JINさんの陽蜂農遠日記

JINさんの陽蜂農遠日記

PR

Profile

jinsan0716

jinsan0716

Keyword Search

▼キーワード検索

Favorite Blog

寒川神社の第57回菊… New! オジン0523さん

【アブチロン姫姫り… New! Gママさん

紅葉だけじゃない、… New! 隠居人はせじぃさん

2024年はムベが不作 noahnoahnoahさん

エコハウスにようこそ ecologicianさん

Calendar

2024.11.30
XML
カテゴリ: JINさんの農園
この日は11月5日、16時から大崎に用事があったが、早めに家を出て小田急線、田園都市線を
利用し、二子玉川にて途中下車し、二子玉川周辺の散策をする。
二子玉川駅の改札口 を出て振り返る。



西口を出て 「国道246号・玉川通り」の「二子玉川駅」交差点 に向かう。



周辺案内図。



​現在地​ はここ。



左手前方にデパート「 玉川高島屋 」の建物。



白波の如き姿 が。



「玉川髙島屋」の中層棟に、歩行者用のアーケードを増築し、都市と建築(ハコ)をやわらかく
接合しようと試みた。
1.5mm厚のアルミの板をひとつずつ別々の曲線で切り抜き、細い鉄骨でつなぎあわせることで、
有機的形態を持つ、やわらかなアーケードを作った。アーケードの下部にはプラントボックスを
設け、やがて「緑の洞窟」となって、心地良い立体的遊歩道となるであろう とネットから。
プラントボックスとは、草花や樹木を植える箱や空間を指す。



曲線状のアルミ板を下から見上げて。



日本料理のお食事処「九つ井」玉川店



九つ井(ここのついど)
東国における有力な戦国大名、小田原の北條氏が相模の国を平定し、武蔵まで進出するように

戦略要害として玉縄城を築城いたしました。
丁度その頃、この玉縄城に相対して、ここ田谷の山上に平戸御前という豪族が居を構えていた
のです。
しかし、この辺りは高台のため飲料水にことかき、ふもと一帯に湧き出る泉が館の大切な飲料と
なり、泉には水番人を置き管理したそうです。

「九つ井」ここのついどと呼ぶようになったということです。

そんな歴史のある地名にちなんで屋号にいたしました。
一度 鎌倉方面にお出かけの折には、ぜひ、本店にもお寄りくださいませ。                                店主 敬白」



入口。



正面には。



入口の人形。
営業時間 11:30~22:00(LO.21:00)。



メニュー。



九つ井 」の先の信号の角・玉川高島屋S・C 東館前にあった野外彫刻像。



野外彫刻を数多く制作した愛知県出身の彫刻家による作品。



加藤昭男 「ニ羽の鳩」
玉川高島屋SC主催、第1回たまがわ野外彫刻展出品作品。



東急田園都市線のガード方向・東に向かって進む。



ガード下を潜る。



左手に 「丸子川」に架かる「調布橋」。



「調布橋」の先に「案内板」。



国分寺崖線散歩道 【おもいはせの路(みち)】
この近くの見どころ(法徳寺(ほうとくじ)・行善寺(ぎょうぜんじ))
法徳寺
本堂右の筆塚に「明治l十四年五月半嶺聞書」とした碑がたっています。
幕末から明治初期にかけて法饉寺に寺小屋を開き農村子女の教育に献身した大塚貞三郎を
讃えたものです。
行善寺
行善寺はその昔、玉川八景の眺望場所として多くの人々の訪れるところでした。
ニ子の鮎漁とならんで、瀬田に行善寺ありと江戸市中に広く知られたようです。
将軍もしばしば立ち寄り休息したといわれています。いまでも、朝夕に赤く染まった
風景は、まだまだ一見の価値があります。」



その先50mほど進むと石柱があった。



南大山道道標 」。
世田谷区玉川2丁目13。



「二子の渡し」の手前にある大山街道の道標「 南大山道道標 」。
大山街道は江戸から大山阿夫利神社へ向かう「大山詣で」に使われた道。
古くは東海道の本道であった時代もあったという歴史ある道。
現在は「国道246号線」がこれに当たりますが、幹線道でもあるため道幅拡張や直線化・また
バイパス工事などにより、「旧246号」や「旧大山街道」と呼ばれる小径が多く残る道でもある。
江戸方面から「行火坂」と呼ばれる坂道を下り、左に少し進んだところにあるのがこの道標。
丸子川沿いに位置している。



次大夫堀脇の道標(庚申塔)
安永6年(1777)瀬田村の講中に建立され、道しるべを兼ね
左西赤坂道、 南大山道、右東目黒通、
と刻んであると。
見た目にわかる修復の痕ですが、地元の方が修復されたとのこと。



この碑は?



「江戸道」碑
世田谷区玉川2丁目20−1。



多摩川沿いにあった「 ニ子の渡し跡 」碑
江戸中期以降、矢倉沢往還の渡船場として重視されました。大正14年(1925 )に二子橋が完成し、
役目を終えました。
世田谷区玉川1丁目7−2。

船で多摩川を渡りたい!二子の渡しで対岸へ | 俺の居場所-まち記録サイト

そして再び「 南大山道道標 」まで戻り、 「調布橋」 を渡る。
下を流れる川の名は「丸子川」。



急な坂道を上って行った。



そして次の目的地の「 法徳寺 」に向かってここを右折。



この「法徳寺」への坂の名が「 行火坂(あんかざか) 」。
勾配が急なため、土地の人はこの坂を上るだけで身体が熱くなるので「あんか坂」と
呼んでいた と。



右折せずに真っ直ぐ進むと「 行善寺坂 」。






                 ・・・​ つづく ​・・・



​​:





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2024.11.30 22:47:22
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: