JINさんの陽蜂農遠日記

JINさんの陽蜂農遠日記

PR

Profile

jinsan0716

jinsan0716

Keyword Search

▼キーワード検索

Favorite Blog

岡山後楽園の花菖蒲… New! 隠居人はせじぃさん

東海道まち歩き (1)… New! オジン0523さん

【街路樹のなのみの… Gママさん

バイクのシートが裂… noahnoahnoahさん

エコハウスにようこそ ecologicianさん

Calendar

2022.06.03
XML
カテゴリ: 茅ヶ崎市歴史散歩
【茅ヶ崎市の神社仏閣を巡る】目次

「宝積寺」を後にして「赤羽根通り」に向かって東に進むと右手に農家の無人販売所が
あった。「ゴールデンオレンジ」が袋に入って売られていた。
「皮が、しわしわになってくると甘くなります! と。
すっぱさを感じながら食べるも良し甘くなるまで楽しみながら待ってもよし!。
「黄金柑の来歴は不明ですが、明治時代には鹿児島県日置郡で「黄蜜柑(きみかん)」として
食べられていたようです。のちに「黄金柑(おうごんかん)」という名前が付けられ、この名前で
流通。「ゴールデンオレンジ」とも呼ばれます。
黄金柑は果皮が黄色く、扁球形で重さは60~80gくらいと小さめ。さわやかな香りで果汁が多く、
酸味は控えめです。見た目は酸っぱそうですが、酸味の少ない」とネットから。



「赤羽根通り」に出て南に進むと、右手に注連縄付きの建物があった。
これが「赤羽根八雲大神」。
正面に 八坂神社の神紋「 木瓜(もっこう)紋 」が
「木瓜紋」は、鳥の巣を真上から見た形を図案化したもので、子孫繁栄の意から縁起の良い紋様と
されているのだ と。




「上赤羽根八雲大神神輿由緒沿革」碑
御祭神
八雲大神の御祭神は神仏混淆(しんぶつこんこう)時代は『牛頭天王』と呼称され明治政府の
神仏分離令施行の際に『スサノオノミコト』となられました。
又、天王社という呼称も八坂神社・八雲大神・氷川神社等と改称されました。
神輿
明治二十九年愛甲郡愛川村半原の木匠 家内右兵衛藤原高光は、江戸城将軍作事方及び小田原城主
大久保佐渡守に仕え、宮大工として名主を申し付けられ帯刀御免を許された名工である。
市内では鶴嶺八幡宮『文化三年制作』とは、兄弟神輿です。明治三十四年八月、寒川町一之宮
八幡大神の氏子西町地区より譲受される。神輿の屋根に取り付けられている神紋は『木瓜』
(八幡神社の神紋)
子供神輿
昭和二十五年七月吉日 茅ヶ崎市菱沼 太田松太郎作」







道路脇には小さな社があり、地蔵様が。



近づいて。
手前にはシラン(紫蘭)の花が。



その隣には小さな石祠があった。



そして「赤羽根通り」の直ぐ先には「六地蔵堂」の「六地蔵尊」のお姿も。







正面から。



足下にも江戸時代の古い墓石が2基立っていた。
『新編相模国風土記稿』赤羽根村の項に「阿弥陀堂 像は恵心作、専求比丘<寛文七年(1667)
十二月寂す>の造立する所と云ふ、西光寺持ち」とありますが、今は阿弥陀堂はありません。
恵心作といわれるこの庵の本尊は西光寺に運ばれているのかも知れません。
その横の右側の墓石は「寛文七天 當庵開基稱誉専求比丘 十ニ月八日」と。
墓石は固い石材の板碑型で、当地に庶民の墓石が出現する頃のもので貴重と。
左側の墓石は「正徳三 癸巳 往詣樂譽専▢大徳 十月十一日 」と刻まれていた。
「正徳三年」銘で、江戸中期の1713年。



そして新湘南バイパス高架下を潜る。



新湘南バイパス手前の丘の上には歴史を感じさせる墓地・墓石が。



新湘南バイパスを潜り県道44号線・伊勢原藤沢線に向かって住宅街を進む。



茅ヶ崎市菱沼1丁目の住宅街を西に進む。



民家の庭にはジャスミンの花が。



豊かな香りが。



バビアナの花であろうか。



こちらは赤紫の花。



菱沼1丁目をさらに進む。



そして「菱沼 八王子神社」に到着。
神奈川県茅ヶ崎市菱沼1丁目11−64。



社号標石「菱沼鎮守 八王子神社」。



石鳥居の扁額「八王子神社」。



「手水舎」。



境内には数多くの鯉のぼりの鯉が泳ぐ。



「八王子神社」境内の菱沼自治会館に飾られた「五月人形」・「武者人形」。



舞台上全面に4段飾りで。



両脇まで溢れ出て。



最上段には「兜飾り」が所狭しと。



「ここに飾られている武者人形は地元有志の方々から寄贈されたものを陳列しております。
平成ニ十一年から飾っております。
それぞれの武者人形に男の子の健康と成長を願う親心の表れです。
今はすでに立派な社会人として成功され第一線で活曜中です。

端午の節句の由来
「端」は初めの意、もと中国で月の初めの午の日、(午)は(五)に通じ、五月初めの五日の意
五節句の一つで五月五日の節句。
古来邪気を払う為、菖蒲(しょうぶ)や蓬(よもぎ)な軒に挿して粽(ちまき)や柏餅を食べる。
菖蒲と尚武の音通もあって近世以降は男子の節句とされ、甲冑、武者人形などを飾り庭前に
幟旗や鯉のぼりを立てて男の子の成長を祝す。第ニ次大戦後は「こどもの日」として国民の祝日の
一つ。あやめの節句。菖蒲の節句。重五(ちょうご)。端陽。季夏のせち(端午の節)
伝統文化の会」



正面に「拝殿」。



狛犬(阿形像)。



狛犬(吽形像)。



「拝殿」に近づく。
御祭神:天忍穂命、天穂日命、天津日子根命、活津彦根命、熊野久須毘命、
多岐理比売命、市杵島比売命、湍津比女命、宇迦之御魂命、大山咋命、品陀分命
「拝殿」手前には「力石」(左)と「蛇石」(右)。



唐破風下の彫刻。



頭貫の彫刻。



「住吉大明神、八幡皇大神、 天照皇太神 、春日大明神、玉津島大明神」碑。



左に先代の石鳥居の扁額「八王子神社」、中央に「神輿修復 神輿殿鳥居建立記念碑」そして
「神輿修復 手洗舎屋根建設記念碑」。



「菱沼八王子神社口大鳥居社号額
献納者 内田友蔵 殿
大正十一年 吉祥日
再建立者 内田 智光 殿
     佐藤 国男 殿
平成十七年十一月ニ十七日
社号額由来
この額は市内松が丘ニ丁目四のニ十八にご在住する内田智光氏のご祖父友蔵氏が大正十一年一月に
寄進献納されましたが翌大正十ニ年十九月一日の関東大震災〔午前十一時五十八分〕により神殿
建屋大鳥居共に倒壊したものです。幸いにして一人の怪我人もなくこの鳥居が身代わりになったと
言い傳えられております。ここにご献納されました、故友蔵翁のご遺徳を偲び爾来八十三年ぶりに
子孫の智光氏により再建立され、永久に地元文化財として残すことになりました。」



「神輿殿」。



「菱沼 八王子神社」の「​ 神輿 ​」👈リンク



境内には鯉のぼりの下で遊ぶ園児の姿が。



ズームして。



境内には巨大な「タブノキ」が鎮座。



「菱沼八王子神社のタブノキ
指定理由 市内の代表的な植生であるタブノキが大木となり、地域の鎮守の目印となっている。
指定番号 茅ヶ崎市景観重要樹木第2号
     平成22年3月26日 茅ヶ崎市指定」



「タブノキ」に近寄って。中には空洞部分も。



「八王子神社玉垣竣工記念碑」。



風に力強く泳ぐ鯉のぼりを再び。



「護國の碑」。
菱沼地区の西南戦争から太平洋戦争までの戦病没者の慰霊碑で、39柱(西南戦争1柱、
日露戦争1柱、満州事変2柱、太平洋戦争35柱)の英霊が合祀されている。
昭和26年5月に有志らによって建立された。
合祀者の内、西南戦争戦死者島﨑瀧藏さんの個人慰霊碑が八王子神社に建立されている。
碑高240㎝、幅128㎝、厚さ28㎝、台石75㎝。
碑正面:
「護國之碑   内閣総理大臣吉田茂書」
碑裏面:
「戰歿合祀者(篆額)
・・・数多くの戰歿者の名前、命日が刻まれていた・・・
昭和二十六年五月建之 菱沼   發起者 有志者 一同   石工 鍛代忠義
發起人 髙橋義正 太田正太郎 石山辰五郎 大八木米吉 太田文雄 太田大蔵 太田邦光」。



「菱沼ふれあい神輿百年祭記念碑」。



掲示板。



「避難所 避難場所案内」。



「住居表示街区案内図」。




                              ・・・​ もどる ​・・・



                   ・・・​ つづく ​・・・





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2022.07.29 15:35:40
コメント(2) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: