JINさんの陽蜂農遠日記

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2021.11.21
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カテゴリ: 海老名市歴史散歩
【海老名市歴史散歩】 目次

「相模大堰管理橋」を後にして、東に進むと前方にJR相模線の踏切が現れた。



路地の角には「道祖神」碑があった。



「新道踏切」を渡ると左手・JR厚木駅方面に見えたのが「海老名ジャンクション(JCT)」。
海老名JCTは、東名高速道路と首都圏中央連絡自動車道(圏央道)を結ぶジャンクションである。



茅ケ崎方面を見ると踏切の横にあったのが「JR社家駅」。
「少なくとも江戸時代には高座郡社家村が成立しているので これ以前にはこの名前があった
ものと思われます。
調べてみると社家(しゃけ)とは、日本の身分のひとつ。代々特定神社の神職を世襲してきた
家(氏族)のことである。

「社家町(しゃけまち)」と呼ばれた。」ネットより。
近くには、この日に訪ねた「三島神社」があったが・・・それとも寒川神社?。



「社家駅入口」交差点を左折して北に進む。
正面を横断しているのが「東名高速道路」。



その場所が「社家高架橋」。



「東名高速道路」下り線から「圏央道」八王子方面への連絡道が上部に。



「海老名JCT」下を通過すると正面の路地の角には「火の見櫓」が姿を現した。



「火の見櫓」の下に「浄土真宗大谷派 清谷山 法閑寺(ほうかんじ)」の案内板があった。



案内に従って100m程進むと正面に「法閑寺」が。



「真宗大谷派」。



「法閑寺」。




「清谷山 華臺院 法閑寺」
法閑寺は、祐信(延宝3年1675年寂)が開山したと。
本尊は阿弥陀如来像
海老名市社家2998。



掲示板には
「人生思い通りにならないことばかり。そのことが私に大切なことを気づかせてくれる」。



「本堂建立記念碑
本寺院は永禄十一年(一五六八年)釈祐寿の開基にして、関東大震災後大正十三年に再建した
本堂も四十余年の歳月に破損甚だしく住職私財を以て庫裡を南方に寄せ新築すると○○○がる
本堂を再建しようとの声が〇〇としておこり四十五年八月十○○○の建設委員を選出して
九百万で瓦葺四十ニ坪の本堂が河原口小林材木店に依頼し雑費併せて一千二百五十万円の目標
割当額と決して再建の賛同を得ることが出来ました。工事は四十六年四月より始まり六月五日に
上棟式を行い十一月の中旬には全く完成を見ることができました。ついで仏具の修理、参道の
整備も完了し名実共に新なる寺院の出現がなりました。四十七年四月十九日東京○○所長の
臨席を仰ぎ落慶法要を盛大に執行し七十余名の稚児行列のもとに部落をあげての行事となり
ました。これ信仰のもとづく所五十余戸の壇徒の献身的努力の賜ものの結果でありここに
その業を永久に伝える。 
昭和四十七年十月吉日 十月吉日 十五世住職 大住真澄」



「墓地整備記念碑銘
一望千里の丘や台地に墓所を定めることはわたくしたちの祖先以来の習慣であった。平安時代に
山岳佛教が興るに及んで「俗界を離れし山岳こそ御魂とどまる場所なれ」と感じ都塵を去る地に
多く終焉の地を求めるようになった当山十四世住職この精神に則り墓地に植林八十余年を経て
うっそうたる森林を呈するようになった時代の変化は陽光さんさんと映える平地こそ永眠の
地なりと墓地改修を切望する声高まり数度に亘る檀徒総会を開き整理委員を選出し三十余戸の
檀徒一丸となり巨木の伐採開墾、ブロック塀の建設と一ヶ月有余の日月をついやし延べ人員
二百五十人寄付金弐拾万円を以って近代的墓地の出現をみるにいたった。これ一えに信仰の
いたすところ数少ない門徒の献身的労力きよ金により此の事業の完成をみたのである。ここに
これを記念し碑を建てその業を永久に残す。
昭和三十八年三月二十一日 当山住職 大住眞澄」



境内の「萬霊塔」。



「英霊供養碑」。
六名の戒名が刻まれていた。



山門前から境内を振り返る。



「海老名JCT」方面に戻り、「法閑寺」の北側にあった「明窓寺」に向かって進む。



「真宗大谷派 明窓寺(みょうそうじ)」が前方に。



「明窓寺」の「山門」。



寺号標石「真宗大谷派 光室山 明窓寺」。



「真宗大谷派」



「光室山 明窓寺」。



「本堂」。
「光室山 旭登院 明窓寺」。
明窓寺の創建年代等は不詳ながら、捧珍(慶長18年1613年寂)が中興したと。
本尊は阿弥陀如来像。
海老名市社家3377。



扁額「光室山」。



「本堂」前の天水桶。
紋は剣梅鉢(けんうめばち)、寺紋であろうか。



掲示板には「自分こそ絶対に正しい 誰もがそう思っている しかしこれ人間の
最大の欠点なり」と。



「殉國」碑。
十二名の戒名が刻まれていた。



「愛玩動物合墓」



「倶會一処(くえいっしょ)」碑。
「倶會一処」とは「倶(とも)に一つ処(ところ)に会う」という意味である。ただし仏教では
「極楽浄土に往生して人びとと一カ所に集う」という意味で使われている言葉で、浄土教の
根本聖典である浄土三部経の一つである阿弥陀経に典拠がある。
現在、浄土真宗系の墓や共同墓に刻まれていることが多いようである。



「境内」を振り返る。



屋根の紋は真宗大谷派の宗紋・八藤紋と学友から。



そして次に「三島社」に向かう。
「宇治山」交差点を左折する。



                              ・・・​ もどる ​・・・


                  ・・・​ つづく ​・・・






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Last updated  2022.05.18 19:07:20
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