JINさんの陽蜂農遠日記

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2019.02.27
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カテゴリ: 海外旅行
芸術学部/文学部の校舎の前には高い台座の上に4つの彫像が。
ネット情報(翻訳情報)では
「古典的な作家Sappho、Thucydides、Aristotle、Demosthenesの彫像で構成された
Barata Feyoによる彫刻
」とあったのでこれを信じて。

Demosthenes(デモステネス)像。
雄弁有名な政治家であり、古代ギリシャの演説者。



Aristotle(アリストテレス)像。
もちろん有名な哲学者。



Thucydides(トゥキュディデス)像。
古代ギリシャの歴史家、「ペロポネソス戦争の歴史」の著者。



Sappho(サッポー)像。




Leopoldo de Almeida(レオポルド・デ・アルメイダ)による彫刻。
Aesculapiusの娘の像?
持っている棒には蛇?が巻き付いていた。
右側には16世紀のギリシャの賢人、ヒポクラテスだと。



そして再びサン・ジョアン通りの坂道を徒歩で下る。



右手前方に「New Cathedral(新カテドラル)」。
バロックのファザードが美しかった。
有名な「天正少年使節団」がこの街を尋ねる前の1550年代に、フランシスコ・ザビエルから
鹿児島で洗礼を受けた日本人(洗礼名ベルナルド)がポルトガルまで旅をし、コインブラの
イエズス会修道院で修行し、ここで逝去したことが、同会の記録に残っているのだと。
イエズス会の初代総長であったイグナチオ・デ・ロヨラからバチカンにも招かれ、教皇にも

あるとの事で中に入りたかったがツアーコースには入っていなかった。
東洋から来たベルナルドの深い信仰と清い生き方は、ヨーロッパのイエズス会員たちに
その死に至るまで大きな感銘を与えたのだと。



しかしながら日本名は知られていないのだと。
そして1999年にザビエル来日450周年を記念して鹿児島のザビエル公園内に

ザビエルに愛された青年、このベルナルドの像であったと。
右にザビエル、中央にベルナルドの像、左にヤジロー。
ヤジロウ(弥次郎)は、史料上確かな最初の日本人キリスト教徒と目される人物と。

「ベルナルドの像」の画像検索結果
             【https://4travel.jp/travelogue/11281816】より

「greja de Sao Joao de Almedina(サンジョアンデアルメディナ)教会。」



その横手前にあるのは城壁の名残であると。



城壁の名残をズームで。



横たわる塀はNational Museum Machado de Castro(国立博物館)を囲む
城壁の一部であると。



更に続く。



城壁の一部の上に建つ現在の建築物。



狭い路地の坂道を降っていくと左手にあったのが「Sé Velha - Coimbra(旧カテドラル)」。
外から眺めると、旧大聖堂は狭い窓と銃眼付き胸壁をもち高さがあるため、小さな要塞に
似た姿であった。これは、ムーア人と交戦中の時代に建てられたことを意味しているのだと。
東ファサード。



翼廊交差部の上部は細部にバロック要素を持つロマネスク様式の
ドームが存在感を。



最も重要なロマネスク様式の建築物の一つ。
1139年のオーリッケの戦い後、ポルトゥカーレ伯アフォンソ・エンリケスが
初代ポルトガル王アフォンソ1世として即位し、首都と定めたコインブラに建設された
大聖堂である。初代コインブラ伯でモサラベ(アラブ領に住んでいたキリスト教徒)でも
あったシスナンド・ダヴィデスはこの大聖堂に葬られたと。



北ファサード
レコンキスタの時代には要塞としての役割も担っていた堅固な造り。 胸壁には銃眼も。
入口は1530年頃に造られたもので、ルネサンスの影響が見られる初期のものだと。




彼らもバチカンからリスボンに戻った後、このコインブラを訪ねているのだと。



ズームで入口横の像を。



 西ファサード。
こちらが見学用の出入口であるようだが、内部見学はこれもコースに入っていなかった。



西ファサードの中ほどに扉口と、扉口に似た窓を上部に持つ塔のような建物。
扉口も窓もどっしりとした、アラビア風・ロマネスク前派の影響を受けたモチーフで
飾られていた。
大聖堂は丘を下る場所に建てられているため、ファサードは角の厚い控え壁で
補強されているのだと。



西ファサード前の小広場。



ケーブラ・コスタス通りと呼ばれる狭い階段路を下って行った。



落書きは何処も同じ。



狭い道の両脇には食堂や土産物屋が並んでいた。



「ポルトガルの洗濯女」の像
かつてはモンデゴ川で洗濯をする女性たちの姿が見られたと。
シャンソンで歌われ、「​ ポルトガルの洗濯女⬅リンク」 は一躍有名になったのだとか。



別の角度から。



説明板。



ポルトガルギター(コインブラタイプ)を弾く人形。



「FADを聴きませんか?」



7世紀のBarbican Gate(バービカンゲート)と呼ばれる門。
コインブラ城の城壁の一部のようだ。



市立博物館の説明板?



アズレージョのお土産。



"コインブラ・ファド" を象徴するかのようなポルトガルギターをかたどった女性像。
ポルトガルギターはポルトガルの民族楽器でファドの演奏などに使用されるのだ。



リスボンの下町で生まれたファドは、人生の歓びや悲しみ、哀愁など主に女性の心情を
歌うのに対し、"コインブラ・ファド" はもともとは男子学生が愛する女性に捧げた
セレナーデで、歌い手は男性のみで演奏者も含めほとんどはコインブラ大学の出身者なのだと。



フェレイラ・ボルディス通りを歩く。



コルク製のバッグ。



様々な缶詰を売っている店。



遊園地の如き缶詰専門店。

「コインブラ 缶詰 comur」の画像検索結果

日本語のパンフレットで説明してくれたが・・・。



アコーディオンを奏でるオジサン。



国民的おやつ「Pastel de Nata/パステル ・デ・ナタ」。



ポルトガルの「コンフェイト」。
日本の金平糖とは違って、ポルトガルのコンフェイトは透明感が無く、凹凸も浅く控えめ。



そしてボルタジェン広場近くでしばしの自由行動に。



元首相のジョアキン・アントニオ・アギアル像(Monument to Joaquim António de Aguiar)。



ズームで。



モンテゴ川 Rio Mondego  ) に架かるサンタ・クラーラ橋(Ponte de Santa Clara)。



ポルトガル銀行。



左手は狭い敷地にホテル アストリア(Hotel Astória)。



サンタ・クラーラ橋側からボルタジェン広場方面を見る。



サンタ・クラーラ橋とモンテゴ川。
ポルトガル近代主義の代表的作家で,詩,短編,長編小説,戯曲,評論などさまざまな
ジャンルで活躍した「TORGA」の名が。



モンテゴ川の上流側。



下流側。



再びボルタジェン広場を。



BS放送から、コインブラの街並みの上空からの映像です。
モンテゴ川への斜面に拡がるコインブラの街並み。



中央上にコインブラ大学の時計塔が。





                  ​ ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2020.05.31 18:59:07
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