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『旧東海道を歩く』ブログ 目次
更に旧東海道を西に進み、ここを左に進み関西本線の跨線橋に向かう。
この跨線橋を渡って関宿方面に向かう。
跨線橋上から関西本線、県道565号線を見る。
跨線橋を下って行くと、前方に関バイパスの高架橋が見えた。
左手に『鈴鹿川』を見ながら歩く。道路脇には桜並木が。
ここは『太岡寺畷(たいこうじなわて)』と呼ばれていると。
『太岡寺畷のいわれ』案内板。
「畷(縄手)とは、まっすぐな長い道のことです。
太岡寺畷は、東海道が約2キロにわたって鈴鹿川沿いに築かれた堤の上を通り、東海道の
畷道では随一の長さとされます。 松尾芭蕉の七部集の一つである『ひさご』に、
門弟の野径が「から風の太岡寺縄手吹透し」と詠んでいます。 この太岡寺の場所については
他に説がありますが、亀山においては古くから、この地であるとの認識がありました。
かつては、「わしの想いは太岡寺 他に木(気)が無い松(待つ)ばかり」
(『亀山地方郷土誌』)と謡われたほどの松並木で、 大田南畝(蜀山人)が
享和元年(一八〇一)に江戸から大阪までの旅を記した『改元紀行』にも、
「松の並木両行に立てり此間十八町にて太岡寺縄手といふ」とあります。
なお、太岡寺の地名は、かつてこの地にあった大寺である「六門山四王院太岡寺」に
由来すると伝えられます。」
『太岡寺畷における桜の名所づくり』案内板。
左手に鈴鹿川に架かる橋が、橋の名は『神辺大橋』。
『亀山市立神辺小学校』が右手に。
そして名阪国道、東名阪自動車道の高架の橋脚側面には、三重県の宿場町の
東海道五十三次浮世絵があった。
掲げられていたのは、広重の、桑名宿・四日市・石薬師・庄野・亀山・関・
阪之下(坂下)の浮世絵。
進行方向右手前から。
『東海道五十三次と歌川広重』
「慶長六年(一六〇一)徳川家康は「御伝馬之定」を制定し東海道沿道の集落五十三ヵ所を
宿駅に指定した。
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