JINさんの陽蜂農遠日記

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2021.01.08
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カテゴリ: 藤沢歴史散歩
そして「歴代上人の墓」に向かって石段を上る。



墓所への石段の上に「回向堂(えこうどう)」があった。
宝珠を乗せた宝形造銅板葺の屋根が印象的。



本堂裏の墓地。



墓地の奥にあった「藤堂彦子の墓」。



「藤堂彦子の墓
筑前国秋月藩主黒田長興と佐竹氏の娘であり、伊勢国久居藩主藤堂高通の正室である。
遊行四十二代他阿尊任上人との親交により、当山に埋葬されている。」



「美術工芸家 藤井 達吉の墓 一八八一~一九六四」。




愛知県出身。近代工芸の革新を志した人物。戦後は愛知県で和紙工芸を振興した。
遊行七十一代他阿隆宝上人との親交によりこの地に眠る。
ニ〇〇八年に碧南市藤井達吉現代美術館が開館した。」



「歴代上人御廟所」案内板に従い進む。



「歴代上人御廟所」が石段の上に。



中央正面に開山塔、左右に歴代上人の墓塔が。
徳川以前のものは多く宝篋印塔(ほうきょういんとう)で、それが整然と並んでいた。



中央正面の「開山塔」。
4代遊行上人、藤沢山遊行寺開山の呑海上人と他歴代7人の墓碑。



右側の宝篋印塔(ほうきょういんとう)群。
その奥に「長生院」の「小栗堂」が見えた。







「歴代上人御廟所」を振り返る。



更に奥から。



そして「長生院」、「小栗判官墓所」に向かう。



そして時宗総本山である「清浄光寺(通称:遊行寺)」本堂裏手にある
「長生院」入口に到着。




板碑は、鎌倉時代初めの嘉禄(一ニニ五)頃から、近世初頭の天正・文禄(一五七三~一五九五)
頃までの間に流行した卒塔婆の一種である。時宗板碑には「南嘸阿弥陀佛」の名号を刻みつけた
ものが多いが、その名号には、楷書体のものと行、草書体のニ糸統がみられる。
長生院の板脾は、緑泥片岩でつくられた武蔵型板碑である。長方形の板状の頂部を山形にし、
その下にニ条の切り込み作る。身部には楷書体でつぎのような銘文がきざまれている。
南無阿弥陀佛 延文元年 経阿弥陀佛 十ニ月三日
南無阿弥陀佛 本阿弥陀佛百ヶ日為 永和三年巳丁十月十七日
延文元年は一三五六年、永和三年は一三七七年にあてられている。
このニ基の版碑は、江戸時代末に遊行寺境内から発掘された。」



「昭和41年(1966)1月17日指定/総高112.0㎝の延文元年(1356)12月3日銘と、下部欠損の
永和3年(1377)10月17日銘の、2基の板碑です。
板碑とは鎌倉時代から戦国時代に至る約400年間に流行した卒塔婆(そとば)の一種で、
2基はいずれも緑泥片岩製の武蔵型板碑です。時宗の板碑には「南無阿弥陀仏」の名号を
刻みつけたものが多く、楷書体のものと行・草書体の2系統がみられ、この2基は楷書体で
刻まれています。
2基とも南北朝時代のもので、江戸末期に時宗総本山清浄光寺(遊行寺)北方の畑から
発掘されました。」


【http://www.fujisawa-miyu.net/search/result.html?CN=2272 】より

「藤沢市指定重要文化財(彫刻) 木造阿弥陀如来坐像
当院の本尊である本像は、平安時代後期の作と推定され、市内屈指の古仏である。
像高は、五ニ.五cmで、上品下生印を結ぶ典型的な定朝様の尊像である。定朝様は、
大仏師定朝が完成した公家好みの様式で、宇治平等院鳳凰堂本尊を代表作とする。
構造は、桧材の寄せ木造りで、目は彫眼、頭の螺髪は彫出されている。木寄せは、
頭と躰を共木で造り、首で割り矧ぎ更に前後に割り矧いでいる。尊顔は穏やかで、
尊体の抑揚少なく、彫技は浅く整えられている。頭と躰そして組んだ両足の微妙な均衡、
穏やかさと強さの調和に鎌倉期の足音を感ずる。」



「木造阿弥陀如来坐像」
「平成8年(1996)3月1日指定/像高52.5cm、臂張:30.7cm、膝奥28.3cm、頭長18.8cm
、膝張40.0cm、腹厚16.3cm、檜材寄木造、彫眼/長生院の本尊です。
螺髪は彫出、木寄せは、頭と躰を共木で造り、首で割り矧ぎ、更に前後に割り矧いでいます。
頭部や面部は丸みを帯び、面相は穏やか、体部はゆったりとしていますが胸は薄く
衣文の彫りは浅く整えられています、定朝様の作風が窺われ、平安後期、12世紀の作と
推定される市内屈指の古仏です。」

資料検索 | 電子博物館・みゆネットふじさわ
【http://www.fujisawa-miyu.net/search/result.html?CN=2294】より

境内入口左の「知恵地蔵菩薩像」。



「長生院」。
永享元年(1429年)、清浄光寺の塔頭として建てられた。本尊は阿弥陀如来。
かつては「長照院」とも表記された。



「小栗堂」。
寺伝によれば正長元年(1428)頃に照手姫は太空(たいくう)上人の弟子となり、
剃髪受戒(ていはつじゅかい)をうけて長生尼と号しました。
永享元年(1429)に閻魔堂(えんまどう)のかたわらに草庵を結んでこの処に住まわれたことに
より閻魔堂を長生院(ちょうしょういん)と改称して遊行寺の支院となりました。
開山は太空上人であり、天正の頃に類焼し、元和年中に再興されています。
また年月不詳ですが、享和の頃に復興したといわれています。明治13年11月26日夜の大火に
よって類焼し直後に仮建築を行い、大正5年に本堂・庫裏を建築、大正12年9月の大震災には
後の山が崩れその土砂に圧倒され、庫裏は全壊、本堂は半壊の状態でした。
そして同15年2月5日に起工し同7月18日に竣工(しゅんこう)しています。
現在の本堂は平成3年に落成したもの。



扁額「小栗堂」。



「小栗判官墓所入口」案内板。



「小栗判官墓所入口門」。



「南無阿弥陀佛」と刻まれた大きな石碑。



「(伝)小栗十四代城主・小栗孫五郎平満重と家臣の墳墓由来について」案内板。
案内板を抜粋すると
常盤の国(茨城県)の小栗地方を統治していた14代城主・小栗孫五郎平満重(小栗判官満重)は、
室町時代の応永30(1423)年8月2日、関東公方足利持氏との激戦に奮戦 拙つたなく破れ小栗城は
城落した。この城落により満重はその子助重と十勇家臣と共に、一族の小栗貞重等(愛知県)を
頼って落ちのびる途中、相州藤沢辺の悪党横山大善の館(横浜市戸塚区東俣野)で、歓待酒宴で
毒をもられ,家臣10名は毒殺され哀れにも上野ヶ原 (藤沢市)に捨てられたが、幸いにして
時宗総本山・無量光院清浄光寺 (藤沢市)8 世・(遊行14代)他阿太空上人のご光配によって、
藤沢山境内に手厚く埋葬されたという。 満重は、酌女から酒に毒がもられていることを耳打ち
され、厠に行くふりおして、さりげなく酒宴の座を立ち外に出、名馬鬼鹿毛に跨り
藤沢めざして駆け去り、難を逃れたという。息子の助重もまた、幸運にも酌女の助けで大難を
逃れ、九死に一生を得たといわれている。 父満重の死去(応永33年 3 月16日)後、助重は、
十余年を経た嘉吉元(1441)年の結城合戦(結城市)に、幕府軍の将として活躍し、その論功に
より再び小栗領に復し、小栗15代城主に就いた。 助重は毒殺という非業の死をとげた十勇家臣の
菩を弔う追善に、藤沢山に入り、追孝謝恩の供養をもって父満重と家臣の墓石を八徳池のほとりに
営んだという。 なお、悪党による酒宴で酒に毒がもられていることを耳打ちした酌女の名 は、
「照手」と呼ばれ、後に小栗判官満重が探し出し、褒美として宝物を与え たという謂れがある。
だが、酌女の「照手」と先述した千光寺の観世音の巧徳で2度も命を救われた「照手姫」とが
同一人物であるか否かについてはここでは言及できない と。

小栗判官 説明板

「照手姫の墓」。



「長生院」の「歴代和尚之墓」。
こちらもやはり宝篋印塔。



「歴代和尚之墓」と刻まれた石碑。



「名馬 鬼鹿毛(おにかげ)之墓」。
小栗主従墳墓の脇には、満重が酒宴で難を逃れるために騎乗した「名馬 鬼鹿毛之墓」が。



「厄除地蔵尊」。
照手姫の五輪塔の墓石の前に佇む、照手姫が 建立した 3 体の厄除地蔵尊。
地蔵尊は、お釈様亡き後、この世の人々を救ってく れる仏様といわれ、道中安全の祈願の
ために詣でる人たちで賑わうという。照手姫自らが遭遇した道中での災難などの厄除祈願の
ために建立されたのかもしれないと。 



「照手姫 厄除地蔵尊」案内板。



「(伝)小栗十四代城主小栗満重と十勇家臣の墓」案内柱。



「小栗判官公並に十勇士の墓」。
墓の後ろに見事なサルスベリ・百日紅の木が。



ズームして。



「小栗判官公並に十勇士の墓」案内板。



更に墓碑に近づいて。
中央部の背高い小栗判官満重の墓石の両側には、それぞれ 5 基の石塔が並 び、
「小栗十四代城主 小栗満重公と十勇家臣の墓」と銘記されていた。



「十勇士の墓」(左)。



「十勇士の墓」(右)。



「小栗判官眼洗之池」。
小栗主従墳墓に向かい右側には「小栗判官眼洗之池」と銘記した案内板 が建っており、
透明度の高い清水を湛えた小池の中には観音菩が祀られてい た。
小池に纏わる逸話などは記されておらず,謂れなどについて は窺い知れないが、往古の
八徳池を再現したものなのか、あるいは小栗判官満 重が十勇家臣の弔い・墓参の際、
悲涙に濡れた顔面を洗眼した池だったのか、あるいは息子の助重が父満重や十勇家臣の
墓参に際し、心身を清める禊の聖水 として使用した池であったのかなどと・・・・。
池の中には小さな石仏も。



「小栗判官眼洗之池」案内板。



石灯籠と手前に「​ 水琴窟 ​」👈リンク と書かれた案内板があった。



「小栗堂」を奥から見る。



「長生院」からの下り坂を進んでいくと左手にあった石碑には「仁」の大きな文字が。



「回向院」の全貌を再び見る。



そして次に訪ねたのが、長生院からの緩い坂を下り、左側の墓地に入ると
堀田氏の供養塔があった。
江戸時代末期諸外国の要求による開国問題(1854年締結の日米和親条約
(対交渉役はマシュー ペリー)により開国し下田、函館を開港した後、1858年に締結した
日米修好通商条約の前半の幕府側交渉役が外国事務取扱に任ぜられた老中堀田 正睦
(対交渉役はタウンゼント ハリス)であった。その後大老に井伊 直弼が就くと意見対立から
老中失脚し幕府役職を辞した。ただし自らの辞職というのではなく、直弼派の圧力による
蟄居処分だった。つまりは歴史的には修好通商条約の締結決断をしたのは直弼だったため、
美味しいところを直弼に取られた老中です。)などの幕政に対応した老中であるが、
大老井伊 直弼と対立し、老中を辞して自領に戻り藩政改革に尽力した5代下総佐倉藩主
堀田 正睦に至る家系の、安土桃山~江戸初期の堀田氏の中の正俊系を生んだ創家家系です。

四基の供養塔が並ぶ。



「堀田 正盛 妻 阿栗 供養塔」。
「正統院殿華岳宗栄大姉」



「堀田 正盛 妻 阿栗 供養塔
堀田 正盛の妻  阿栗 (一六一七~一六七四) 酒井忠勝の娘。
墓所は東京都品川区東海寺・台東区上野現龍院 この供養塔は堀田正国、脇坂安政、堀田正俊、
堀田正英が延宝九年(一六八一)に建立」。



「堀田 正盛 供養塔」。
「玄性院殿心隠宗卜大居士」



「堀田 正盛 供養塔
堀田 正盛 (一六〇九~一六五一)老中筆頭 従四位下 武蔵川越 藩主
下総佐倉藩初代藩主。堀田家宗家初代。
堀田正利の長男で母は稲葉正成の娘。正室は酒井忠勝の娘阿栗。子に長男堀田正信、次男播磨
龍野藩主脇坂安政、三男大老古賀藩主堀田正俊、四男北條藩主堀田正英等がいる。春日局との
関係から三代将軍徳川家光の信頼を得て、寛永十二年(一六三五)老中に就任、さらに寛永十九年
(一六四ニ)下総佐倉藩に転封し十一万石の大大名となる。寛永四年(一六五一)徳川家光の死去
にともない、阿部重次とともに殉死をとげた。墓所は東京都品川区東海寺・台東区上野現龍院。
この供養塔は堀田正国、脇坂安政、堀田正俊、堀田正英が延宝九年(一六八一)に建立」。



「堀田 正利妻・萬 供養塔」
「活生院殿東弌房」



「堀田 正利妻・萬 供養塔
堀田 正利妻の諱萬 (一五八七~一六ニ七)稲葉正成の娘。
春日局の継子。この供養塔は堀田正俊が延宝五年(一六七七)に建立。」



「堀田正利供養塔」
「正成院殿覚阿弥陀佛」



「堀田正利供養塔
堀田正利(正吉)
(一五七一—一六ニ九)
旗本 堀田正秀の五男。母は浅野長一の娘。通称 勘左衛門。
正室は稲葉正成の娘萬。織田信長、浅野長政、小早川隆景、小早川
秀秋に仕えた。関ヶ原の戦ののち、慶長十年(一六〇五)江戸幕府に出仕した。
墓所は、東京都台東区日輪寺。この供養塔は堀田正俊が延宝五年(一六七七)に建立。」



供養塔の裏側を見ると夫々顕彰碑になっているようであった。



細かい漢字がぎっしりと。



少し離れた場所にあった「 堀田 正仲墓所
こちらは供養塔ではなく、墓石であるようだ。
「常楽院殿其阿法漢映性大居士」



堀田 正仲墓所

堀田正仲(一六ニニ~一六九四)徒四位下 下総古河藩ニ代藩主。
出羽山形藩主、陸奥福島藩初代藩主。大老古河藩主堀田正俊の長男。
母は小田原藩主稲葉正則の娘である。正仲の後継には、双子の弟である堀田正虎が継いだ。」



そして「本堂」横にあったのが「永代供養塔」。




「犬描慰霊碑」



「犬」と「猫」が描かれた石碑。



「いつくしむ」と書かれた石碑。



「合妃墓」。



「水子地蔵尊」。



お顔をズームで。



小さな石仏が後ろに並ぶ。





                              ・・・​ もどる ​・・・

                  ・・・​ つづく ​・・・






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Last updated  2021.05.25 14:42:50
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