JINさんの陽蜂農遠日記

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2022.07.15
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カテゴリ: 寒川町歴史散歩
【寒川町の寺社旧蹟を巡る】 目次

「南泉寺」を後にして、更に北に進むと右手にあったのが「第六天神社」の石鳥居。
神奈川県高座郡寒川町一之宮1丁目16-25。



境内に社殿の姿はなく「一之宮北町集会所」と書かれた大きな木札のある建物のみ。
これが昔の社殿であったのだろうか。



そして「大山街道」まで戻り横断する。



次に訪ねたのが「金刀比羅宮」。
神奈川県高座郡寒川町一之宮8丁目1−20。



参道左手にあったのが「第八十四代 出雲大社宮司千家尊祐氏御参拝記念」柱。



参道の手前にあったのが「金毘羅会館」。







「金刀比羅宮」を後にして「北西」方向に向かって進む。



駐車場の奥に小さな神社が見えた。



朱の鳥居には「正一位」と書かれていた。稲荷社であろう。
神奈川県高座郡寒川町一之宮1丁目23。



更に進むと「妙光寺」案内板が。



「日蓮宗 妙光寺」。
掲示板には「今月の聖語 仏くようの功徳莫大なり
日蓮聖人御遺文 「法華証明鈔」」と。

ー功徳ー

今月は春のお彼岸を迎えます。
皆さんが「仏さま」と呼ばれるのはどなたですか? お釈迦さま、阿弥陀さま、薬師さま…?
しかしその中でもご先祖さまを「仏さま」と呼んでいませんか。
実はこの思いは先祖供養に重きを置く日本人の宗教観の表れといわれています。
その「ご先祖さま」があの世で安らかに過ごせるのは、ご本仏釈尊がご先祖さまを見守り導いて
下さっているからなのです。
皆さまがお彼岸でご先祖さまを供養することはそのご本仏釈尊にも届いており、想像を遙かに
超える大いなる功徳をご自身が積んでいることにもなるのです。
 『 法華証明鈔

本鈔は日蓮聖人に生涯深く帰依した南条時光氏に宛てたものです。時期は聖人が亡くなる年の
2月末でした。
ご自身重病の床にありながらも大病する時光氏に対し、日頃の堅固な信心を讃え、その功徳で
必ずや病気は平癒すると励まされました。そのお言葉通り時光氏は見事全快し、その後90歳の
長寿を全うしたのです。
弘安5年(1282)聖寿61歳」



正面に「山門」。



題目碑「南無妙法蓮華経」。



「日蓮宗」。







境内の「稲荷社」。



扁額「正一位 稲荷大明神」。



石碑と石祠。



石仏。



正面に「本堂」。




左手に「日蓮大聖人尊像」。



銅燈籠(右)。



銅燈籠(左)。



扁額「妙光寺」と龍の彫刻。



「宗旨
宗祖 日蓮大聖人
開宗 建長五年四月二十八日(鎌倉時代 西暦一二五三年)
本尊 久遠の本師釈迦牟尼佛
題目 南無妙法蓮華経
教義
   日蓮宗はお釈迦さまの説かれた最高の教えである法華経をよりどころとする宗団です。
   この法華経を身をもって読まれ布教をせられた日蓮大聖人を宗祖と仰いでおります。
   本宗の教義は法華経の魂をお題目にこめられた宗祖の教えに導かれて私たちが信行に
   励みこの教えを弘めることによってやがて世界平和と人類の幸福ひいては個人の
   しあわせにつながる事を確信できる教えであります。
経典 妙法蓮華経(法華経)
 本堂のご本尊さまに先ず合掌」



寺務所。



「日蓮大聖人御幼児 善日麿之像」。
日蓮大聖人は安房の国(現在の千葉県)小湊にお生まれになる。
父貫名重忠・母梅菊の子として御誕生になり、幼名を善日麿と名付けられた。



墓地。



左手に民家の立派な門が。



そして「南台畑」交差点を直進した。



途中で左折して進むと右手にあったのが「車地蔵堂」。
神奈川県高座郡寒川町一之宮2丁目16。
寒川町一之宮車地蔵(田端生往寺持)は、木像の地蔵尊を祀ったお堂です。
供車(ともくるま)地蔵とも言います。
「車地蔵沿革史」によれば、堂宇の建立は、慶長2年(1597)3月15日、江戸初期に一之宮に
居住していた大森菊地泰次とその家老の秋元金平によると言います。秋元は、人びとの模範と
なるような忠臣でしたが、あいにく嗣子がありませんでした。そのためこのままでは家が
衰微すると察した主君の泰次は自らの長子、菊之丞を養子とし、併せて禄高の一部を分知して
その後継としました。このことで主君に対する金平の忠誠心は益々深まりましたが、泰次も
その至情を承け、安産子育地蔵尊を共に祀ったと言います。明治初年、堂宇の衰微により、
本尊は日向薬師(伊勢原市)へと移管されましたが、明治27年(1894)火災により焼失した
そうです。昭和11年(1936)、後裔の霊夢を契機に堂宇の再建が企てられ、また本尊も再刻され
今日に至ります。講中奉納による前立の石の地蔵尊は江戸期のものです
(左:1715年(正徳5年)作、右:1665年(寛文5年)作)。毎月24日の縁日には、地蔵講中による
奉仕が現在も続いています と。



朽ち果てた石碑。



この場所に「宝篋印塔」があったのだろうか。
「金量院殿菩提 (菊地泰次妻)
宝篋印塔
コノ地ヨリ田端生往寺ヘ遷ズ」



内陣。



「車地蔵堂
この地蔵堂は、小田原城主大森実頼の孫菊地泰次(田端生往寺開基)が慶長ニ年(一五九七)三月
建立し、安産子育地蔵を祀ったと伝えられている。
霊験あらたかな子育地蔵として江戸期には講を組織して参詣する人も多かった。」



「文化財愛護シンボルマーク」。
「文化財愛護シンボルマーク」は、文化財愛護運動を全国に推し進めるための旗じるしとして、
昭和41年5月に定められたものです。
このシンボルマークは、ひろげた両手の手のひらのパターンによって、日本建築の重要な要素
である斗栱(ときょう=組みもの)のイメージを表し、これを三つ重ねることにより、文化財と
いう民族の遺産を過去、現在、未来にわたり永遠に伝承してゆくという愛護精神を象徴した
ものです。



これが本物の 斗栱(ときょう=組みもの)。



そしてこの日の予定を全て完了し、JR寒川駅に向かって寒川町一之宮2丁目の住宅街の
庭に咲く花を楽しみながら進む。
山吹の花



赤い八重椿の花。



スノーフレーク。



近づいて。
先端には緑色の斑点のついた白い小さな花。



ピンクの花桃



赤の花桃。



庭梅の花。



エリカの花。



そして「寒川駅」南口に到着。



JR相模線で茅ヶ崎駅へ。



このポスターは
「これぞ日本!新倉山浅間公園で見る桜・忠霊塔・富士山の大絶景!」。



そして18時前に帰宅したのであった。
この日の歩数は34,438歩なのであった。



                                                                                       ・・・​ もどる ​・・・


                  ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2022.07.15 14:04:29
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