。



この椅子で旅友が私の写真を撮ってくれた。



黒いマントを着た人形。



そして広場に出て再び時計塔を。



中庭。
左にラテン回廊、中央に鉄の門。



中庭には多くの観光客が。



時計塔に向かって一番左にあったのが、ジョアン5世治下の1724年に建てられた
ジョアニア図書館(Biblioteca Joanina)。



正面から。
このジョアニナ図書館は1724年、ジョアン5世によって、このコインブラ大学の
敷地内に設立された。
バロック調の外観はこの図書館の重厚な歴史を物語るべく、訪れる者だれもを圧倒するに
充分な迫力を持っており、図書館というよりクラシックな大聖堂を連想させる造りが
見るものを魅了して来たと。
16世紀から18世紀の印刷本3万冊が保管されている。手書きの貴重本は別室で保護されていると。
この建物の下にさらに2階あり、合わせて30万冊の蔵書が収められている。
虫に本を食べられないように館内にコウモリが飼われていて、糞で汚れないよう夜間は
テーブルにシートが敷かれる。この図書館は1910年まで使われており、自然光だけで
使用されたので閲覧時間は10時から15時までだったようだ。



図書館入口の上部の彫像。



残念ながら時間切れで内部には入れなかったが入口の隙間からシャッターを。
正面の壁にはジョアン5世の肖像画が飾られていた。

魅せる図書館・驚嘆の図書館(15) - ジョアンナ図書館: 我家のIT化

BS放送で紹介された図書館内部の写真も紹介します。













そして図書館の先からモンデゴ川(Rio Mondego)を。
正面にペドロ・イネス橋(Pedro e Inês bridge)。



丘の斜面に立つコインブラの街並み。



再びコインブラ大学の中庭。



そして旅友集団の後ろ姿を追いかけて行ったのであった。
最後にもう一度、『無情の門』そしてその前のタイル模様を。

「無情の門」の画像検索結果



                   ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2021.01.21 15:41:55
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