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萩原麦草の句碑
最明寺 時頼よりの 時雨ふる
萩原麦草は、明治二十七年、川西村(現伊豆長岡町)小坂に生まれた。若くして俳句の道に入り、後上京して波郷、草田男らとも交遊し、中央俳壇にも知られるように
なった。戦後、故郷の小坂に帰り、郷土の俳句指導に尽力し、晩年静岡県俳句協会の代表と
なった。昭和四〇年没。
句集に「麦嵐」、「枯山仏」がある。昭和五二年一月、弟子、友人達によって句碑が建てられた。
「上田五千石 句碑」。
「 時頼の 墓へ磴積む 落椿
」
北条氏にゆかりの深いこの地の人々が、時頼の徳を慕い、その分骨を幕府に願い出てこの地に
建てたという最明寺入道時頼の墓。その墓の上にうち重なるように落ちた椿の花があたかも
もう一つの石塔のようだ と。
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