JINさんの陽蜂農遠日記

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2021.04.03
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長後街道の「立場」交差点を渡り、「かまくらみち」を南下していくと左手に
「イトーヨーカドー 立場店」が現れた。
この手前が立場バスターミナルになっていた。



更に進むと右手にあったのが「和泉町第二公園」。
横浜市泉区和泉中央南1丁目4。



「伊勢山小学校入口」交差点を渡り振り返ると、交差点の角にある石碑が目に入り
横断歩道を戻ることに。



「かまくらみち」に立つ道標。
正面「東かし(かしを)とつか」と右面「北八(八王子)江戸」と読めた。




左面には「地蔵坐像」が。
そして道標の上には数珠が奉納されていた。



そして右に折れ進むと、民家の庭に初めて見る樹に黄緑色の花がたわわに。
樹の名前は何というのであろうか??
後日、学友から「シキミ(樒)」の花ではないかと。
お墓にお供えしてある葉っぱは知っていましたが名前が「シキミ(樒)」と言うことを
初めて知ったにでした。



ズームして。
花は細い10数枚の花弁からできていて淡い黄色がかかっていた。
この「シキミ(樒)」は古来から仏事に使われたので寺院に植栽されたりしますが、日本でも
各地に自然にあるらしい。

でているようです。
抹香くさいとかいう言葉があるけど、この木の香りに由来しているのだと。
一方で有毒の植物であると。有毒植物もガーデニングでは色々とありますけど、この花の毒性は
半端ではないようです。
この花の実は植物で唯一、毒物及び劇物取締法による劇物に指定されているのだと。

誤食すると量いかんでは死にいたるそうです。葉や花に触っても皮膚からの吸収はない
そうですが、気をつけたほうがよさそうです。
以上、ネットからの情報でした。



更にネット情報です。「なぜ樒をお供えするのか」
「それでは、なぜ仏教では樒をお供えすることが多いのでしょうか?
これには、先ほども見た樒の持つ特徴に加え、日本でもともと土葬が広く行われていたことと
深い関係があります。
土葬は文字通り故人のご遺体を土の中に埋めるという埋葬法ですが、昔は野犬などが土を
掘り返してご遺体を荒らすということも少なくありませんでした。
そこで、毒の成分を含む樒をご遺体の埋まっている場所の近くに植えることで、死体を
荒らされるということを防ぐようにしたのが、樒をお供えするようになった理由です。
加えて、樒は強い香りを発する特徴も持っており、その香りでご遺体の発する腐臭を
消すことにも用いられていました。
また、その香りはお線香の香りを彷彿させるものでもあるため、現代でもなおお線香の香料に
使われています。」と。
更に、樒は、猛毒をもつことから「悪しき実」と呼ばれ、「あしきみ」の「あ」が取れて、
「しきみ」と呼ばれるようになったと。
要は、樒は『仏事』に、榊は『神事』に用いられるのだと。
またまた勉強になりました。


    【http://i-iyokan.com/kawa/?author=1】より

しばらく南下して住宅街を進んで行くとY字路の角に2基の石碑が。
横浜市泉区和泉中央南1丁目。



和泉町大丸の道祖神。
左が地蔵尊。



左側の石碑は光背型地蔵菩薩立像・・1770(明和6)年 、
「現覚㳒師」、「相州鎌倉郡和泉村」の文字が。
頭部には梵字が刻まれていた。



こちらは角柱型双体道祖神塔、文化8年(1811)。



そして再び「かまくらみち」に向かって東に進むと左手にも石碑が二基。



いずれも「馬頭観世音」碑。
横浜市泉区和泉中央南1丁目35。
「馬頭観世音」は馬を含める家畜の安全と健康を祈る観音でもある。
昔、馬は武家にとっても農民にとっても生活にはなくてはならない動物であった。
農耕に活躍し、移動手段としてとても大切だった馬。旅の道中を守る観音として、路傍には
石の馬頭観音像が刻まれるようにもなったと。
人々の生活とは切っても切れない関係の家畜の象徴として、最も大切だった馬を掲げた観音さま
であるのだと。



右手の角柱型文字「馬頭観世音」塔、文化6年(1809)の文字が。



左側の駒型文字「馬頭観世音」塔 



そして再び「かまくらみち」に出た。



近くにあったのが「真宗大谷派 遊林寺」。



「この状況をウンザリ過ごすのかこの状況から大切な意味を見出すか」



「真宗大谷派 遊林寺」の山門。



駐車場側に廻ってみると民家の如し。



そして再び「谷戸川」に向かって進むと右手に神社が。



社殿は朱色ではなく純白であった。



そして「下和泉地区センター」の前まで歩くと石碑が並んでいた。
横浜市泉区和泉が丘1丁目26-1。



正面から。



右から、角柱型文字「庚申塔」



左面には天保13年(1842)の文字が。



角柱型「西国/坂東/秩父」百ヶ所供養塔。
西国三十三番・坂東三十三番・秩父三十四番計百か所の観音霊場の供養塔である。
江戸時代には、この百番巡拝を行う人があらわれてくる。百番巡拝を記念し供養した塔であると。



光背型「南無阿弥陀仏」塔・・1835(天保6)年
を通行する巡礼者や旅人の安全を願って建てられたと。



年角柱型文字「堅牢地神」塔。
春・秋の彼岸に一番近い「戌」の日を社日と言い、その日は、農耕を休み「地神さん」の
周りで祭礼を行った。地神塔(じじんとう・ちじんとう)も、大地の神・農業の神を祭った塔で
あり、春分・秋分の日に最も近い戊(つちのえ)の日に、田の神と山の神が交代するので、
農業の始まりと終わりであるという信仰から、鋤鍬を休ませて田畑を耕さないという。



「下和泉地区センター体育館」を左手に見ながら進む。



民家の角にあった「庚申塔」。
唐破風笠付角柱型庚申塔・・安永2年(1773)。



そしてここから東に向けて「深谷通信所跡地」へと歩を進めたのであった。


                              ・・・​ もどる ​・・・

                   ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2021.05.25 16:26:15
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