JINさんの陽蜂農遠日記

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2022.06.21
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カテゴリ: 茅ヶ崎市歴史散歩
【茅ヶ崎市の神社仏閣を巡る】目次

「妙運寺」を後にして次に訪ねたのが150m程度の場所にあった「日吉神社」。
「西久保日吉神社」とも。現在は鶴嶺八幡宮の兼務社で、当宮の御札は鶴嶺八幡宮で頂ける。
神奈川県茅ヶ崎市西久保466。



礎石が高い「石鳥居」とその先に「拝殿」。
大きな神輿の通過の為なのであろうか。



「神社境内では次のことを守りましょう」と子供達に向けて。



右手に「西久保自治会館」。



「拝殿」。
創建年代や由緒は不詳。御祭神には、山王様といわれる大山咋命。
例祭は9月3日だが、現在は8月末などに神輿渡御が行われているようだ。
当宮は、毎年7月の海の日に神奈川県茅ヶ崎市西浜海岸で行なわれる浜降祭(はまおりさい)に
参加する一社である。当社神輿は、参加神輿の中でも最重量級とされる。
境内には、本殿や拝殿の他、昭和16年(1941年)建立の阿吽の狛犬や、神輿殿がある。
同じ敷地に、上記のごとく西久保自治会館があった。
他に境内には、戦没者を弔う慰霊の碑、大山街道の道標、江戸時代後期の寛政6年(1794年)銘の
ある道祖神と庚申塔の碑や、力石があった。



昭和16年(1941年)建立の阿形の「狛犬」。







「拝殿」の唐破風下の「鳳凰」の彫刻。



水引虹梁の上の中備(なかぞえ)にも見事な龍の彫刻が。



木鼻(右)。こちらは牡丹の花を持って。



木鼻(左)。こちらは竹毬を持って。



神明造の「本殿」を見る。



「脇障子」(右)。



「脇障子」(左)。



「慰霊の碑」。



近づいて。



裏面には
「この碑は過去数次の大戦に於いて祖国の繁栄を念じつヽ一命を捧げられた英霊を
慰めるため区民並びに篤志家の浄財によって建設されたものです




「慰霊の碑」の前右側にあったのが「力石」。



「力 石
この石は、昔村の若い衆が力競べに使ったものです。
その当時、娯楽の一つとして農休みの日や夏の宵の一と刻、村の辻でこの石を相手に
汗を流しあって、力自慢をしたのだそうです。




大きな神輿殿。



「​ 神輿 ​」をネットから。



「日吉神社」の前のT字路にあった「石碑群」。
右から「大山街道の道標」、江戸時代後期の寛政6年(1794)銘のある「文字道祖神」、
そして「庚申塔」。



「大山街道の道標」。



延宝8年(1680)
日月・「奉造立」・三猿
正面右側「維持延宝八庚申暦□□吉日」
 〃左側「相州高座郡□□」
 〃下側 9人の名



近くのサツキの花、新緑が美しかった。



ナビに従ったが、少し遠回りをしてしまったが次の目的地の「室生寺」に向かう。
左手に見えたのが「湘南東部総合病院」。
神奈川県茅ヶ崎市西久保500番地。



そして目的地の「宝生寺(ほうしょうじ)」に到着。



白壁に設置された「掲示板」。
「令和四年四月二十九日 自 午前九時 迄 夕方
「阿弥陀三尊御開帳」 御自由に拝観下さい」と右側に。
これには茅ヶ崎市に住む旅友が訪ねたとのこと。



「宝生寺」の「山門」。奥に「本堂」が見えた。



「山門」前の両側の赤い頭巾を被った地蔵様が迎えてくれた(右側)。
道しるべ情報が刻まれていて、「右子権現道 左南湖道」と二方向を示している。
宝暦七年(1757年)に造られたと。



近づいて。



「山門」前の両側の、頭巾を被った地蔵様が迎えてくれた(左側)。
こちらは文久二年と。
「右子権現道 北一之宮道 左南湖」と三方向を示している。
子権現(ねごんげん)とは、萩園橋を渡って八王子道に出たところにある常顕寺のこと。
宝暦七年から文久二年までの105年間で、寒川方面への往来が増加した証であると。



阿弥陀三尊像
昭和三十四年六月二十七日
国重要文化財指定
銅造阿弥陀如来及両脇侍立像  三躯
左脇侍   観音菩薩 三二・九センチ
    中 尊  阿弥陀如来 五八・三センチ
    右脇侍   勢至菩薩 三三・八センチ
仏法最初の像と伝える信濃善光寺木尊の模像で、いわゆる善光寺式如来といわれるものである。
鎌倉時代に非常に多くつくられたという。木像も鎌倉時代の作とみられている。
一説にこのあたりを領していた懐島景義の持仏であったともいわれるが、その来歴については
全く不明である。なお、台座および光背は後世のものである。」



山門右側の石碑には
「重要文化財 六躯体
銅造 阿弥陀如来
両脇侍立像     三体
昭和三十四年六月二十七日指定」と。



左側には寺号標石「懐嶋山寶生密寺(かいとうざんほうしょうみつじ)」と。



境内右側にあったのが「白蛇辯才天(はくじゃべんざいてん)」。



鳥居の扁額「白蛇辯才天」。



「白蛇辯才天」碑。



石造りの太鼓橋の先に石祠の「白蛇辯才天」。
「白蛇辯才天」 は、 金運上昇・商売繁盛・病気平癒・登校拒否解消・ 家出人足止めなどに
ご利益があるとのこと。



ズームして。



その先にあったのが「水子地蔵尊」。



いつの日も変わる事なくさしてあげたや一輪のコスモス 」。



生まれかわってこの胸に思いきりだきしめてあやしてやりたやかざくるま



石仏が二体。



そして数え切れないほどの「舟形水子地蔵」のお姿が。



「水子地蔵尊」を横から。



「庫裡」。




                              ・・・​ もどる ​・・・


                  ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2022.06.21 04:37:51
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