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旧海軍の浄水場として創設されたが、第2次大戦後、旧軍港転換法により横須賀市に
無償譲渡され、数次の拡張事業などを経て、現在は、日量73,900m3の水道水を造り出す
ことができる浄水場。
有馬浄水場は、相模川の表流水を水源として、約2km離れた社家の相模大堰から取水し、
浄水した水を約29km離れた横須賀市内まで送水している。
有馬浄水場では、粒状活性炭を用いた高度浄水処理を採用し、急速ろ過方式により
浄水処理を行っている。
有馬浄水場の敷地面積は46,500平方メートルで、沈でん池、活性炭吸着池、ろ過池、
調整池、天日乾燥床などの施設を配し、これらの施設の運転について管理本館内の
中央管理室で24時間常に集中管理するとともに、浄水工程や水源の水質検査なども
有馬浄水場で行われている。
また、有馬浄水場では、神奈川県内広域水道企業団が持つ浄水場のうち、酒匂川を水源と
する伊勢原浄水場で浄水された水を受水し、有馬浄水場で浄水した水とあわせて
横須賀市内まで送水しているのだと。
門は閉まっていた。
門の脇には横型ポンプが展示されていた。
「管理棟」。
上空から見た「有馬浄水場」。
そして「有馬浄水場」の脇の道を西に進む。
左手に「海老名市立有馬中学校」
海老名市本郷4601。
その隣に「海老名市立有馬小学校」
海老名市中河内1784。
突き当りを左折して進むと左手に「吾妻坂」案内柱があった。
むかし、この坂修復工事の際、仏像が掘り出され今も近くの本覚寺に安置されています。
この寺の山号を吾妻山ということから、この名がつけられたようです。
また別名「泣き別れ坂」ともいわれ、悲しい歴史を持つ坂でもあります。
その手前にあった石碑群。
「泣き別れ坂」にあった石仏には言い伝えがあるとのことだが・・・。
石碑には「・・・神位」とあるが解読不能。供養塔のようであるが。
そして「吾妻坂」を下って行くと右手奥にあったのが「貴日土(きびと)神社」。
「貴日土神社」の参道を進む。
「鳥居移築」碑。
「大東亜戦争陣地構築の廃土 基礎埋没につき移築改修」と。
狛犬(阿形像(右))。
狛犬(吽形像(左))。
石鳥居を潜る。
右手奥にあったのが「御獄大神」。
小さな「社殿」。
境内の左手に「中河内自治会館」が。
「拝殿」。
明治8(1875)年10月に、中河内村内の弁財天・稲荷・金比羅の3社を合祀して創建されました。
神体は丸石です。
社殿は、金比羅社(旧河内村の鎮守)の本殿を充当したものといわれています。
境内に文久2(1862)年8月に、佐藤八左衛門が寄進した手水鉢がありますが、これは合祀以前の
3社のいずれかのものと思われます。トタン屋根の社殿であった。
「貴日土(きびつ)」の社名は、中河内村の寺子屋の師匠植田佐兵衛が、農業にとって大切な
「日を貴び、土を貴ぶ」という意味で名づけたといわれています。明治24年に改築されています。
また、境内には武州御嶽大神を祀った社があります。
「 貴日土神社
所在地 海老名市中河内一七四三番地
祭神 稲荷社(宇気母知命・倉稲魂命) 享保六年辛丑十一月、勧請。
厳島大神(市岐島姫命) 宝暦六年丙子九月、相殿。
琴平宮(大物主命) 秋葉大神(火之迦具土神) 東照宮(徳川家康) 文化十三年三月。
山王宮(日枝大神・大山咋命) 文化十三年丙子相殿。
明治八年十月合併、貴日土神社と改称。明治二十四年九月、改築。
明治二十七年八月、台風により倒壊・復元。
昭和五年四月、改築現在に至る。
境内神社 御嶽大神(日本武命) 武州御獄山を勧請」
境内の石碑群。
境内から大山を見る。
富士山の姿も。
丹沢山塊の東端、宮ヶ瀬ダムの東側に聳える山々であろうか?
「馬頭観世音」碑。
「自然と歴史のさんぽみち」
ここは「貴日土(きびと)神社」。
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