JINさんの陽蜂農遠日記

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2022.06.20
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カテゴリ: JINさんの農園
次に訪ねたのがJR早川駅の山側にあった「厄よけ魚藍観音(ぎょらんかんのん)」がある
「薬王山 東善院(とうぜんいん)」。
途中、道路脇あった案内板。
神奈川県小田原市早川482。



そして「東善院」への入り口の路地にあった案内板。



境内への石段の手前には六地蔵尊が。



近づいて。



「東善院」の「本堂」。
薬王山東善院は、早川にある真言宗東寺派の寺院。本尊は薬師如来。

江戸時代には国府津・宝金剛寺の末寺で、早川村の天神社を管理していた。
「本堂」の屋根の上に「厄よけ魚藍観音像」のお顔が。



扁額「東善院」。



石祠は稲荷神社であろうか?手前には五輪塔が。



鉄筋コンクリート造で高さ13mという「厄よけ魚藍観音像」を見上げる。



「魚籃」とは獲った魚を入れておく魚籠(びく)のことで、よく見ると観音様の手には魚の尻尾が
はみ出た魚籠が提げられているのであった。
中国の三十三観音の1つに数えられる魚籃観音には、悪鬼の害を除く力があると信じられている
ことから、厄除け観音として地元のちょっとした名物となっているのだと。
もちろん、漁業や航行安全の御利益もあるとされていて、目の前に広がる相模湾をじっと見つめて
いるのであった。







観音様の中へ入ることは出来なかったが、足元まで近づけたのであった。



電車でJR早川駅を通過するたびに気になっていた観音像。



お顔をズームで。



観音様の手には魚の尻尾がはみ出た魚籠が。



相模湾の安全を祈り見つめてくれている「厄よけ魚藍観音像」。




「厄よけ魚藍観音像」の台座は部屋になっていた。
入り口左には「魚籃観音建立の由来」案内板が。



「魚籃大観音建立の由来
当山は應永二十二年(五六四年前)の開創で薬王山東善密寺と号して昔から小田原市早川地区の
鎮守紀の宮神社の副別当寺として今日に至りました。
本尊は薬師如来、魚籃観音を脇仏として御祀りしております。
縁あって愚僧東善院住職を拝命以来,四十余年、此の景勝の台地に海上から拝せるな魚藍観音像を
建立して海上安全、大漁満足、別しては我々に栄養源として生命を捧げている魚貝類への
報恩感謝の供養また平和日本建設と殉国の英霊並びに大戦による犠牲者と世界無名戦士の冥福を
所念したいと念願し、檀家一同に相図りその賛意を得て建立計画が立案されました。
尊像の建立を望月先生に依頼、施工はマルセ建設㈱で着工、有縁の方々の尊い御寄進と、更に
建立委員の献身的な作業奉仕を得て鉄筋コンクリート造、總高十三米の慈悲あふるる麗しい
代表的芸術として、後世に偉跡を残す尊像が参ヶ年の工期を経て大業の成就となりました。
願はくは本尊のご加護、十万有縁の観音の妙知力を念ずる皆様方が厄除開運、家内安全、諸願成就
のご利益を授からんことを祈念する次第であります。
例祭日 毎月十七日 
昭和五十七年十一月吉祥日
薬王山東善院住職 権大僧正 大野大雅」



部屋の中にあった絵画。



墓地から新幹線線路を見る。



折しも新幹線が通過。



小田原城にズームして。



墓地の最上段に石碑があった。



「驅逐艦五月雨(さみだれ)戰没者慰霊之碑」。



「驅逐艦五月雨戰没者慰霊之碑」に近づいて。
「驅逐艦五月雨戰没者慰霊之碑」がこの地に建立された理由は、五月雨の元乗組員で組織された
「五月雨会」のメンバーに小田原出身者がいたことによるという。相模湾を望むこの地から、
五月雨の慰霊碑は生まれ故郷(建造ドック)のある浦賀に向け建てられているとネットから。



白露型駆逐艦6番艦「五月雨」は浦賀船渠で1934年(昭和9年)12月19日に起工し、1935年
(昭和10年)7月6日進水、1937年(昭和12年)1月29日に竣工した。横須賀鎮守府籍。
機関部は川崎造船所で製造されたのち、浦賀に海上輸送された。
建造したのは私が卒業した会社であることを今知ったのであった。


   【https://appget.com/c/special/199988/purple_1608-69/】より


昭和十七年十月十四日 10名 (ガダルカナル島の戦い)
昭和十八年十一月二日   6名 (ブーゲンビル島沖海戦)
昭和十九年八月二十六日  9名 (パラオ・ガルワングル環礁) と。



裏面には
「昭和五十七年八月 戦友並ニ遺族 建之」と。



そして歴代住職の墓地を見ながら「東善院」を後にしたのであった。




                              ・・・​ もどる ​・・・



                  ・・・​ つづく ​・・・






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Last updated  2022.07.07 09:36:32
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