JINさんの陽蜂農遠日記

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2022.02.13
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カテゴリ: 国内旅行
熱海・糸川桜前に到着し、熱海市営第1親水公園駐車場に車を駐め散策開始する。
国道135号に架かる「熱海渚橋」を見る。円形のサイトグラスのある小さな白い橋。



そしてこの日の 「第12回あたみ桜 糸川桜まつり」の糸川沿いの糸川遊歩道の散策を始める。



今年の「第12回あたみ桜糸川桜まつり」と「第78回熱海梅園梅まつり」のポスター。



八分咲きのいとかわ桜が青空に映えて。
「あたみ桜」は、明治初期にイタリア人の手によってレモンやナツメヤシと共に、熱海に
伝わったと言われている。開花時期が非常に早いのが特徴で、沖縄のカンヒザクラ(寒緋桜)と
ほぼ同時期の1月に開花することから、早咲きの桜として親しまれ、それを目当てに熱海を
訪れる観光客もたくさんいるとのことであるが今年もオミクロンコロナ禍で・・・・!?。

少し早い春を感じさせてくれるのであるが。



「熱海渚橋」の横にあったのが「渚歩道橋」。



上流に向かって右側の遊歩道を進む。



あたみ桜の開花時期は、例年1月から2月上旬。1つの枝に早期開花の芽と後期開花の芽の2種類を
形成するため、開花期間が非常に長いのも、あたみ桜の特徴。
一般的な桜が1~2週間で散ってしまうところ、あたみ桜は1カ月以上も咲き続けるので
美しい桜を長く楽しめるのだ。



前方に見えてきたのが、「渚橋」。 大きな波の姿か欄干に。



糸川の上流に向かって渚橋→ 柳橋→ 糸川橋 → 桜橋→ ドラゴン橋→ 新柳橋→ 御成橋 と
デザインがそれぞれ異なる橋が姿を現すのであった。
渚橋から下流側を振り返る。







そして多くの「メジロ」の姿が。
メジロはその名前の通り、目の周りが白く、縁取られていることが特徴。
オスとメスで色味に大きな違いはないが、オスの場合はお腹に黄色の線が入っているのだと。



桜の蜜を採食中の「メジロ」。
目の周りが白く、縁取られていることが解るのであった。







前方「糸川橋」の袂に満開となった「糸川あたみ桜 基準木」が。



「糸川あたみ桜 基準木」案内板。



「あたみ桜
「あたみ桜」は、明治4年(1871年)頃イタリア人によって、熱海にもたらされたと
伝えられています。その後、先人たちの努力によって殖やされ、現在では市内各所に
植栽されています。
「あたみ桜」の品種のルーツは、沖縄原産のカンヒザクラと関西以西の暖地帯に自然分布する
ヤマザクラとの自然雑種であり、開花期は1月で沖縄のカンヒザクラと並んで日本で最も早く
花が咲きます。また、ひとつの枝に早期に開花する花芽と後期に咲く花芽が形成されるため、
開花期間が1ヶ月以上と長いのが特徴です。(一般的な桜の開花期間は1 ~ 2週間)
市制40周年にあたる昭和52年4月には、「市の木」に制定されました。」



近寄って。
「糸川あたみ桜 基準木」案内柱もあった。



熱海桜」碑。



赤いブーゲンビリアの花も。



更に遊歩道を進む。朝早いこともあり、人の姿は少なく。



青空に映えるあたみ桜。



石のベンチは草木に覆われていた。



左手に「桜橋」。



「坪内逍遥」の歌碑が左手に。



ちかき山 ゆきはふれゝと 常春日 あたみのさとに ゆけたちわたる  せいえう
熱海をこよなく愛した坪内逍遥は、明治四十五年春ここ糸川べり荒宿に、別荘を新築した。
やがて時移りこの地も栄え、夜ごとのざわめきを避けて、大正九年水口に移り双柿舎を営み、
ひたすら文筆に明け暮れ、昭和十年、七十七歳の多彩多難な生涯を終えた。
シェークスピアの完訳をはじめ、小説「当世書生気質」戯曲「桐一葉」「役の行者」
舞踊「新曲浦島」「お夏狂乱」等の名作を世に送り、劇文壇、さらに
早稲田大学文科の創設など教育面にも多くの先駆的な足跡を残した。
ここに先生の熱海を詠まれた歌一首を刻して、先生の敬慕のよすがとした。」


亀とマンボウのオブジェ。上部は波の姿が。



鈴なりの花。



「大塚実氏顕彰記念碑
この糸川遊歩道は、海と市街地を結ぶ「歩いて楽しめる散策ルート」として整備を
進めてまいりました。
この度、熱海梅園の改修計画へ私財を提供された熱海由縁の篤志家大塚実氏の協力を
得て日本で最も早く咲く「あたみ桜」に統一し梅と同じ時期に開花する、常春熱海
ならではの桜並木となりました。
ここに糸川遊歩道を再生させた大塚実氏へ心からの感謝の意を表すとともに、市街地内の
憩いの場として多くの市民や観光客に利用される施設となるように、この遊歩道を永く
守り育んでゆくことを誓います。」



そして次に「ドラゴン橋」に。
糸川遊歩道に架かる橋の中でも、一番人気の橋のようだ。



欄干がドラゴンの骨格のように。



そして「新柳橋」。



「新柳橋」の欄干のモニュメントには揺らめく柳の葉の姿が。



前方のベンチにはタコの姿が。



タコがのんびりと日向ぼっこ。



再び「メジロ」を追う。



ズームして。



​「 メジロの鳴き声 」👈リンク ​も賑やかに。



そして「御成橋」に到着。



「御成橋」の名は、家康公が熱海を訪れた際、この橋を通って「御成り」になったことに

由来し、橋には家康公が詠んだとされる句が刻まれていた。



「春の夜の 夢さへ波の 枕哉」。 



徳川家康熱海入湯句碑
「春の夜の 夢さへ波の 枕哉」 
慶長9年3月3日 徳川家康。
「春の夜は短くすぐ明けてしまうのにそのはかない夢にもこの地・熱海の波が現れて来たのだ」か。
慶長9年(1604年)3月、家康は2人の子供、義直、頼宣を連れて熱海に7日間滞在、
本陣今井半太夫の湯亭に逗留した。関ヶ原合戦前の慶長2年(1597年)3月にも訪れ、
熱海の湯で天下取りへ心身の疲れを癒した。計2度訪れたと。



そして対岸の遊歩道を海に向かって引き返す。
ヒラメのモニュメント。



ブーゲンビリアとのコラボ。



ズームして。



ブーゲンビリアの花も負けじと濃いピンクの花を。



再び「新柳橋」を見る。



シャコガイの先にワタリガニ?が。



ワタリガニ。



マンボー。



糸川には白き鳥が羽を休めていた。



熱海桜をズームして。



「静岡県都市景観賞 優秀賞 糸川遊歩道」。



ドラゴン橋のドラゴンの姿。




できる。デザインは当時の市職員たちが話し合い、「話題になるようなものにしよう」と
決まった。糸川地区とドラゴンに深い関わりがあるわけではなかったという。
完成当時、斬新なデザインが地元で話題になった。その後、富士フイルムのテレビ
コマーシャルのロケ地になり、知名度はさらに上がった。鈴木さんは「アイドルがドラゴンの
口に頭を近づけて写真を撮る様子が印象に残っている。今で言う『映える』場所だった」と笑う。
かつて赤線地区だった一帯のイメージを変えたかった」と ネット情報から。



                              ・・・​ もどる ​・・・

                   ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2022.02.13 06:53:31
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