JINさんの陽蜂農遠日記

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2022.06.30
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カテゴリ: 寒川町歴史散歩
【寒川町の寺社旧蹟を巡る】 目次

この日は3月31日(木)、2回目の「寒川町の寺社旧蹟を巡る」に向かう。
小田急線の地元の駅に6時前に到着。



JR藤沢駅で下りの電車を待っていると、小田急線のホームには赤色のロマンスカーが入線。



そしてJR茅ヶ崎駅でJR相模線に乗り換え、「宮山駅」で下車。
相模國一之宮である「寒川神社」の最寄駅である。
・1931年(昭和6年)7月1日:寒川神社や地元住民の請願により、相模鉄道の宮山停留場
              として開業。
・1944年(昭和19年)6月1日:国有化。同時に駅に昇格し運輸通信省(後の日本国有鉄道)
               相模線の駅となる。
・1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、JR東日本の駅となる。
・2001年(平成13年)11月18日:ICカード「Suica」供用開始。
・2014年(平成26年)12月26日:出札窓口の営業を終了。
・2016年(平成28年)2月21日:茅ケ崎駅の遠隔管理の下で無人化を実施。
神奈川県高座郡寒川町宮山。



「寒川町観光案内」。



観光案内地図。



神社仏閣案内。



主な公共施設案内。




左手の「青木農園」の大きな温室の中ではスイートピー栽培が行われていた。



ピンクの花をつけたスイートピーは出荷直前か?



「直売 スイートピー つみ取り出来ます」と。



そして「産業道路」の「中里」交差点に合流。



交差点の花壇の黄色のパンジーも迎えてくれた。



「産業道路」の横断歩道を渡り直進する。



更に直進すると、直ぐに前方T字路にに朱の鳥居が見えて来た。



「中洲神社」。



鳥居の下から。



「中洲稲荷
●地蔵尊立像(子育て) 右 江戸時代 (ロ保五年)
 かっては、相摸川の河原にあったといわれてます。その後、交通安全を願い、この地に
 移されました。そうしたところ、子宝に恵まれる家か出て、子育て地蔵と呼ぶようになり
 ました。
●中洲稲荷 中央
 かっては、相模川の中洲にあったものを、この地にうつしてきたため「中洲稲荷」と
 いわれています。
●地神塔 左 江戸時杙(天保七年・一八三六)
 地神講とは百姓の神、稲を持ってきた神といわれる「地神」を信仰する人々の講組織です。
 春と秋の社日に床の間に三幅の掛軸を掛けかっては中里三八軒の農家で行われていました。
●庚申塔 人り口左 江戸時代 (天保七年・一八三六)」



●地蔵尊立像(子育て) 右 江戸時代 (ロ保五年)







●地神塔 左 江戸時代(天保七丙申年・一八三六)
山状角柱型 「地神宮」と刻まれていた。
横面には「相列高座郡」/「宮山村中▢▢」と。



●庚申塔 人り口左 江戸時代
 裏 面「天保七申年三月吉日・一八三六」




横面には
左側面「此方 一之宮
       なんこ 道」
右側面「此方 あつぎ
       八王子 道」



左側には小さな五輪塔の如き石碑が3基。



境内の石碑群を再び見る。



鳥居越しに再び。



そして南に進むと左手にあったのが「けやきの森病院(朋友会)」。
しかし、進路を間違えていることに気が付き、引き返す。



梨畑の横を通過。



寒川町の町花・スイセンをデザインした汚水マンホール蓋を再び。



「ホルトノキ」。



「ホルトノキ
常緑高木。花は白色で、花弁の先が糸状に裂けます。
果実は黒紫色に塾します。初夏に古い葉が紅葉します
ホルトノキ科」



弁の先が糸状に裂けた「ホルトノキ」の花。


    【https://www.travel.taipei/ja/news/details/24031】より

初夏に古い葉が紅葉。


   【https://lab.syncer.jp/Tool/Webp-Converter/】より

「メグスリノキ」。



「メグスリノキ
眼薬木。雄の木と雌の木がある落葉高木。日本国内にのみ自生します。
若葉が薬用として用いられ、戦国武将、黒田官兵衛の生家は、代々それを生業として
いたことで有名です。
ムクロジ科(旧 カエデ科)」



「メグスリノキ」の紅葉。


   【https://naegiya.ocnk.net/product/21】より

更に進むと目的の「旧目久尻川ふるさと緑道」が姿を現した。



昔の目久尻川は蛇行していたが、水害を防ぐため昭和4年に現在の流れに変えられた。
元の流れの名残を「ふるさと緑道」として整備されたのだと。



そして「目久尻川」に架かる「寒川橋」の先、「旭保育園入口」近く右手に石碑が現れた。



「三猿庚申塔」のようであった。



更に北に進む。



道路脇の林の樹の上には「アオサギ」の姿が。



「寒川町 北部文化福祉会館」の角には石碑が。



「大震災記念
大正十二年九月一日午前十一時五十八分関東一帯ニ亘リテ大震災アリ 相武ノ沿岸被害殊ニ
甚シク本村亦頗ル惨状ヲ極ム 當町戸数三十而シテ焼失三全潰二十六半壊一全キモノ更二ナク
死者一名負傷者三名ヲ出ス 實ニ有史以来ノ火参事タリ 此ノ時二當リ大工職谷釋長藏君父子
挺身家屋ノ復旧ニ従事シ孜々榮々未ダ周年ナラザルニ町民皆安住ノ所ヲ得タルハ一ツニ君ガ
献身的行為ノ賜トイフべシ 此ニ町民ハ大震災ヲ記念シ君ノ徳ヲ頌センガ爲メ石ニ刻シテコレヲ
後昆ニ傳フ
大正十ニ年九月 國幣中社寒川神社宮司正七位河村政吉撰」と。

碑文には、『旭町の戸数30戸のうち、焼失3戸、全壊26戸、半壊1戸で、被害のない家屋はなったこと、
死者1名、負傷者3名を出したこと、
このような状況下で、大工の谷澤長蔵氏父子が家屋の復旧という困難な作業に奮闘努力し、
1年を待たずして町民は全員安心して住む場所を得たこと、
町民は谷澤長蔵氏父子に感謝し、このことを石に刻んで後世に伝えることにした』ことなどが
記されていた。



東に向かって進むと、道端には白いスイセンの花が。



ズームして。



更に進むと民家の墓地の横に小さな社が建っていた。



社の中には地蔵様が。



地蔵様に近づいて。



卒塔婆には「旭岩舟地蔵尊」の文字が。



さらに東に進みこの先を右折する。



右手に石碑群。



庚申塔・「青面金剛像」享保□年(1716-1736)もあった。




                              ・・・​ もどる ​・・・


                  ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2022.06.30 09:04:06
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