JINさんの陽蜂農遠日記

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2023.01.23
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カテゴリ: 国内旅行
国道145号を西に走り「岩櫃城(いわびつじょう)本丸観光案内所」のある
「平沢登山口駐車場」に到着。



「岩櫃山周辺ガイドマップ」。



「現在地」付近をズームして。
岩櫃城は、築城時期や築城者は不明ながら、中世に簒かれたとされる山城で、文献に初めて
登場する城主は、南北朝時代(1336 ~1392 )の吾妻太郎行盛。
戦国時代の永禄6年(1563)、斉藤越前守憲広(基国)の本城であった岩櫃城は、武田信玄の家臣・
真田平綱(幸隆)によって落城されました。以後、東吾妻は武田氏、そして真田氏の支配地となり、
岩櫃城は、上田城と沼田城を結ぶ真田道の中間拠点として最重要視され、上杉・北条・徳川と
いった巨大勢力に挟まれた真田氏の領国経営の拠点でした。
徳川幕府の開設後も、岩櫃城は真田氏の城として使われましたが、慶長20年(1615)に徳川家康が
発令した「一国一城令」によって岩櫃城は破却され、その役割を終えました。
岩櫃山は、どの登山口からも1時間程度で山頂に到達でき、時間に追われず登山が満喫できる山。
その一方、登山道には岩場や鎖場(誘導用の鎖を伝う場所)も多く、山頂も鎖場を登った大岩の上に
あります。



「岩櫃山」は標高802.6mの岩山。
南面は約200メートルの絶壁。奇岩、怪石からなる切り立った山容は、中国の南画のような趣
なのであった。



岩櫃城跡(国指定史跡)
岩櫃城は、中世に築かれたとされる山城です。
戦国時代の永禄6年(1563)以後、東吾妻は武田氏、そして真田氏の支配地となり、
岩櫃城は重要な位置を占めてきました。」



駐車場入口前の石碑群。







そして「岩櫃城丸観光案内所」。



「岩櫃城丸観光案内所」内を訪ねた。



「【岩櫃城】周辺立体模型
赤色立体地図を作成する際に行った航空測量のデータを元に作成しました。模型により立体感の
増した岩櫃城の各曲輪や岩櫃山山頂、現在の市街地などの高低差をぜひ感じてみて下さい。」



岩櫃城のジオラマ。
岩櫃城の主郭は、岩櫃山の北東尾根上に曲輪を展開しており、南西には岩櫃山、南は吾妻川へと
下る急斜面、北は岩山に囲まれた天然の要塞であった。



パンフレットから。



ジオラマの岩櫃山をズームして。



上部に歴代岩櫃城主。



写真を加工して。
この地を鎌倉時代に治めた吾妻太郎助亮によって築城されたと伝わるが、伝説の域を出ない。
後に助亮系の吾妻氏(前期吾妻氏)は姿を消し、下河辺氏末裔とされる吾妻氏(後期吾妻氏)が

秋間斎藤氏の斎藤梢基に庇護され、山内上杉氏の偏諱を受け斎藤憲行と名乗った。
戦国時代、吾妻氏の子孫と称する斉藤憲次が、主君の大野憲直を討ち、岩櫃城を奪った。
その子、斉藤憲広は岩櫃城を拠点として吾妻郡一帯の地侍を支配下においたという。
永禄3年(1560年)、長尾景虎(上杉謙信)が岩櫃城を攻め落とした伝わる。
その後、城は斉藤氏の手に戻る。
地元の旧記では吾妻行盛-斎藤憲行-行禅-行弘-行基-行連-憲広(基国)と系譜を
伝えている。
その後、真田氏は吾妻地方への進出をねらい、岩櫃城を攻略した。その後、上野国北部の
利根郡に位置する沼田城(沼田市)・名胡桃城(みなかみ町)と、信濃国の上田城とを繋ぐ
ルート上の重要拠点として岩櫃城の大改造を行った。
その後、真田昌幸は岩櫃城を嫡男の真田信幸(真田信之)に委ねた。真田家当主となった
真田信之は、慶長19年(1614年)に岩櫃城を破却した。
以後は原町(現在の東吾妻町原町)に陣屋を置いて一帯を統べた と。



東吾妻町と真田三代
真田氏は、室町幕府の勢力が衰えてきた戦乱の世において、信濃・上州を中心に活躍した
武門です。
天下取りを目指す戦国武将が入り乱れる中、真田幸隆(幸綱)※父、真田昌幸※子、真田幸村(信繁)
※孫は「真田三代」といわれ、幾多の戦いに身を投じました。
そして、真田幸隆が攻略した岩櫃城は、真田氏の吾妻郡統治の中心として歴史の表舞台に立ち、
また吾妻の地は、徳川家康の一国ー城令が出されるまで、真田氏と深く結びついていました。」。



真田家 家系図 」。



真田氏ゆかりの地



岩櫃城跡の発掘調査
東吾妻町大字原町に所在する岩櫃城跡では、東吾妻町教育委員会において埋蔵文化財の範囲確認
調査を平成25年度より実施しています。
平成2 6年度の調査区は、戦国時代に岩櫃城跡の中心だったと考えられる本丸(主郭)です。
今回の調査によって本丸に石垣が構築されていたことや鍛冶が行われていた痕跡などが見つかり
ました。また、かわらけ(素焼きの土器)や鍋、中国製の陶磁器などの生活用品とともに、鉄砲玉
などの金属製品が出土しています。本丸ではこれまで発掘調査された例はなく、今回の調査は
岩櫃城跡の利用方法を知る上で貴重な成果となりました。
今回発見された遺構や遺物などは、今後の出土品整理や分析などを経て発掘調査報告書として
刊行し、正式に公開されます。
これら先人達の足跡を、東吾妻町の歴史を探る資料として、活用して頂ければ幸いです。」
写真左には、見つかった遺物・かわらけ、鍋、擂り鉢、陶磁器、金属製品関連が。



続日本百名城「岩櫃城」認定証 」。



「岩櫃城丸観光案内所」のテレビ画面では「岩櫃山」が紹介されていた。



群馬県東吾妻町のシンボルで、標高802.6メートルの奇岩・怪石に覆われた山。ぐんま百名山のひとつにして、吾妻八景のひとつ、群馬県を代表する名勝。



南側の正面は奇岩が組み合わさったような高さ200メートルの断崖絶壁。この岩場は脆く、
ロッククライミングは不可能。登山道は4つのルートがあり、JR群馬原町駅からアクセスする
平沢地区からの「沢通り」「尾根通り」、同郷原駅から古谷地区にアクセスする「密岩通り」と
「赤岩通り」がある。



中腹には武田の三堅城のひとつ、戦国・真田氏の拠点だった岩櫃城跡があり、北関東を代表する
山城とされている と。



東吾妻



真田氏上州の拠点岩櫃
岩櫃山
源頼朝が狩りの際にこの山を見て「(飯を人れる)お櫃に似て
いる」と言ったことからこの名前がついたと言われている岩櫃山。東吾妻町のシンボルとなる
標高802.6メートルの山で、ぐんま百名山の一つでもあります。南面は、高さ200メートルの
断崖絶壁てすが、5つの登山道を持ち、春先から秋にかけては多くの登山者で賑わいます。
また、真田氏が上州て勢力を拡大していく際の拠点となった岩櫃城があった山で、N H K
大河ドラマ「真田丸」でも物語の主要な場所として描かれました。」


NHK大河ドラマ「真田丸」ゆかりの地
真田幸隆 真田昌幸  真田信繁



岩櫃城本丸址
岩櫃城は現存していませんが、岩櫃山では現在でも縦横多様に伸びる深い堀を見ることがてきます。
平沢登山口までは車で登ることが可能で、そこから山道を15分ほど登った山の中腹には岩櫃城本丸
址があります。岩櫃城は、武田信玄の家臣・真田由隆によって落城。その後、真田昌幸とその息子
である信之・信繁が共に過ごした時期もある城と言われており、全国から真田ファンが訪れて
います。
潜龍院跡(せんりゅういんあと)
1582年(天正10年)、真田昌幸が主君・武田勝頼を岩櫃城に迎えるため、本丸から南西約7 5 0
メートルの場所にわずか3日て造り上げたといわれる御殿(潜龍院跡)。歴史に「if (もし)」は
ありませんが、武田勝頼が甲斐から上州の吾妻に逃れ、織田・徳川連合軍と岩櫃城て繰り広げたら、
その後の戦国の世はどうかわったのでしよう。御殿は、真田一族の根津潜龍斎に拝領され、潜龍院
として名を変え、潜龍院跡と呼ばれています。石垣が並ぶ広大な広場から仰き見る岩櫃山は、
とても見応えがあります。



天険の要害 岩櫃城
真田氏上州の拠点となった岩櫃城は、岩櫃山全体を機能的に活かした巨大な山城てした。
甲斐の岩殿城、駿河の久能城と並び武田の三堅城と呼ばれ、西側・南側は巨岩による絶壁と
吾妻川により守られており、上杉や北条を意識して、東側の防御に重きをおいたとされています。
現在は本丸址を残すのみてすが、岩櫃山を登る途中に見られる堀や曲輪に、山城の名残を
感じることがてきます。」



真田街道マップ
上田城 ~ 鎌原城址 ~ 羽根尾城跡 ~ 岩櫃城 ~ 中山城址 ~ 名胡桃城址 ~ 沼田城跡 ~ 片品村
真田三代ゆかりの地をめぐる、真田街道の歴史。
真田氏の発祥については依然として謎が多いが、現在の上田市真田町を本拠とした東信濃の
名門、海野氏の流れをくむ一族といわれています。真田氏が世に認められるようになったのは
真田幸隆の時代からでした。武田信玄の配下となって、村上義清の砥石城を落とし、さらに
上野国吾妻郡の諸城を次々と攻略しました。その後、真田家を継いだ信隆の三男 昌幸は、
天正11年(1583年)に上田城の築城を開始し、徳川の大軍を二度までも撃退して、天下に
真田の名をとどろかせました。
また、大坂の陣における昌幸の二男 幸村の獅子奮迅の活躍、江戸末期まで連綿と基礎を固めた
昌幸の長男 信之など、いまだに真田一族の名声は尽きることがありません。」



続日本100名城のスタンプ
を頂きました。



御城印 も。



国指定史跡・続日本100名城「岩櫃城」登城記念スタンプ 」。



これも頂きました。



幟・「 国指定史跡 続日本100名城 2016年NHK大河ドラマ「真田丸」ゆかりの地
真田氏上州の拠点 岩櫃城 」。
その幟の下に岩櫃城・本丸方向への案内表示が。



「奉獻大◯」と刻まれた石碑。



大宮巖鼓神社伝世社宝 祓(はら)いの刀 蕨手刀(わらびてとう)
所在地 群馬県吾妻郡東吾妻町原町八一一
【蕨手刀】とは、柄頭が早春の蕨に似ていることからその名が付けられました。当社蕨手刀は
長い年月一度も土中に入らなかった伝世品です。伝世品としては、全国でニ例のみであり奈良の
正倉院一口と大宮巌鼓神社一口です。
制作年代は飛鳥時代後期から奈良時代中期と推定され、正倉院の御物と並び「東西の両雄」として
一千三百余年今もなお往古の姿を留めています。
          (昭和五十五年群馬県重要文化財指定)」
【蕨手刀】は、刃の霊力により気力の沈滞を祓い、気力の充湓によって家内安全と交通安全を
祈願するものです。



そして「岩櫃城」の「本丸跡」に向かって、登山道を上って行った。



岩櫃山登山コース 」案内板。
「岩櫃山
吾妻ハ景を代表する景勝地として知られている岩櫃山は、標高802mの怪岩からなる切り立った
岩山です。南面は約200mの絶壁で、その山容は中国画のような独特の趣があります。
山頂からの眺めはすばらしく近景には原町、中之条の市街地、遠景には上州の山々が広がり、
晴れた日には遠く富士山も望めます。新緑・紅葉のシーズンには多くのハイカーで賑わいます。」



前方に「岩櫃山登山口」と書かれた木柱が立っていた。



「岩櫃城跡周辺コース」案内板。



「岩櫃城
岩櫃城は岩櫃山(標高802m)の中腹東面に築かれた典型的な山城です。頂上より約200m下がった
場所(標高593m )に本丸・二の丸・中城があり、この場所を中心に広い範囲を城域としています。
また、近くに2つの支城北東側に柳沢城と岩櫃山南側に郷原城を持っています。」。



吾妻町指定史跡 岩櫃城跡 」碑。



岩櫃城跡
岩櫃城は岩櫃山(標高802m )の中腹東面に築かれた典型的な中世の山城であり、山頂より約200m
低い場所に本丸・二の丸・中城があり、これらを中心に広い範囲で竪堀や曲輪が点在します。
岩櫃城はその築城時期や築城者については定かではありませんが、文献によれば南北朝の時代に
初めて岩櫃城主吾妻太郎行盛の名が登場します。行盛は、南北方の豪族里見氏に攻められ自害した
と伝えられます。その後行盛の子、憲行が関東管領上杉氏の支援によって岩櫃城を奪回し、
その後、斉藤越前守憲広(基国)まで六代にわたる東吾妻支配の本拠となりました。
戦国時代の上州は甲斐武田氏、越後上杉氏、小田原北条氏による支配権争いが繰り広げられ、永禄
六年(1563)斉藤越前守憲広(基国)の本城であった岩櫃城は武田信玄の家臣である真田幸綱(幸隆)の
手によって落城し、武田氏の西上野支配が確立しました。幸綱の推挙により、武田信玄から
岩櫃城代に海野長門守幸光が命せられ、真田の先兵となり十七年の長きにわたり吾妻の地を守り
ました。天正九年の海野兄弟誅殺の後、岩櫃城は真田昌幸の嫡男信幸を城代とし、弟である信繁
(幸村)がここで一時代を過ごしたともわれています。
武田氏の滅亡後この地は真田氏の支配となり、岩櫃城は信州上田城から上州沼田城を結ぶ真田道の
中間地点として重要な位置を占めることとなりました。
徳川幕府開設後も吾妻地域は真田氏の支配となりましたが、徳川家康による「一国一城令」に
伴い、慶長二十年(1615)頃、真田信幸は城下町を現在の原町に移し岩櫃城を破脚し、岩殿城、
久能山城と並び武田の三堅城といわれた岩櫃城も戦国時代の終焉と共にその役割を終えました。
                                       東吾妻町」



要害地区略図 」。



「岩櫃山登山口」と書かれた木柱が両脇に。



​沢通り 尾根通り  平沢登山口  三合目​ 」と。



左に折れ「 尾根通り 」を進むことにする。



中城経由 岩櫃城本丸跡 500m 」と。



大きな看板には「 注意  クマ出没中​  東吾妻町 」と。



こちらにも「 熊出没注意 」と。



狭い尾根道を進む。



杉林の中を。



栗林であっただろうか。



本当に「熊」が出そうな雰囲気!!



堀の下のような場所を上って行った。



尾根通り ➡  と。



紅葉真っ盛りのモミジが迎えてくれた。



陽光を浴びて赤く輝くモミジ葉。




                               ・・・​ もどる ​・・・


                 ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2023.01.23 07:00:53
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