JINさんの陽蜂農遠日記

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2019.10.06
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『旧東海道を歩く』ブログ 目次

次に訪ねたのが『吐月峰柴屋寺(とげっぽうさいおくじ)』
室町時代、連歌の指導者であった禅僧の宗長が草庵を結んだことに始まり、今川氏や徳川氏と
いった時の有力者に庇護されつつ今に至る歴史ある寺であると。
吐月峰の名は、その庭園から見える月が裏山の竹林より急に姿を表す様に見えた為、
"峰が月を吐く"ことからその名が付いたのだとか。
その名の通り、裏には立派な竹林を配した庭園があり、拝観料を払って見学が出来た。
東山、天柱山、丸子富士など美しい自然を取り入れた借景園は国の名勝・史跡に指定




永正元年 ( 1504 ) 五十五歳で草庵を結び余生をおくったところである。
この頃は , 禅宗の影響で孤独閑寂の生活を楽しむことが流行し、宗長自身もここに京都銀閣寺を
模した庭園を築き、四季の風物を眺めて暮らしていたという。
風雅な庭園は、本堂の正面はるか南方にある。“丸子富士”や、庭から西方にそびえる
“天柱山”などの美しい自然をたくみに取り入れた借景園と、庵の背景となる枯山水の庭園は
国の名勝・史跡に指定されている。庵の前庭には、北斗七星をかたちどって配置した
“七曜石”や宗長が月の出るのを座って待ったという“月見石”などがある。
その月見石の背後に師の宗祇と並んで宗長の墓がある。
当寺は、京都の嵯峨から移植したという竹林に囲まれ、宗長の手工に始まるという竹細工が
今も民芸品として即売されている。
なお、寺宝に後水尾天皇御真筆の短冊、足利義政から賜った芦屋釜 ( 文福茶釜 ) 、頓阿法師作
柿本人麿像及び一節切 ( ひとよしぎり ) の笛などの文化財が保存され、公開されている。」



名勝及史跡『柴屋寺庭園』。



柴屋寺の山門には『文福茶釜の寺』と。
昔話によく聞いた「分福茶釜」は群馬県館林市の茂林寺の茶釜。
汲んでも汲んでも湯が付きないので不思議に思ったら狸の化身だったと言う話だ。
ここ柴屋寺の「文福茶釜」は、足利義政公が茶を点てる時に使った言われる
静岡市伝説ですが門外不出であると。
山門横には大きなモミジの木があり、紅葉シーズンには風情を感じる光景を楽しめそうであった。



句碑。
たなびくや 千里もここの 春霞    氏親




永正元年(1504)9月、今川氏親が関東に出陣の折、三嶋神社に願をかけ、凱旋の後 
宗長が千句詠んだ「三嶋千句」の碑にも歴史を偲ぶものが。



『山門』。



「天柱山 吐月峰柴屋寺 由来
静岡市駿河区丸子泉ヶ谷にある柴屋寺は室町時代の中期永正元年(1504年)連歌師
柴屋軒宗長が草庵を結んで閑居(かんきょ)した所であって吐月峰の名によって
天下に知られた天下の名勝であります。
この泉ヶ谷の地は応仁戦乱の頃持舟、宇津山、賤機山などと共に駿府の外城として丸子城があり
今川氏親は今川氏の内訌(ないこう;内乱)の難をこの丸子城にさけて十余年を
過ごしたのであります。
現在の柴屋寺は当時の丸子城内の一部であり、青年連歌師宗長は氏親ともに暫くこの城内にあって

氏親は駿府城に帰って(長享元年・1487年)国守となった後もしばしば柴屋軒をたずね、
なお公財を捨てて堂宇を建て始めて柴屋寺と称えたのであります。 
徳川家康はこの寺に朱印地を賜い堂宇の朽ちるを惜しんで懇ろに修復したのであります。
その庭園は宗長が自ら禅味と詩魂を打ちこんで築いたものといわれ、本堂の西に小池を造り
東北方から湧出する岩清水を引いてこれに注ぎ池畔には樹石を配して西方にそびえる天柱山を




『吐月峰柴屋寺由来略記』。以下抜粋。
「吐月峰柴屋寺の庭園は宗長法師自作にして京都東山銀閣寺の庭園を擬したるものなり。
東方には東山の月、園中、宗長法師の月見石あり、南方丸子富士を望み、西北には天柱山あり。
これらはすべて庭園の築山なり。宗長法師閑居以来月の名勝地となる。
常に文人墨客の杖を曳かれたる勝地なり。
昭和11年9月文部省より静岡県名勝及史蹟庭園に指定せらる。」



山門を入ると右手にあったのが『吐月峰柴屋寺 保存顕彰會』記念碑。



事務所で拝観料300円を支払う。



寺の住職夫人?が宝物拝観所を案内してくれた。



史跡庭園宝物拝観所入口。



風雅な庭園は本堂の正面はるか南方にある「丸子富士」や庭の西方にそびえる「天柱山」など
美しい自然をたくみに取り入れた借景園と、庵の背景となる枯山水の庭園は、
国の名勝・史跡に指定されています。庵の前庭には、北斗七星をかたちどって配置した七曜石と、
宗長が月を出るのを座って待った月見石などがあります。
その月見石の背後に師の宗祇と並んで宗長の墓があります。
柴屋寺は京の嵯峨から移植したと言われる竹林に囲まれ、宗長の手工に始まるという竹細工が
民芸品として即売されています。寺宝には後水尾天皇御真筆の短冊、足利義政から賜った
芦屋釜(文福茶釜)、頓阿法師作柿本人麿像及び一節切の笛などの文化財が保存され、
公開されています。

左手は北斗七星をかたどった池であるが、書院からだと北斗七星の様子が理解しにくい。



こちらの月見石に座り正面の山にある竹林の上から昇る月を愛でたのだそう。
竹がワサワサと揺れると、まるで竹が月を吐き出すかのごとく見えることから、
吐月鉢柴屋寺(とげっぽうさいおくじ)とも呼ぶのだと。



『座禅石』。



家康公が手向けた槇の木だと。



『常春松』。



本堂からの丸子富士が。
昔はあの山の頂上までが柴屋寺の領地とされていたのだと。



周囲には竹林も。



茶室近くにも小さな池が。



池の先に茶屋が。



『茶室』。内部は撮影禁止と。
茶室の名は「待月」と。



茶室に面した池泉庭園の奥には、分かりにくいが枯滝があった。



庭園では、今でも毎年仲秋の名月を愛でるお茶会が開かれ多くの人が訪れると。



宝物は全てガラスケースに入れられ、これも撮影禁止となっていた。
下記の如き宝物が。



ネットから
足利義政公より賜う「文福茶釜」。
「ぶんぶく茶釜物語」は、群馬県館林市にある茂林寺の「分福茶釜」伝説が有名ですが、
ここ柴屋寺の「文福茶釜」は静岡市伝説です。
漢字は、茂林寺⇒「分福茶釜」、柴屋寺⇒「文福茶釜」と異なるのです。


     【 https://sakamichi2.exblog.jp/21720802/ 】より

これもネットから。
武田信玄公からの 高麗茶碗。


       【 https://sakamichi2.exblog.jp/21720802/ 】より

ヲランダ製古時計。


       【 https://sakamichi2.exblog.jp/21720802/ 】より

宗長は、この寺で下記の如き歌を詠んだと。



そして書院の見学を終え『宝物拝観所』を外から。



扁額には青字で『吐月峰』と。



残念ながら庭園は散策できず、書院から座って観賞する池泉観賞式庭園の柴屋寺。
国指定名勝ではあるが、植栽が豊かになりすぎ?庭園の魅力を感じにくいのは残念。



ここが本堂であろうか?仏壇も確認できた。
その隣の部屋には床の間らしきものも。



本堂全景を見る。



本堂の屋根の先にラクダの背中のような形をした天柱山(てんちゅうざん)がみえる。
柴屋寺の山号(さんごう)は、この天柱山からきている。
ただ、木の生長に借景となる天柱山が見えにくくなっている。



御朱印を頂きました。



そして、吐月峰柴屋寺より更に奥にあり、山を背にひっそりと佇む寺『歓昌院』に車で向かう。
正面に『千手観世音菩薩薬師如来安置』と書かれた柱が。
ここが『千手観音院』への入口。
800年ほど前、奥大井小猿郷(榛原郡旧 笹間村)にあった菩薩であったが、旅の僧の 夢枕に立ち、
泉ケ谷歓昌院に移りたいと切望したと。移動後、再び小猿郷に戻 された時は、様々な災厄が
おこったことから、またこの地に戻り今に至るのだと。
その手前には、『純粋ハチミツ』と書かれた村本養蜂店の看板が。



『歓昌院』参道入口。



参道の坂道を上って行く。
『地蔵堂』。



『うなぎ供養之碑』。
静岡市蒲焼業組合が、平成7年(1995)7月に建立したと。



参道左側には『五百羅漢』が。



知人に似た羅漢様はいないかと。



『六地蔵』。



『山門』。



『本堂』。
室町時代に創建された曹洞宗のお寺。駿河国三十三ヶ所観世音菩薩霊場の第13 番札所であり、
丸子宿の宿泊が混雑した場 合宿泊を引き受けていたと。
ご本尊は千手観世音菩薩。



本堂の扁額には『天桂山』書かれていた。
曹洞宗 天桂山 歓昌院。



右手は寺務所であろうか。



この建物も昔は料理店であったのだろうか?



静岡丸子の名物とろろ汁が評判の懐石料理店『待月楼』。
大正八年創業、森や竹林に囲まれた約1000坪の敷地に建つ数寄屋造りの料亭が待月楼。
今から約500年前の室町時代、連歌師宗長が結んだ草庵、吐月峰柴屋寺の茶室の名が
「待月」であり、「待月楼」の名はその茶室に由来。
贅沢な空間と時間、旬の素材を使った懐石料理と伝統のとろろ汁の組み合わせは、世代をこえて
喜ばれていると。日本の伝統を伝えつつ新しい風を取り入れた空間の中で、心行くまで四季の味と、
自然のもてなしを楽しめる店と。
静岡丸子の名物とろろ汁を楽しみたかったがこの日も残念ながら・・・・。




                              ・・・もどる・・・

                  ・・・つづく・・・





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Last updated  2020.05.01 15:07:02
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