JINさんの陽蜂農遠日記

JINさんの陽蜂農遠日記

PR

Profile

jinsan0716

jinsan0716

Keyword Search

▼キーワード検索

Favorite Blog

【フェイジョア ・ … New! Gママさん

【400万アクセス御礼… New! 隠居人はせじぃさん

日本100名城山中城の… New! オジン0523さん

バイクのシートが裂… noahnoahnoahさん

エコハウスにようこそ ecologicianさん

Calendar

2023.07.08
XML
カテゴリ: 国内旅行
「東口本宮 冨士浅間神社」の参道を「 楼門 」に向かって進む。



富士講狛犬 」(右)。
楼門前の前には、「富士塚」を模した岩の上に「狛犬」乗っていた。
「獅子はわが子を千尋の谷に突き落とす」という、「獅子の子落とし」の諺を倣った
親子の狛犬で、非常に珍しいもの。



東京 麻布 三元講社 」と。







「富士講狛犬」(左)。



「富士講狛犬」(左)をズームして。
谷底へ落とした我が子。
試練を与えて這い上がってきた強者だけを育てる。
父獅子「強くなりたくばココまで這い上がってくるのだ!」
子獅子「とうちゃん…!」と。



楼門
ニ階建ての随神門を特に楼門と呼び上層の周囲に高欄付きの縁を回らしている。
御門の神様である櫛岩窓神(向かって右)・豊岩窓神(向かって左)が随神として配神されている。
貞享ニ(一六八五)年、小田原城主の稲葉丹後守が鳥居と共に楼門を修繕したと伝えられる。
しかし、宝永の大噴火(一七〇七年)により社殿と共に大破し、幕府へ再建の願いが出されている。
現在の楼門は、明和四(一七六七)年随神が寄進された当時のものと考えられる。」



御門の神様である 随神・櫛岩窓神 (向かって右)



随神・豊岩窓神 (向かって左)。



楼門の扁額「 東口 本宮



さらに「本殿」に向かって進む。



右手に「 神馬舎 」。



御神馬の白馬



休憩所



内部。



更に「本殿」に向かって進む。



末社・恵比須大国社 」。


御祭神は、大国主命と事代主命。例祭は、旧10月20に斎行する。



境内社
祭神 事代主命(恵比寿さま)
   大国主命(大黒さま)
祭神は、七福神でおなじみの恵比寿・大黒様の2神で、福徳の神様です。
社殿は、富士紡績株式会社(元・富士瓦斯紡績株式会社)小山工場の第1~第3工場の
鎮守として、明治31年より、当神社の御分霊をお祭りされておりましたが、このたび
諸種の事情により、当神社に寄進されたものです。」



内陣 」。



「本殿」前左側の池。



長壽亀石 」。



長壽亀石
古来、長壽の象徴とされる亀の形をした石。
この亀石は当社氏子の家屋工事中に土中より発見されたもの。
亀の甲羅によく似た形をしており、大変な吉兆物であるとし、当社に奉納された。
以来、長壽亀石と名付けられ、健康長寿に肖ろう(あやかろう)との敬拝を受けている。」



末社・社護神社
当社の境内末社の一社。かつては、日枝神社・山神社・琴平神社・霧島神社・高尾神社・
社護神社という六社が境内末社として境内に点在・御鎮座されていたが、現在は社護神社として
合祀されている。
御祭神は、社護神社の月讀命、日枝神社の金山彦命の他、13柱の神々を祀る。
例祭は、毎年十五夜の日に斎行。 その他、商売繁昌を祈願する高尾祭という祭典が、地域の
高尾講により毎年12月1日に斎行する。



そして「 本殿 」。



扁額「 冨士山東宮 」。



境内末社
この神社には、境内社として次の神社(神様)が祀られている。
日枝神社  大山咋命 金山彦命 素戔鳴命
     奥津彦命 奥津姫命
山神社   大山祗命 火産霊命
琴平神社  大物主命 水分命 水速賣命
     市杵島姫命
霧島神社  邇邇杵命
高尾神社  穂見命
社護神社  大己貴命 月讀命
く由緒〉
古い時代より当社境内地には、日枝神社を始め多くの神社かそれそれ祀られてきた。
そして何度か神社の合併がなされ、昭和33年、現在のように6社がここに合併された。
その中て、社護神社は最も古く本社の鬼門除とされていた。また、氏子崇敬者の信仰
篤く「おしゃこつぁん」と称えられ、親しまれていた。毎年仲秋名月の夜、神官に
よって祭典が執り行われている。」



小山町指定文化財(有形文化財・建造物)
冨士浅間神社社殿
  平成十八年八月二十四日指定
 所有者  東口本宮冨士浅間神社
      静岡県駿東郡小山町須走一二六番地
構造 木造・平屋・権現造り及び入り母屋造り
   平面積  本殿 三二.一八一m2
        幣殿 三五.八一九m2
        拝殿 九五.七二八m2
   寸法   奥行 二〇.一九六m
        間口 一四.五八七m
        高さ  九.五三三m
特徴 冨士浅間神社は富士山登山道の浅間神社の一社であり、創建は大同ニ年(八〇七年)と
伝えられています。宝永四年(一七〇七年)の宝永噴火では当社は三メートル以上の降砂に埋もれ、
大被客を受けました。その後亨保三年(一七一八年)に再建された社殿が一部現在まで残存して
います。通常、神社の社殿は本殿・幣殿・拝殿の三棟に分けられますが、本社ではこれらが
一体化した権現造り様式となっています。手前から拝殿、奥が本殿、そしてこのニつを幣殿が
繋いでこの社を形成しております。
      平成十八年十二月
        小山町教育委員会」



御神木の根本には那智黒石の黒玉砂利が敷き詰められていた。



木彫りの干支の動物が並んでいた。
牛の彫刻には「コロナ アッカンベー」と。



こちらにも。



そして「本殿」脇を駐車場に向けて進む。
ここにも様々な石碑が並んでいた。



御神木。



2本のご神木が並んでいた。



子授け夫婦杉と貫通岩 」。



「子授け夫婦杉と貫通岩
貫通石奉納 中日本高速道路株式会社
根が連なる杉は夫婦杉と呼ばれ、良縁・夫婦和合のご利益があるとされる。
当社の夫婦杉は御祭神・木花咲耶姫命の御神徳・子授けと安産を象ったが如き膨らみがあり、
これに肖る祈りの場として根本に祠を設ける。
祠は貫通石から成り、この石は新東名高速道路・谷ケ山トンネル工事にて生じたもの。
貫通石は、神話の一幕・神功皇后の段より安産を導く縁起物とされる。」



権現造りの拝殿・幣殿・本殿 を横から。



本殿をズーム して。



本殿屋根の破風拝飾(はふおがみかざり)をズームして。



新緑溢れる空間。



御神木の間から。



冨士山登頂「 記念碑 」。



明治天皇御製
萬代の 國乃鎮めと 大空に あふ久は 冨士の 高嶺なりけり



様々な石碑がここにも。



中央の石碑。
和歌山県にある講社は八百九十九度も富士登山 されたと。
切りのいい九百回にしないところに深い意味がありそうな感じがするのであった。



そして駐車場まで戻り再び「 麻布山三元講 講碑群 」の前から。



数え切れないほどの石碑が並んでいた。



幹が養生された樹の姿も。



そしてバスに戻ったのであった。




                               ・・・​ もどる ​・・・



                 ・・・​ つづく ​・・・





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2023.07.11 06:07:51
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: