JINさんの陽蜂農遠日記

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2022.07.11
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カテゴリ: 寒川町歴史散歩
【寒川町の寺社旧蹟を巡る】 目次

「寒川町役場」を後にして、バス通りを南東に進み、「旧中原街道」を横断し高圧線の下を通過。



次に訪ねたのが「大塚古墳公園」。
神奈川県高座郡寒川町岡田51−1。



「大塚古墳公園(大神塚周辺古墳群E号噴について)
「大塚古墳公園」の名称につきまして、この周辺の小字の「大塚」と、古墳が発掘されたことに
由来しています。
平成17年から平成23年にかけて、寒川駅北ロ地区土地区画整理事業に伴い、発掘調査が実施
されました。この公園はその、岡田西河内遺跡の北東部分に位置しています。
その中でも、この公園では、明治期に調査がされ記録しか残っていなかった、古墳時代後期
( 7世紀ごろ)の古墳(大神塚周辺古墳群E号墳)の石室及び周溝が再発見され、フェンスで囲まれて
いる部分に、調査された古墳の石室が保存され、貴重な文化財を後世に残しています。
この他、岡田西河内遺跡では、弥生時代中期の大集落や、近世の溝や道状遺構など多くの遺跡が
発見されました。」



「大神塚の周辺には、5基の古墳があったと記録されています。
そのうち、D , E号墳は発掘され、D号墳はレプリカが作成され、文化財学習センターで展示され、
E号墳は公園内に保存されています。」



「保存されている古墳の石室です。石室は遺体が安置されていた場です。切り出した石を
組み石室の壁としました。本来は壁は高く、天井石や土盛りもありましたが既に無くなっており、
石室と古墳のまわりをめぐらせた溝(周溝)のみ発見されました。」



E号墳、石室の位置が示されていた。
「古墳は6世紀末から7世紀のものと推定。同時期の古墳がこの周辺には5基あったと考えられる。
古墳の石室の形態が、切り石積横穴式石室は神奈川県内では川崎、横浜市を中心とする多摩川・




そして「大塚古墳公園」の前にあったのが「安楽寺」の墓地。



墓地の中を歩いて、「安楽寺」に向かう。



大きな「​ 護国霊塔 ​」👈リンク。
寒川町の戦没211柱を祀った慰霊塔で、昭和26年11月18日に遺族後援会によって建立された と。



左手に「詩碑」
「戦後五十余年が経過し 戦争を知らない世代が大半を占める今日平和とはごく当たり前のことで
あり 戦争とは歴史上の出来事でしかない遠い存在になっております
この戦争によって多くの犠牲者を出し 悲しみに耐えながらも残された家族が一丸となって生活を
支え今日に至る方が多数おいでになること そして復興再建の労苦もよって現在の平和日本が
存在することも忘れかけているのが事実であります

在住した英霊をお祀りし戦争の悲惨さを後世に伝え同じ過ちを二度と繰り返さない教訓を培う
ことを目的に建立されましたが 歳月と風雨によって傷みも著しく老朽化が目立ってきて
おりました
そこで寒川町遺族會におきましては 護国霊塔建立五十年を記念し 諸先輩方の思いをさらに
後世に伝えるため 平成十三年度に修繕をいたしました」と。







次に訪ねたのが「安楽寺」の「本堂」の裏にあった「大(応)神塚古墳」。



左側に美しい形状の「古墳厳探記念碑」。



左に「寒川町指定重要文化財第十九号 大(応)神塚」と右に「大神塚」案内板。



「大神塚

全長約50メートル、後円部径約30メートル、同高さ約5メートルの帆立貝形を呈する
大きな前方後円墳である。

明治41年4月、寒川神社宮司の提唱で坪井正五郎博士により発掘調査が行われた。
出土した和鏡二面、漢鏡一面、直刀三振や、陪塚から出土した金銀環、勾玉、管玉等は
寒川神社に展示されている。





「大神塚」の頂きに上って行った。



頂にあった石碑。



近づいて。



「發掘記念碑」。



「往尓神社由緒調査事業乎企留尓方利斯乃塚上傅説寒川大神廟屈乃碑銘在尓基伎
明治四十一年四月發掘乎遂氣調査上最母有益奈留副葬品遠得多利詳細波神社志尓
悉世利嘻能久是難事業乎完了令為波全久寺院止村民止乃贊翼乃令被然䖏爰尓
安樂寺檀徒惣代事蹟乃堙滅乎憂比此碑乎建留尓迨比有志亦克久其業乎資久允尓有
有終之美止云布可伎哉
明治四十四季三月一日
 寒川神社社宮司蒐田茂丸撰并書」



「大(応)神塚周辺小型古墳発掘記念碑
この記念碑は1908年(明治41年)に大(応)神塚周辺の小型古墳の発掘調査を記念して建てられた
ものです。
この調査は、大(応)神塚の発掘調査と同時に行なわれたもので、東京帝国大学教授坪井正五郎氏が
調査を担当しました。小型古墳は5基の円墳があったと考えられておりいそのうち3基が調査
されました。1基からは理葬施設である石室が検出され、内部より数体分の人骨と副葬品として
耳環、勾主、管玉、切子玉等の装身具と直刀、鏃(やじり)等の鉄製品が出土しました。
この記念碑はその古墳の付近にありましたが、区画整理にともない、平成19年2月にこの場所に
移設されました。



「大神塚」を下る。



そして「安楽寺」の入口に廻り込む。
寺号標石「高野山真言宗 安楽寺」。



参道左手に石仏群。



右側の二体。



参道を進む。



湧水による池であると。中央付近に石祠もあった。



「弘法大師坐像」が三体。
「相模国準四国八十八箇所」の弘法大師坐像であり、中央は第6番である安楽寺、
右は廃寺となった末寺の観護寺(第71番)、左は同じ末寺であった宝塔院(第75番)の
「弘法大師坐像」がそれぞれ安置されていた。


「安楽寺本尊 大日如来像
寒川町指定重要文化財十二号
昭和六十一年六月二十日指定
大日如来は、古くは寒川神社の別当であったと伝えられる安楽寺の本尊です。穏和な全体感、
浅めでおとなしい彫技などの特徴から、平安時代の作と考えられています。
寒川町内最古の仏像です。」
像高一〇一・五センチメートル 木造寄木造」



「安楽寺の御詠歌
後の世と おぼつかなくも たのみしか この世うさぞ 安くたのしき」



「このお寺は
◎宗旨は高野山真言宗です
◎御本尊は大日如来
◎御本尊の御真言はオンアビラウンケン バザラ ダドバン
◎総本山は高野山金剛峯寺です
真言宗の
◎根本の御本尊は大日如来であリます
◎大日如来の御真言はオンアビラウンケン バザラ ダドバン
◎宗祖弘法大師(御名は空海)宝亀五年(七七四)六月十五日 香川県
 善通寺に御誕生 承和ニ年(八三五)三月ニ十一日 高野山に入定
◎宗祖大師御宝号は 南無大師遍照金剛
◎立教開宗は大同ニ年(八〇七)
◎根本の経典は大日経 金剛頂経であり 宗祖大師の御著作とともに教義の基本とします
教義と信仰
いきとしいけるものは字宙の根源的な大生命である大日如来の顕現であり すべての仏・菩薩・
明王・天神などは 大日如来の御徳の一面をあらわしておられます
この大日如来を中心とした胎蔵・金剛界の両部曼荼羅は 整然とした宇宙の秩序と 永遠なる
宇宙の生命をあらわし 現実世界のそのままが理想世界となることを示しております(蜜源国土)
わたくしたちは 大日如来に帰一するために 手に印を結び(身密)口に真言を唱え(口蜜)心を
本尊と同じ境地におく(意密)三密行を実践することによって この身に本来仏性がそなわって
いることを自覚し その体現につとめます(即身成仏)
宗祖弘法大師は みずから大日如来すなわち遍照金剛となられて 社会の安泰と人びとの福祉の
ために尽力され 未来永劫にわたって衆生を救済しようという御請願のもと 高野山奥の院に
御入定なされておられます
大師御入定の聖地である高野山祖廟を信仰の中心に置き 大師のみ救いを信じ 大師のみ教えを
現実社会の中に生かすことがわたくしたちのつとめであります」



白い桜の花。



枝垂れ桜。



ズームして。



「水掛観音像」。



参道の桜を振り返る。



「本堂」。
高座郡寒川町にある高野山真言宗の寺院。元中本寺。相模国準四国八十八箇所第6番。
境内本堂裏手には大神塚古墳(前方後円墳)がある。古くは寒川神社の別当寺であった。
現在は高野山高室院の末寺。
国分寺の創建より古い718年(養老2年)開基と伝わる古刹であり、相模國一之宮である
寒川神社の別当寺として創建された。寒川町内では最古の寺院で、御本尊である木造の大
日如来坐像(平安時代作)は寒川町の重要文化財に指定されている。
江戸時代には中本寺格の寺院として発展し、現在の寒川町、海老名市、藤沢市にまたがる
18ヶ寺の末寺を持ち、「一之宮門中」、「大塚門中」と称された。1633年(寛永10年)の
『関東真言宗古義本末牒』には「法談所」と記されており、この地域における真言宗僧侶の
養成機関としての役割を担っていたと考えられる。また、1821年(文政4年)には
「相模国準四国八十八箇所」の霊場として弘法大師坐像が安置された。



「本堂」に近づいて。



扁額「安楽寺」。



内陣。







この付近はこの日が満開か。



花に近づいて。



赤とピンクの花の共演。



そして「安楽寺」を後にして、南に進むJR相模線に沿って「寒川神社」の「一之鳥居」に向かって
進む。



ミモザの花であっただろうか。



JR相模線の電車が通過。



                               ・・・​ もどる ​・・・


                 ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2022.07.11 11:19:04
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