JINさんの陽蜂農遠日記

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2021.07.25
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カテゴリ: 鎌倉市歴史散歩
『​ 鎌倉散策 目次 ​』 👈リンク

「五所神社」の庚申塔群を堪能した後は、寺前の道を北上していくと、100mほどで
「来迎寺」入口に到着した。
鎌倉市材木座2丁目9−19。
鎌倉には「来迎寺」が二つあるのだが。もう一つは「来迎寺」。



寺号標「鎌倉十四番 子育観音 時宗来迎寺」。



「三浦大介義明公之墓」碑。



参道を進む。






    【http://niinuma.livedoor.biz/archives/51563664.html】より

「随我山 来迎寺(ずいがざん らいごうじ)」碑。



「本堂」。
1194年(建久5年)、源頼朝が三浦大介義明の菩提を弔うために建立した
真言宗の能蔵寺が始まり。藤沢にある遊行寺の末寺。
宗派 時宗
山号寺号 隋我山 能蔵院 来迎寺(ずいがさん のうぞういん らいこうじ)
創建 建久五年(1194)鎌倉時代
開山 音阿上人
本尊 阿弥陀三尊
鎌倉三十三観音霊場 第14番札所



鎌倉三十三観音 御詠歌。
「たちゐにも 念佛のこゑを たつねつゝ むかふる慈悲の ふかきみほとけ」。

鎌倉三十三観音 御詠歌

本堂の扉の隙間に向けて。しかし・・・・。



「南無阿弥陀佛」と書かれた位牌。



本堂内陣。

来迎寺|鎌倉材木座
       【http://raikouji.com/about.html】より

境内の「慈母観音」像。



「三浦大介義明公之墓」(右)と「多々良三郎重春公之墓」(左)。
「三浦義明(みうら よしあき)」は、平安時代末期の相模国三浦郡衣笠城の武将。

相模介・三浦義継の子。和田義盛、三浦義村の祖父。
治承4年(1180年)に義朝の遺児・源頼朝が挙兵すると、一族挙げてこれに合流しようと
居城の衣笠城を出撃する。しかし、途中で石橋山の戦いにおける頼朝の敗戦を聞き、引き返して
篭城。ほどなくして敵方に参加していた畠山重忠率いる軍勢と衣笠城合戦となり、一族郎党を
率いて奮戦する。だが、最終的には刀折れ矢尽き、義澄以下一族を安房に逃した後、独り

多々良三郎重春は義明の孫で石橋山の戦い/小坪合戦に敗れて17歳で戦死したと。



「三浦大介公家来之墓」が墓地の裏にあった。



「​ 時宗来迎寺縁起 ​」👈リンク。



来迎寺の44代目僧侶(先々代住職)、藤沢察静(ふじさわさっせい)の像。
「光栄なる世界最初の灸死行者」とあります。



来迎寺の44代目僧侶、「藤沢察静」の像。



境内の「三界萬霊塔」。



「動物供養塔」。



寺の裏の「三浦大介公 家来之墓」案内。



寺の裏手にあった「三浦大介公家来之墓」。
数え切れない数の五輪塔が並んでいた。
しかし良く見ると、完全な形の五輪塔は殆どなく、石を適宜積み重ねたものがほとんどであった。



中央にあった墓碑。



以前に頂いた「鎌倉三十三」観音霊場 第十四番 来迎寺」の「子育観世音」の御朱印。



そして次に、ここも久しぶりの訪問となった「長勝寺」へ。
鎌倉市材木座2丁目12−17。
入口の寺号標石「厄除開運 帝釈尊天 石井山 長勝寺」。



「山門」。



「長勝寺(ちょうしょうじ)
伊豆に配流されていた日蓮が鎌倉に戻り、この地にあった石井長勝の邸内に庵を結んだことが
当寺の発祥です。京都本圀寺の前身と伝えられており、日静の代、貞和元年(1345)に寺号が京
都に移った後、石井山長勝寺と号し今日に至ります。
境内の建物のうち、法華堂は県指定重要文化財。室町時代末期の造営と推定されています。また、
日蓮大聖人の銅像は、鎌倉辻説法を写しています。
毎年2月11日には、國祷会といわれる厳しい寒さの中で冷水を浴びる荒行が行われます。
  ● 宗  派:日蓮宗
  ● 山号寺号:石井山長勝寺
  ● 創  建:弘長3年 (1263)
  ● 開  山:日蓮大聖人
  ● 開  基:石井長勝
写真は、日蓮大聖人像と四天王像」



題目塔「南無妙法蓮華経」。



「山門」を潜り緑あふれる境内へ。



参道の左手には多くの石仏が。



聖観音菩薩像。



近づいて。



ここにも。



(株)日章製作所の文字が。



これも。



その裏にも稚児を抱く石仏も。



大きな台座に乗って。



「過去遠々劫⽾法界墓塚之萬霊位」碑。



この参道は聖観音菩薩像の銀座通りの如し。



「真白き富士の嶺」碑。
下部には歌詞が。
真白き富士の嶺、緑の江の島
仰ぎ見るも、今は涙
歸らぬ十二の雄々しきみたまに
捧げまつる、胸と心

ボートは沈みぬ、千尋(ちひろ)の海原(うなばら)
風も浪も小(ち)さき腕(かいな)に
力も尽き果て、呼ぶ名は父母
恨みは深し、七里ヶ浜辺

み雪は咽びぬ、風さえ騒ぎて
月も星も、影を潜め
みたまよ何処に迷いておわすか
歸れ早く、母の胸に

作詞者: 三角錫子(みすみ・すずこ、1872年 - 1921年)
作詞当時、系列校である鎌倉女学校(現・鎌倉女学院)の教師だった。




「吉良上野介義央公」の五輪塔 とのこと。

「吉良上野介義央公」の五輪塔。

石祠の中に二体の石仏が。



「地蔵菩薩像」。



タイサンボクの大きな木。花も咲いていた。



左手に六地蔵。



地蔵菩薩立像。
左手に幼子を抱えていた。水子地蔵尊であろうか。



そして桜の木の奥正面に「本堂」、その手前に「 日蓮 聖人像」さらに周りには、
仏教における4人の守護神である「 四天王 像」の姿が。



右手にあったのが「水行の場」。



「一道清浄」の文字が。
「弘法大師」の言葉に「一道清浄妙蓮不染(いちどうしょうじょうみょうれんふぜん)」とあると。
「仏さまの道(一道)は、清らかで妙なる蓮の花のように汚れに染まることはない。
私たちの心もまた本来清らかなものである。」と。



「水行」の姿をネットから。


     【https://ameblo.jp/kmkrlog/entry-12574814711.html】より


                              ・・・もどる・・・


                  ・・・つづく・・・





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Last updated  2022.05.19 16:03:03
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