JINさんの陽蜂農遠日記

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2022.07.14
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カテゴリ: JINさんの農園
『湘南スターモール』の七夕飾りを楽しみながら進む。
左【平塚商工会議所】、右【平塚法人会】を振り返って。



渋沢栄一の姿が。



更にズームして。



土肥実平の姿が。
源頼朝は土肥実平の用意した舟で真鶴から房総半島の安房国 へ脱出したのだ。



【湘南ビューティカレッジ】。



【門倉組】。







背面。



入選(昼)。



【トキワヤ】。



準特選(昼)。



背面。



【東海大学湘南校舎】
「第11回東日本バレーボール大学選手権大会 男女同時優勝」、
「万里一空」目指せ!ソーラーカー世界大会優勝



背面。



右【平塚競輪場】、左奥【SOUZEN INTERNATIONAL SCHOOL】。



【平塚競輪場】背面。




「愛の母子像」、作者:渋谷武美氏



【ハーラウ フラ カ レフア トゥアヒネ】。



背面。



入選(昼)。



【平塚農商高等学校】。







右【SunSunマルシェ】。



【ニッポン・アクティブ・クラブ】。



【ねんりんピックかながわ2022 平塚市実行委員会】。



背面。



【湘南 湘琉会】。





背面。



【平塚ライオンズクラブ】



【趣充会】。



背面。



【サカエヤホール】の背面を。



【サン・ライフ サカエヤホール】。



背面。



左【平塚ライオンズクラブ】、右【サンライフ サカエヤホール】。



背面。



左【ナパサクラブ】 空飛ぶベイマックス、右【平塚市まちづくり財団】。



ズームして。



空飛ぶベイマックス。



『湘南スターモール』の七夕展示もここ「市民プラザ前」交差点まで。
交差点を渡り、旧東海道を下って行った。



右手に「ひらつか市民 活動センター」。



そして、旧東海道の先には、神奈川県の平塚市と大磯町に跨る「高麗山」の姿が。



「旧東海道 平塚宿」周辺案内図。



「旧東海道 平塚宿

幕府の公用で旅をする役人や諸荷物を継立(人や荷物を継ぎ送ること)する場所で、旅人が
休憩するための茶屋や宿泊するための旅籠などの施設も整っていました。神奈川県内には
東海道の宿は9つ(川崎・神奈川・保土ヶ谷・戸塚・藤沢・平塚・大磯・小田原・箱根)
ありましたが、そのうち、平塚宿は家数で8番目の規模の小さな宿場でした。また、旅行者が
江戸や京都から東海道を通る場合、小田原や戸塚・保土ヶ谷などに宿泊し、平塚宿は休憩地
として利用されることが多かったようです。
文久2年(1862)ころの平塚宿には、東海道沿いに本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠42軒、湯屋4軒、
髪結床2軒を含む総計210軒の屋敷が建ち並んでいたといいます。また、東西に真っすぐ伸びる
東海道に沿って町屋が続く、この直線的な宿場の景観は、県下東海道で特徴的な宿場景観の
一つとなっています。」



「19世紀初め頃の平塚宿
『東海道分間延絵図』(東京国立博物館所蔵)」。



現在地の近くをズームで。



「平塚宿の江戸見附」
「市民プラザ前交差点」を渡った次の信号右角(市民センター手前)に平塚江戸見附跡があり、
石垣と竹矢来が復元されていた。
また、ここには上記の『平塚宿(旧東海道)史跡絵地図』も立っていた。



正面から。



「平塚宿と加宿平塚新宿との間には、かつて松並木があり、その松並木の西端に
平塚宿江戸見附がありました。
本来、見附は城下に入る門を示す「城門」のことをいい、城下に入る人々を監視する
見張り場の役目を持ちました。したがって、宿見附も宿の出入り口を意味すると同時に、
宿を守る防御施設として設置されたことがうかがえます。
また、見附は必ずしも宿境(宿境は傍示杭で示す)を意味するものではなく、
見附から正式に宿内であることを示す施設でした。さらに、宿と宿の間の距離は、
この見附を基準としました。
平塚宿の見附は二箇所。一般に江戸側の出入り口にあるものを江戸見附、京側にあるものを
上方見附と呼びました。この二箇所の見附の間が平塚宿内で、町並みは東西に十四町六間
(約一・五 キロメートル )、東から十八軒町・二十四軒町・東仲町・西仲町・柳町の五町で
構成され、その中に本陣、脇本陣、東・西の問屋場二箇所、高札場、旅籠などがあり、
江戸時代を通して二百軒を超える町並みが続きました。
一般に見附は、東海道に対して直角に位置するように設置され、土台部は石垣で固め、
土盛りされた頂上部は竹矢来が組まれていました。
平塚宿江戸見附は、長さ約 三・六メートル 、幅約 一・五メートル 、高さ約 一・六メートル
石垣を台形状に積み頂部を土盛りし、東海道に対して直角に対をなし、両側の見つけは
東西に少しずれた形で設置されていました。」



その先を右手に折れて進む。



左手に大木があった。
ここは「平塚小学校跡」とのこと。
神奈川県平塚市見附町30-2。



「平塚市指定保全樹
・くすの木
・指定第十五号
・昭和五十一年七月一日」



そして正面右側にあったのが「ひらしん平塚文化芸術ホール」。



「ひらしん平塚文化芸術ホール」は、1,200席の大ホールと最大200名を収容できる
多目的ホールをはじめ、音楽、ダンス、会議、絵画、茶道などの各種用途に適した会議室や
練習室、和室など8室を備えた文化施設。



「見附台公園案内図」
見附台公園内の広場は、かつて「見附台体育館」が存在した場所。
見附台体育館は市内有数の体育館で、多くのスポーツイベントがここで行われた。
老朽化のため閉鎖され、2005年に解体となったのだ。
高校時代に、何回となくこの見附台体育館で行われた卓球の県大会に参加したのであった。



「ひらしん 平塚文化芸術ホール」。



館内では「竹灯籠」が出番を待っていた。



こちらにも。



祈りの書かれた短冊も。



そして再び『湘南スターモール』に戻る途中にあった、シャッターに描かれた富士山と夕日の姿。



そして「市民プラザ前」交差点まで戻る。



「ひらつか市民プラザ」。



入口の絵画。



そして「湘南スターモール」の七夕飾りを再度楽しみながら、平塚駅への帰路に
ついたのであった。



                              ・・・​ もどる ​・・・


                  ・・・END・・・





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Last updated  2022.07.16 05:30:40
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