JINさんの陽蜂農遠日記

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2021.03.19
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この日は2月24日(水)、「横浜市泉区の古道を巡る」の3回目のスタート。

南下して行くルートを計画して進む。
相鉄いずみ野線「南万騎が原駅」東口に出る。



そして駅前の道路を西に進む。



「南万騎が原駅」前の商店街。
「そうてつローゼン」、「ダイソー相鉄ライフ南まきが原店」、「ハースブラウン 南万騎が原」
等の店舗が確認できた。その先には集合住宅「KNOCKS みなまきみらい」が見えた。



「南万騎が原駅前」交差点を左折し坂道を上り南下する。







民家の横の河津桜も咲き終わり新芽が増えて来ていた。



運動場「柏町グラウンド」の横を進む。



そして、民家の門の前に立つ「相武(そうぶ)国境之道碑」前の路地に到着。
横浜市泉区緑園6丁目53-7。



「相武国境の道の碑」は泉区と旭区の境である緑園六丁目の角地に、昭和49年(1974)、
地域の人が建てた武相国境の道の道標。



この道標には「相武国境之道 南 相州鎌倉郡岡津村 北 武州都筑郡二俣川村」と刻まれていた。
この国境に沿って、古代より国境(くにざかい)の道と呼ばれる道があり、細いながらも
海と内陸部を結ぶ重要な道となっていたのだと。



相州とは相模国(神奈川県)、武州とは武蔵国で現在の東京都、埼玉県のほとんどの地域、
および神奈川県の川崎市、横浜市の大部分を含む。




「旧武蔵国都筑郡」と「旧相模国鎌倉郡」との国境の道。



そして「旧武蔵国都筑郡」と「旧相模国鎌倉郡」との国境の道を東に進むと
塀沿いにも石碑があった。



「道しるべ」碑。
「相模武蔵乃境 道しるべ 相模国鎌倉郡中川村 岡津字須郷谷しんたく」と刻まれていた。

武蔵は東京、相模は神奈川で境界は多摩川との思い込みがあったので、なぜここに国境碑が
あるのか解らなかった。帰宅してネットで調べてみると、相模もののふたち(永井路子著)に
よれば、北から武蔵系の豪族が南下し、海老名、二俣川あたりまで進出していたようだ、と。
現在は旭区柏町の須郷谷(すごうやと)公園、泉区緑園の須郷台公園として名が残っている、と。



そしてその「緑園須郷台公園」に向かって「池の谷」の丘の裾野沿いを進み
途中左折し住宅街を進む。
この周辺はアップダウンの多い場所であった。



そして「緑園須郷台公園」に到着する。
緑園六丁目にあリ、四季の径沿いに設けられている公園。



「緑園須郷台公園」銘板。
公園内には、つたのからまるアーチ、古代ギリシャ風の円柱の立つ広場、絵タイルで星座の位置が
表示された円形広場等があった。緑園都市駅までは遊歩道が続いておリ、安心して歩くことが
できた。公園から駅に向かっていくと、高台から電車が眺められるのであった。



星座のマークが敷き詰められているスペースがあり、自分の星座や家族の星座を探して楽しめる
ようであった。
星の観察の宿題や星座の勉強にはもってこいの場所であると。



真ん中には東西南北の方角が描かれていた。その周りにわし座などの星座の絵があった。



「四季の道」を歩く。
緑園都市駅からこども自然公園に続く歩行者専用道路。
全体を春・夏・秋・冬のゾーンに分け、季節を彩る樹木を植え、四季にちなんだ絵タイルも
施されていた。各ゾーンのポイントには、三角広場、レンガタイル貼リの洒落たアーチ形陸橋、
公園などが配置されていた。
平成元年度に横浜市まちなみ景観賞を受賞し、緑園のシンボル的存在となっている、と。



そして次に訪ねた「山王神社」の姿が現れた。



「山王神社」入口。
横浜市泉区緑園3丁目23。
緑園3丁目にある地元の鎮守さま。



石鳥居の扁額「山王神社」。



境内には庚申塔、道祖神塔がひっそりと残っていた。



7基の庚申塔、道祖神塔を正面から。



左側の4基。
左から隅丸形文字道祖神、双体道祖神、共に昭和57年(1982)10月吉日の銘が後ろに。
両方とも古いものの再建であろうか?
その隣に法輪塔が。
一番右は下記に。



右側の4基。
一番左には庚申塔。阿弥陀如来立像は元禄13年(1700)のもの。
隣の笠塔婆の付いたものは貞享4年(1687)の建立。三猿、「庚申」の文字もあるので、庚申塔。
その隣は宝暦13年( 1763)の文字庚申塔。
一番右の大きなものは、笠塔婆型の文字庚申塔。建立年は寛文2年と書かれているのであろうか。



そして「社殿」。
この神社の本社は比叡山山麓にある日吉大社で大山咋神(おおやすくいのかみ)が祀られている。
神社の周辺の地形は宅地開発により、すっかリ変わってしまったが、神社は開発前から今と
全く同し場所、同し高さに社があるとのこと。



「社殿」前から境内を振り返る。



狛犬とその後ろでモクレンの蕾が膨らんでいた。
台座には昭和五十七年十月の文字が刻まれていた。




                              ・・・​ もどる ​・・・

                   ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2021.05.25 16:20:14
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