JINさんの陽蜂農遠日記

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2022.03.14
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カテゴリ: 国内旅行
さらに「眞珠院」の境内を八重姫に想いを馳せながら、さらに巡る。
正面に「本堂」。



「本堂」に近づいて。
水引虹梁の上の中備(なかぞえ)に見事な龍の彫刻が置かれていた。



内陣。



正面に本尊、釈迦牟尼佛。



涅槃図であろうか。



扁額「守護山」。



「本堂(法堂(はっとう))
禅宗では佛殿と称し、寺院加藍の中心となる本尊をまつる建物
当寺では正面に本尊、釈迦牟尼佛を安置し、脇立として阿難尊者・迦葉尊者のニ佛を配し、
その左右に永平寺御開山高柤承陽大師(道元禅師)、総持寺御開山太柤常済大師(瑩山禅師)を
まつる。
又、堂内には、達磨大師・十六羅漢等の佛像が安置されております。」







「御朱印受付所」は「庫裡」玄関に。



御朱印を紙で頂きました。



十三重石塔。



観音像。



正面から。



お顔をズームで。



歴代住職の墓地。
多くの「無縫塔」が並んでいた。塔身が卵形という特徴があり、別に「卵塔」とも呼ばれる。
無縫塔は、鎌倉期に禅宗とともに大陸宋から伝わった形式で、現存例は中国にもある。
当初は宋風形式ということで高僧、特に開山僧の墓塔として使われた。近世期以後は宗派を超えて
利用されるようになり、また僧侶以外の人の墓塔としても使われた。




正面に「歴住塔」。



横から。



「​ 五輪塔 ​」👈リンク。
「定仙大和尚塔(じょうせんだいおしょうとう)」と呼ばれ、正安4年(1302年)の




別の角度から。



地・水・火・風・空の五大をそれそれ、方・円・三角・半月・宝珠の形で象徴し積みあけた塔で、
後年、板塔婆の上部に切り刻む原形ともなる。
当寺の五輪塔は正安四年(一三〇ニ年)の建立で、県内最古の五輸塔です。
水輪の四方に四方佛(東方・阿閦佛、南方・宝生佛、西方・阿弥陀佛、北方・不空成就佛)が
きざまれた、非常に貴重な塔といえます。」



無縁仏。



「陸軍歩兵 上等兵 勲八等 矢田三作之墓」。



「陸軍歩兵上等兵 勲七等 岩崎勝俊之墓」。



「古川」沿いに墓地が続いていた。





墓地の奥にあった 貞治2年銘の阿弥陀如来磨崖仏を訪ねたのであった。



ズームして。
貞治2年 (1363年) 銘の阿弥陀如来磨崖仏であると。



「本堂」と「庫裡」の間の渡り廊下を潜って進むと見事な庭園があった。



庭園の隅にあった「水琴窟(すいきんくつ)」を訪ねた。
「​ 水琴窟 ​」👈リンクは、日本庭園の装飾の一つで、手水鉢の近くの地中に作りだした空洞の中に
水滴を落下させ、その際に発せられる音を反響させる仕掛けで、手水鉢の排水を処理する
機能をもつ。水琴窟という名称の由来は不明である。
同系統もしくは同義の言葉に洞水門(とうすいもん)がある。伏鉢水門、伏瓶水門ともいう と。



池に架かる太鼓石橋。



枯山水の庭を楽しむ。



「NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で頼朝に向かって矢を放つ八重姫。
江間次郎(芹澤興人)が八重を三島明神の祭りに誘うと、八重は「あの方は?目代の」。
山木兼隆が落馬し、足を痛めたため館にいると聞き出した。最初の夫・頼朝を思う八重の心が
動いた。夫が表で待つ間、館を抜けた八重は渾身の力で弓を引き、対岸の北条館へ矢を放った。
頼朝に矢が届けられ「川向こうから。八重か。八重とは人の目を盗んで会っておった。
伊東の庭の梅の枝に結ばれた白い布は、今夜会いたいということ」。
義時は「今夜出陣せよとの合図です。山木は館にいます」。頼朝の腹は決まり、ついに出陣した
のであった。



八重の夫の「江間次郎」を演じる芹澤興人さん。
八重が伊東家の家人だった江間次郎のところに嫁いだのは、自分の留守中に頼朝と恋仲になって
男児を産んだことに激怒した父・伊東祐親が八重に与えた罰で、八重は江間次郎について
「夫と思ったことはございません」と言い放ち、あたかも家来に対するように冷たく接し続けて
いるのであったが・・・・。



息子・千鶴丸の墓石を撫でる八重姫。
八重は伊豆山権現の長・文陽房覚淵(諏訪太朗)とも面会。5年前に父・伊東祐親(浅野和之)が
連れてきた自身の息子・千鶴丸(太田恵晴)に会わせてほしいと訴える。
覚淵は「何かのまちがいでは?」と応えるが、それでも食い下がる八重。すると覚淵は
立ち上がり「こちらへ」と八重を外へ案内する。  覚淵に案内された八重がたどり着いたのは、
木々に囲まれた墓。手を合わせていた覚淵は八重に「ここへ来た時にはすでにむくろになって
おりました。川で溺れたと聞いております」と明かす。八重は墓石にゆっくり近づくと
ひざまずき、目を泳がせながら「立派なお墓…」とポツリ。
そして八重は墓石をなでると、言葉にならない声をもらしながら号泣。帰らぬ人となった
息子の前で大粒の涙を流すのだった。



                              ・・・​ もどる ​・・・


                   ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2022.03.26 05:53:41
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