JINさんの陽蜂農遠日記

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2022.10.09
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カテゴリ: 国内旅行
国頭郡東村慶佐次の山を超えて「国道311号」を国頭郡東村の「平良海岸」方面に向って進む。



そして「 道の駅 サンライズひがし 」に立ち寄る。
県道70号線、海辺の赤瓦の屋根が目印。
国頭郡(くにがみぐん)東村(ひがしそん)平良550−23。



「日本一 パイナップル」と。
沖縄本島北部「山原」(やんばる)の東海岸に位置するここ東村。
自然豊かな東村は県下一の「福地ダム」、日本一の生産量を誇るパイナップルで知られており、
「花と水とパインの村」をキャッチフレーズに村づくりを進めている と。




「高い気温」が揃っているのだと。パイナップル作りに最適な土地として、約180もの農家の
方たちが10種類以上のパイナップルを作っている。
日本で唯一のパイナップル加工場があるのも、東村。
これぞ日の出の光景に「サンライズひがし」と。







そして内部では巨大なとうがん(冬瓜)やスイカも。



駐車場横の案内板。



「東村案内図」。
東村は「やんばる」と呼ばれる沖縄本島北部、東海岸に位置する縦に細長い村。
その総面積の約73%は森林で、その森林を源とした大小14の河川が流れている。
人口はおよそ1,800名で沖縄本島で最も人口の少ない地域。
「やんばるの森」には多種多様な動植物が生息し、東洋のガラパゴスとも称され、2016年9月に
「やんばる国立公園」に指定され、さらに2021年7月には、第44回世界遺産委員会において、
「奄美大島、徳之島、沖縄島北部および西表島」が世界自然遺産として登録が決定された。
村の花は「つつじ」、村の鳥は「ノグチゲラ」、村の木は「ヒルギ」、村のキャッチフレーズは
「花と水とパインの村」。
「花」は3月に満開なるつつじを始め、コスモス・ブーゲンビリア・ハイビスカス・
野ぼたんなどが咲き誇るのだ と。





「やんばる国立公園」は、沖縄県国頭郡国頭村、大宜味村および東村ならびにこれら3村の
周辺海域を区域とする国立公園である
2016年の当公園の国立公園の指定は、日本全国で33番目。
新規の指定としては、2014年の慶良間諸島国立公園以来2年ぶりで、沖縄県内においては
3番目の指定となった と。



「沖縄・東村 観光案内マップ」。



東村の山中を走る県道70号線をひたすら北上して行くと、左手にあったのが「 北部訓練場 」。
「北部訓練場 」は、沖縄県国頭郡の国頭村と東村にまたがるアメリカ海兵隊の基地。
総面積は約35.33km2であり、沖縄県における最大の軍事演習場である。




さらに県道70号線・国頭東線を北上する。



そして沖縄県国頭郡国頭村(くにがみそん)に入る。
「めんそーれ 杜と水とやすらぎの里 国頭村へ」。
「めんそーれ」はもともと「いらっしゃい」「おいでなさい」という歓迎の意味。



山中を走る県道70号線・国頭東線をクネクネと。



左手に石碑があったので車を停める。



官の山拓き甦る大地 」碑。
国頭郡国頭村安波。



「この開発地は、もともと国有林野で日米両政府間の地位協定によって軍用地として提供された
地域でありましたが、安波区はもとより耕地面積が少ないことから戦前戦後と山依存による
生活が余儀なくされたことから農地を拡大し農業生産を増し農家生活の向上を図るため
農地開発事業を目的に昭和四九年村を始め県政府関係省庁に対し国有林野土地の活用払い下げを
要請致したところ国始め熊本営林局の御配慮と日米合同委員会の御高配によって昭和五ニ年十月
十五日一三一haが返還合意され、同日基本計画策定が承認、全体実施設計が着手、昭和五三年度
から県営農地開発事業として採択、着工 昭和六〇年度には造成地七四haの甦る大地か見事完成
されました。
ところがこの圃場の土質は強酸性赤土色土壌で保水力に乏しくかんがい施設は急務とされており
ましたが、農産物の自由化等に対し、生産性の向上、地作物への転換の円滑化等農業経営の
合理化を図るため平成ニ年度に県営緊急畑地帯総合整備事業が採択され畑地かんがい営農用水
施設土層改良農道が整備されたことにより七四haの耕地に散水可能となり「水無し農業」からの
脱却が図られ今後の農業経営安定に大きく寄与するものと期待されている。
今、この地は広大な平地に変貌しパイン キビ 花卉等の産地として大きく飛躍を遂げております。
ここに関係機関に深く感謝の意を表し強く心に銘じ永く我が字の発展に資することを祈念して
この碑を建立する。」



「水と緑の里」碑。



「県営緊急畑地帯総合整備事業
地区名/国頭村安波地区
事業主体/沖縄県
事業時期/平成2年~平成5年
事業費/532,000,000円
工事概要/農道         1,876m
             土層改良       33ha
     営農用水         85ha
             畑地かんがい 73ha」。



車窓からパイナップル畑を撮ったが・・・。



更に進むと左手に「 安波節 」碑。



「​ 安波節 ​👈リンク
安波の真はんたや 肝すかれ所
宇久の松下や ねなしところ」



「県道70号線 国頭村安波(あは)」。



川を渡る。



「普久川(ふんがわ)」。



「御拝橋(うがんばし)」。



「御拝橋」を渡った直後の右手にあったのが、「安波のグスク」。
県道70号線の道路脇の石段を降りた場所に石鳥居があった。



石段の先には急な長い階段が続いていた。



先を急いでいたのでこの先は諦めたので、以下2枚の写真はネットから。
「安波のグスク」の「拝所」。
「安波のグスク」であるが、周囲に石垣等は残っていないようであった。



そして「拝所」の内部。



石鳥居の先にあった石碑。



「慰霊塔」のようであった。



御嶽 」であろうか。



この石碑も解読不能。



県道70号線
「アダ・ガーデン ホテル沖縄」
沖縄最北端に位置する国頭村、やんばる国立公園内に建つ沖縄最北端のリゾートホテル。
このホテルは2000年、沖縄とベトナムの友好の証として、建築資材から調度品までを
ベトナムから運び、すべてベトナム技術者の手によって建てられたのだと。
国頭郡国頭村安田1285−95。



その先に県道2号線との交差T字路があった。



次に訪ねたのが「安田(あだ)のシヌグ」碑。
国頭郡国頭村安田39。



「国指定重要無形民族文化財 安田のシヌグ」。



「​ 安田のシヌグ 👈リンク
安田のシヌグは、おおよそ400年の歴史を持ち、私達の祖先が生み出した貴重な民族文化で、
安田の村づくりの根幹をなすものである。

往時の生活は厳しかった。開拓の途上にあった安田の村落共同体形成や村落自己防衛の理念は、
シヌグに滲みるとともに各行事にも顔を覗かせている。つまり、安田の村づくりの根底にある
独自性は野性的で、土臭さの理念が潜在する。

シヌグ行事のヤマヌブイ、ウシンデークは、神仏、自然への祈りをとおして、合力加護を賜り、
村落の安寧、五穀豊穣、また村人の無病息災を招来する古代社会の自然信仰に繋ぐお祓いの祭祀である。

シヌグ行事は、旧暦7月の初亥の日から2日間にわたり執り行われる。ウフシヌグ(大)、
シヌグングワー(小)は、隔年交互行事で行われる。従前、ウフシヌグは3日間行われていた。
ウフシヌグは、村の男達がこぞってメーバ、ヤマナス、ササの3方の山に入る。ヤマヌブイによって、
男達はつる草や小枝を身につけ、頭にガンシナー(花・小枝の冠)をかぶり、山の神からセジ(霊力)を
受け草装神になる。「エーヘーホーイ」「スクナーレー」を唱和し、田畑や村人のお祓いをする。

シヌグ行事の前の旧暦6月25日の夕刻には。ウシンデークの練習を知らせる太鼓(ナイムンハジミー)の
合図で村の女性たちがアサギマーに寄り集まりウシンデークの練習を始める。祭りの前夜祭とも言える。

1975年(昭和50年)12月、安田のウシンデークが沖縄国際海洋博覧会に出演、翌年、1976年
(昭和51年)7月14日、安田古文化財の保存と後継者の育成を目的に安田古文化財保存会を発足させ
正式な活動が始まった。

1978年(昭和53年)5月22日には、国の重要無形民俗文化財として、文部大臣により指定された。
それを契機にシヌグの民俗的文化価値は、県内外の公的機関、民俗学者、音楽家、報道機関、写真家等
から高く評価され、研究が盛んに行われるようになった。

現在、安田のシヌグは、内容が多面的、多彩であり、多くの人が参加する。この行事は、沖縄の
「祓い」の神事の古い姿をとどめ、民族文化の原型的なものを見せている。この貴重な伝統的な民族文化を
保存し継承することは、互いの社会的責任であり、安田の地域興しの道に通じると確信するものである。

安田は山の里、海の里、シヌグの里でもある。仮に、シヌグ祭りが無ければ古里に寄せる心情も変わって
いたに違いない。

  平成23年7月31日
  国指定重要無形文化財 安田古文化財保存会発足35周年記念



茅葺き屋根の「神アサギ」もあった。
神人(かみんちゅ:琉球信仰の神職者)達が祭祀の時に使う壁のない、屋根と柱で構成された
建造物。
茅葺の「神アサギ」は本島には数えるほどしか残っていないとのこと。



「安田小学校発祥之地」碑。
創立135年という、国頭村の中でも最も長い歴史を持つ小学校の一つである安田小学校の
発祥の地を示す記念碑。
「安田小学校の前身は、1887年4月16日に創設された簡易学校。
3年後の1890年4月1日に安田尋常小学校として独立しました。それ以来、楚洲尋常小学校が
独立したり、国民学校になったり、小中学校になったり、様々な経緯をたどりましたが、
現在では、安田小学校単独校として、創立130年以上を誇る、国頭村でも最も長い歴史を持つ
小学校となっています。戦後の1952年5月5日には、現在地(安田279番地)に移転していますが、
かつての安田小学校は、安田集落の安田協同店の斜め向かいにありました。
この碑は、かつての安田小学校が建っていた場所を示すもので、碑の設置年月は不明ですが、
安田小学校創立記念事業として建立されたものと思われます。」と。



門柱には「安田尋常小学校」と。



安田協同店のすぐ近くには、ガジュマルが枝を伸ばす公園が。
公園内には、遊具の他に、小さな祠と「平和之塔」と刻まれた慰霊碑もあった。



小さな祠。



その右側には「平和の塔」。



多くの合祀者名が刻まれていた。



ガジュマルの巨木。




                              ・・・​ もどる ​・・・


                  ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2022.10.10 21:58:39
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