JINさんの陽蜂農遠日記

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2022.02.21
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カテゴリ: 国内旅行
「毘沙門堂」を後にして次に訪ねたのが「伊豆滝山不動堂」。
 静岡県伊豆の国市韮山山木。



「伊豆滝山不動」案内板。



源平合戦端緒の地
治承四年七月十七日、源頼朝は山木目代平兼隆を夜襲しこの山木の地で源平合戦の火蓋が
きられた。
これに先立ち、この滝山不動で、平家の流人文覚上人と頼朝が、平家追討の策謀を練ったと
伝えられる。



「伊豆滝山不動」案内板。



「伊豆滝山不動
名称 伊豆滝山不動明王(別名 旗揚不動・呼止不動)
堂宇 本堂・奥の院
名所 不動の滝(高さ十八M)、文覚上人の隠れ穴
本尊   不動三尊像(不動明王・矜羯童子・制吐童子)
由来 不動明王は大日如来の使者で、衆生を救うための仮の姿とされる。慣怒の相をし、手には
   三鈷剣と羂索を持ち迦楼羅の焔という火炎を背員う。本不動明王の由来は詳らかではないが、
   石造物や伝承から江戸時代中期までは遡れる。
奥の院の下には、鎌倉時代の僧、文覚が隠れたとされる洞窟があり、文覚がここで、
   源頼朝に平家打倒を勧めたとの謂れから、旗揚不動とも呼ばれている。また、この洞窟は
   文覚が配流されていた奈古谷の毘沙門堂へつながっていると言い伝えられている。
   このように、中世には既に祀られてあり、古くは修験者の震場として知られていたと
   推察できる。
   堂内の奉納物などからは、地元をはじめ近郷近在の人々を護ってくれる不動として、
   江戸時代から大変栄えていたことが窺えます。」



素朴な冠木門を進んで行った。



参道を進む。



「奉納 滝山不動明王」碑、「滝山大不動明王」案内板。







「奉納 滝山水神
由来
当山最古の様なり 現在の滝壺の◯◯近にあり 再度の台風水害により流失此の水神様の神勅に
基き昭和五十六年二月四日現在地に再建神祭す」



参道横には「蠟梅」の花が満開状態。



こちらの蠟梅は鮮やかな黄色の花が。



そして左手にあったのが「滝山不動堂」の「本堂」。



内陣。
平家の流人文覚上人と頼朝が平家追討の策謀をこの場所でも練ったのであろうか?
本堂(不動堂)には、源頼朝が文覚とともに祈願崇拝した不動明王(旗挙不動明王)が
安置されているとのことであったが、御開帳されていなかった。




奥の院、不動の滝を訪ねる事とした。
巨岩の転がる中に出来た狭い参道を慎重に上って行った。



雨の日は極めて危険な場所となるのは確実。



奥の院へ向かう参道は、巨岩をぬって山の上へと続いていた。
落石がないことを祈るのみ の心境で上って行った。




ステンレス製の鳥居の先に小さな石祠があった。



「奉納 滝山明神」碑。



洞窟の如き場所に、石蓋の如き岩の白き面には「南無妙法蓮華経」の文字が。



この巨岩の下の隙間が「文覚上人隠窟」なのであろうか。
案内板は汚れていて解読不能。



なんとか「奥の院」に到着。



「奥の院」には、江川家三十五代当主江川英毅が奉納した大不動明王が安置されている
三十六代英龍が盗まれた不動明王を日本橋で発見し、買い戻したという伝説が残されている。



内陣。「滝山不動明王」と書かれた提灯が対で。



「滝山不動
由来 江川家三十五代当主江川太郎左衛門英毅滝山に天保三年十二月十五日大不動明王奉納
神祭する三十六代英毅時代・・・盗難にあって英龍江戸勤番も無事終り自宅に帰る道すがら
日本橋の角の古道具屋の前に来た時太郎左衛門、太郎左衛門と云う声にかごを止めて出て見れば
小道具屋の前何にげなく店に入る。奥にきて見れば韮山不動明王ほこりまみれてあわれな
姿早速店の主人に実状を話し手持金全部ニ銭三厘三毛七買戻し不動明王を駕籠にのせ自分は
歩きつづけ故郷に到着、自宅によらず滝山に一直無事奉納再神祭せらる由、今にして大不動明王
故こに鎮座す。今直を伝説として世に残る英龍こと坦庵公信仰の深さを知る。」



「不動の滝」には水はチョロチョロと僅かに。
多賀火山の溶岩の端にかかる滝であると。



落差18mの滝壺周辺を見る。



小さな石灯籠も。



巨大な岩壁の下に小さな「滝山明神」。



そして足元に注意しながら慎重に、上って来た参道を下って行った。



太鼓橋もあった。



そしてもう一度、黄金色に輝く「蠟梅」を楽しんだのであった。



蝋細工のような花を咲かせることから「蠟梅」。よってこれぞ「蠟梅」。



                              ・・・​ もどる ​・・・


                  ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2022.03.12 05:58:41
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