JINさんの陽蜂農遠日記

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2024.02.03
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カテゴリ: JINさんの農園
今日から暫くはダブル(W)熱海のブログアップです。
毎早朝のブログは下記の「伊豆の紅葉、イルミネーションを愛でに」、
そして正午のブログアップは「今年も熱海・糸川桜へ」です。
既に、今日からのブログアップは昨年の12月4日~の紅葉、イルミネーション巡りですが、
極力季節外れ(out of season)にならずに旬(in season)の話題としたいので(特に花見等!!)、
昨日から、あえて2回/日のアップとさせていただきました。


この日は昨年12月4日(月)、1泊で会社の先輩と伊豆の紅葉、イルミネーションを愛でに向かう。
先輩の住む二宮に向かって「 新湘南バイパス
ちなみに、「新湘南バイパス」は藤沢ICと茅ヶ崎海岸を結ぶ有料道路で、国道1号のバイパス
としての機能を持っているのだ。



茅ヶ崎料金所に向かって進む。



茅ヶ崎料金所。



さらに正面の富士山の勇姿を楽しみながら、新湘南バイパスを進む。





そして前方に「 湘南ベルブリッジ 」。
本橋は、新湘南バイバスの茅ヶ崎海岸I C付近に位置し、相模川の支流である小出川を鋭角に
渡河する橋梁。アーチの上部に取り付けられた4本のケーブルで「湘南ベルブリッジ」橋桁
(はしげた)が吊り下げられ、アーチの下部も橋桁と繋(つな)がっている不思議な構造。
ニール・ローゼ橋の一種と言うらしい。



そして相模川に架かる「 トラスコ湘南大橋 」を渡る。



「金目川」を渡る。



「西湘バイパス」に入ると、正面に箱根の山々が姿を現した。







そして再び「大磯西IC」まで戻り「西湘バイパス」を更に進む。
左手には光る「 相模湾 」と「 二宮港突堤 」。
岸から50mほど突き出た堤防。船の停泊目的の堤防ではないため漁船を気にせず釣りを楽しむ

我がデジカメを助手席に座る先輩に渡し、写真撮影を依頼。



「国府津IC」手前から富士山の姿を。



「酒匂川」を渡りながら相模湾を見る。



「西湘バイパス」を「石橋IC」で降り、国道135号・真鶴道路を進む。
前方に見えたのが「 真鶴半島 」。



前方に現れたのが「湯河原町」。



前方に「熱海ビーチライン」案内板が。



「熱海ビーチライン」には乗らずに、国道135号から遠く「 初島(はつしま) 」の姿を。
初島は、静岡県熱海市に属する島。伊豆半島東方沖の相模灘に浮かび、静岡県の最東端でもある。
古い文献などでは波島(はしま)、端島(はしま)、波津幾島(はつきしま)との表記もある。



そして「春日町」交差点を右折して、JR来宮駅前を通過し、この日の最初の目的地の
熱海梅園 」に到着。
第37回熱海梅園もみじまつり 」は 前日の12月3日で終了 していたため、観光客の姿は
少なかった。



前日で終了した「 熱海梅園 もみじまつり 」のポスターをネットから。



園内入口の「寒椿」のピンクの花。



近づいて。



「熱海梅園のご案内」。
期間限定の「足湯」の案内もあったが、これも終了していた。



石蕗の黄色の花が鮮やかに。



「熱海梅園」と刻まれた石碑。



「梅園の由来」。



梅園の由来
明治十八年(一八八五 )わが国初の温泉療養施設「噏汽館(きゅうきかん)」開設に伴い、
内務省衛生局長 長与専斎の遊歩公園造成提唱に応じた横浜の茂本自ら選定したこの地一万坪に
早咲きの梅 初雁、冬至梅など紅白百種をこえる梅三千株と松、桧、楓を配し、三亭、五橋を
もって翌十九年完成し「茂木氏梅園」と令名、「熱海梅園」と通称され当初より公開された。
その後、皇室財産、国有財産を経て、昭和三十五年熱海市に譲渡された。

長与専斎 略歴
天保九年(一八三八)長崎県大村の藩医の家に生れ、十六歳で大阪の蘭学塾、緒方洪庵の「適塾」
に入門、のち長崎で直接蘭医に学び長崎医大の前身、精得館、長崎医学校の学頭をつとめ
近代医学の導入を図った。明治四年岩倉具視の米欧使節団に随行、国民の健康保護、医事行政、
諸施設に深く啓発され、明治六年文部省初代医務局長のあと自ら案出した「衛生」のことばを
用いた内務省初代衛生局長となり、在任十八年わが国医制、公衆衛生の基礎をつくった。
明治三十五年(一九〇ニ)死去。
昭和六十年一月吉日 孫眞道文」


竹灯籠も役割を終えて。



かぐや姫 落葉の道に 灯りけり 」と。



ネットから。



右手に「 夫婦松(めおとまつ) 」。
樹齢400年以上と推測されるという「夫婦松」。二股に分かれていた。


「いつまでも 達者でいよう 夫婦松 」と。



「大塚実氏顕彰記念碑
熱海梅園は内務省の初代衛生局長であった長与専斎の提唱を受け、横浜の豪商・茂木惣兵衛氏が
私財を投じ、明治19年に開園したものです。爾来120余年の歳月が流れ、往時の優美な姿が
失われつつあった中、熱海由縁の実業家大塚実氏の私財提供を受けて、開園以来の大規模な工事が
行われ、清流初川の渓流を挟んで、晩秋の紅葉と早春の梅花、そして初夏の新緑と夏の夜に乱れ
飛ぶ蛍の光が、その景観美を競うという、新しい梅園に衣更えいたしました。
ここに熱海梅園を見事に再生させた大塚実氏へ心からの感謝の意を表するとともに、この梅園を
永く守り育んでゆくことを誓います。
   平成二十一年十一月吉日
     熱海市長 齋藤 栄」



そして「もみじまつり」は終了したものの、まだまだ紅葉が見頃の絶景を楽しんで
カメラで追ったのであった。







そして「初川」の渓流がその下に。



「初川」の渓流を覗き込むが如くに。





熱海市の汚水マンホール蓋
熱海市は、2017年に市制80周年を迎えたことを記念し、マンホール蓋2種類をデザインした。
市の花「梅」、そして熱海温泉の文化の象徴である「芸妓」を図案化したもので、
「熱海市市制80周年」のロゴマークを配した。
熱海梅園は、1886年(明治19年)に開園し、日本で最も早咲きの梅の名所として全国にその名を
知られ、多くの観光客が訪れている。また、芸妓衆が稽古をする芸妓見番で開演される
「熱海をどり」、「湯めまちをどり華の舞」では、豪華な衣装に身を包んだ熱海芸妓による
艶やかな舞を披露しているとのこと。
このデザインマンホールは、JR来宮駅前と熱海梅園周辺の歩道及び熱海梅園の園内に設置して
 いる と。





再び初川の清き流れとその両岸を彩る紅葉を追う。













青空に映えて輝く紅葉。



梅園五橋の「迎月」が右手に。
五橋とは
  1. 漸佳(ざんか)橋
  2. 迎月(げいげつ)橋
  3. 雙眉(そうび)橋
  4. 駐杖(ちゅうじょう)橋
  5. 香浮(こうふ)橋    と。


白き流れ。



紅葉の隙間から陽光が川面に射し込む。



この辺りは紅葉のエピローグへと。







そしてこれはまだまだ!!と。






                  ・・・​ つづく ​・・・









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Last updated  2024.02.03 10:51:07
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