JINさんの陽蜂農遠日記

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2022.01.14
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カテゴリ: JINさんの農園
『吾妻山公園の由来』碑とその後方に白き富士山の姿が。

相模路の淘綾の濱の眞砂なす 児らは愛しく思はるるかも
 (さがむじの よろぎのはまの まさごなす こらはかなしく おもはるるかも)
 (萬葉集 巻十四 東歌)
万葉の昔から 淘綾の里 二宮の美しい海浜と それを眼下に一望できる吾妻山は人々の
ふるさとでありました
しかし 第二次世界大戦後の激動する社会情勢の中で 山は顧みられることもなく 次第に
荒廃が進んでいきました  町はこれを深く憂え 子孫に誇れる山として残したいと思い 
地権者六十五名の協力と五年の歳月をかけて整備し  昭和六十二年七月十八日に吾妻山公園

現在では 健康づくりと自然とふれあう やすらぎの場として人々に喜ばれています
この公園は 名誉町民 第十七代柳川賢二町長の尽力により完成しました。
この碑は 公園開園五周年を記念し 柳川賢二顕彰会の有志の寄付により建立されました」



相模路(さがむじ)の 淘綾(よろぎ)の浜の 真砂(まなご)なす 
児らは愛(かな)しく 思はるるかも』の歌碑。(万葉集 第十四巻 東歌)
「相模の淘綾(よろぎ)の浜の美しい砂のように、あの娘が可愛く思われることです。」
淘綾(よろぎ)の浜とは、神奈川県の国府津から東へ、大磯にかけての海岸のことで、
現在は「こゆるぎの浜」と呼ばれているのだと。「吾妻山の名は、中腹に吾妻神社があることからこう呼ばれています。
吾妻神社の主神は弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと)で日本武尊(やまとたけるのみこと)が配祀(はいし)されています
伝承では、日本武尊が東征の途中、三浦半島の走水から海路上総に渡る際、突然海が荒れたため、妻である弟橘媛命が 海神の怒りを静めるため、夫の武運を祈願しながら海中に身を投じると、たちまち海は穏やかになりました。
7日後に命の櫛が海辺に流れつき、これを埋めて墓とし、又磯辺に漂う命の小袖を取り上げて

日本武尊は東征の帰路、この地の峠ではるか東方の海をながめ、海路を開くために犠牲になって
くれた妻を偲んで「吾妻はや」(ああ、わが妻よ)と嘆かれたと云ういうことから吾妻神社の
名がつき、小袖が漂着した海岸を袖ヶ浦と云うようになりました。
このような由来から、縁結びの御利益もあるようです。」とネットから。



「真白き富士の嶺」の勇姿。




この時は、富士山周辺では、西風が強いようで、次々と白い雲が出来て、富士山を覆って
行くのであった。



大山の勇姿。大山には雪な全く無く。



丹沢の山々。
右から塔ノ岳(1491m)、檜洞丸(1601m)、御正体山(1682m)。



「吾妻山公園山頂からの眺望」。



再び富士山を追う。



ズームして。



更に。
手前の山は「矢倉岳」。
足柄山地の独立峰的な山であるため360度の眺望があり、富士山、金時山や明神ヶ岳などの
箱根山地の山々、丹沢山地、相模湾などを望むことができる。
「矢倉岳」と「金時山」の鞍部にある足柄峠を越える旅人を見張る櫓(やぐら)のような
山容をしていることから、「矢倉岳」と呼ばれるようになったといわれている。



国府津、鴨宮、小田原の町並みと相模湾、そして伊豆半島。



相模湾を望む。
黄色く色づいた菜の花が一際目を引き、一足早く春を感じられるのであった。



右から、明神ヶ岳(924m)、明星ヶ岳(1169m)、神山(1438m)、駒ケ岳(1357m)、
二子山(1091m、1065m)。
ここにも雪はなく。



次第に富士山の雲は多くなって。



菜の花をズームで。
「春といえば?」と聞かれたら「菜の花」というキーワードが必ず出てくるほど、日本の春を
表すものとしてポピュラーな菜の花。



富士山の左の山が「金時山(1213m)」。



その左に。



展望台を振り返る。



一般的に「菜の花」と呼ばれるのはアブラナが美しい花をつけたときの状態。
アブラナは、日本では古くから野菜として、また油を採取するために栽培されてきた作物。
実はアブラナは、その成長過程で名前が変わるのだ。
・若い葉を食用とするとき→アオナ
・花をつけているとき→ナノハナ
・花のあとに種子ができたとき→ナタネ
食用、鑑賞用、灯油の原料として、昔から日本人の生活に密着していたといえるのであろう。
ミツバチの姿は今年も確認できなかった。



南側にある四阿(あずまや)。



再び円形の「吾妻山展望台」方向を見る。



次第にズームして。



更に。



菜の花は多くの文学作品にも登場する。たとえば、山村暮鳥(やまむらぼちょう)の
有名な詩の中で「いちめんのなのはな」という、フレーズをひたすら繰り返す詩がある。
一つの詩の中で24回も「いちめんのなのはな」と繰り返すことによって、読み手の目の前に
菜の花畑を再現させるという手法で、読者の心をつかむのだと。
風景 純銀もざいく 山村暮鳥
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
かすかなるむぎぶえ
いちめんのなのはな

いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
ひばりのおしやべり
いちめんのなのはな

いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
いちめんのなのはな
やめるはひるのつき
いちめんのなのはな

やめるはひるのつき 」の意味は??



また、俳句では春の季語で、与謝蕪村(よさぶそん)が「 菜の花や月は東に日は西に 」など、
いくつもの歌を詠んでいる。かつては全国の農村に菜の花畑があり、春になると圧倒的な風景が
見られたのだ。蕪村の名句はそういう状況で生まれたんだとか。







桜と菜の花のコラボをこの場所で同時に見る方法は?
桜の木を河津桜に変え、菜の花を遅咲きにかえることか? と我儘にも!!



小田原市街地をズームで。



「小田原城」の天守閣の姿も確認できた。



小田原海岸。
小田原市小八幡2丁目付近であろう。



芝生広場の「エノキ」には「ヤドリギ」も。



富士山は完全に白き雲で覆われてしまった。



パノラマモードで相模湾そして箱根の山々~伊豆半島を。​



                              ・・・​ もどる ​・・・


                  ・・・​ つづく ・・・





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Last updated  2022.01.14 22:05:04
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