JINさんの陽蜂農遠日記

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オジン0523 @ Re:「市制70周年 佐倉花火フェスタ2024」へ(その3)(09/06) そして9:20になり、カウントダウンが始ま…
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2022.07.21
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カテゴリ: 寒川町歴史散歩
【寒川町の寺社旧蹟を巡る】 目次

この日は4月20日(水)、「寒川町の寺社旧蹟を巡る」を継続中であるが、訪問場所が点在している
場所があるので、この日は平塚での仕事の帰路に我が愛車で立ち寄ったのであった。
最初に訪ねたのが「信玄芝原(しんげんしばら)公園」。狭い農道の如き道を進んだ。
神奈川県高座郡寒川町宮山1666。



「信玄芝原(しんげんしばら)公園」の入口。
下記の案内板に書かれている通り、武田軍が小田原北条を攻める際に戦勝祈願をするために
寒川神社に立ち寄ったときに兵を休めたところだと。現地には信玄芝原公園という公園が
あり、その中に新装なった案内板がありました。寒川神社の入口から東に向かって最初の信号
(健康センター前)を左に曲がり、少し行ったところを斜め右側に入る狭い道を進んだところに
その公園はあった。
道が狭いので大きな車では入れないのでは。






園内には何もなく大きな木が1本と奥にあったのが藤棚。



「信玄芝原
永禄12年(1569)、武田信玄が小田原攻めの途中、戦勝祈願のため寒川神社に立ち寄った際に、
兵を休めたところと伝えられています。

平成十一年(1999)神奈川県指定重要文化財となりました。」



天文六年(1537)明珍房宗作の「六十二間筋兜」。


 【https://samkajyoho.exblog.jp/23621047/】より

藤棚の満開の藤が迎えてくれた。



藤の花を独り占めし、カメラで追ったのであった。







そして次に訪ねたのが北東に500mほど走った場所にあった「福泉寺」。
神奈川県高座郡寒川町小谷3丁目2−16。



入口にあった銀杏の巨木には多くの「乳垂(ちだれ)」が。
乳房状のものがいくつも下がってるもので、乳垂(ちだれ)あるいは気根(きこん)といい、
空中に伸びる根である。乳垂は雌木、雄木ともに樹齢が長ければできるのだと。
ただ、雄木はギンナンがならないので伐採されてしまうので、乳垂は雌木に多いのだと。

ように、あるいは安産など効能があるとのことで各地で信仰の対象になっている。
「福泉寺」のこのイチョウも同じご利益があるのだ。



寺号標石「曹洞宗 福泉寺」。



山門から本堂を見る。
「福泉寺」は清源院(現厚木市)の末寺で、本尊は地蔵菩薩坐像で、室町時代の作。

神奈川県高座郡寒川町小谷3丁目2−16。



白壁塀のある参道を進む。



「本堂」前に狛犬が鎮座。



阿形像(右)。



「吽形像」(左)。



「入り母屋造りの本堂」正面。
宗派:曹洞宗
開山:英顔麟哲大和尚
創建:天正14(1586)年
本尊   :地蔵菩薩
札所   :相模国高座郡南部地蔵二十四札所 第16番
御詠歌「法(のり)の花 咲くべき時の 至りまで 光の谷や 山もかがやく」
開山の英顔麟哲は、当寺のほか宮山興全寺・東富岡龍珊寺、長津田大林寺、大曾根大乗寺、
小山保寿院を開山しています と。
1703年に発生した元禄大震災により大殿と門が破損したが、住持七世の密端和尚によって再建。
また、この寺には寺子屋が置かれており、明治6年(1873)に学制発布時は当寺の堂宇に
「雍和学舎」が設立され明治9年小谷学校と改称し小学校教育が行われた。そして明治18年
一之宮学校に合併されたのだと。



扁額は山号の「東谷山」。



「本堂」の「木鼻」。



内陣。
本尊の地蔵菩薩坐像は像高17.7cm、室町時代作。
正徳3年(1713)と天保7年(1836)に修理された。作風は宋元風を伝え、量感豊かで彫技も丁寧。
加えて童子形を踏襲する尊顔、優しい顔だち、肩部の衣文表現、大きさが興全寺本尊の作風と
似ているそうだ。



右手に「寺務所」。



「寺務所」の奥には石庭があった。



左手には大きな墓地が拡がっていた。



「六地蔵」。



「無縁之霊塔」。



左手に「宝珠」を持つ「地蔵菩薩像」。
右手に持つのは「錫杖」。



ズームして。



さらに・・・・・。



その下には水子地蔵菩薩(子安地蔵菩薩) が。



場所を変えて六地蔵を。



本堂手前左手に昭和47年(1972)に整備された「土屋氏二代の板碑」。
左:土屋重貞  中央:土屋重正。
延宝4年(1676)まで、ここ小谷村は土屋家の領地であったと。



境内右手には「石灯籠」が並ぶ。



ここにも「地蔵菩薩像」が。



近づいて。



その横にも。



ご先祖二人の戒名が。



ここにも石仏が。



「地蔵菩薩像」と「本堂」の巨大な屋根を望む。



「福泉寺護持會結成記念専禱」碑。



五層塔。



見事に刈り込まれた境内の生け垣。



そして「福泉寺」を振り返る。



更に北東に進むとT字路にあったの露座の「不動明王」。
神奈川県高座郡寒川町小谷3丁目9−1−2附近。



次に訪ねたのが「小谷十一面観音像」があったとされる「観音堂跡」。



「木造十一面観音坐像
この地は、もと観音堂があった所で、真言系の修験場であったといわれる。
本尊である坐像は、細おもての尊顔、胴長な尊体、狭い膝張など中国明風の影響がみられ、
胎内文書によって元禄10年(1697)に修理されたことがわかる。
像高  32.5cm  膝張  19.5cm  像奥  18.0cm  光背高  43.5cm  台座高  26.3cm
桃山時代作 一木造 玉 眼(面部矧)」



脇にあった石仏群。



次に養護老人ホーム湘風園の場所にあったのが「大蔵東原(おおぞうひがしはら)遺跡」。
神奈川県高座郡寒川町大蔵800。



「大蔵東原遺跡」案内板。



「寒川最古の遺跡!  大蔵東原遺跡
時代  :旧石器時代、縄文時代前期、弥生時代後期、中世
発掘調査:昭和60年(1985年)の学術調査から養護老人ホーム増築に
     ともなう調査などこれまでに計10回
主な選構:旧石器時代の礫群 4基、縄文時代の住居跡 4軒、弥生時代の住居跡 11軒、
             環濠1条、方形周濠墓 15 ~ 16基
主な遺物:石器、弥生土器」



以下の写真は、​​ ネット ​👈リンク から。
「方形周溝墓:
弥生時代から古墳時代初期にかけて造られた墓の一つの形です。中心に遺体を埋葬する主体部を
設け、その周囲に方形の溝をめぐらせて造られました。



「環濠:
弥生時代の集落は周囲に防御のためと考えられる環濠(空掘)をめぐらすようになりました。
これは環濠集落と呼ばれています。」



「旧石器時代の礫群:
旧石器時代(1万年以上前)の礫群4ヶ所が確認され、寒川町では最古の人間の足跡が残された
遺跡ということで注目されました。」




                              ・・・​ もどる ​・・・


                  ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2023.02.20 07:05:06
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