JINさんの陽蜂農遠日記

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2021.11.25
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カテゴリ: 海老名市歴史散歩
【海老名市歴史散歩】 目次

海老名市杉久保北4丁目2の住宅街を東に進む。



そして前方に前回訪ねた「杉久保富谷横穴墓群」があった「杉久保富谷児童公園」が見えて来た。



「杉久保富谷児童公園」の角を左に曲がり更に東に進むと左手に「海老名市消防団 第10分団」の
建物があった。



シャッターには「非常用飲料水」や「災害対応型自販機」、「防災倉庫」の場所を見える化した
「防災マップ」が描かれていました。



相鉄バス「杉久保住宅」バス停前を通過。



「海上自衛隊 厚木航空基地」への着陸態勢の海上自衛隊機の姿が上空に。



そして「かぶき場の坂」手前の路地まで進む。







「かぶき場の坂」案内柱。



「坂を上がった南側の斜面が「かぶき場」と呼ばれており、そこへ上がる坂であるため
この名がついたと考えられます。「かぶき」は、傾くという意味の「かぶく」が訛り
かぶきになったといわれています。」



坂を上がった南側の斜面が「かぶき場」。



一面にキャベツ畑が拡がっていた。



そして「神奈川県立かながわ農業アカデミー」の敷地内を歩く。

人事院規則により、生産技術科は卒業時に短期大学2年卒相当の 資格を得られるのだと。



直売所にもなっている建物。「情熱直売所」の文字が。



そしてこちらが「神奈川県立かながわ農業アカデミー」の正門。



「神奈川県立かながわ農業アカデミー」。



「地の利えて 館構えた 遠馬氏」
縄文時代早期の落とし穴状土坑と炉穴、弥生時代の環濠の一部とされる溝状遺構と方形周溝墓の
溝が発掘調査により出土した。
環濠と推定される溝からは、深鉢と壷の合口土器棺が発見されている。
出土した土器の年代等から
弥生時代中期と考えられている。
かながわ農業アカデミーの敷地内に渋谷一族の遠馬氏が館を構え、遠馬城があったと伝えられて
いるが、発掘調査などでは今のところ見つかっていない と。



次の目的地の「有馬のはるにれ」に向かって県道406号線・吉岡海老名線を南に進む。
この道路沿いは、産廃物の中間処理・リサイクル工場が左右に並んでいた。



ひたすら前方に向けて歩いたのであった。



途中、右手にあったのが「社会福祉法人中心会 えびな南高齢者施設」。
7施設の老人ホームを展開する社会福祉法人 中心会が運営する2000年4月1日に開設された
定員45名の特別養護老人ホームであると。



隣に「社会福祉法人星谷会 星谷学園」。
知的障害者支援施設であると。
いずれも立派な建物が並ぶ。



そして右側に大きな石碑があった。
「驢庵半井瑞壽館阯之碑」。



「有馬のはるにれ」。
海老名市本郷3881。



この碑には「名木 なんぢやもんぢや」と。
裏側には「昭和十一年十二月建立」、「有馬村史蹟保存協会」と。



郷土かるた 「な」
「なんじゃもんじゃ そびえる 驢庵屋敷跡」。
江戸時代の御典医・半井驢庵(なからいろあん)が朝鮮半島から持ち帰り、屋敷の門の両側に
植樹されたうちの一本と伝えられ、樹齢は300年以上と考えられています。
当時ハルニレは大変珍しい木であったため、木の名前がわからず「なんじゃもんじゃ」の木と
呼ばれるようになったといわれています。



「県指定天然記念物 有馬のはるにれ」
和名:ハルニレ(ニレ科)
このハルニレは、徳川幕府の御典医であった半井驢庵が、寛永年間にこの地に構えた屋敷内に
あったと伝えられています。
樹種がわからなかったので「なんじゃもんじゃ」と呼ばれ、親しまれてきました。
昭和59年1 2月には「かながわの名木1 OO選」に選定されている。
樹高   1 5メートル   胸高周囲   8.6メートル
樹齢   約350年以上(推定)
ハルニレは北海道から九州の夏緑林帯に分布する落葉高木である。
樹高45メートル、胸高周囲8メートル、樹齢約600年に達するものもあると言われている。」



多くの支柱に支えられていた。
そして幹の下部は腐食した部分を切り取って殺菌した後、木の表面をコーティングし、治療されて
木が枯れるのを防いでいた。



そしてIphoneの道案内に素直に従い畦道を進む。



イノシシが出てきそうな道を案内され進む。



畑にポツンとあった「道祖神」碑。
海老名市杉久保南4丁目27付近。



レタス畑であろうか穴空きマルチに一面に。



そして路地の角にあった「椿地蔵尊」に到着。
海老名市杉久保南2丁目6−12。



「椿地蔵尊
供養日 秋季彼岸中日
祈願成就
●子授  ●安産
●子育  ●進学
●家内安全
夫婦仲よく良い子は育つ
母が拝めば子も拝む
拝む心の美しさ
久光山善教寺」



「史跡 玉椿地蔵」碑。
手前には何故か首を落とされた地蔵尊が並べられ、この世の無常を全身で代弁しているかの
ようであった。



「玉椿地蔵由緒」碑。



「時恰も(あたかも)元禄の初め、きさらぎの風荒むここ杉久保村、千 躰寺門前に
母娘づれが通りかかり 突如娘が傍の大松の根本に病の為立ちすくんだ母御の
驚きと焦りは譬えようなく、伝え聞いて里人達が馳せつけ 共々介抱に手を尽くしたが
その甲斐なく、夕闇迫る頃遂に帰らぬ旅路の人となった。居合わせた者の助力を得 亡骸を
寺内に移し通夜が営まれる。江戸の屋敷にニ人だけの侘び住まいと云うのみで母なる人も
他は多くを語らなかったが高雅な気品を備えた人柄がそれとなく誰にもしのばれた 
曽て御殿勤めのおり 知遇を受けた将軍家の侍医半井驢庵を頼り この所まで来た途上の出来事と
知れた花なら蕾、寄る辺なき僻地に於て、あたら無常の風に誘われた妙齢の見目美しき可憐な
顔ばせは 並居る人の眼裏に強く焼きつき香煙供花の絶える事なき幾日か続いた たまたま
供えし一枝が根付き成木したのが現在の椿である。
以来幾星霜 この悲運の乙女心を心として咲くを待たずに落ち尽くす 唇に僅か紅を綻ばせ 
はかなく地に帰る この事実を常の習わしとして今に及んでいる。」





石碑の前に祈りの石仏。



「椿地蔵のツバキ
椿地蔵のツバキは、樹高4・5メートル、言い伝えによれぼ樹齢約三百年。この木は、つぼみが
ふくらんで色づきますが、遺伝子的な理由からか、っぽみのまま落ちてしまうので、「玉椿」と
呼ばれています。この木には、次のような話が伝わっています。
今から三百年ほど前のこと。さる武家の母娘が、娘の長患いを治してもらうため、江戸から当地に
滞在する名医半井驢庵を訪ねてきました。しかしその途中、杉久保にあった千躰寺の前を通り
かかったときに、娘が苦しみ出し、村人や母の介抱のかいなく、亡くなってしまいました。
不憫に思った村人は、娘を手厚く弔って地蔵堂を建て、椿を供えました。
やがて、その一枝が根付いて成長しましたが、不思議な事に、椿はつぼみを持つのに花が
咲きまん。村人たちは、若くして花咲くこともなく亡くなった娘の霊が乗り移ったのだろう、と
話し合いました。
この話は、海老名のむかしばなしとして、広く市民に親しまています。」



「椿地蔵のツバキ」。



「椿地蔵堂」。



「椿地蔵尊」。



そして近くには相鉄バス「椿地蔵」バス停があった。



                              ・・・もどる・・・


                  ・・・つづく・・・





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Last updated  2022.05.18 19:10:30
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