JINさんの陽蜂農遠日記

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2022.07.22
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カテゴリ: 寒川町歴史散歩
【寒川町の寺社旧蹟を巡る】 目次

この日は6月20日(月)、早朝に鵠沼の「はす池」を訪ねた後、茅ヶ崎駅からJR相模線で
「宮山駅」で下車し、「寒川町の寺社旧蹟を巡る」の最終回に向けてスタートする。
ホームから階段を降りた所に木造の駅舎が置かれていた。
駅舎には自動券売機が1台設置。2014年12月26日まで営業していた出札窓口では、長距離乗
車券なども発売していた。2016年2月21日より茅ケ崎駅の遠隔管理の下で無人化。
無人化前は茅ケ崎駅が管理する業務委託駅(JR東日本ステーションサービス委託)であった。
簡易Suica改札機が設置されている。



「宮山駅」前の道路を南・「寒川神社」方向に向かって進む。



右側の道を進む。



ピンクのアジサイが迎えてくれた。







右手にJR相模線の「台畑第一踏切」。
この先の一軒の大きな民家のみの為?の踏切か。



次に「台畑第二踏切」。



そして前方に「目久尻川」に架かる「宮山橋」。







「めくじりがわ(目久尻川)」。
この川の名の由来はいくつかの説がある。
一説には、この川が座間市栗原にあった寒川神社の御厨(みくりや)のあたりから流れてくる
ために下流で「御厨尻川」と呼び、それが転じて「目久尻川」となったという。
一方、海老名の伝承によると、昔この川に河童が住み着いて悪さをしていたため、地元の人々は
この河童を捕らえて目を穿り(くじり=抉り)取ってしまった、という出来事から、この川は
「目穿川」と呼ばれるようになり、それが転じて「目久尻川」となったという。
この伝承にちなんで、海老名市内の目久尻川に架かる「​ 伊勢下村橋 ​」👈リンク には河童の像が
あしらわれている。


「目久尻川」の下流側。
この先、平塚市内の相模川に合流する。



上流側。
先に見えるのが「寒川大橋」。



歴史を感じさせる「宮山橋」碑。



「宮山橋」を渡り終えると右手にあったのが「地蔵堂」。
神奈川県高座郡寒川町宮山3812−2。



社殿の前、右側にあったのが「道祖神」。



社殿の前、左側にあったのが「庚申塔」。



「双体道祖神」。







縁起
地蔵
堂内にニ体の地蔵立像がある。地蔵は一般的に安産、育児、信仰の願いをきいて下さるという。
この地蔵も「子育て地蔵」として広く崇敬されており、年ニ回の地蔵講には講中が集まり、
町内の子供たちもお詣りをする。
道祖神
道祖神は、村内に疫病なとが入らないように祀ったもので、他に、交通の神、夫婦和合の神とも
いわれる。ここにあるのは文政十一年(一ハニ九)に建てられたもので、一月十四日には団子焼きを
行っている。
庚申塔
庚申の日に徹夜をする習俗を庚申講、庚申待などというが、この講中で建てる石塔が庚申塔である。
この塔は嘉永元年(一ハ四ハ)に雷の人々が建てたものである。「右なんご 左あっ木・ハ王子」と
刻まれ、道標も兼ねている。
馬頭観世音
人のために働いた牛馬の供養や、無病思災を願って造立するもの。
これは天保十三年(一ハ四ニ)に建てられた。
雷の歴史
宮山は七つの町内で構成されており、雷はその一つである。南湖よりハ王子へ向かう道が町内を
抜けている。寒川神社の社人のうち数軒がここにあり、その家系は天正年間以来、四百年余り
続いているといわれ、他の家も同社を崇敬してきた。明治ニ十年頃までは祭礼の時に山車を曳いた
といい、その頃の戸数はニ十一戸ほとであったという。
大正年間には十三戸に減ったが、平五年一月現在、六十戸を数えるようになった。
(昭和五十ニ年三月ニ十四日、寒川町老人文化教室雷グルーフ・皆川起司・金子潔之氏作成の文章を
もとに作成した。)」



堂内のニ体の「地蔵立像」。







さらに南下すると右手に見えたのが「寒川神社」の「参集殿」。



「八重紅枝垂」桜も花を終え新緑豊かに。



前回、訪ねた時には満開だった「八重紅枝垂」。



そして「寒川神社」の太鼓橋「神池橋」、「三の鳥居」の前から。



「神池」の噴水の先には「石橋(しゃっきょう)」が。



「​ 寒川神社 ​」👈リンク 内の散策は前回に済ませたのであった。



南下すると右手にあったのが巨大な「目久尻川水道管」。
横浜・横須賀水道局連名の標語。
「限りある水を大切に! 横浜市水道局 横須賀市上下水道局」と。



横須賀水道共同施設「寒川取水事務所」で取り入れた水道原水を「小雀浄水場」へ送る導水管。
支間長38.5m、口径200cm。



銘板が貼ってあった。



「目久尻川水管橋 横浜市水道局 昭和39年1月竣工 三菱日本重工業 横浜造船所製作」。
共同施設ですが設計施工は横浜市水道局が担当した と。
昭和39年と言えば前々回の東京オリンピックの年。



その横にあったのが「たんごばし(端午橋)」。



橋の袂・東側にあった石碑群4基。



一番右の石碑には「◯明橋」と。昔の名前なのであろうか?
それとも移設されたもの?



庚申塔であろうか?下部に三猿の姿?が。
享保7年(1722)の銘。



石祠。



道祖神碑。



「寒川神社参道」バス停近くにあった巨大な「石灯籠」。



                                                                                      ・・・​ もどる ​・・・


                  ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2022.07.22 18:24:01
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