JINさんの陽蜂農遠日記

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2021.03.18
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そして「相鉄いずみ野線」まで戻り、線路沿いにあった
「佐婆神社」を訪ねた。
横浜市泉区和泉町4811。



ここ境川流域には『サバ』神社という一風変わった名の神社が複数点在し、泉区内には
「鯖」、「佐婆」、「左馬」などと表記される5つもの『サバ神社』があるのであった。
神社名の由来としては、サバ神社の祭神が「源義朝(みなもとのよしとも)」もしくは
「源満仲(みなもとのみつなか)であり、両者共に官命が「左馬頭」であったこととの関係が
指摘されるが定かではないのだと。
また、「鯖」、「佐婆」、「左馬」など表記の違いについても詳しいことはわかっていないと。

あり、境川支流・和泉川沿いの、ここ「上和泉の佐婆神社」そして「中之宮左馬神社」
「下和泉の鯖神社」は源満仲(みなもとのみつなか)が祭神であるという違いがあるのだ。
はやり病に罹ると「七サバ参り」をすると治るという風習もあったという境川流域のサバ神社。
古くは相模国鎌倉郡に属し歴史ある寺社が残る泉区の5つのサバ神社を巡ったのであった。



石段を上っていくと正面に「佐婆神社」社殿が。



社号標石「佐婆神社」。



「佐婆神社」の裏を「相鉄いずみ野線」の電車が通過。



「狛犬(阿形像)」。



「狛犬(吽形像)」。



樹齢が推定三百八十年を経たタブノキ(犬楠)の古木があった。



横浜市の名木古木に指定されている「タブノキ」。




この神社は、泉区役所の北西部の丘陵上に、相模鉄道線の高架線路を背にして祀られていた。
通称「へっついさま」といわれ、むかし社殿がへっつい(竈)のように土塁に囲われてい
たからだといわれている。
祭神は源満仲と、富士山の祭神である木花咲耶姫(このはなさくやひめ)を祀る。
勧請年代は不明であるが、伝承では寛文年間(一六六一~七二)に地元の石川治右衛門が

『和泉往来』には、慶長年間(一五九六~一六一四)の勧請と記されている。
天保六年に社殿を修復したときの棟札が残っている。また大正時代の物と思われるが、
地域の俳句を好んだ人たちが献句した額が奉納されている。




内陣。



扁額「佐婆神社」。



境内の「石塔群」。



「相鉄いずみ野線」の高架線路が「佐婆神社」の奥に。




そして「佐婆神社」を後にして「和泉川」に架かる「神田橋」を渡る。




前方には「和泉川」から遊水池への溢流場所が確認できた。



桜の季節には美しい光景が楽しめるのであろう。



ここが「和泉遊水地」の「和泉第4遊水池」。



そして「和泉第4遊水池」を廻り込み、「和泉川」から「和泉第4遊水池」への
溢流部分をズームで。
堤防上端より1m以上?下がった場所に溢流堤(いつりゅうてい)が設置されているのであった。



大雨の際、低くしておいた堤防・溢流堤から、わざと水をあふれさせ遊水地(池)に一時的に
溜めることで、下流に流れる量を減らす治水対策の1つ。


      【https://www.fukushima-tv.co.jp/tv-news/bousai/】より

「記念植樹
泉区制20周年を記念して和泉遊水地ニ池、三池、四池の外周堤面に桜を
植樹しました。
和泉小学校の生徒と平和幼稚園の園児が近隣の人たちと一緒になうて植えました。
桜の種類:工ドヒガン40本 カンザン30本 ウコン30本 
平成18年12月1日」



そして右手に「横浜市 泉土木事務所」が。



隣りにあったのが「横浜市泉公会堂」。



横浜市泉公会堂は講堂内の音の反響が良いため、小中高生の合唱や吹奏楽、
地域の音楽サークルよる演奏会やリハーサル利用で多く利用されていると。



その隣に「横浜市消防局 泉消防署」があった。



梯子車の操作訓練中であった。



消防署の前にあったのが「消火用 腕用ポンプ」。



正面から。



防災モニュメント
私たち一人ひとりが、平成2 3年3月1 1日の東日本大震災を忘れないため、防災の基本である
よこはま地震防災市民憲章(平成2 5年3月11日制定)と郷土を守っていた腕用ポンプを設置する。
腕用ポンプ
この腕用ポンプは、大正15年1月に横浜の製作所で作られたもので、中川警防団第二分団
(現泉消防団)が消火活動に使用していたことが判っています。
大正12年9月には、関東大震災により、横浜市も甚大な被害を受けたことから、当時の人々の
災害を軽減するための期待を一身に、様々な災害で活躍したことがしのばれます。
モニュメントのシンボルとして消防職員・消防団員の手により、思いを込めて復元しました。」



「よこはま地震防災市民憲章 ~私たちの命は私たちで守る~
ここ横浜は、かって関東大震災に見舞われ、多くの方が犠牲になりました。
大地震は必ずやってきます。その時、行政からの支援はすぐには届きません。
私たち横浜市民はそれぞれが持つ市民力を発揮し、一人ひとりの備えと地域の絆で大地震を乗り越えるため、こに憲章を定めます。
穏やかな日常。それを一瞬にして破壊する大地震。大地震はいつも突然やって来る。
今日かもしれないし、明日かもしれない。
だから、 私は自分に問いかける。地震への備えは十分だろうかと。
大地震で生死を分けるのは、運・不運だけではない。また、自分で自分を守れない人がいることも忘れてはならない。私は、私自身と周りの大切な人たちの命を守りたい。
だから、 私は考える。今、地震が起きたら、とう行動しようかと。
不安の中の避難生活。けれどみんなが少しずっ我慢し、みんなが力を合わせれば必ず乗り
越えられる。
だから、 私は自分に言い聞かせる。周りのためにできることが私にも必ずあると。 東日本大震災から、私たちは多くのことを学んだ。頼みの行政も被災する。大地震から命
守り、困難を乗り越えるのは私たち自身。多くの犠牲者のためにも、このことを風化させてはならない。
だから、 私は次世代に伝える。自助・共助の大切さを。

>

そしてこの日の最後に、「横浜市 泉区役所」を訪ねた。
横浜市泉区和泉中央北5-1-1 。



「泉区 総合庁舎」。



「横浜市泉区の市制を司る存在である「横浜市 泉区役所」は、いずみ野駅を最寄駅とする
泉区総合庁舎に入っている。4階まであるフロアのうち、1階から3階までに区民からの申請・
届出を受け付ける各課の窓口があり、各種証明書を発行する戸籍課や、国民健康保険などの
申請を受け付ける保険年金課など、区民生活に密着した手続きを行う窓口は2階に集中している。
一部の窓口は、通常は休庁日である第2・第4土曜日の午前に限り、窓口を開けて申請を
受け付けている。」とネットから。



入口左の像。



「泉区制2 0周年記念モニュメント
この作品は、泉区制2 0周年を記念し、制作者のご好意と、泉区連合自治会町内会長会の
ご協力を得て、この地にモニュメントとして平成19年1月から設置しているものです。
作品名  アニマ(Animaー魂・精神・生命の意味)
作者   江田正盛(Masamori KODA)



館内に入る。人の姿は少なかった。



そして1階ロビー最奥の壁にあった書・「和」。



書「和」 金澤翔子氏揮毫。



そして、「泉区総合庁舎前」の交差点を渡り「いずみ野中央駅」へ向かい帰路に。



そして相鉄線に乗り、小田急線へと乗り換えて帰宅したのであった。



この日に歩数は「27,075歩」であった。




                                                                                        ・・・​ もどる ​・・・

                  ・・・​ つづく ​・・・






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Last updated  2021.05.25 16:19:55
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