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Friday, March 29, 2024 年度末の慌ただしい一週間も今日で終わり。 他社に漏れず弊社、新年度の始まりに備え、いろいろな決め事を定める(文書に残す)必要があります。それらは全て社長の決裁を経てのこと。ということでその稟議、最終関門直近の判子押しが私の役目です。目を皿にし、でした。ということで書類に目通しが続き、バタバタしました。それでも、会社を後にするのはほぼ定時。午後5時半前後でした。 杣夫は自称天才バカボンのパパです。5時から男でした。しかし、齢60台も半ばを過ぎて、このところ弱りました。先の年末年始に入院、手術を経たこともあり、最近は帰宅して目のしょぼしょぼ、溜息をつく日が多くなりました。 そんなこんなの今週某日、妻からのラインが入りました。 「実家の母が友人に小鯵を貰ったの。帰り、そちらに廻って受け取ってほしいわ。持ち帰って三枚におろしてね。」 そうしました。少し弱っていたので、全部酢締めにしました。写真左です。 ちなみに右は、鯵に混じった目張を使った味噌汁です。 包丁を持つと、会社の疲れが取れるような、取れないような・・・。 はたまた別の某日、玄関を開けると 「今日は鯵が安かったの。天麩羅にするから三枚におろしてね。あっ、1匹2匹は刺身にしてもよござんすよ。」 なかなか緩めてくれません。そうしました。 「ねえ、見てよ、この美しさ」 先週末、蜜柑狩りの際、摘んだ石蕗を晒すの図です。晩酌途中、夜鍋を始めた妻が声を掛けてきました。確かにいい色合いです。 翌日の完成品。これも晩酌の当てにいい感じです。軟らかい。 閑話休題、三寒四温もそろそろ終わり。先週末から今日29日の一週間に2度、湿りがありました。人呼んで菜種梅雨。次の写真は梅林の梅に滴の図。梅林庵は梅の木の予防措置を講じません。古木のこともあり、ウメノキゴケが蔓延。年を追う毎、収量が減っています。といってもほとんど収穫せずに落下させてしまうのですが。誰か欲しい人いませんかね?タダで差し上げますよ。穫りに来る方は気を遣わずにお金を使ってきてくださいね。(嘘です。悪い冗談ですよ。手ぶらでどうぞ。)ちなみに収穫は6月上旬ですぜ。 湿りと言えば、木立の水田は代掻きが始まりました。先週末の散歩道に冬眠から醒めた井守がそろり。これも春の使者ではあります。 雨模様の写真ばかりは鬱陶しいので、スカッと行きましょう。次の写真は某日の朝です。雨上がりの針水仙に朝日の当たる図。妻の花壇に満開でした。 満開と言えば山桜。私のまちの花(市花)がそれなのです。今日(29日)は既に盛りを過ぎていますが、数日前、針水仙を移した日、生目山の裾野に混じるそれの写真です。今年の清明は来月4日ですが、この図はまさに清浄明潔です。 清明をもう一枚。正面の山は霊峰尺間嶽です。 戻ります。年度最終の一週間を乗り切り、今日は金曜日。他社同様、弊社も退職する方々を見送る行事がありました。朝のうち、決裁の棚に溜まった書類に判子を押し終えました。午前8時半、某会議室に退職辞令交付式。一人一人、社長から職を解く旨の紙を受け取り、ねぎらいの言葉がありました。神妙、晴れ晴れ、複雑、一抹の寂しさ・・・、それぞれにそれぞれの顔色を見て取れました。思えば5年前、杣夫もその一人でした。再就職した今は、この一年、苦楽をともにした後輩を見送る立場。複雑ではあります。 が、感傷に浸る間はありません。記念撮影の後、急いで港の埠頭に向かいました。 海上自衛隊の自衛艦が入港するため、歓迎式典があったのです。杣夫の暮らすまちは戦前、海軍航空隊があり、今はその跡地に海上自衛隊分遣隊が立地しています。その関係で時折、自衛艦が入港します。今回は明日明後日開催のさいき桜まつりに併せてとのこと。次の写真はそのイベントポスターです。 歓迎セレモニーの終わり、折角です、船内旅行をさせて貰いました。本船は補給船でした。艦橋から船首をパチリ。 やっ!未だにこれを使っているのか!コンパスです。灯台などを横目、本船進行方向と直角に交わる際のアビーム、大学練習船で体験しました。懐かしいなぁ。 室内をふり返ると、やっ!ラッパだ。艦長さんに聞くと、今も使用しているとのこと。吹くの、難しいだろうな。ここで余談です。杣夫の古い友人に山本晴望という男がいます。静岡の出身にして大学の同窓同級生。大学オケに属し、ホルンを吹いていました。卒業後、彼は故郷にUターン就職。仕事とは別、地元にオケを立ち上げ、今も活躍中です。時折、梅林庵ブログに書き込みをしてくれます。前置きが長くなりました。ホルンとラッパの違いはあるけれど、彼なら上手にならすことができるのではないか。再就職は海上自衛隊の喇叭手なんてどうだろう?なんちゃって。 ブリッジからの佐伯港です。向こうは佐伯重工(造船所)です。5万トンクラスのばら積み船を建造の能力があります。 こちらはコンテナ荷役用のストラドルキャリアです。それにしても本船のブリッジは高いです。海抜20m。高所恐怖症の杣夫は足が竦みました。 社に戻り、午後も判子押し。夜は地元経済界と自衛隊幹部のみなさんの懇親会。それに混じって、でした。杣夫はノンアルで通し、海上生活のあれこれを訊くことに徹しました。興味深い内容でしたが、ブログに馴染まぬ内容、その場限りの話とします。 午後9時前、マイカーを運転して帰宅。シャワーを浴び、トラの頭を撫でながらウイちゃんを舐めました。バタンキュー。 なんだか疲れたな。
2024年03月29日
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Saturday, March 23, 2024 あれこれあって、ブログ更新は一週間ぶり。取り留めの無い日々を以下に纏めました。 今月第2週に株主代表会議を終えました。同じ週の末に人事異動の内示を済ませ一段落。しかし、先週末も行事が入りました。弊社発注、某所の橋梁架け替え工事が終わり、開通記念式典に出席しました。幅員の狭い古橋が一変、川向こう集落に大型車の乗り入れが可能となりました。写真はそれを慶んでの地区主催神事です。祝詞奏上の後、式典あり。社長や株主代表からの祝辞あり。ちょっとだけ、私の出番もありました。雨の中でしたが、その後、橋の入り口にテープカット。地区のみなさんが渡り初めをしました。 夕刻、再びネクタイを巻きました。市内のホテルに開催、地元の高校・佐伯鶴城剣道部女子の全国大会出場壮行会に出席。挨拶をし、金一封を渡しました。そのお金、弊社からのものです。市内の児童生徒が全国大会へ出場の折は、適当の金額を贈呈する決まりが弊社にあるのです。さてもの鶴城高剣道部、嘗て玉竜旗を制した実績もあります。名門です。今年の大会は3月末に開催。同校女子は昨年の全国選抜大会で3位となりました。否が応でも期待が高まります。写真は壮行会プログラムの表紙です。幾人かに声を掛けました。溌剌とした女性剣士の澄んだ目に、近づく大会へ臨む緊張感と意気込みを感じました。が、それだけにとどまらず、各人の活き活きとした若さをして、彼女たちのこれからの人生、進学、職業選択、広がる世界の垣間見たような気がしました。若いっていいなぁ。 ということで先週末はのんびりできませんでした。 明けての月曜日からは、寒い日が続きました。3月も後半に入りましたが、毎日ストーブを焚きました。春先、山の緑が明るい気配になるにつけ、煙突の煙は、少し興ざめ感があります。でも、底冷えのする曇天に、薪を燃やしての暖は心地いいのです。 さてもネタ不足。仕事は年度末を控え、決裁文書が増えました。判子押しの毎日です。ということで大相撲のことを。 杣夫はスポーツ観戦が大好きです。中でもプロ野球と大相撲がよろしい。ということで本場所中は中入り後の取組を毎日録画。帰宅して、晩酌をしながら土俵を堪能しています。勿論早送りでして、4合瓶の半分をやっつけたころ、打ち止めとなります。某夜はこれをやりながら。 某夜はプシュッ。そんなこんなで迎えた今日14日目を終え、優勝は平幕二人に限られました。世代交代の波が押し寄せているの感。ますます面白いです。ということでビールの味も格別です。 戻ります。この週、中日は彼岸中日でした。会社は休み。先日、親方にTELを貰いました。樫ではないけど、薪に如何?ということで久しぶり、彼の集落を訪ねました。おお、懐かしい風景です。山に入らずとなって丸3年。丸太を見ると、チェーンソーの腕がうずうずします。 この日は午前に2車、午後に2車、都合4回、軽トラを駆りました。写真は雑木を積み込んでロープで縛るの図。荷のそれは丁度いい長さに切ってあって、切り揃える手間不要。助かりました。 次の写真は、拙宅梅林横に積み上げた4台分のそれです。こうしておいて、週末、時間のある折、少しずつ30~40cm程度の長さに小切り、薪小屋に収めるのです。 この日、妻は大分向け。父の家にある母の位牌にぼた餅を供えた後、出かけていきました。この夏にコンサートあり、その合唱に加わる申し込みをしたとのこと。今日が練習始めでした。何を歌うのか訊いたら、カルミナ・ブラーナの由。写真がその楽譜です。私、オタマジャクシを読むことができません。ちんぷんかんぷん。でも、オルフのこの曲、よく聞きました。オイゲン・ヨッフム指揮のEMI廉価版、懐かしいです。あっ、そのレコード、もう処分してありませんが。 戻った妻は、これを頬張りながら、練習会の様子を話してくれました。上手な方が多いとのこと。充実の時間を過ごしたようでした。 ああ、そうそう、レコードと言えば先日、とりあえず処分した600枚ほど、なんと査定金額は140円でした。愕然とはこのことです。口座を確認したら、その金額が振り込まれていました。トホホ。ということでやけ酒はウイちゃんに限ります。 戻ります。週の後半も寒い日が続きました。しかし、春は確実に、です。白木蓮が終わり、辛夷も散りました。次の写真は拙宅犬走りの端に植わる木蓮です。紫の蕾がいい感じになりました。 こちらは拙宅玄関。妻の世話で春の花、あれこれがが今が盛りの共演。毎日、目を楽しませてくれています。 春の花と言えば、馬酔木です。堀辰雄の大和路・信濃路。浄瑠璃寺の春です。九体寺とも言われるそのお寺、杣夫も一度訪ねたことがあります。鄙の様子、素朴の建物に国宝の並ぶ風情をよく覚えています。その折は堀の文章が過り、孤独の何たるかをふわり、覚えました。写真は隣家S兄宅の庭に咲くそれです。毎春、この馬酔木をして、春の陽気にあって寺の日陰に佇み、一瞬、妻の声が遠くなる瞬間、堀のその感覚を想うのです。 週末、昨日のことですが、弊社互助会の送別会が某ホテルでありました。今年度60歳を迎える皆さんが対象。杣夫は互助会顧問という立場。挨拶の役目がありました。かく言う杣夫もかつては、その会員でした。その年齢で退職しましたが、訳あって舞い戻ったのです。5歳年下の連中を見送ることになろうとは。なんだか複雑の心境でした。 酒席はごった返しました。差しつ差されつの時間が続き、結構酔いました。下戸の同僚に自宅まで送ってもらいました。帰宅し、シャワーを浴びていて妻帰宅。ウイちゃんを舐目ながら、ああそうか、彼女も仕事は打ち止めだったんだな。 妻は数年前、請われて支援学校のバスに乗りました。コロナ禍のバス通学。密を避けるため、台数を増やしたのですが、添乗員不足。なんとかしてほしいとの依頼が彼女にあったのでした。以来3年間、毎朝午前7時半、学校に出向き、大型のバスに乗ってそれぞれの停留場所に待つ生徒を迎えたのです。その仕事が今日でおしまい。学校関係者からあれこれの退職プレゼントを貰ったようでした。その一つ二つがこれでした。 妻は大学卒業後、小学校の教員を十余年。子育てと仕事の両立に悩んで退職。二人の子どもに手の掛からなくなった時、たまたま支援学校から講師になってほしいとの声が掛かりました。以来、ずっとその学校に関わってきました。平凡の田舎暮らしにあって、その世界との接点は、彼女にとってとても楽しいものだったようです。 ということで学校好きの妻、バス添乗員を引き受けたのでした。ところで昨今、学校現場の教員不足が言われていまして、私のまちも例外ではありません。ということで例に漏れず妻にも幾つか臨時講師の口、声を掛けられたようでした。しかし、今夜、帰宅しての顔は、その仕事に未練の残るものの、もうこの歳だし、その仕事を受けたら、自身の時間が潰れてしまう、老いた母(彼女の母親)のこともあるし・・・。吹っ切れたような感じでした。 それが節目というわけではありませんが、10年乗った軽自動車ホンダ・NBOXを手放し、新たにスズキのソリオを購入。彼女に届くのが今日でした。新車のハンドルを握って満足のようでした。よい退職プレゼントになったと思います。次の写真はこれも彼女に支援学校のメンバーから送られた花束です。 さて、今日は週末土曜日。朝ご飯を食べていて妻曰く「知り合いが甘夏を採るよう、勧めてくれるの。手伝ってくれる?」 アイアイサー。峠を越え、某所、密柑山を訪ねました。やっ、生ってるぞ。 取り付きました。木に登り、鳶口で枝を引き寄せ、捥いでいきました。蜜柑コンテナ5杯分収穫しました。これ、甘いんです。毎日、剥いたそれを食べます。あっ、杣夫は食べるのが専門、剥くのは妻です。 ということで以上が一週間纏めて、でした。最後の写真は、密柑山に収穫の石蕗です。これ、皮を剥いて煮るといい風味です。
2024年03月23日
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Saturday, March 16, 2024 このところ、ブログの更新を怠っています。やっと週末が来たの感。1週間ぶりのアップです。 先ずは先週末のことから。玉切った樫を割ることにしました。これを始末。 斧を振っていたら、隣に暮らすNのYっちゃんが「頼まれて木立小学校の樫を切った。薪にするのならあげるよ。」 二つ返事。早速軽トラを駆って引き取りに。分量は1台分でした。この始末(玉切り)は来週以降だな。 高菜の始末をしなければなりません。トラクターで鋤き込むか。 次の写真は竣工図。あっという間の作業でした。写真左上のオンボロはバッテリーがあがっています。ダイナモが故障、充電できないのです。ジャンプスターターを使い、エンジンをかけるのです。 始末を終えやれやれのところにUのおいちゃんからTELあり。カマス如何?勿論二つ返事。20尾頂きました。 塩焼き用、一部を三枚おろしして天麩羅用、数匹は刺身に。写真は最後者のそれです。中骨が少し気になりますが、杣夫は構いません。 これと合わせました。 こちらは後日の夕食。妻が準備の図。 向こうがカマスの天麩羅。手前は新玉と里芋の素揚げです。酒は何を併せたかなぁ。忘れました。 さてもの一週間、続いた株主代表会議は週半ばに終えました。途端、滞っていた内部協議や会議が湧いてくるよう、続きました。写真はアオサの味噌汁。この週の忙を予測、週始まりの励ましにと妻が拵えてくれました。これ、息子の好物でもあります。彼、どうしているかな。連絡皆無なので久しぶり、LINEを入れたら出張とのこと。まあ便りのないのはよい便りだから。 ウィークデー、朝は汁物とご飯ですが、昼はこれが続いています。夕刻になるとペコペコです。 次の写真は某日の夕食。鍋の季節も終わりだな。 写真は週後半の某日朝の光景。木立橋から門の鼻橋を見るの図。水蒸気のあがるのも、鍋同様、そろそろ終わりです。 ということで拙宅、今週はカマスの天麩羅や鍋、夜は馳走でした。が、週に一日、妻が仕事で帰宅が遅くなります。その折は夕食も遅滞。禁玉さんを見習って台所に立てばいいのですが、そうもいきません。マニアワンのです。その日は佃煮海苔を当てに。 さて、昨日金曜日は弊社人事異動の内示日。社内のざわつきは例年のこと。午後5時を過ぎました。毎週末、コーラスで妻不在。帰宅してラン、夕食も自己完結でした。勃然、よし、出撃しよう。いつも世話になるO君(50歳前後、彼は異動していない)を当て馬、打って出ることにしました。誘うとホイホイついてきました。持つべきは付き合い一番身体は二番の左党がよいです。先ずは冷酒の揃う魚喜家。刺盛頂戴。これが1人前です。 ビールで乾杯の後、さてと何をいこうか。大将にお薦めを順番ね、そう頼みました。先ずはこの口を切ってくれました。 次は仙禽。うーん、甘露だな。 これも甘露中の甘露。 もう1杯頂戴。うん、これもいい酒だ。 入店した折、午後7時から予約があるのでそれまでだったらとの約束でした。その時刻が近づき、勘定をしました。O君、次、鮨屋なんてどう?えっ、同級生のやっている店があるの?それじゃーそこへ行こう。突っ込んだお店は寿司好。カウンターの真向かいにこんな看板が掛かっていました。 シャリが切れたとのことで寿司を摘まめず。天麩羅と卵焼きを当てに燗酒を4合ほど。O君はビーラー(ビール飲みのことをこう呼ぶのです)ですから、杯とジョッキを交互、ちゃんぽんでした。写真は摘まんだ卵焼きです。 結構酔いました。でもアルコールに強いO君はまだまだの様子。聞くと、週末は自宅に手酌、朝まで飲むことがあるとのこと。ギョエッ、O君恐るべし。誘った手前、ここで失敬すれば男が廃る。ということでもう1軒、ジビエの店・花月に突っ込みました。写真は猪の串です。ビールで乾杯した後、私は冷酒を貰いました。ベロンベロンになりました。 土曜日、つまり今日(16日)ですが、朝は頭が重かったです。トラに猫カリを与えよう。とその時でした。勝手口にニャーニャー。ん?もしかしてオビ?ドアを開くとニャロメが座っていました。おーよしよし、どこへ行っていたんだ。上等の鮪入り餌を与えたらペロリ。猫カリには少し手をつけただけ。何処ぞで可愛がって貰っているのでしょう、丸々太って、口も肥えて。 朝食の後、のんびりしていたら「あなた、馬鈴薯を植えるから手伝って頂戴」 芽が出て植え頃になっていました。 アイアイサー。襤褸に着替えました。畝を拵え、其処に種芋を置いていきました。芋と芋の間に牛糞と化成肥料。その後、鍬で土被り10cm。写真左はそれを終えるの図。つまり2畝。自家消費はこれで十分の量です。 あれこれの小仕事もあって、地下足袋を脱いだのは昼過ぎ。昼をした後、ウトウトなりました。目の覚めて、さてと、散歩に行こう、とその時でした。「金木犀を剪定したの。軽トラの荷台に山盛りだから、それを捨ててきて頂戴」 先日、彼女用にと電動剪定鋏を買ったのですが、面白いように切れたとのこと。父の山に枝を置きに。と、軽トラに彼女も乗ってきました。ついでだから、蕨の穴場を見たいとのこと。其処へ廻りました。まだのようでした。 家に戻って散歩。Rさんを誘いました。次の写真は行き遇わせた犬たちです。名前は小麦(コムギ)。ハスキー犬です。よくなついて、触らせてくれました。 こちらは小豆(アズキ)。白いシェパードは珍しい。 散歩を終え、Rさんの家に戻りました。ユキヤナギが西日に映えていました。 明日は雨とのこと。空の雲行きがそれを物語っていました。嗚呼、明日は日曜日なのに昼も夜も仕事です。昼は某式典、夜はスピーチと会食。日曜日が潰れます。
2024年03月16日
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Saturday, March 9, 2024 昨夜の深酒がせいで、今朝は頭が少し重かったです。朝は珈琲とロールケーキで済ませました。さてと、やっと週末がやって来た。其の儘になっていたレコードの始末をしよう。買い取り屋から送られてきた段ボールを組み立てて箱にしました。それに手当たり次第、詰めました。嗚呼、これも手放すのか。 これ、名盤なんだけどな。 モーヤンのオペラも聴くこと能わずとなります。 嗚呼、松山千春のライヴ、これ真駒内のリンクが舞台です。札幌のハーフマラソン大会を2度走りましたが、スタートゴールが其処でした。懐かしいなぁ。尿漏れの治まって練習再開したら、またその大会を走ることができるかなぁ。それはそうと、今の千春は別として、彼の歌が私の青春なんです。 10箱、詰め終わりました。約600枚かな。まだそれ以上の枚数が残っています。もう一度、10箱を取り寄せしないといけません。ちなみに箱の取り寄せとこちらからの送料は全部無料。買い取り屋のHPにアクセスしたら、自動的にヤマト便へ連絡が行き、本日午後に集荷がありました。後日、査定結果の連絡があり、杣夫の口座に入金があります。ラーメン3杯、つまり3ラーくらい(2,000円程度)になるといいな。無理かな。 前後します。箱詰めをしている最中、豚まんが届きました。嗚呼、届いたか。ところがです、えっ?2箱も?取り寄せたのは1箱でした。それが何故か2箱。送付元を見ると、も一つは福岡在住・Sさんの奥様から妻宛に、でした。なんたる偶然。有り難うございます。箱に「豚まん屋さんを知っている人は知らない人よりもHAPPYだと思う・・・」いいキャッチコピーです。 中にぎっしり。これ、妻の大好物なんです。 ということでもう1箱の話。ホワイトデーが近づきました。義理チョコといえども、紳士はお礼を疎かにすべきでありません。加えて杣夫は見栄っ張りかつ変化球好みの天邪鬼です。クッキーなど月並みを避け、10個入りの豚まんを1箱、返すのです。このチョイス、いい案と思いませんか。 陽の傾いた夕刻、レコードを見送った後、Rさんと散歩しました。彼の年齢は72。歩きながらの話題はもっぱら大相撲。宮城野親方はどうなるんだろう、琴乃若は優勝するだろうか、角番の貴景勝は・・・。 家に戻ってチャイコフスキー。タンノイだけは残してあります。Amazonmusicでオムニバスを聴きました。風呂を浴びたところに妻が戻ってきました。実家に豚まんの裾分けをした後、友人とお茶をしてきたそう。杣夫への土産がこれでした。 チャチャッ。どうですか、身の透明感。言うことはありません。燗酒の後は黒糖焼酎のロック、締めにアイラモルト。バタンキューでした。 内臓と腹骨、それにこれがトラの分です。
2024年03月09日
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Friday, March 8, 2024 株主代表会議、今週は小会議が続きました。来年度の営業計画と予算は、あらかた決まりがつきました。写真は先週末、土曜日夕刻の散歩道です。春先の空は優しいブルーです。 やっ、どうしてこんなところに蟹の足が?これ、谷筋に棲むモクズガニです。カラスに捕まえられて、ここで啄まれバラバラとなった模様。 少し進むと、やっ!猫だ。黒の2匹が金色眼をこちらに向けていました。 ボケの赤と空色がいいコントラストでした。週末の夕刻にこのような色合い、洗心の気分でした。 しかし、風はまだ冷たく、浅い春という感じもありでした。それでも拙宅裏庭のこれを見ると、春の往くを思います。行きつ戻りつという感じかな。三寒四温という言葉もあるし。 翌日曜日は出張でした。社長の代理で熊本向けとなりました。某所に開催の野外式典に出席。午前9時までに来場をということで、家を出たのは午前5時半。会社で営業車に乗り換え、部下の運転で九州山地を越えました。国道57号を西に西に。火の国に入ると途端、阿蘇外輪山の内懐が広がりました。雄大の景色とはまさにこのことです。 こちらは阿蘇五岳の雄・高岳です。ピークの右にたなびくは雲に非ず。中岳の噴煙です。 式典会場は吹きっさらし。寒かったです。正午を過ぎて這々の体、来た道をとって返しました。昼はJR宮地駅付近の「彦しゃん食堂」でホルモンにするつもりでした。しかし、なぜか正午を以てのれんを下ろしたとの張り紙。夜は午後6時からとありました。仕方がないので滝室坂にあるこれも焼き肉の店「よかよか亭」に突っ込みました。 ここは陳列棚のパックを自由に選択、好きなだけ取るシステムでした。 狙いは勿論ホルモンです。そうしました。それにキムチと白ご飯。日曜日とはいえ勤務中です。ビールは我慢。運転のお礼です、部下を鱈腹にしてやりました。 帰宅は夕刻。日曜日が潰れました。次の写真は道の駅すごうに求めた竹田の銘菓・荒城の月と三笠野です。これ、そんじょそこいらの甘いものは太刀打ちできない和菓子です。JR大分駅や大分空港で求めることができます。来分の際は、杣夫に騙されたと思い、食べてみてください。 さて、先にも書きましたが、一週間、株主代表出席の小会議がぶっ通し、続きました。加えて水、木とUNIONの交渉。これに疲れました。写真は初日、夜7時からの長丁場に備えて食べたHotto Mottoの天丼弁当です。 こちらは二日目。総務の幹部連中に便乗、ラーメンの出前にしました。これ、美味いんです。汁も乾しました。 ということで、飲まずにはやってられない。酒を抜いたのは2日間だけでした。或る晩は河豚鰭を焼いてそれにキンキンの燗を注ぎました。当ては冷凍してあったアオリイカ。妻が切ってくれました。 おいトラ、鰭が匂うか。お前も飲んでみるか。 遅くなった某夜はつまみ無し。九平次を燗にしてチビリ。 とまあそんなこんなの一週間でした。ということで小会議、今日で決まりがつきました。肩の荷を降ろした財務の連中が某所に突っ込むというので、浮かれて杣夫もそれに便乗しました。写真は午後5時を過ぎての盛り場・新町通りです。陽の傾いて、私も解放モード。 やっ、猫がいるぞ。私の姿に警戒心むき出し。写真には3匹ですが、この後、シャッターの穴からもう2匹、顔を覗かせました。 おっと、忘れてはいけない。これを買いました。 と、その時でした。其処で飲み友だちのdatelineとばったりの鉢合わせ。ペパリーゼの小瓶を見せたら曰く「そんな安い奴を飲んでもつまらんですよ。もっと値の張るものでないと効き目は薄い。あっ、そっちはソルマックですか。私はね、飲んで帰った時は太田胃散なんですよ。ええ、長らく皆に愛されている薬はそれだけの信頼と薬効あってのことですからね。えっ?私ですか?今から上司の送別会ですわ。でもまにあわんので、最前、五八(ごはち、魚料理の居酒屋)で生を一杯引っ掛けたんですよ。いきなり乾杯だと身体に悪いですからね。」 そういえば微醺を帯びた顔になっているような。写真のないのが残念です。 戻ります。突っ込んだ店は「ひかる」でした。生中で乾杯の後はひたすら冷酒を。若い連中が多かったので、釣られて飲み過ぎました。写真はありません。帰宅は午後10時過ぎだったかな。喉の渇いてプシュッ。打ち止めをして水平飛行となりました。 今日の写真は阿蘇の野焼きです。熊本からの帰り、外輪山が燃えていました。 立ち上がる炎です。これも春の風物詩でしょう。嗚呼、春の往く・・・。「春望」が口をつきました。
2024年03月08日
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Saturday, March 2, 2024 晴れ。寒い一日になりました。 火曜日から昨日まで4日間、株主代表を迎えての缶詰会議が続きました。昨日の夕刻、会社を出る折、いつもの金曜日に増しての開放感がありました。居酒屋に突っ込みたかったです。しかし、酔った後、代行運転で帰るのも面倒くさいし、帰宅してもコーラスに出かけて妻不在。千鳥足で勝手口の鍵を開けてとなると、あれこれが覚束ないし。真っ直ぐの家路となりました。 帰宅していつものコースをラン。3km。寒かったです。少し汗ばんだだけでした。先週、泌尿器科を受診以来、血尿は混じりませんが、走ると覿面、ステップ毎、チョロ、尿の漏れるのが分かります。 風呂を浴びて妻と晩ご飯。今夜はチキンカツを揚げてくれました。プシュッとやった後は、麦焼酎のお湯割り。彼女を見送って酒精をウイスキーに替えました。youtubeをサーフィン。バッハを浚いました。今週は3日、ノンアルデーにしました。我慢しようと思えばできるものです。 ということで綴れなかった週後半を以下に纏めます。 写真の一枚目は甘酒です。酒粕を使い、妻が鰤の切り身を西京漬けにしました。その残りをこれにしてくれました。市中販売はノンアルコールのそれが多いですが、やっぱり飲んでホロリとする方がいいかんじです。 さて、その鰤は今朝、2切れを焼いてみました。いい感じでした。美味しくて写真を失念。代わりにその鰤の鎌焼きです。 こちらはアラの煮付け。鰤も鮭と同様、無駄の少ない魚です。いや、この2種類だけではなく、ほとんどの魚がそうなんですけど。 ということでこの1週間、朝晩の食事は大半が鰤を素材のものでした。中日だったか、魚ばかりではちょっと…。そう考えた妻がジビエにしてくれました。漬け込んでいた鹿肉の残りを焼いての図。 焼きがすぎたのかウェルダンに。元々硬い種類です。噛み応えがありました。 朝晩は結構な馳走が続きました。而しての昼は粗食。毎日、この手で済ませています。 料理ばかりの話になりました。 次の写真は鴨の群れです。北帰行を前、水田に憩うの図。向こうにチュウサギを見て取れます。何を食べているのかな。先日は、この付近にカラスの群れがいました。田打ちの始まって、虫が表面に掻き出されるのでしょうか。 こちらは昨日、出勤時、曇天の隙間から射した陽が角道付近の杉山に映えるの図。色づいたように見えるのは杉の花。花粉をまき散らしているのでしょう。 ということで週末。今朝は、朝食を済ませて野良に出ました。チェーンソーの刃を研いだ後、草刈り機を背負い、梅林下に伸び始めたカラスノエンドウを刎ね切りました。写真は引いた拙宅菜園最後の下仁田葱です。葱坊主を付け始めたので、慌てて始末。 下仁田の葱に坊主の弥生かな
2024年03月02日
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Tuesday, February 27, 2024 曇りのち晴れ 昨夜はノンアルコール。滅多と抜かないことがせいか、眠りが浅く、幾度も目が覚めました。朝は珈琲とフレンチトースト。 午前7時過ぎ、コンビニで野菜パックと納豆を求め出社。 今日から株主代表の大会議です。終日でした。写真は、昨日、Secretarial departmentのカウンターに飾られたスイートピーの雛人形です。生産者の方が寄贈してくれました。 午後5時半退社。次の写真は新大橋上空からの西空です。太陽は写真の左に沈む直前。中央右に虹のような光を醸していました。 沖田の直線を走っていて、ハシボソカラスの群れに行き遇わせました。スピードを出していたら奴らに衝突だな。 帰宅して、走ろうか。いやまてよ、一昨日の鰤、半身が残っていました。勝手口、北風の当たる場所に吊っていました。写真のないのが残念です。それをなんとかしないと。ということで一部を刺身に。大半は切り身にしました。 これにするわ。妻が酒粕を潰し始めました。 味醂や砂糖を混ぜて西京漬けにするんでしょう。 ならばと私、アラを煮付けに。 二人、あれこれバタついて、夕食は午後7時過ぎ。走ること能わずでした。本日ノンアル2日目。大会議の続く金曜日までお預けです。 今日の写真は、先日買った電動剪定鋏です。これ、妻用です。ガーデニングが楽ちんになりそう。トリガーを引くと、途端、カシャッ。直径3cmまでの硬い枝を難なくです。バッテリー充電式。便利なものがありました。
2024年02月27日
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Sunday, February 25, 2024 雨のち晴れ 午前、先々週に続き、レコード買い取り業者がやって来ました。300枚5,000円でした。まだ残り1,000枚以上ありますが、それには値がつかず。置き去りでした。ああ、清掃センターの溶融炉行きか。なんとも・・・。虚しいなぁ、断捨離は。今日の写真、一枚目はヴァルヒャのバッハです。残していきやがった。 これもです。教会カンタータ「心と口と行いと命もて」 BWV 147。悲しいかな、上も下の写真が曲もネットで聴くことができる時代になりました。 昼,半生のうどんを茹でて釜揚げにし,腹一杯。レコードのあれこれ、その傷心を紛らわしました。 さてと、昨日、医師の言葉に、血尿の心配が不要となりました。チェーンソーを一回しするか。枯れた樫の輪切りを煎餅、小さくする作業でした。次の写真は切断作業中。 竣工図です。暫く陽に乾した後、斧で半分に割り、薪にします。 作業をしていて、と、その時でした。古い友人からTELあり。鰤をあげよう。家を教えろ。そう言われました。突然のTEL、お返しの品がありません。サッポロ黒ラベルをお釣りにしました。写真はその魚です。丸々太っていました。 写真中央、頭に入る傷は鮮度を保つための血抜き、締めた痕です。 これが今夜の晩ご飯。1尾全部は食べること能わず。近所に裾分けをしました。隣のおばちゃんがお礼にとキャベツを1玉くれました。田舎はこの通り、相互扶助なんです。 こちらは鹿肉のステーキ。鰤の届く前、既に肉を解凍していました。今夜はノンアルに決めていましたが、刺身とこれがせい、結局、飲んでしまいました。Monday, February 26, 2024 晴れ一時雨 終日、株主代表会議準備のため、一室に缶詰でした。 先の土曜日、病院に頻尿、尿意切迫感、尿失禁の症状を改善する薬、ベオーバ錠の処方を受けました。帰り道、その処方箋をもっていつもの薬局へ。薬を受け取りました。次の写真は同じく土曜日(24日)の検査結果です。退院後、夜のお勤めを緩めませんが、肝機能はまずまずです。 それでも今夜は、明日からの大会議に備えノンアル。昨日食べきれなかった刺身が夜の食卓に出てきたら、その決意が鈍ります。ということで朝にそれを食べました。熱いご飯にこれを載せてだと、格別なんです。朝からキンキンバチバチの鰤刺、ごっつぁんでした。 その際、醤油をつけません。地元の水産加工業者ヤマロ渡邉特製「あつめしのたれ」に浸して食します。おかわりしました。 さてもネタ切れ。おいトラ、お前の出番だぞ。ストーブの前にゴロリ、妙な格好をして爆睡の図です。これは数日前の写真です。今夜もこれに似た格好でひっくり返っていました。腹の中は人間と一緒、鰤刺で一杯です。 おまけは昨日の夕刻、Rさんと散歩途中の切り取りです。カメラに残っていたのでアップ。1枚目は拙宅裏庭に咲く蕗の薹です。 こちらは隣、Dさん宅の生け垣です。ヒイラギモチが赤い実を付けていました。 最後は小中尾のKさん宅庭に咲く椿。青空とのコントラストがいい感じです。
2024年02月26日
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Friday, February 23, 2024 曇り やっと休みが来ました。3連休。 初日の今日は、オーディオ最終処分の日。午前10時、先日お願いした業者・Fさんが再び来宅。名残は尽きませんが以下のものを手放しました。 マッキントッシュプリC32。 同じくパワー2205。 これ、高評価を頂いたトーレンスです。 アームはSME。カートリッジがオルトフォン。これで聴いた名盤・リヒテルの平均律は天国的でした。写真は複雑なバランスを醸すSMEの肩です。 オーディオの師匠に弟子入り、指導を受けて揃えた数々よ、さようなら。見送って財布が厚くなりました。第1陣のそれに足すと、地中海クルーズ一人分にはなりそうだな。 次の写真は一人寂しげに居残り、薪ストーブのある居間に移動させたタンノイです。GRFメモリーTWW。 プリメインはトランジスタのマランツ。これで十分です。後はソフトの処分。レコードがまだ大量に残っていますし、CDも手つかず。嗚呼、頭が痛い。 午後、珈琲を淹れ、上記でバッハオムニバスを聴きながらぼんやり。と、その時、ピンポーン。散歩友人のRさんでした。友だちからこれを貰った、お前、飲むか? 二つ返事、いただきました。大分の麦焼酎です。 ピアノコンサートから戻った妻が、これを炒めてくれました。宮崎県産の味付けホルモンです。日向路から日之影、五ヶ瀬の道沿いにある道の駅・里の駅に冷凍販売しています。これと焼酎の相性、格別なんです。 臓物ばかりではと、これが出てきました。アスパラ菜と菠薐草にトマト。バタンキュー。 今日の写真は彼女が聴きに行った小林愛実のコンサートパンフ。ショパン中心だったとのこと。Saturday, February 24, 2024 曇り 午前7時過ぎ、家を出ました。別府向け。今日は術後の定期検診。退院し、2ヶ月が経ちました。このところの運動で尿に血の混じるを相談しないといけません。 採血と尿検査。術前、5を超えていたPSAの値は0.009になりました。尿取りパッドについた血尿写真を見せたらI医師曰く「全く問題ありません。切った貼ったをした後です。しばらくは続きますが気にする必要はない。尿漏れも半年、一年のスパンで考えてください。95%の人が治りますから。骨盤底筋体操、豆に続けてくださいね」 尿漏れは手術直後を10とすると、6~7に低減しました。もうしばらくは我慢だな。 この日も妻が一緒してくれました。日頃の上げ膳下げ膳に感謝、昼にフランス料理如何、水を向けました。「昼ビーのあなたじゃーあるまいし。陽の高いうちにワイン、ありえないわ。それに仏料理の後、温泉に入るというのもなんだか妙な組み合わせよ」。 それじゃー饂飩だね、「資さんうどん」にしよう。突っ込みました。 チェーン店です。本社は北九州市にあります。店舗は山口県にもあるそうですが、九州に展開。中に働く人たちは濃紺の頭巾とエプロン、白のポロシャツ。清潔感有りのユニホーム。 テーブルに座るとタッチパネルがありました。 しあわせうどんセットというのがあり、それを注文。店の一押し、牛蒡天うどんは竜王戦で藤井聡太名人が食べたとのこと。私はカツカレー、妻はカツ丼セット。小さなぼた餅が付きました。麺は丸亀と違い、腰の強さはありません。写真は夫婦二人分のそれです。しめて3ラー。おフランスの料理にしなくてよかった。 そのぼた餅、評判なんだそう。多くのお客がテイクアウトするとのこと。この通り、陳列棚に一杯でした。私たちの入店時刻は11時過ぎでしたが、店を後にする昼前は20人ほどが待ちの行列を作っていました。さすが人気店。 満腹になって温泉はどちらからともなくキャンセル。湯に浸からず、家路につきました。次の写真は買って戻ったぼた餅です。妻のおやつになります。同じものを父や義母へも。一緒に写る椎茸は隣のS兄が玄関に置いてくれていたもの。有り難うございました。 帰宅してRさんを誘い、散歩しました。いつもお世話になりますということで、別府土産のぼた餅と、帰る途中に求めた「ふなぐち」を1缶、あげました。 風呂に入り、早めの夕食は冷蔵庫の残り物で。今夜、流した酒はふなぐちのセットと出羽桜。アルミ缶がいい感じです。血尿問題の解決し、酒が進みました。 林立のうち、これは200ml入りの1缶が1ラー近くします。ふなぐち中、一番の逸品。濃厚芳醇、トロリ感あり。 今日の写真は冬に逆戻りの別府・鶴見岳です。6合目あたりから上が雪を被っていました。往復の道中に見えた九重連山もそうでした。寒い一日だったなぁ。
2024年02月24日
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Thursday, February 22, 2024 雨 鬱陶しい空模様が続きます。 午前は株主代表の小会議。午後は別室に缶詰。大会議に備えての準備ヒアリングでした。写真は今日の昼です。ローチキの代わりにエビチリ。これ、パックをレンジでチンして開けました。大ぶりの海老が4つ入っていました。 終業時刻を過ぎて煮詰まりました。今日は花金、あっ、明日が祭日ということで花木です。こんな日は帰り道、いつものスーパーへ寄り、鯵を買うのですが、今日はそれを刺身にするのが面倒くさい。やり過ごしました。帰宅して、ネクタイを解く前、これを口に含んでゴクリ。1週間のご無沙汰でしたとなりません。3日間我慢しただけでした。空きっ腹にアイラモルトは応えます。 シャワーを浴びて燗酒に取り付きました。当ては里芋。 こちらは雪花菜です。「これ、手間のかかってよ」とは妻の弁。その通り、美味しかったです。日本酒によく合いました。 メインはハンバーグ。4割は雪花菜だそう。これも悪くありません。ということで今夜はウイちゃんを1ショット、燗酒を4合。バタンキューでした。 病み上がりに一升瓶の半分、しかも独酌でとは。我慢のできない杣夫は人間失格です。
2024年02月22日
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Wednesday, February 21, 2024 雨 時折、雨脚が強まり稲光、雷鳴が轟きました。これを春雷と言うのでしょう。風情ありではあります。しかし出勤時、コンビニに寄ってカット野菜を買う折は、土砂降りになり閉口。写真は家を出てすぐ、亀ノ甲橋を渡った辺りです。この5分後、ゴロゴロ鳴って大粒が落ち始めたのでした。 余談です。ここに24時間営業の釣具屋があります。その名も「釣り具24」。4月になると、韓国旅行仲間の船長が鯵や鶏魚(イサキ)釣に誘ってくれます。その折、ここで餌や氷、サビキを買います。楽しみです。 その船長のことをして、先日の旅行、丸亀城の写真を昨日アップしたつもりが、それを漏らしていました。改めて以下に。どうですか、見事な規模でしょう。 戻ります。株主代表会議準備のため、会議室に缶詰。判子押しは昼休みに。終日、打ち合わせの一日でした。 午後6時前退社。風呂を浴びて夕食。おかずは梭子魚(カマス)の塩焼きと卵焼きでした。ノンアルコール。 ということで今日もネタ切れ。 神奈川近代文学館の企画を紹介します。杣夫は其処を訪ねたことがありません。横浜在住のHさんが小雑誌・銀座百点を恵送してくれ、それに添えて館の催しパンフを同封してくれて、それを知るのです。先日もこれが入っていました。キャッチコピーは「文学の森へ・神奈川と作家たち 太宰治、三島由紀夫から現代まで」。3月24日までやっているとのこと。連ねたるは錚々たるです。最後に柳美里(りゅうみり)の名も。彼女の小説「JR上野駅公園口」は面々に引けを取るどころか、大向こうを張る佳作です。彼女を加えるとは、何が流石かわかりませんが、流石神奈川近代文学館ではあります。 柳の作品はこれともう1冊しか読んでいませんが、杣夫は、エンタテインメントの村上より社会派(?)の彼女の方を好きです。それにしても「文学の森」いい響きです。 写真もネタ切れです。アップは先週末、訪ねてきた友人に貰った栗羊羹。大分市のデパートが北陸支援の物産展をやっていたとかで、石川・能美市の甘味です。箱中パンフに皇室献上とありました。大きな栗玉が入っていました。有り難うございました。
2024年02月21日
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Tuesday, February 20, 2024 雨のち曇り 雨模様に加え、朝方は霧でした。出勤時の図です。拙宅から500m、道の向こうは鎮守の森。中に熊野神社があります。昨年だったか一昨年だったか、台風がせい、大木が社殿に倒れかかり、庇を大きく傷めました。修理に数百万円とも、いや1千万円とも。財力に乏しく、未だ手がつけられていません。 ネクタイを巻く前の朝食はアスパラ菜の茎を炒めたもの。菜園のそれも、愈々終わりです。 年4回開催の株主代表会議、今日始まりました。午前は開会式。午後は来週に始まる缶詰会議の下打ち合わせに過ごしました。これ、明日明後日、来週の月曜まで続きます。 帰り際、始末の悪い案件が持ち込まれて鳩首。最後、説教じみたことを口にしました。会社を後にしての車中、勃然、そういえば最近、私は「小言の杣夫」と言われているような・・・。気のせいだといいのですが、悪い予感は当たります。嫌だなぁ。帰宅してランは無し。シャワーのあと夕食。今夜は焼きうどんでした。ノンアル。 うどんが出たところで、それに関連したネタを。先般、数週間前の週末、韓国旅行仲間と遊んだ讃岐路の写真がありました。その一部を以下に。 丸亀市にある「麺太郎」という饂飩屋に突っ込みました。メニューがいい感じです。 基本、丸亀製麺と同じ仕立て。トッピングなどはセルフでした。 おっ、おでんがあるぞ。 ビールは腹が張るな。冷酒を1本貰おうか。プライベート旅行は朝昼晩、いつ飲んでも誰からも後ろ指を指されません。 最後の一枚は、動向の朋輩、うどんを啜るの図。私を含め5人。一人、写っていない男がいますが、彼の退職祝いを兼ねた小旅行でした。 おまけは訪ねた丸亀城。城、往時の天守閣が現存するのは日本に10だそうです。そのうちの一つがこの城とのこと。建築物もさることながら、石垣の規模に驚くばかり。重機のない時代、人力による建造は至難を極めたかと。時代をしてのことではありますが、その頃に使役される立場の人間に生まれたら、堪りません。
2024年02月20日
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Monday, February 19, 2024 雨 南の風が強かったです。今年、関東は既に春一番を経験済み。九州は今日がそれかも。 午前7時半出社。午前、デスクワークとミーティング。午後はポカ休を取りました。ATMや郵便局を回り野暮用を済ませました。各種支払い。6月にある高校同期の同窓会会費1万円も振り込みました。雨脚の強い中を帰宅。ぼんやりの時間を過ごしました。 夕刻、雨の止み、青空が覗きました。暖かいので薄着の散歩。写真は尉鶲(ジョウビタキ)の雌です。散った梅の枝にの図。 4時過ぎ、歩き始めました。Rさんと行き遇わせ、並行しました。この頃、遇わないので体調を心配していたと言われました。土日に出張や用事のあって能わず、さらに歩いた後は少しの血尿がある旨を話しました。その症状、ぶらりを終えて案の定でした。今週末、定期検診があるので、尿パッドのそれを写真にパチリ。ドクターに見せる予定です。その写真はブログに馴染みません。代わりは散歩途中に移したハシボソカラスの群れです。電線にずらりの図。右下隅の電信柱までずらり。野郎たち、田打ちの始まって、掘り起こした土の中の生物を啄んでいるようです。 風呂を浴びて夕食。今日は夜のお勤めをしませんでした。続く尿漏れの原因はアルコールかも、なんとなくそう思い、暫くノンアルでいこう、そう独りごちたのでした。そういいながらも明日は飲むかもしれませんが。写真は今夜の晩ご飯、鰻でした。 今日の写真は村上春樹です。ネタ切れにつき、なにか書くことはないかな。ということで既読のものを引き合いに。書斎の本棚に目がいき、サイズの違いに目が留まりました。(上)が単行本、(下)が文庫本。BOOKOFFの通販に見繕った折、サイズの揃いがありませんでした。どうせ書いてある内容は同じだ、拘り無し、このようなことになったのです。 余談です。ハルキストには悪いと思いますが、杣夫は、彼のノーベル賞受賞はないと思います。この手の本は審査の枠から外れていると考えるからです。いえ、善し悪しは別、受賞に値しないということではありません。例えになるかどうかわかりませんが、オリンピックの金メダリストは文化勲章を受賞しない、つまりジャンルが違うのです。文化勲章は受章するかもしれませんが。
2024年02月19日
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Sunday, February 18, 2024 快晴。霜降でしたが、日中は。ぽかぽか陽気。春闌の一日でした。写真は朝食。珈琲を淹れました。 午前9時前、ネクタイを巻いて会社向け。別府市に出張でした。写真は家を出てすぐ、門の鼻橋あたりです。小型ポンプ積載車とすれ違いました。木立消防団のそれです。 ははーん、今日は野焼きだな。最前、農協の苺選果場前に軽トラが沢山駐車していました。ふり返ると、岡の沖付近に早くも煙が昇っていました。今日は無風なので、絶好の野焼き日和。田んぼの畔や付近の草むらを焼き払います。稲の栽培に悪さする冬眠中の虫やその卵を燃やしてしますのです。 会社に秘書のK君が待っていてくれました。それに乗り、彼の運転で東九州道を一路別府向け。大分インターで降り、西大分から別大国道を走りました。写真は到着場所の別府ヨットハーバー。ドイツやフランス製の豪華ヨットが舫っていました。 そこから迎えのランチに乗り、某船に向かいました。 社長の代理でその船を表敬訪問。長さ200mの大型船です。クルーは300名とのこと。士官食堂で船長と名刺交換。船のあらましとinternational situationを伺いました。私のまちには水深14m岸壁があります、接舷可能、是非寄港してください、大歓迎です、社長の意向を伝えました。写真は馳走になった昼食です。 続いて船内旅行。あれこれ、初めて見る設備もありました。ブリッジから見る別府の街並が美しい(前掲のランチ船上写真参照)。次の写真は案内された厨房です。カレーにナンでした。 午後1時半、下船。ヨットハーバーに送ってもらいました。K君の運転で佐伯向け。お疲れ様でした。写真は、会社でマイカーに乗り換え、木立に戻っての竹之鼻付近。野焼きを終え、黒いところがそこここに。 帰宅は午後4時前だったか。玄関を入った途端 「あなた、今日もUのおいちゃんにカマスを頂いたの。よろしくね」 アイアイサー。ちょっと疲れ気味ですが、包丁を持ちました。大ぶりのそれが15尾。 チャチャッ。彼女が今日はカマスを天麩羅にしたいから、何尾かは三枚におろしてね、と注文。そうしました。はい、どうぞ。 自分とトラ用に刺身もたっぷり。 残りに塩を打ちました。これ、冷蔵庫に入れておくと、小一週間は保ちます。当てに困った折、焼いて重宝です。 始末を終え、ちょっと散歩しようか。玄関を出ました。サクラソウが西日を受け、華やいでいました。 次の写真は、昨日耕運機で耕した菜園の半分です。春菊、大根、蕪、青梗菜、アスパラ菜、全部終わりました。玉葱に勢いがありました。さあ、次は馬鈴薯を植える番だな。 散歩の小道は木立川右岸。大野集落背後の山が残照に染まっていい感じでした。 帰宅して風呂を浴びました。頭を拭いたら、食卓にカマスの天麩羅が載っていました。カニカマや牛蒡、薩摩芋のそれも、でした。プシュッ。次いで冷酒。あっという間に酔いが回りました。ばたんきゅう。 今日の写真は、散歩途中に写しました。隣家、MのTちゃん宅裏庭に咲く梅です。可憐。
2024年02月18日
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Saturday, February 17, 2024 快晴 温かい一日でした。 梅林下にカラスノエンドウがむくむく、伸びてきました。そろそろ草刈り機の季節だな。ぼんやり青空を見ながらつぶやきました。案の定、夕刻、妻が「あなた、枯れた藪蘭を始末して頂戴」。 庭と花壇の境に20m、直線に植わる藪蘭を切りました。エンジンを回すのは、昨秋以来でした。写真を失念。代わりに焼き芋の図を。先ず、古い七輪に熾火を入れます。 次はブリキの焼き芋器にブツを並べます。種類はベニハルカだそう。隣に暮らすA姉に高菜をあげたお返しがこれでした。水道組合の施設管理をお願いしてあるMさんからも袋一杯貰い、夫婦二人で食べる分には十分なんです。 そいでもってそれを七輪に載せるの図。 約2時間。どうですか、いい感じでしょう、ホクホクではありません。ねっとり感たっぷり、とても甘いんです。 さて、午前9時、レコード買い取りの業者がやって来ました。とりあえず140枚を持って帰りました。3ラー強の値段がつきました。 「ジャズ盤は人気あり、外国人旅行者が買っていく、クラシックはいけません、演歌や軍歌はさっぱりです」。 ああそうなんですか。ロンドン、EMI、デッカ、グラモフォン、CBS、アルヒーフ・・・、学生時代、アルバイトをして買ったあれこれ、思い入れ深く、私にとっては青春、人生の一部、刻印付けのあれこれなのに、余りにも無残ではありました。しかし、これが断捨離なんです。 業者の方は誠実、清潔感のある青年でした。東京から大分へ出張、これから県内を5軒ほど回るそうです。車のナンバーは「わ」でした。レンタカーを借りての買い取り営業。青年、頑張れよ。査定作業を終えて帰る折、ホクホクの焼き芋とお茶を、おしぼりを添えて持たせました。写真は名盤、Bachの平均律です。さようなら。 昼は釜揚げうどん。先日、韓国旅行仲間と四国方面に旅行した折、求めました。これが2人前。茹で時間は18分。付属の汁を椀に入れ、水を足して付け汁に。美味しかったです。 午後は確定申告。e-Taxで。高血圧の薬貰いだけではその必要なしですが、昨年は入院手術があったので。しかし、保険に加入、幾許かの戻りあって、税の還付は雀の涙でした。 午後、日の傾いて、前述の草刈り機。次いで、大根や青梗菜、里芋の植わっていたところを耕運機で耕しました。ホトケノザが其処に伸び始めていたこともあり、草取りを兼ねてのことでした。 気温が上昇、暖かかったので、今日はシャワーにしました。それを終え、夜のお勤め。今日は最初から日本酒。先日の甘露を冷や、次いで燗にして流しました。写真の升は、某結婚式で配られたもの。妻が、朝方から物置にししてある屋根裏を片付け始めたのですが、その際、こんなものがあったわ、持ち下がりました。 夫婦の名が焼判、押されています。男の方は酔散学部、同学年、同学科、同講座の友人Wです。水産資源の系群解析に電気泳動を用いてが彼の卒論研究テーマでした。お馬鹿ですから、成果がからっきしだったことは言うまでもありません。その彼、頭の中は空っぽでも見てくれは講座所属の8人中ピカイチ。男前でした。関西出身。アイスホッケー部に所属、GKでした。某大手商社に就職、葉山でヨット遊びをしていて、関西系のこれまた某大手商社勤務の女性と交際、ゴールイン。祝言に講座仲間が招待されましたが、新婦の美しいことに、全員、言葉無しでした。ホテルニューオータニが会場。彼女は大手商社の会長秘書だそうで、その会長も出席。まさに華燭の宴でした。いや、懐かしいなぁ。彼からは今年も賀状が届きました。元気で何よりです。 Wのことをして、学生時代のあれこれが走馬灯のよう、思い出されてきました。何れも馬鹿話、与太話です。それはまた別の機会に。 戻ります。今夜のおかずはおでんでした。もう逸品は鰹のたたき。前者は妻の煮込みでしたが、これは出来合い。日本酒3合。午後8時、バタンキュー。
2024年02月17日
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Friday, February 16, 2024 晴れ 今日も会議やミーティング。午前の前者はズームにて。大分市まで出っ張ること能わずでしたから。写真は今日の昼。相変わらず続いています、この手のメニュー。 夕刻、午後6時過ぎ、会社を後に。贔屓のI酒店に突っ込みました。今日は大分市から友人がやってくるのでした。野暮用あっての来佐。彼は転勤族。知り合った時は独身でしたが、今は小学生と幼児、娘二人のお父さんです。勤務会社の属する業界はとても厳しいと話してくれました。一昔前は、飛ぶ鳥を落とす勢いだったのに。インターネット社会になって厳しい戦いを強いられているよう。 戻ります。折角なので一献をとの約束。焼酎を好きなので、それを土産にと、乾杯の前、この店に求めたのでした。この酒店、洋酒充実の品揃えです。この通り。 おっ、ABSINTHEを置いてあるぞ。苦艾のそれは独特です。買おうかな。うちに角砂糖、あったかな。 約束の時刻、「はし本」に突っ込みました。客人に先着、生を一杯飲みました。写真は久闊を叙して乾杯のお通し。 閂を含む刺身。 キジハタの煮付けや茶碗蒸し、湯葉餃子など、次から次、手の込んだ料理が続きました。杯盤狼藉、再会を約し彼を見送りました。代行運転を待つ間、カウンターを挟み、大将と日本酒を差しつ差されつ。つまみにとこれを出してくれました。肝です。これが絶品。 帰宅してシャワーを浴びました。ウイちゃんを舐めながら寝落ち。明日は休日。レコードの買い取りがやって来ます。想うところあり、断捨離の一環です。学生時代から集め始めたそれを全部処分の予定です。それの終わると、オーディオの残りもタンノイを残し、愛用のプレーヤー・トーレンスも手放す予定です。 余談です。オーディオ関連の終わると、次は本です。未読のものも沢山ですが、すっきりしたい。 今日の写真は処分予定レコードの一部です。およそこの5倍ほど、あるのです。 今日の酒 生中1 燗酒3合 芋焼酎お湯割り1
2024年02月16日
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Thursday, February 15, 2024 曇りのち晴れ 午前7時半過ぎ出社。会議3つ。難儀の案件を抱えたそれは、出席者の意見を引き出さないといけません。モチベーションを引き上げるために必須です。が、ハウツー本を全く読みません。自己流、行き当たりばったり、思うに任せての進行です。メンバーの琴線に触れているのかいないのか、自問もしますが、其処はお目出度い、バカボンパパの杣夫です。 昼休み、福岡在住、先日着信のあったSさんにTELしました。知る人ぞ知る某ジャーナリスト(舌鋒鋭い彼女ですが、プライベートはベールに包まれている)の知らざる背景を教えてくれました。ふーん、そうなんだ。ちょっとイメージが変わりましたが、一方で鉄火肌はそこいらに因があったのか、そうも思いました。 それはそれとして話は変わり、TELの相手、部位は異なるものの、彼も癌を患っています。治療を終え、今は緩解というか小康を保っています。杣夫も罹患ということで戦友になりました。もっと話したかったのですが、昼をする時間が少なくなりました。写真は今日の納豆と野菜。ラベルに見て取れますが大分県産。ということで余談です。農林水産省の資料を調べました。納豆製造業者、平成10年(15年前)に16,000余りありました。令和4年は4,600程度。商品の単位価格が安く、輸入大豆の高騰などが要因とのこと。 会議を縫って報連相も幾つか。少し大げさに過ぎますが、目がショボショボ。今日は疲れました。写真は帰り道に掛かる新佐伯大橋です。関東の方は春一番が吹いたようですが、当地も夕刻の空色は春の嵐が如く。写ってはいませんが、水面に浮かぶ水鳥の数が心持ち減ったような。北帰行だな。一句 雁の背に蘇武の思いの遙かなり 帰宅してウォーク3km。風呂を浴びてハイボール2杯。夕食は午後7時過ぎスタート。妻がミルフィーユ鍋を作ってくれました。白菜がとろけるよう。美味しさに写真を失念。鍋を終え、量的に物足りません。彼女がこれを拵えてくれました。九州にあって棒ラーメンの雄・マルタイ謹製のレモンとんこつラーメンです。もろレモン味。流石に多治見のラーメン大王も、これは食べたことがないかと。玄人の知らずをこれ見よがしにする快感ではあります。ちなみにこれ、彼女が小学校教員時代に担任の女の子が成人、長崎方面に嫁しているのですが、今も交誼のあり、送ってくれたのでした。 小包の中にはこんなものも。長崎・平戸の塩です。有り難うございました。 戻ります。食事を終え、いい気色の時、学生時代からの無二親友、海老輸入会社を営むKからTELあり。千葉住まいですが、大阪に出張。今夜はミナミの何処ぞで我彼共通のポン友Tと一献中とのことでした。電話に出た途端、酔散学部時代にタイムスリップ。馬鹿話に花が咲きました。T曰く「ところでT(私のこと)、賀状にあってんけどお前、癌は大丈夫か?おお、そうかそうか、よかったな、えっ、紙おむつしてはるの?ははーん、罰があたったな。えっ?ボッキ不全?うーん、わてなんかもう10年以上前からそうでっせ。全くあきまへんわ」 向こうもこっちも酔っての与太話ではありました。おかげで元気が出ました。TELを有り難うね、KとT。 僅か2杯の酒でバタンキュー。 今日の写真は、杣夫が居間にこっくり、船を漕いでいての妻が夜鍋。一緒に散歩する近所住まいのRさんがくれた甘夏?です。 先ずはこうして外皮を剥きます。 ここまでしてくれました。杣夫は食べるだけ。いただきます。
2024年02月15日
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Wednesday, February 14, 2024 曇りのち小雨 午前7時過ぎ、出勤途中の木立は霧でした。私も、娘息子も中学、高校、約7kmの道のりを自転車を漕いで通学しました。この時期、この様な朝は学生服、セーラー服が湿り気を帯びました。写真の彼もそうなんでしょう。今朝の門鼻橋付近です。 終日報連相。次の写真は毎度の昼食です。納豆にめかぶ、それにセブンのミックスサラダ。サラダは皿に移し、ドレッシングを振って、です。出張の折の昼は焼き肉やラーメンをですが、内勤時はこんな感じに済ませます。 セブンのめかぶは鰹本枯節と真昆布の合せだしというキャッチコピー。料理屋の付け出しに使えるレベルかと。 帰宅してランはなし。今月末に術後2度目の診察があります。昨日のよう、出血してはいけません。それまではおとなしくしておきます。ということで走ることのできる亮さんやシミ君が羨ましい。健康、今になってその大切さを実感。でもね、それをして猶です。飲めるのは有り難い。ということで晩酌の当ては子持ち鰊の和え物。これ、好物なんです。ジントニック2杯。バッハオムニバスを聴きながらバタンキュー。読書が進まないなぁ。 今日の写真は2月14日バレンタインデーです。世情、ブームは去ったようですが、猶、気に掛けてくれる女性のいることは、義理とは言え素直に嬉しいです。写真は弊社の同僚Tさんからのそれ。Secretarial department、野郎の多いところに紅一点、掃き溜めに鶴の彼女、いい仕事をしてくれます。よし、倍返しどころか3倍、いや、折角だ、10倍返しにしよう。
2024年02月14日
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Tuesday, February 13, 2024 晴れ 終日ミーティングや報連相。小空きの時間に雨夜の品定め。 午後6時帰宅。着替えてジョグを3km。戻って風呂に入る折り、紙おむつに染みた尿に僅かの赤み。出血でした。先日も走った後、認められました。ネットで前立腺癌切除後の尿に混じる血について調べました。術後1ヶ月はそれのあり、心配無用とありました。杣夫のそれは一ヶ月半経過。走ったことで下腹部に刺激のあって、縫い合わせたところから出血なのか、はたまたそれ以外の兆候なのか。微妙なところです。あれこれ考えても仕方ありません。走らなければ尿に血は混じらない、暫くランを止め、今月末の検診日にドクターへ相談しよう。 風呂から出たら、横浜在住のHさん恵送のスマートレターがテーブルに載っていました。いつもの銀座百点に添え、神奈川近代文学館の機関誌も。写真がそれです。 先日来、日本近代文学館のことをチョロチョロ書きました。其処は作家の呼び掛けで誂えた独立系でして、杣夫が訪ねた折、誤解を承知で言うと、質素な空気でした。それに引き換え、神奈川近代文学館は天下の神奈川県出資、官製です。未だ訪ねたことはありませんが、ホームページを開くと、その素晴らしさが伝わってきます。いえ、勿論、文学に上下関係なく、ではありますが。 質素だなどと、つまらぬことを書きました。戻ります。頂いた機関誌に中島敦直筆資料デジタルアーカイブのことが載っていました。李陵、山月記などの草稿を閲覧できるとのこと。覗いてみました。やっ!名人伝のそれもあるぞ。何が素晴らしいのかわかりませんが、素晴らしい。高校時代、杣夫は中島の作品を読みふけりました。国語の教科書に確か李陵が載っていました。現国の教師T先生(既に他界)が中島を評し、彼の作品に感じられる漢文調文体をして、高山樗牛の「滝口入道」を話題にしてくれました。それが一時期、中島に没頭のきっかけになったのです。高山のそれを読んで、文体を真似もしました。何れの作品も、青空文庫で読むことができます。「名人伝」「滝口入道」お薦めです。 今日の酒はハイボール2杯、燗酒1合5勺。バタンキュー。 今日の写真は弊社、杣夫の部屋からの一枚。先日、ビル管理会社の方が窓掃除。綺麗になりましたが、此奴たちのせいで庇の上が糞だらけ。目に障ります。
2024年02月13日
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Monday, February 12, 2024 晴れ。冷たい風が吹きました。 午前、葉書をくれた友人にTEL。今週末に来佐の由。一献、久闊を叙そうという話になりました。嬉しいな。 話は変わります。ストーブの焚き付けに使う杉のストックが心許なくなりました。製材所から運んだセビンタをチェーンソーで輪切り。一輪車で居間の外に運びました。それにしても2月の半ば、七十二候、黄鶯睍睆です。未だ声を聞かずですが、ストーブの方はあと1ヶ月余りで火が消えます。今週の半ば、4月上旬並みの気温になるとか。この時期、杣夫にとってはなんとなくアンニュイなんです。戻ります。セビンタの輪切り、寒い中でしたので、つい写真を失念。 今日は義弟が実家に帰省。家族で食事をすることになりました。某鮨屋に突っ込みました。注文後、義母と義弟、それに妻は手持ち無沙汰。杣夫は握りの出てくる前に昼ビー。間が持ちました。悪いなぁ。遠慮を知らぬ婿殿です。 上寿司。手前の列、最左は甘鯛。塩を振ってあるので其の儘とは大将の弁。 いい気色になって帰宅。午睡。 目の覚めて風呂を浴びました。夕食の当ては先日作り置きのロールキャベツ。味の染みていい感じでした。 酒はこれを開栓。義弟が営業の途中、大分・玖珠町にある蔵、八鹿酒造に立ち寄り、買ってくれた土産です。美味しい。生酒に近い甘露でした。1合だけ舐め、後は取っておきます。冷蔵庫へ。 追加の酒は月桂冠。雪平鍋に2合注ぎ、ガスコンロに掛けました。熱燗を特製の徳利に注いでゆるり楽しみました。 今日の写真は八鹿酒造のパンフにあった「なしか」です。大分方言で、意味は「なぜ」です。写真にある小話は、意味が少し違い、笑い話の呈になっています。 もう一枚です。
2024年02月12日
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Sunday, February 11, 2024 晴れ 今日は九州百名山の1つ、元越山(もとごえさん)の登山会でした。標高582m。梅林庵はその麓にあります。山頂は豊後水道から日向灘を睥睨、晴れた日は東に南予、西に九州山地、九重・祖母傾連山を見て取れます。午前8時過ぎ、公民館グランドを出発した参加者が、拙宅梅林横の市道を通っていきました。この行事、2月中旬、例年のことです。今日の風は強いですが、天気上々。いい日和になったね、居間に朝食を挟んで妻とぼんやりの会話をしていて、お客様がありました。登山会の開会式に挨拶の後、せっかくなので、ということで梅林庵を覗いたとのこと。お茶と羊羹を肴、世間話に花が咲きました。 来客2人を見送り、よし、部屋の模様替えをしよう。座敷に置いてあったタンノイとマッキントッシュを居間へ移動。汗をかきました。午後1時過ぎ、作業終了。灯を入れたら、プリC32が不具合。片方から音が出ません。前に一度、オーバーホールに出しましたが、如何せんビンテージ。経年劣化でしょう。修理に出すか、それともトランジスタの安物で間に合わせるか。悩ましいです。 遅い昼は妻作り置きのカレー。 ネットでアンプを物色していたら、Uさんがカマス如何?勿論二つ返事でした。たった今、釣った(掛けた)ばかりのキンキンバチバチでした。 3尾を刺身に。 残りは腹を出して塩を打ちました。焼くと、こんな感じです。骨からの身離れがいい。 戻ります。カマスの始末を終え、猶、陽が残っていました。気になっていた豌豆の支柱をやっつけてしまおうか。ちょちょいのちょい、1時間で終えました。杣夫はこの手の作業、自分で言うのもですが、手早いのです。写真を撮り忘れました。代わりは父の裏庭に咲く垂れ梅。ピンク色がいい感じでした。 さて、その作業、最後に落とし穴が待っていました。剪定鋏で竹を切り整えていて、鋏のマチで親指の先を挟んでしまいました。痛い。皮が破れ出血。マキュロンを垂らし、カットバンで手当の図です。 野良仕事、今日はこれくらいで堪えてやろうか。風呂を浴びてこれを抜栓。福岡・八女の蔵元・喜多屋の造る「御神酒・筥崎宮」です。今朝のお客様にいただきました。厄除勝運のラベル、病気を吹っ飛ばせとの気遣いでしょう。優しくスマート、オーソドックスかつ旨みありの甘露。当ては勿論カマス刺しとその塩焼き。有り難うございました。 カマスの刺身を食べて猶のトラです。行儀が悪いぞ。 今日の写真は、義弟が帰省、その土産です。これ、梅酒を拵える折の副産物ですが、食べて美味しいのです。有り難うございました。 もう一枚。未明の読書は、これを手に取りました。半藤一利監修「文藝春秋に見る昭和史」です。紐解いたのは、中に高見順が病に伏しての口述を掲載、その内容が日本近代文学館について、だからでした。先日、荒川洋治「文学の空気のあるところ」をしてその文学館のことを少し書きました。それをして勃然、あれこれが頭の中で繋がってのこと。そして、その館の提唱者にして初代理事長が高見なのです。 しかし高見順、杣夫は名前を知ってはいるものの、作品は一編も読んでいません。ウィキで調べていたら、タレントの高見恭子が彼の娘。そして、その旦那が元プロレスラーにして今の石川県知事・馳浩とのことでした。
2024年02月11日
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Saturday, February 10, 2024 晴れ やっと休みが来た、三連休だ、とはいきません。午前7時過ぎ、家を出ました。福岡へ出張。数年前、弊社と福岡にある某学校法人との間にいい関係ができました。弊社社長が、その団体が今日開催のイベントに招待され、杣夫が代理出席することになったのです。JRを利用しようかなと思ったのですが、Section chiefが運転を買って出てくれました。午前7時半出発。東九州自動車道、大分自動車道、九州自動車道を経て3時間。写真は途中休憩の玖珠SA。 さすが九州山地の懐です。外気温2℃。車を降りてトイレ休憩が寒い。余談です、尿漏れを少し我慢できるようになりました。骨盤底筋体操の効果が現れ始めたのかな。 午前10時半、目的に到着。ここが催しの会場でした。 隣は福岡国際センター。大相撲九州場所の会場です。神無月になると、各部屋の先発隊が福岡のまちにちらほらとなります。着物姿の力士が中洲をぶらりが11月の風物詩。今年のその時期、新たな横綱(琴乃若、或いは霧島)が誕生しているのかな。楽しみです。 午後2時過ぎ、催しの跳ね、相手先の役員に挨拶。今後もよろしくとお願いしました。 遅い昼は午後3時前。基山(きやま)Pのフードコートで。 豚骨ラーメンミニチャーハンセット、1.5ラー余りの値段でした。毎日、サラダと納豆で昼を済ます杣夫です。お腹が膨れました。 筑後平野を横切り、九州山地を東側に。日田市を過ぎたあたりに、童話の里・玖珠があります。なぜに童話の里かといいますと、日本のアンデルセンといわれた童話作家・久留島武彦の出身地だから。このまちに彼の記念館があり、そのHPに「明治・大正・昭和の三代にわたって、人が人として共に生きていく上で、必要な教えを楽しいお話にのせて子どもたちに語り聞かせた教育者。日本にボーイスカウトを紹介し、日本ボーイスカウトの基盤作りに尽力、以下のような日本初となる数々の業績を残し、日本の近代児童文化の基盤を築き上げたパイオニア」とあります。 杣夫は彼の作品を1つも知りませんが、野口雨情作曲の童謡「夕やけ小やけ」、歌詞は久留島のものというのは有名です。 ということで、童話といえば鬼が定番。玖珠町はそれを印象づけるためでしょう、高速道路を見下ろす斜面に大きな鬼モニュメントを設置。 以前もこのブログに写真アップでしたが、改めて拡大してみました。出臍がいい感じです。好きです、この姿。亮さんが大虎になったら・・・。毎晩、釧路・末広界隈を暴れ回っているんだろうな。(失礼) 山並みを超え、湯布院盆地に入ると、そのまちのランドマーク・由布岳が目に飛び込んできます。山頂付近には白いものを見て取れました。 午後5時半、会社に戻り、社用車を降りました。往復6時間、Iさん、運転お疲れ様。助かりました。 真っ直ぐ帰宅。薪を居間に運び込んで、今日のランは無し。風呂を浴びプシュッ。今日は鰭酒を楽しみました。乾燥した河豚のの鰭をオーブンで焼きました。それを湯飲みに入れ、雪平鍋に沸騰直前の日本酒をそれに注ぎました。うーん、堪らん。おかわりしました。飲もう飲もうに前懸かり、入れ込んで、写真を失念。残念です。代わりにもう2枚残った鰭のそれを以下に。今度はいつ飲もうかな。
2024年02月10日
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Friday, February 9, 2024 曇り 午前7時半出社。午前11時まで報連相が続きました。時間不足、判子押しを見合わせ、若手二人と社用車で今日も大分向け。途中、「鍋島」という焼き肉屋に突っ込んで昼食。カルビとホルモンミックスの定食。2.5ラーでした。ご飯のおかわり自由。部下の一人は4杯食べました。恐れ入谷の鬼子母神。も一人は女性。サラダバーからコーヒーゼリーやアボガドをチョイス。彼女も別腹のあるようでした。杣夫はこれからの会議を控え、ビールを飲めないのが残念でした。世話になる二人、いい機会なので馳走しました。 午後1時から5時まで缶詰会議。今日のそれはガチンコ、同業他社、同じ立場にある方々とあれこれの案件について意見調整の場。丁々発止でした。 それの跳ね、メンバー有志で飲み会を、という話になりました。私は今日が弊社の管理職送別会。参加能わず。とって返しました。一度社に戻り書類整理。送別会へは途中参加。最近、代行運転をつかまえること能わずなので、ノンアル。参加者70人余りにビールを注いで廻りました。第2の人生、楽しんでください。前途洋々を祈念、万歳の発声をしました。 午後9時帰宅。風呂を浴び、黒糖焼酎を舐めました。妻の戻るまでジャズタイム。写真はストーブの前にひっくり返るトラです。全くの無防備。 寝返りを打っての図。8・10です。9(苦)がない。 ネタ切れなので昨日に続き、新聞広告を。7月に来日のプラハ放送響、福岡公演です。スメタナとドボルザーク。人気の曲です。嗚呼、聴きに行きたいな。 もう一枚は昨日の朝食です。普段、滅多と食べないパンです。妻がフレンチトーストを焼いてくれました。私は珈琲を淹れる役目。時にはいいものです。 昨日の謎謎回答。1問目、カッパはレインコートです。2問目、魚が2つで「煮(2)魚」。エヘヘ。
2024年02月09日
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Thursday, February 8, 2024 午前4時起床。曇時々晴れ。 午前7時半出社。朝一に某案件協議の後、大分市へ向かいました。某認可法人の役員会です。杣夫は立場上、其処の構成員です。新年度の予算や能登半島地震への支援、抱えるHospitalの運営などが議題でした。質疑応答は何れも組織の大切さを慮って。いい内容でした。終えて弁当が出ました。レベル高し。写真のないのが残念です。代わりに昨日の最後、掲載し忘れた椎茸です。改めて、親方、有り難うございました。 とって返しました。行き帰りの道中、社用車を運転してくれたのはS君でした。酒を好きということで、アルコール談義。弾みました。 社へ戻って判子押し。その仕事、ペッタンペッタン、ホイホイ押して楽勝と思う人がいるかもしれませんが、そうでもないのです。既に協議、根回し済みのそれはざっとの目通しですみますが、初見のそれは精読。何割かはダメ出し。嫌な顔をされますが、仕方ありません。廻しの緩い内容は却下です。差し戻しは、私の直前に印鑑を押した者へ、です。起案者へではなく、が大切なのです。 夕刻、弊社への某物件寄贈式。500ラー程するスポーツマシンを2台も、でした。有り難うございます。 午後6時帰宅。玄関を開けたら、叩きに女物の防寒ブーツ。妻のものではありませんでした。彼女の友人でした。20代後半かな、若く、ハキハキした方でした。つい舞い上がってワンパターンの話を仕掛けました。なぞなぞです。 英語で犬は? dog じゃー猫は? cat 猿は? monkey ではカッパは? カッパはkappaでしょう? いえ、違うんです。正解は明日。 魚偏に青だと? サバ 弱と書くと? 鰯 では魚偏に魚と書くと? ギョギョ? いえ、違うんです。これも正解は明日。 彼女、2問とも正解能わず。親爺謎謎に付き合い、残念の大きなリアクションをしてくれました。 着替えて走りました。ジョグ3km。紙おむつに少し失禁。赤いものが混じりました。ドクターに時々それのあると言われていましたが、嗚呼、まだ本調子ではないんだ、無理は禁物、運動も自重だな。でもこちらはそうもいきません。風呂を浴びプシュッとした後、黒糖焼酎のお湯割り賞味1合。締めはこれ。亮さんがいつもの店、某スナックで飲んだのと同じ蒸留所の酒、「厚岸」です。これ、彼が送って寄こした酒精。 結構深い味でした。有り難うございました。 今日の写真は地元紙に載った広告です。焼酎・二階堂を作る酒造メーカーが造った美術館の展覧会。ここは別府市の北側に隣接する日出(ひじ)町にあります。日本画専門。大観とあれば必見です。この月末近く、別府の腎・泌尿器病院を定期受診です。帰りに覗いてみよう。
2024年02月08日
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Wednesday, February 7, 2024 曇り 寒い一日でした。午前7時半過ぎ出社。今日は終日Personnel assessment。9名の方とやり取り。普段、一緒に仕事をしている仲間です。Declaration formに書いてある内容は承知。それでも午後3時過ぎまでを要しました。その後、よくない話が2つ、いい話が1つ、報告のありました。今日も目がショボショボ。やがて60台も中盤を過ぎる杣夫です。病み上がりもあってか、根を詰めるのが億劫になりました。 午後6時前帰宅。着替えてジョグ3km。写真は風呂を浴びた後、夜のお勤めです。甘露は梅錦。愛媛の蔵です。先週末、野暮用のあって、豊後水道の対岸に渡りました。飲もうと、其処のコンビニで買ったのですが、キャップを外さず、其の儘持って帰ったのです。 次の写真は帰りの船中からパチリ。時雨れた豊予海峡を航行のコンテナ船です。立春を過ぎたとはいえ、冷たい雨の海です。どこの国へ向かうのでしょうか、旅情を感じます。 戻ります、今夜の当てはロールキャベツ。これがいい感じでした。赤を合わせました。 さてもネタ切れです。以下はストックの写真から。1枚目は生椎茸です。昨年12月、親方が私の病を気遣って、届けてくれました。お礼の電話をしたのですが、通ぜず、其の儘になっていました。そしてそれをも失念。親方、有り難うございました。山も冬場。倒木の加勢に行かなくなって久しいです。今もチェーンソーを廻し、ユンボを運転しているんだろうか。会いたいな。
2024年02月07日
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Tuesday, February 6, 2024 曇りのち晴れ 一月は行く、二月は逃げる、三月は去る、といいます。嗚呼月日の経つのが早いです。節分、立春のあっという間に過ぎ、もう2月半ばにさしかかろうとしています。何が感慨深いのか判りませんが、想うところあり、遙かです。 今日は午前午後とも忙しかったです。会議、研修、依頼、レク、難題協議、目の奥がショボショボしました。 真っ直ぐ帰宅。 玄関を開けたら待ってましたと家内。マイナンバーの番号が必要なんだけど、どこにもないの?カードはあるけど書いていないし、ということで大騒ぎでした。何のことはない、カードの入ったビニール、番号のところに目隠しのあって、其処だけ見えないようにしてあったのでした。ペロッ、舌を出してニコッ、ばつ悪しの顔でした。そんな妻の顔は興ざめです。代わりにこのところの雨に、早くも散り始めた梅林庵の梅花弁です。今年は桜開花も早いのかな。 着替えて走りました。3km。汗ばんでストレッチ。 風呂上がりは黒糖焼酎「島のナポレオン」をお湯割りで正味一合。昨年末の手術以来、めっきり弱くなりました。目安は飲んでも缶ビール2缶です。次の写真は数日前のもの。賞味期限切れ間近のそれです。ラグビーW杯の開催前に製造でしょう、そのロゴが入っています。 今日の写真は荒川洋治「文学の空気のあるところ」中央公論新社2,000円です。単行本をまず買わない私ですが、現代詩作家・荒川氏のそれは別。もう10年近く前に出版をその頃購入。エッセイの類です。以前、TBSラジオ「森本毅郎スタンバイ」に出演していた折、彼のトークを楽しみに聴いていました。その際の話題を含んだ内容です。書き出しに世田谷にある日本近代文学館が出てきますが、私はラジオを聴いて、いつだったか、其処を訪ねたことがあります。そんなこんなで、この本、懐かしいのです。再び手に取りました。終えて俄然、昨年来、与太っていた読書に向かう気力が湧いてきました。 読書好きの方、この本、お薦めです。
2024年02月06日
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Thursday, February 1, 2024 曇時々雨 今日から2月。月日の経つのが早いです。光陰矢のごとし、少年老いやすく学成り難し、命短し恋せよ乙女、歳月人を待たず、烏兎匆匆(うとそうそう)、月日に関守なし。 忙しい一日でした。大げさですが、午前は分刻み。午後は営業車で大分市へ出張。帰宅は午後6時。一昨日昨日と2日間、家を空けました。リビングの薪が底を突きました。小屋から運び込んで一息。湯を浴び、荻上チキを聴きながら黒糖焼酎のお湯割りを流しました。当てはこれです。 嘘です。これは先月、義母が退院祝いにと妻に持たせてくれた寿司折りです。美味かったなぁ。 ということで今夜は出来合い、鰊の切り込みが当て。写真はありません。 ネタ切れにつき、今日はざまのない内容でした。 ブログ、数日休みます。
2024年02月01日
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Tuesday, January 30, 2024 晴れ。 午前7時半出社。今日明日と出張でした。大分駅まで営業車を使いました。そこからソニック、小倉で新幹線に乗り換えました。福山で下車。出張の楽しみは食事です。昼は奮発、O市の食堂に突っ込み、穴子定食を注文。量が多く、ご飯を少し残しました。 午後、O社を訪ねました。来年度事業計画のassessmentが終わり、予てから予定の遠出でした。包括ケアシステム関連で弊社の上を行くことを知り、勉強することにしたのです。内容は割愛。 今日の写真は、新幹線ホームから見た福山城です。見事な石垣でした。Wednesday, January 31, 2024 曇りのち小雨。 昨日のうちに姫路入り。午後6時半、駅前、某航空会社名のついたホテルに投宿。紙おむつに尿取りバッドを装備なので、夜の街探検を我慢。ホテル内の中華で紹興酒を流しました。写真は駅前のビル屋上に聳え立つ看板です。嗚呼、ここは播州。 揖保乃糸か。学生時代、このあたり出身の輩がいたな。彼の実家から幾度となくこれが届き、茹でて食べたな。赤いきつね緑のたぬきを拵える会社に入ったが、今はどうしているか。もう一人はこのまちの水族館で働いているらしい。二人ともまだ現役かな。音信不通なので知るよしもないです。 そんなことを思いながら、近隣のK社を訪問。最近はやりのDX関連で先進の取組を覗かせて貰いました。内容は割愛。次の写真は訪ねた会社のすぐ近くにあった丸亀製麺です。なんとこの店舗がトリドールホールディングスの第1号店。そうなんです、丸亀とありますが、この会社、四国がホームグランドではありません。 昼過ぎ、姫路駅へ戻りました。写真は姫路城です。駅の北口に立って望遠でパチリ。列車の時刻が迫り、訪問能わず。 次の写真はSAKURAです。なんともスマートな車体ではあります。 午前の会社訪問で時刻が押しました。昼は駅弁、幕の内にしました。車内に持ち込んでパクつくことにしました。隣の席は年配のご婦人でした。私「遅い昼になりました。失礼して、ここで弁当を広げます。すみませんね」彼女「いえ、かまいませんよ。欲しがりませんから。」 嗚呼、見事に切りかえされました。素敵なユーモアです。鹿児島の方。岐阜に暮らす子ども夫婦に頼まれ、孫の守りをしに出っ張ったのだそうでした。赤く染めた髪の中に白いものが混じっていました。ジーンズにスニーカー。スーツケースはなく、リュック1つ。大阪発鹿児島行き、この便に乗って家路だそうでした。 小倉でソニックに乗り換え、大分駅で下車。帰社は午後6時前。疲れました。道中、尿取りバッドが気になり、各駅のトイレで幾度となくそれを取り替えました。難儀でした。 家に戻り、湯船に浸かってさっぱり。冷酒燗酒、合わせて3合飲みました。写真は台所のアスパラ菜です。これ、ベーコンと炒めたらいい感じなのです。拙宅菜園に摘み放題が嬉しいです。当てはこれかと思いましたが、違いました。鍋でした。 今日の写真は出張の道中、暇つぶし、手に取った本です。吉村昭「関東大震災」。大正12年(1923年)の大地震を時系列、包括的に記録した内容です。20万人が死亡。うち、建物の下敷きになっての圧死は少なく、大半が焼死。吉村は体験した人の日記等を引用、悲惨さ、凄まじさは想像を絶するものでした。菊池寛賞受賞作です。
2024年01月31日
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Sunday, January 21, 2024 曇り時々晴れ寒い日が続きます。 終日、屋内にストーブの番をしました。豌豆の支柱をこさえたり、ジャガイモを植える準備があるのですが、その気分になりません。手持無沙汰の午前は読書。陳舜臣「日清戦争、上・中・下」を手に取りました。読了は数日後でしょう。 午後は映画と女子マラソンを摘まみ観戦。その後ジョグ。3㎞をゆっくり流しました。下腹の方、尿道あたりに微妙、鈍痛がありました。この症状、ドクターが心配不要と言ってくれたので、気にしていません。汗ばんでシャワー。午後4時、プシュッ。大相撲を観戦しました。 書くことがないので見た映画のことを。「ソルトバーン」米英合作です。印象を一言で言うなら「難解」。貧富、愛憎、妬み、人格の多面性・・・、これらが風刺や寓意的をもって至る処に表現されていました。と、このように書いても説明になりません。以下にストーリーを。 主人公、貧乏青年がオックスフォードに入学、成績はいいもののシャイかつ衣服貧相につき友人が出来ない、某日図書館に向かう途中、彼の或る親切がきっかけで貴族・裕福な青年と知り合う、主人公には虚言癖があり、それが奏功、次第、貴族青年の懐に入っていく、そして夏休み、ソルトバーンという彼の館(執事や使用人のいる広大な屋敷)に招待される、その館で繰り広げられる糜爛でシリアスの生活、途中、貴族青年に虚言癖を見破られ、館を去るよう求められる、立ち去る前夜に貴族特有の仮装パーティーがあり、貴族青年が死亡、主人公は家族の喪失感あって引き続きの滞在を求められる、そして時間の流れるうちに貴族一家は次から次と死んでいく、最後に主人公が貴族の財産をものにする。 私は10点満点中9点にしたいですが、意味不明と感じ、せいぜい4点という声もあるかもしれません。この映画、本邦未公開。アマゾンプライムで無料視聴できます。ハリウッド系ドンパチよりもシリアス調が好みの方にはお勧めです。 今日の写真はランの途中に写したユズリハです。当地では鶴の葉と呼び、縁起物として正月飾りに使います。Monday, January 29, 2024 晴れ。 午前5時半、トラに耳朶を咬まれて目が覚めました。もうすぐ立春です。春眠暁を覚えずといいますが、つい微睡んでしまいました。午前7時半出社。終日デスクワークとミーティング、会議。夕刻、帰りに主治医S内科に立ち寄りました。高血圧対策薬の処方箋を貰う為でした。 帰宅して着替え、薪を居間に運び込みました。走ろうとランシューズを履いて、妻に呼び止められました。事務的な案件が片付かないの、何とかして、と言われました。具体的なことは書くこと能わずですが、ネットでの買い物、相手先のシステムに入れずとのこと。代わってみましたが、どうしてもいけません。それに時間を取られ、風呂を浴びたのは午後8時。黒糖焼酎をお湯割りにして温まりました。 ネタ切れです。今日の日経から。 日本経済新聞が「日経ブルーオーシャン・フォーラム」を開催、その概要とシンポジウムの抄録を掲載していました。SDGsの一つ、海の保全と繁栄の切り口です。「海からも、脱炭素」と題していました。これを取り上げたのは、写真赤丸のところ。ニッスイ中央研究所大分海洋研究センター研究員、山下量平氏がパネリストに加わっているとありました。 写真を拡大。いい男です。彼、酔散の後輩です。幾度か杯を交わしました。記事の本文にありましたが、養殖種苗生産の研究をしています。これまで養殖鰤種苗の確保は沖取り、流れ藻に付くモジャコと呼ばれる稚魚を採取が方法でした。ニッスイは技術開発により人工種苗生産技術を確立、安定的に養殖業者へ供給できる体制を整えました。メンバーの一人が彼なんです。ちなみ、ニッスイの大分海洋研究センターは、私のまちにあります。山下君、今度一緒に飲もうね。
2024年01月29日
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Saturday, January 27, 2024 午前5時起床。晴れ。 朝食を取らず、午前6時半過ぎに家を出ました。東九州自動車道を北上、別府向けでした。写真は大分インターを過ぎたあたりからの由布岳です。雪を被っていました。頂の左上に月が懸かり、風情あり。 今日は先だって入院していた病院を訪ね、切除した前立腺の病理検査結果を聞くためでした。切除面に癌細胞のあったら、私の側にそれが残っていることになります。次の治療を考えなければなりません。その有無についてでした。そのことを想定、今後の生活面を考え、妻を伴いました。 午前8時半到着。診察の前、採血と尿検査をしました。 30分ほど待ったあと、主治医が下の写真に写る病理検査結果を話してくれました。小難しい内容が書いてありますが、一言で言うと前立腺外への転移はないとのこと。安心していいと言われました。 ふり返ると、精密検査を勧めてくれたS先生、別府の専門病院を紹介してくれた地元医療センターの医師、そしてこの病院の医師とスタッフ、それに加え医療ロボット・ダビンチさん、全員と医学の進歩に感謝です。 戻ります。退院時に太鼓判のような話を聞いていましたが、それでも嗚呼、よかったな、そんな気持ちになりました。医師は尿漏れ対策について、あれこれ、時間を掛け、アドバイスしてくれました。私、今以て紙おむつをし、尿取りバッド(200ml用)を1日に5~6回取り替えます。難儀。骨盤底筋トレーニングを1度に100回、1日延べ5セットすると伝えました。医師曰く、それはやり過ぎです、やり方にはコツがあり、それは自分で探すしかありません、そんなに力を入れなくともいいですよ。合わせてベオーバ錠50mg(無意識に出る尿や頻繁に起こる尿意を改善する効能薬)1ヶ月分を処方してくれました。1ヶ月後の診療予約をし、そこを後にしました。今日の支払いは8ラー程。次の写真は採決結果です。ガンマGTPの値は29。入院の12日間、断酒でした。その効果覿面でした。 病院を後にし、予定していたBOOKOFFに突っ込みました。子どもたちが年始の帰省時に断捨離。その際、息子が高校時代に買いそろえたCDをリュック一杯、捨てずに取ってありました。少し値がつくかもしれない、レッコを止め、売却した方がいい、妻にそう話したそうでした。案の定、8ラーほどの買い取り価格でした。ラッキー。 それじゃーうどんでも食べようか。丸亀製麺に突っ込みました。写真はきつねうどんと竹輪の磯辺揚げ、イカ天でした。芋天に目のない妻はそれをチョイス。 折角なので温泉に浸かろうか。照湯に向かいました。写真はそこの湯船です。同じ形のものが男女別。男湯の方は貸し切りでした。 こちらは地中のからの吹き出しを管理するシステム。 タワーの上に蒸気を逃がす筒があり、白い湯気を噴き出していました。 湯浴みの後、ロビーで一休み。温泉玉子をパクつきました。 来た道をとって返しました。眠気の差しましたが、妻の世間話がおかげ、落ちそうになることはありませんでした。私のまちについて、いつものスーパーへ突っ込みました。鯵を購入。午後2時、帰宅してチャチャッ。トラに裾分けしました。 ブログを書いたり日記を記したり。あっという間に土曜日も夕方。ストーブの灰を掃除し、火を入れました。午後6時、プシュッとやった後、燗酒冷酒合わせて2合。ウイちゃんで締めました。バタンキュー。先ずは祝着の一日が終わりました。 今日の写真は隣家の庭に膨らみ始めた馬酔木です。浄瑠璃寺のそれもなのでしょう。春です。
2024年01月27日
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Friday, January 26, 2024 午前6時起床。晴れ。今日はポカ休を取りました。終日でした。午前中、珈琲を淹れてぼんやり。トラの頭を撫でていてあっという間に昼が来ました。黒ネクタイを締め、喪服を着ました。正午過ぎ、伯母の葬儀に向かいました。喪主(従兄)は現役を既にリタイア、会葬者は近親とご近所の皆さんでした。久しぶりの顔あり、従兄弟の子どもが結婚、伴侶やその子どもさんとは初対面でした。私の外側でも時間の流れていたこと、当たり前ですが、幾許かの感慨をもって遙かでした。 私の暮らす土地は、火葬の終わって葬儀です。近親は今日の午前にそれを済ませました。私の訪ねた時刻、祭壇に骨壺が座っていました。臨済の大和尚が導師、雲水4人が読経や鳴り物を務めました。最後、大和尚が「喝」を宣言、焼香という段取りでした。葬儀の終わり、会食の席に向かう途中、叔母が私に向かって曰く「もうお経はいいわ、時間の無駄。Hちゃん(私のこと)、あんたの父ちゃん(叔母の実兄)の時は、お経止めなさいよ。それがいいわ」 叔母は耳が遠く、声が大きいのです。回りに親族が大勢いて、皆さん苦笑い。私も内心そう思ってはいますが、人それぞれです。時と場所を弁えなければいけません。軽々は滅多と、ではあります。 会食を終え、家に戻りました。今日2杯目の珈琲を入れました。一息ついてスーツに着替えました。午後5時、市内某ホテルへ向かいました。地元経済界の皆さん200人近くが集まるパーティです。私も末席に。何せ人数が人数です。深い話は出来ません。 それとは別、私の入院中、今月初めに新年年始交換会がありました。しかし、私にとってはこの日が明けまして・・・でした。病気のことを知った方は、体調を気遣ってくれました。ノンアルコール。 午後9時帰宅。途中、いつものスーパーへ寄り、出来合いの酢海鼠を買いました。シャワーを浴びた後、冷酒、燗酒、都合2合を舐めながら録画の大相撲を観戦。バタンキュー。 今日の写真はネタ切れにつき、先日のショット。 退院して体力を取り戻すため、散歩を始めばかりの頃、某日、NのTやん宅を通りかかりました。彼が濡れ縁に板を打ち付けていました。「おっ、Tやん、いいことをしよるのぅ。じゃーけんど、そらーいけんわい。板を全部、裏表にして打ち付けよるわい。表を上にせにゃー笑わるるど。」Tやん曰く「えっ、知らんかった。板に裏表があるんけ。人間と一緒じゃーのぅ。年輪から外側に向かってのほうが表けぇ。ほいて、なし、そりゅーはよ言わんのか。はげらしいのぅ。あらまし打ってしもうたが。そりゅぅ笑いながら言うんじゃーけのぅ。Hちゃんな悪りー男じゃのう。教えてかさなぁ判らんままじゃったにぃ」 私の失言で手の止まったTやんです。
2024年01月26日
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Wednesday, January 24, 2024 晴れ 寒し。 午前5時過ぎ起床。夕刻は日の入り時刻が次第、遅くなっているのを感じます。朝は未だ、です。先週あたりが夜の明ける時刻,一番遅いはずです。節分、立春に向け,そろそろ朝も早まってくるように感じるかと。写真は拙宅梅林と青空です。寒さの中にも春です。 花ついでということ山茶花を。これは父宅の庭先。花弁の散って花絨毯ではあります。 南天が赤い実を撓(たわ)わ。 こちらは拙宅玄関のサクラソウです。この花が佳境に入ると春です。 以上、春先の彩りをアップしてみました。 午前7時半出社。終日、会議室に缶詰。新年度営業計画のassessmentが進みました。 午後6時、某ホテルに出向きました。某ボランティア団体の新春懇談会。挨拶をさせていただきましたが、相変わらずヘタクソ。それはそれとして見知った顔がちらほら。皆さん、犯罪を犯した方の社会復帰に取り組む方々です。関係機関のスタッフも幾人か。この会、コロナのこともあり4年ぶりの開催。各人、アルコールの入って、楽しい久闊の時間を過ごしたようでした。私はノンアルコール、ウーロン茶に徹しました。 午後9時前帰宅。ハイボールを2杯舐めてバタンキュー。 今日の写真はニオイセンネンボクです。居間に花が咲きました。蜜が床にポタポタ。それと知らず,底を踏んで,スリッパの裏がべたつきました。Thursday, January 25, 2024 晴れ。寒さが続きます。ここ数日、朝方は氷点あたりを前後。屋内も,ストーブに熾火の残っているものの、18度前後に下がります。今朝もそうでした。 午前5時半起床。 午前7時半出社。今週、ずっと続いたassessmentは午前で終了。肩の荷が下りました。昼はコンビニ野菜(袋に詰めたカット野菜を皿に出してドレッシングを掛けます),納豆でした。その写真がないので,朝に出たアスパラ菜の炒めもの。拙宅菜園に撓(たわ)わ,始末に負えません。味はいい感じです。 午後4時、早退しました。ポカ休をとって家に戻りました。喪服に着替え、妻と某葬祭場へ。今朝、伯母が亡くなったのでした。96歳。可愛がってくれたとは妻の弁。お寺は臨済。観音経でした。それの終わって、棺の中。顔は小さくなって,元気な頃の面影はありませんでしたが,穏やかではありました。 家に戻って風呂。さっぱりして瓶ビールを飲みました。ん?いつものバドではないような。後口が微妙、軟らかさのないような。ラベルを見て韓国で作られたものとありました。 ネタ切れなので大相撲のことを。録画し,毎晩、早送りで取組を観戦。いい相撲が続きます。贔屓の北勝富士休場は残念ですが、役力士が勝ち星を積み上げ、明日からの3日間、目が離せません。霧島が横綱に,琴の若が大関になるといいな。 余談です。勃然,そういえば大相撲を題材の小説を読んだこと,ないな。誰かその世界を書いた物語、知りませんか。いえ、力士の評伝とかではなく。と、そんなことを考え、扱いにくい、ノベルになりにくいのかな、土俵の上は。
2024年01月25日
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Tuesday, January 23, 2024 晴れ 寒波襲来 日中の最高気温が5℃でした。寒し。 午前5時起床。午前7時半出社。終日缶詰。合間を縫っていくつかミーティング協議がありました。 午後6時前帰宅。寒いので散歩はなし。風呂にまったりした後は今日もチビリやりながら大相撲の録画を観戦。北勝富士の休場、残念です。 土俵に一喜一憂しながら、栗山の残り半分(2合)をやっつけました。同じ写真を掲載するのは興ざめなので、写真は退院した日(確か)に飲んだ福司。北海道の背骨、日髙山脈を挟み、分水嶺を超えて東西の甘露を楽しむの図。贅沢ではあります。 さて、ネタ切れです。こんな折は、猫の写真をアップします。1枚目は製材工場に食客のウルップです。一昨日の散歩中にパチリ。高いところが好きのようです。 こちらは昨日の図。私に対する警戒心、日ごと解いてくれているようです。もう少しで触れそう。 同日私の住む地区に初見参の白黒です。数日前、川向こう、桟敷中区のほうで見かけました。釧路/KAZUさん宅のまーちゃんに似ているぞ。もう一度行き遇わせたら名前を付けようかな。 猫の最後は拙宅のトラです。ストーブの前でまったり。齢19ですが,元気です。 今日の写真はストックから。昨年末、入院の直前、休日に隣家DのH姉がやって来て曰く「鯛をもらったの。捌いてくれない。半分あげるから」 お安いご用。アイアイサー。寒い日だったので温かく着込んで包丁を持ちました。どうですか、見事な魚でしょう。鎌には塩を打ち、白身は昆布締め。 運のいいことに,丁度届いた多治見の甘露を開栓。それぞれを流しました。皆さん、有り難うございました。
2024年01月23日
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Monday, January 22,2024 午前5時起床。晴れ。午後になって冷えてきました。 午前7時半出社。午前に2つ協議あり。今週は週末まで来年度の予算案件で缶詰の日が続きます。午後にassessmentが始まりました。全体規模は7千万ラーです。全国に1,700余りある同業他社の中では中位に位置づけされるのかな。 小一時間早めに終了しました。午後4時過ぎ、ポカ休を取りました。先週後半の3日間、帰宅が遅くなったので,このくらい、許されるでしょう。ということで伸びた髪を切りに。千円カットに突っ込みました。さっぱりして帰宅。寒い中、散歩しました。途中、少しの距離、ジョグを混ぜました。うん、走れないことはないな。 Rさん宅前を通りました。夕暮れが迫り,強い北風のこともあり,誘いませんでした。恐らくテレビの前で大相撲観戦なのでしょう。 前後します。ジョギングシューズを履こうとしていたとき「今日はすき焼きよ。葱を取ってきて頂戴」 妻にそう言われました。アイアイサー。 畑に出たら,隣に暮らすA姉がブロッコリーを一玉くれました。早く食べないと闌けてしまうからと、こちらが気の毒に思うことのないよう気遣いながら、でした。残念なことに写真を撮り忘れましたが,とても立派な品でした。次の写真は根を切って薄皮を剥いた後の葱です。これも昨年、苗(長さ10cm、楊枝のような大きさと太さ)をA姉に貰い、1年がかりで育てました。いい感じでしょう。 散歩を終えた際の夕焼けがいい感じでした。立春は2月の始め。これからの10日余り、寒い日が続くんだろうな。それでも夕方、日没の少し遅くなるを感じる今日この頃ではあります。 夕食、すき焼きの写真はなくとも、お酒のそれは忘れずパチリ。北の錦です。栗山の蔵元が醸造。鍋に箸を付ける前、2合やってみました。夕張、芦別両岳に振った雪解けの水を使うであろう甘露です。北海道を感じました。こよなくさんご夫妻、感謝です。有り難うございました。 午後9時前、バタンキュー。 ということで,気の利いた話はありません。 今日の一句 寒空の高みに鳶の悠然と 今日の写真は散歩途中に見かけた突き井戸作業です。水田の端をボーリングしていました。地面に直接パイプを打ち込む工法です。地下水は無料なので,農業用水として利用する場合、安易にして費用僅かの手法です。
2024年01月22日
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Sunday, January 21, 2024 曇りのち晴れ。 午前3時起床。ここ数日、入院のあれこれを纏めていましたが、今日の未明もそうしました。倦いて珈琲を淹れぼんやり。サンデーモーニングを見ていたら、中学の折の恩師Y先生からTEL。賀状に書いた病気のことを心配、連絡をくれたとのこと。曰く この頃、教え子たちが不如意、先に逝くケースもあり、かくいう私も古希となりガタが来た,妻もよろしくない,あっ,酒は飲んでいるけどね,君は仕事が忙しいはずだからくれぐれも体を労ってほしい。 嬉しい声かけでした。 午後一、古物商(リサイクル)の方がやって来ました。楽器、オーディオなどガラクタを断捨離するため、お願いしていたのでした。ヴァイオリンやチェロ(それぞれ入門用の安物)、何組もあるヴィンテージオーディオのうちから好みのものを残して全て、などでした。結構満足のいく金額になりました。安めの地中海クルーズ1名分程度でしょうか。これはアドリア海行きの虎の子としてへそくりします。エヘヘ。 荷を積んだトラックを見送り,散歩しました。風呂を浴び,大相撲を観戦しながら燗酒を舐めました。午後9時前、バタンキュー。 それでは、以下に入院のその後と退院、それに癌を告げられた際の心模様などを。 正月三が日(術後6日目以降8日まで) 元旦、早くに目が覚めました。というか、個室ですから24時間,いつ起きていつ寝てもいい環境です。夜昼おかまい無しの時を過ごせます。ただし、午前8時朝食、正午昼食、午後6時夕食は定時。サイクルが決まっています。写真はこの日の昼に出た御節です。 こんな挨拶文が添えられていました。新年を病院で無聊の患者に対する心遣いではあります。 さて、4階病棟の東に広く明るい食堂があります。其処に緑茶ほうじ茶の無料サービスあり。毎日、午前7時前後から日の出(おおよそ7時半)までぼんやり別府湾とその向こうの大分、コンビナートの灯りを眺めました。初日の出もそこからでした。眺めて感慨めいた思いにはなりませんでしたが。 毎朝、太陽が顔を出したのを潮、部屋に戻りラジオを聴きながら新聞に目を通すのが日課。新聞はタブレットを使ってのこと。朝日毎日読売日経、それぞれ会員です。全紙面を読むことが出来ます。時間はたっぷりあるので、普段に増して精読。年末年始は特集記事も多く、何の通か判りませんが,通になった気分でした。 入院中、部屋に備え付けのテレビがありましたが、一度もスイッチに触れませんでした。元旦のニューイヤー、2日3日の箱根、それぞれの駅伝も少しラジオで聴いただけでした。能登半島の地震、羽田の航空機事故が報に震えました。後者の生じた日、娘息子が羽田を利用して大分・佐伯へ帰省しました。事故はその日の夕刻でした。二人は午前の便だったので事なきでした。しかし、年始を実家で過ごした後、帰京の便への影響が心配でした。後日、案の定,遅れが生じたとのこと。 妻は子ども二人を連れ,私を見舞うことを考えたそうですが、何せ拙宅から病院まで片道2時間は折角の帰省に無駄です。固辞し,楽しい時を過ごすよう言いました。そうしたようでした。加わらなくても、家族が団欒を過ごせば嬉しいのですが、LINEに添えられた料理のあれこれは目の毒でした。写真は娘が火鉢に焼いた餅です。これを雑煮に入れた由。いりこだしのそれ、食べたかったです。 さてもの年始、私の過ごし方は以上ですが、病院スタッフはその間も毎日部屋を覗いてくれました。ドクターも連日、午前に顔を見せてくれ、世間話も交えた会話をしてくれました。看護師は交代で休みを取っているようでしたが、主治医が顔を見せなかった日はありませんでした。頭の下がる思いです。1月4日(入院9日目) 病院はこの日が診療開始日。新たに入院してくる患者もいて、病棟も賑やかになりました。手術日、膀胱側の尿道と「ペ○ス」側の尿道、それを縫合(つなぎ合わせた)したのですが、この日はそれがきちんとくっついて、腹腔内に尿漏れのないか否かを検査する日でした。午前、1階の手術室に向かいました。狭い手術台に横となりました。この台に上がるのは3回目。慣れたものです。尿道カテーテルに造影剤を注ぎ入れますよ,そう説明がありました。管を通じ「ペ○ス」を通り、膀胱にそれを注入するのだそうです。尿意を催すけれど我慢してください,そう言われました。入れ始めると確かに強い尿意がありました。膀胱内に満タンとなった造影剤をカメラ撮影。縫合の後がきちんと繋がっていれば,繋ぎ目からの漏れがありません。それのあると、もう少し時間を掛けて縫合部分がきちんとくっつくのを待たないといけません。撮影後「はい、Tさん、きちんとくっついていますよ。大丈夫です。カテーテルを抜きますよ」 そう言われ,目の前がパッと明るくなりました。よし、これで開放される。退院も早いな。引き抜かれる際、ちょっとだけ尿道の奥に疼痛がありましたが,それもあっという間。これで身体に刺さった管は全て外れました。爽快の気分です。早速シャワーを浴びました。 しかし、その後がいけません。折角の開放感が一瞬で萎みました。失禁が止まらないのです。紙おむつとその内側に尿取りパッドをしました。すぐに尿取りパッドが漏れた尿で重くなります。カテーテルの取れて以降、キャパ200ccのパッドを一日に5~6枚使いました。夜、横になっていると,膀胱内に溜まった量で尿意を催しますが、身体を起こすといけません。シャーッ、漏れるのを感じます。時とところを選ばないから難儀です。暫くこれを手放せません。(退院) 1月5日(入院11日目)病棟廊下を散歩していて,主治医に行き遇わせました。「Tさん、如何ですか。仕事が気になるんでしょう?退院はいつにしますか。」 そう切り出されました。私「なんとか早くなりませんかね」ドクター「はい、判りました。明日退院にしましょう。問題は失禁です。骨盤底筋体操を心がけて下さいね」 骨盤底筋とは、骨盤の底にある筋肉群で、排尿、排便などに大きく関係する。これらの筋力が弱まると,尿道を締める力が弱くなるため,頻尿や尿漏れなどが生じる。骨盤底筋体操で筋力を高めると,排尿の問題を改善することが出来る、とパンフにありました。オナラや尿を我慢する筋肉です。尿切りや肛門を締めるのに使うところです。それを意識的、1日数回に分け合計10分程度、締めるよう繰り返すトレーニングです。これを続けると1~3ヶ月で尿漏れが改善するとのことでした。面倒くさいけれど,いつまでも垂れ流しでは按配が悪い。努めなければ。 ということで1月6日(土)退院しました。病院の玄関を出て,駐車場に止めてあったマイカーのハンドルを握ったとき,人心地のついた気持ちになりました。エンジンをかける前、暫く運転席に座って病院の建物を眺めました。この12日間をここで過ごしたんだな,感慨じみた気持ちと,それがあっという間に終わったな、年末年始の正月気分を味合わず,ぽっかり穴の開いて今年が始まったような妙な気持ちでした。 高速道路を2時間掛けて家に戻りました。途中の運転、眠気の差していけませんでした。玄関を入ると,息子の上京した後でしたが,娘は明日まで在宅。顔を見ることができてよかったです。 とまあ、以上が一連の前立腺癌発見と入退院の顛末でした。入院に要した費用は差額ベッド代(個室使用料)を含め、500ラー(ラーは岐阜県多治見市のごく一部に使われる仮想通貨単位、1ラー=600円)でした。(癌の宣告について) 退院してこの方、健康診断でボーダーラインを超えた数値の出て後、あれこれの検査を経て前立腺癌の確定、入院・手術、一連を書いてきました。その内容は、事実関係を時系列で纏めたものであり、癌宣告を受けた際の自身の気持ち、受け止め方、揺れの有無などについては記していません。ということで、大げさですが,この歳になっての死生観じみたものも含め,つらつら書いてみます。とりとめのない内容となります。 いきなりですが,若い頃、死は恐ろしいものでした。自分の存在が無になる,それでいて世の中は続いていく,このギャップに慄(おのの)いていました。それが次第、友人知人、同僚先輩後輩、家族、身の回りの誰彼が世を去り、自身も50台を経て還暦、体力の衰え、酒に弱くなったこともあり、次第と何気なく死を受容するような感じを覚えるようになりました。これは老いと共に遺伝子の一部がそう思わせるような働きかけを始めているのかもしれない、勝手にそんなことを思ったりもしました。 それはそれとして、日本人の平均寿命から自身の年齢を引くと残された年月は幾許(いくばく)かを漠然,考えるようにもなりました。さらに単なる余命に加え,健康寿命のことを思うと、折に触れ、上の諦観じみた思いとは別、なんだか焦燥感に似た思いが過りました。 いえ、悲観的なニュアンスではありません。それはそれで仕方のないこと、生を受けた者は必ず死ななければならない、そう決まっているので、還暦を祝う慶びに似た感じ、あれこれあってもこの歳まで生きた,生かされてきた,有り難い、後はボーナスだな、これから死ぬまでの間をそんな朧気な感じで捉えている心持ちです。まさに歳をとったという子でしょう。 60台になって、そんな思いでぼんやり暮らしていたので、宣告というか、病名を告げられたとき、嗚呼私も患者の仲間入りか,2人に1人は癌になるご時世、特別なことではない、それが正直な感想でした。入院・手術もどこか醒めた感じ。なるようにしかならぬ、半分他人事のような気持ちでした。ツルゲーネフ「父と子」のバザーロフ然りだな、ちょっと悦に入った気分でもありました。勿論、難儀な部位だったり、各所に転移していたりというのではなく、早期発見、しかも治癒率の高い前立腺癌であったことも,悲観的な気持ちにならずの一因ではありますが。 さて、それはそれとして、病気のことをして夫婦の会話もその辺りが話題となること多しでした。 話が跳びます。私、毛が三本足りません。人のことを思いやるという心遣いに疎い、常々そう思っています。家族に対しても「まあなるようにしかならん」ということで、結婚以来、深い愛情には無縁、結構ドライな夫であり,父親でした。 そんな私です。例えば,道中の交通事故が心配だ、見舞いなんぞに来なくてよい、退院の際も迎えは要らない,自分で運転して戻る、というような目先のことから、もしも死んだら墓は不要、灰は適当,父の山に撒いてくれればよい、一部、ほんの僅かだけ、母校の大学キャンパスの隅にサッ、小袋一袋分を人に見られないよう撒いて頂戴、そんな話をいい加減,笑い話のよう、つらつらしたところ「あなた、自分のことばかり考えて,先に死んだら私たちはどうなるの。もう少し家族のことを考えてよ」 叱られました。確かにその通りです。一応相槌を打ちました。でも、よく言うじゃないですか。「男やもめに蛆がわき、女やもめに花が咲く。」心の中では心配なしと思っています。結局のところ、人は死ぬまでなんとか生きていかないといけないんです。 ということで,仕方がない,なるようにしかならん、それが人生と思い定めています。私にとって宗教は至って無縁。死は一切の無なのです。 話が大げさになってきました。戻ります。入院手術のため、少し休暇を取る旨、会社へ伝えました。途端,病如何、部下たちに問われました。癌だよと伝えたら、ほとんどの者が厳しい闘病とその先の死をイメージするのでしょう、もう私が死ぬ身であるようなレッテルを貼った目つきに見えました。見舞いの言葉にもそれを感じました。いえ、私自身、イメージとして癌は死に至る病、そういう固定観念を拭えずにいましたから、仕方ありません。部下の数人を若いうちにその病気で失いもしましたし。確かに癌は未だ医学が克服できない病ですから。それはそれとして、自身が罹患して、先に書いたよう,仕方のないこと,平気前進しかないとの思いである自分が、そのような目で見られることには、なんだか滑稽感を覚えました。纏めとして、それが私の毛の三本足りないせいだからかもしれません。今日の写真は鷹です。散歩の途中、架線に留まっていました。別の一枚をトリミングしてみました。精悍の姿です。それはそれとして遅ればせながら一富士二鷹三茄子です。何かいいことがあるといいのですが。
2024年01月21日
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Saturday, January 20, 2024 小雨 午前6時起床。昨夜の晩酌と以降の睡眠で,1週間の疲れが取れました。写真は朝食です。久しぶりのパン食。マンデリンの珈琲が美味しい。 降り込められ、終日居間に過ごしました。焼き芋を頬張りながら音楽を聴いたり,新聞に目を通したり。入院生活の続きをブログに書いてもみました。次の写真はストーブです。陽の射さない底冷えの日は,これが有り難いです。 拙宅トラも手持ち無沙汰。カリモクソファーにゴロリ。 夕刻、霧雨の中を散歩3km。途中、初対面のニャー2匹に行き遇わせました。カメラを持たなかったのが悔やまれます。それでは入院の続きを以下に。 (手術・入院生活) 大晦日の近づいた週に、株主代表会議が終わりました。手術を翌日に控えた26日に入院しました。妻が同行してくれました。彼女は別府のホテルへ宿泊。明日早朝に始まる手術に立ち会うためでした。 部屋は4階の南向き個室。病院自体が築後数年しか経っておらず、美しく広く快適でした。Wi-Fiが完備されていることを知っていたので,タブレットを持ち込みました。 午後4時頃、左手首から10cmほど肘に近いあたりの静脈に針を刺し、点滴が始まりました。何の薬か判りません。合わせて、下剤を飲み始めました。ボトルラベルに、サルプレップという名の経口腸管洗浄剤配合内服液とありました。500mlを40分かけて飲むように言われました。塩分の強く,しょっぱかったです。後口悪し。水1リットルも添えられました。飲み終えて1時間半程度で下り始めました。それの落ち着いて,シャワーを浴びました。シティホテルには劣りますが、ビジネスホテルのそれよりもずっと快適のバスルームでした。午後6時過ぎ、主治医が病室を訪ねてくれました。先般の生検結果を改めて説明してくれました。「前立腺癌の細胞ランクは6から10までの5ランクに分けられる。6はおとなしく、7は普通、8~10は暴れるレベル、Tさん、あなたのそれは7でした。なお、明日の手術で前立腺を全摘するのですが、身体から切り離した前立腺の切り口、即ち断面は大分大学医学部に送り、病理検査に回します。断面のに癌細胞が見つからなければ、前立腺の内部だけに癌細胞があったということになり、完全にそれを取り除いたことになります。断面に癌細胞があれば、身体側に未だ残っていることになります。その場合は次の治療過程に進みます。ということで、病理検査の結果待ちとなります。来月(年明け1月)末に判ります。何か質問はありますか。あっ、退院後の運動ですか。そうですね、自転車はサドルが丁度尿道のところに触りますから、春頃まで控えた方がいいでしょうね.それ以降は自由にどうぞ。はい、酒はOKですよ。ただしほどほどにしてください。飲み過ぎると括約筋が緩み、失禁が酷くなりますからね」 まだ手術前というのに,早くも退院後の生活を思う杣夫でした。 その日は病棟の消灯時刻、午後9時に就寝。その折、コーラックに似たピンクの錠剤2粒を飲みました.これも下剤なのでしょう。 ベッドの中、娘からのLINEによる励ましが嬉しかったです。 翌27日は午前4時起床。顔の髭を剃るよう言われたので、午前5時、カミソリを使いました。私、其程濃くはありません。チャチャッと済ませました。午前8時前、妻がやってきました。とりとめのない話をしていたら、呼び出しがありました。この階のエレベーター前で見送ってくれました。笑顔が瞼に焼き付きました。手術中、私は麻酔、前後不覚の時間ですが,待つ身の妻はどんな思いか。心配を掛けます。 手術室は1階でした。生検の時と同じ手はずでした。看護師がビニールの帽子を被せてくれました。私の頭に看護師の伸ばした手の先が届きません。屈んだら,有り難うございます、笑顔で礼を言われました。術前をしてのことですが、言葉の一言一言、些細な心遣いが嬉しく,気持ちが和らぎました。 狭いベッドに上向き,横になりました。ベルトで両手を固定されました。寝たまま気をつけをする姿勢になりました。麻酔医がテキパキ,それではいきますよ,そういいながら麻酔薬を最前の点滴管に入れたようでした。腕から身体の方へサーッと冷たい感覚が広がってくると思ったら、もう落ちていました。 午後3時くらいだったでしょうか、気のついてぼんやりの感覚でした。最初に見えたのは妻の笑顔でした。最前、エレベーターの前に見送ってくれた時の笑顔とは異なる、安心の目つきでした。写真はその折の私です。目が鰯のよう、潤んでいる。 ちなみ、こちらは手術前夜の私です。麻酔と手術のダメージは、この違いに見て取れます。 戻ります。術後の写真に、酸素マスクと心拍を測定するセンサーを見て取れます。そのほか点滴、尿道カテーテル、加えてドレーンが土手っ腹に突っ込まれていました。 ドレーンとは太いストローほどのビニール管です。長さは60~70cmほどでしょうか。ダビンチによる手術は,腹に6カ所、穴を開けてのことでしたが、そのうちの一つを利用、腹の中に深く差し込まれていました。その役目は前立腺を切り取った際、切り口から血液や体液などが染み出、腹腔に溜まるのだそうで、それを排出するためのもの。ビニール管の外側の口、即ち腹の外の方の口にはそこそこ硬いゴム状、透明、拳大の球体が付いてあります。それを握ると腹腔に空気が入ります。逆に握りを離すと、吸引,即ちマイナスの圧が腹腔にかかり、溜まった体液を中から吸い出すという仕組みになっているのです。差し込んでいる穴のところは、化膿しないよう絆創膏できちんと保たれていました。ドレーンによる吸い出し、なんとも原始的ではありますが、日々の経過と共に,吸い出される腹腔内の体液が濃い赤から薄いピンクに変わっていくのを見て、嗚呼,快方に向かっているんだな、それを実感しました。 戻ります。オペの無事終了を知って,妻は家路につきました。その夜,上向き、同じ姿勢による腰の鈍痛がありましたが、寝返りOKと聞いて,そうしました。難は軽減です。 術日の夜は、心電図センサーと各種チューブのせいで,寝苦しかったです。看護師が入れ替わり立ち替わり病室を覗き、おかわりありませんか,声をかけてくれました。朝になって,さあ歩きましょう、看護師が身体を支えてくれました。傷口(内部も含め)は全く痛みませんでした。ただし、咳・嚔(くしゃみ)をしたとき、うっ、鈍痛が走りました。スタスタ歩くことが出来ました。努めて動くようアドバイスされました。傷の治りが早いのだそうです。夕刻、食事が出ました。所謂重湯でした。味も素っ気もありません。 29日(術後3日目)の朝は3分粥、昼に5分、夜は7分、翌朝が粥、30日の昼に普通食となりました。それぞれおかずは二品。味噌汁が付きました。夕刻、看護師がやって来「Tさん、「ペ○ス」の洗い方を教えますね。紙パンツを下げてトイレに腰掛けてください。尿道カテーテルを挿入していると、尿道壁とカテーテルの隙間から尿が漏れるし、血尿も混じります。それが「ペ○ス」の回りに付いて汚れます。匂いも出しますから、洗いましょう。(彼女、お湯の入ったペットボトルを片手に持ち、摘まんだ私の「ペ○ス」にそれを掛け,優しく汚れを落としてくれました)こうしてお湯を掛け、少しずつ流していきます。血糊などを流したらこのペーパータオルで拭いてください。はい、お終いです」 うーん、プロに徹した扱いとドライの言葉遣いに頭が下がりました。 30日(術後4日目)にドレーンと点滴が外れました。ドレーンを差し込んだ穴は臍の右上でしたが、腹腔の左下まで差し込まれていて、抜く折、痛みはありませんでしたが、他の臓器に触るの感あり、とても妙な違和感を覚えました。ということでこの日以降は尿道カテーテルのみでした。シャワーの許可が出ました。「ペ○ス」の先から管が出ていて,少し始末の悪い入浴でしたが、浴びた後は自身の身体にシャンプーの香りが残り、いい気持ちでした。忽ち睡魔に襲われました。次の写真は手術痕です。 穴は全部で6つですが、右脇腹奥のところは写っていません。向かって左の穴がドレーンの刺さってあったところ。臍の上が一番大きな穴でして,切り取った前立腺はここから出しました。医師に後で聞いた話ですが、切り取った前立腺は腹腔内でビニール袋に入れ、他の臓器に触れないようにして取り出したそうです。穴は、右上のところを除き、全て縫わずに特殊な絆創膏で留めただけでした。シャワーを浴びたら絆創膏が剥がれ、瘡蓋の傷口がむき出しになりました。それでいいのだそうです。痛みは全くなく、腹筋に力を入れたら,ほんの少しの鈍痛。それも日薬、次第と消えていくのが判りました。僅かの痒みがのこりました。 大晦日(術後5日目)、昨日今日と病院内はとても静かでした。外来は数日前から年末年始の休み。入院患者も都合のつく人は正月を家庭で過ごすため仮退院のようでした。4階病棟は30人近くの入院キャパがあるようですが、数えたら10人未満でした。当直の看護師もモニアーチェックはするものの、傍目、手持ち無沙汰のようでした。病院全体が休暇モード。朝昼晩の配膳も,その担当が休みとなり,看護師がやってくれているようでした。自由に歩くことが出来るようになり、海に面した明るく広い食堂兼面会室で食事をしてもよかったのですが、そこで他の患者に声を掛けられ,話し込まれるのはちょっと・・・。と言うことで入院の間、部屋食を通しました。手術の日から暫く経つと、24時間、手持ち無沙汰となります。本は荷物になるので持ち込みませんでした。先だって書いたとおり、青空文庫を紐解きました。活字に飽くとラジコです。年の瀬の音が,世間から隔離の病室に届き、寂しいようでいて,これもいい経験、還暦を過ぎ、世事の煩雑に紛らわされず自己を見つめる時間のあることも悪くない、そう独りごちた大晦日でした。写真はこの日の昼食です。手前右の椀に蕎麦でした。年越しをしてのことでしょう。(続く)今日の一句寒烏櫟の天辺声絞る 今日の写真は尿パックです。管の上手は尿道カテーテルに繋がっています。2.5リットルの容量。8分目程溜まると,看護師が大きなプラスチック製ビーカーを持って来、中身をそれに移し,処分してくれました。
2024年01月20日
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Friday, January 19, 2024 曇り 午前7時半出社。出勤途中、パラつきました。 午前午後ともミーティングや会議。お客様もありました。睡眠時間2時間。寝不足で頭の回転が悪かったです。今日の夜も会議がありました。午後8時半帰宅。グロッキー。昨日、風呂に入りませんでした。妻はコーラスに出かけ不在。のんびり湯船に浸かりました。眠気が差しました。夕食は彼女作り置きのチャーハンとふろふき大根。缶ビール1缶プシュッとやって、燗を1本つけました。大相撲の録画を見ながらチビリ。ポートシャーロット(写真)のストレートを舐め、午後11時、バタンキュー。 書くことがないので、今日も前立腺癌の続きを以下に。 (診断確定) 12月は年4回ある株主代表会議のシーズンでした。その合間を縫っての中旬、検査結果を訊きに、病院を訪ねました。予約の時刻に訪ねると、医師曰く「Tさん、残念ながら癌が見つかりました。場所はMRI検査で特定されたところの部位です。針を20か所刺して、その一部にありました。悪性度は良性と悪性の中間です。癌は癌ですが、安心してください。治療の選択肢もいろいろありますよ。放射線や重粒子線を使ったり、ホルモン療法だったり、或いは摘出手術だったり。放射線は治療設備のある大分市の大きな病院に2週間通う必要があります。重粒子線は、福岡県の病院にしか設備がありませんし、これも幾日かの通院が必要です。お住まいが佐伯市なので,通うのは大変ですね。それにお仕事もお仕事だし。それで、どうします?ああ、手術を希望しますか。そうですよね、わかりました。それじゃぁ日程ですが、まあ、暖かくなって3月ないし4月あたりにしましょうか。前立腺癌は進行が遅く、Tさんの状況ならそんなに急ぐこともありませんしね。年度末は忙しいでしょうから、4月になってからにしますか?えっ!年内ですか?うーん、ほかの患者さんのオペが入って、厳しいなぁ。ちょっと待ってください。えーと、えーと。そうですか。12月末なら何とか押し込めるけど、うーん、それにしても年末年始、正月を病院で過ごすんですか?それでかまいません?ああそうですか。そこまで言うのでしたらわかりました。それじゃぁえーと、12月27日、病院年内最終オペということでいきましょう。手術は年末年始を休みますからね。でも本当に正月を病院でいいんですね。も一度言いますが、春になってでもいいんですよ?うんうん、ハイ、分かりました。それではと、26日入院ということで。手続きしておきますね。それでは、今日はそれを前、前立腺は骨に転移することが多いですから、念のためCT検査をしておきましょう」 私、年末の手術を希望したのには理由がありました。一つには急がなくてもよいと言われても,早いに越したことはないという思い。も一つは、年末年始は会社が休みとなり、仕事上,迷惑をかけることも少なくなるから。正月気分を味わえないことよりも、前者二つの理由を優先することが先と思い定め、病院に無理を言ったのでした。 なお、この日のCT検査結果は、幸い、転移無しでした。CTで骨に転移の有無が判るのか、ちょぅっと疑問ではありましたが。(入院・手術の説明) 診断の確定した日、医者に手術内容とリスクの説明を受けました。その内容は次の通りです。 全身麻酔で行う、手術時間は6時間、オペはロボット手術となる、ロボットの名称はダビンチ、腹に穴を6つ開ける、そこにライト、カメラや鋏、縫い針、ピンセットなど先端端子の付いた細いアームを差し入れて前立腺を切り取る、それらの操作は離れたところにある制御装置で医師が行う、手術は手術担当の医師2名、麻酔医1名、看護師2~3名が担当する。写真はそのダビンチです。手術台に横になったら、これが腹の上に被さるのでしょう。このロボット、価格は3億円位と聞きました。メンテも1回が300万円位だそうです。ちなみに,私のお世話になった病院のHP(HP)です。このリンク先にダビンチの紹介があります。 前にも書きましたが、前立腺は30g程度の重さ。小さな穴を開け、ロボットがアームを差し込み、切り取ります。問題は、前立腺の中を尿道が通っていることです。膀胱からの尿道が前立腺内を通過、「ぺ〇ス」に至ります。ということで、膀胱側と「ペ〇ス」側の尿道をちょん切らないと、前立腺を取り出すことはできません。切断部分のうち、「ペ〇ス」側を膀胱の側に引っ張って縫い付けるのだそうです。尿道は引っ張ると伸びるので、問題ないとのこと。また、両者を縫い合わせて繋ぐ作業は、ロボット手術技術としてはそれほど難しくないとは医者の弁。むしろ、前立腺が肛門近くの直腸にくっついているので、その部分を切り剥がさないといけないのだそうです。その部位は非常に薄く、難しいそうです。 なお、手術はは約30度、足の方を上げた状態で行うとのことでした。傾け、腹腔に二酸化炭素を吹き込んで膨らませ、前立腺切除の切り取り認識空間を確保するためだそうです。なるほど、ペチャっと臓器が引っ付いた状態では無理。よく考えたものです。 最後に術後の影響について。前立腺を切除すると「ボッキ」不全と失禁が生じるとのこと。後者は3カ月から半年続く者もあるけれど、9割方、収まるそうです。前者の生じる確率、元に戻る程度の説明はありませんでした。加えて大切なことは、「シャセイ」不能となることです。「セイエキ」の通り道、前立腺がなくなりますから、「シャセイ」できません。当然、「セイコウ」での妊娠能わずとなります。それでもよいですかと問われました。もうこの年ですし、妻も既に閉経。全く問題ありませんが、医師はその点を重要視、気遣い、丁寧な応対をしてくれました。若い男性(夫婦)の場合、とても大きな判断になろうことは想像に難くありません。 説明は他に入院の手続き、支払い関係、個室か否か、等がありました。病院のパンフレットがよく整理されていて、分かり易かったです。最後に入院期間は半月から二十日ほどと言われ、その日は病院を後にしました。 病院側としては、本人にだけではなく、家族にも同じ内容を説明したいとのことでした。入院前に妻を伴い、も一度、訪ね、夫婦二人そろって話を聞きました。妻は一通りをして、安心したようでした。(以下続く)今日の一句水仙のひそり咲くなり小正月今日の写真は庭に咲くフサザキスイセン(房咲水仙)です。大寒を前にほっこり。
2024年01月19日
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Thursday, January 18, 2024 晴れのち曇り一時雨午前7時半出社。終日勤務。午前7時半出社。終日勤務、午後7時、今日もUNIONとのやり取りがありました。帰宅は午前3時。病み上がりには辛いです。しかし、相手側に歩み寄ってもらい,いい結果となりました。 さて、書くことがないので、前立腺癌に至るあれこれを以下に書き記しておきます。(疑い) 昨年(2023)夏、会社の定期健康診断を受診しました。主治医をふた月に一度、血圧の薬処方を求めて受診するのですが、定期健診直後の受診にその結果を持参しました。毎年のことです。主治医のS医師、それを見て「Tさん、PSIの値が4.0、ボーダーライン(3.5)を越えているね。一度専門医を受診したほうがいい」。勧めてくれました。自覚症状は全くありませんでした。 PSIとは前立腺癌の有無を調べる指標です。指標を上回ると前立腺癌を疑うのだそうです。採血で判定されます。通常、検診の一環として受ける場合、自費となります。2千円から3千円程度ですが、自治体によっては助成があります。私は毎年の健康診断にその料金を追加していたのです。 ということでS医師の勧めで10月、佐伯市内の総合病院Nを受診。MRI、CTの両方を使い、前立腺を診察してもらいました。結果は「前立腺に癌らしき影あり」でした。しかし、その場では疑いが濃くなっただけで、診断確定には至りませんでした。総合病院Nの医師は、生検を勧めてくれました。「うちの病院でもできるけれど、生検技術は専門医の方が上だから」といい、腎臓・泌尿器の専門診療を行う医療機関を紹介してくれました。大分大学医学部付属病院と別府湾腎泌尿器病院の2施設でした。医学部付属病院は患者数が多く、急患によって診療日時の変更多しということから、後者を選びました。 11月のはじめ、ポカ休を取りました。バックの中にN医療センターの医師が用意してくれたMRI、CTのデータなど分厚い資料を持って、その病院へ向かいました。あらかじめ予約していたので、待ち時間はほとんどありませんでした。持参の資料に目通しした医師は、生検の必要を改めて口にし、検査概要を丁寧に説明してくれました。生検とは癌の疑われる部位に針を刺し、細胞を採取。それを顕微鏡で観察、判定する検査のことです。1泊2日、全身麻酔で行い、痛みは全くなしとのことでした。前立腺の大きさはピンポン玉程度、重さにして30gだそうです。私の場合、その一部に小豆大の影があるとのこと。細胞採取はその部分だけではなく、前立腺の内部と周囲全部、併せて20か所ほどの部位細胞を採取するとのこと。針を刺すところは「いんのう」と「こうもん」の間。前立腺が膀胱と「ペ〇ス」の間にある臓器だからです。その日、11月中旬に入院・生検の予約をして病院を後にしました。(生検) その日がやってきました。ポカ休を取って再び別府へ。前夜9時以降、食事を取らないよう指示がありました。勿論当日の朝食は抜き。病院に着いて、病室へ案内されました。院内着を渡され、それに着替えました。1泊ですが、入院は入院です。検査とはいえ、全身麻酔です。昼食も抜き。手術の順番待ちでした。午後2時前、看護師に促され、手術着に着替えました。膝上までの長さの前開き木綿製の羽織物でした。下はスッポンポン。最前の説明が如く「いんのう」と「こうもん」の間に針を刺すのですから当然です。続いて「浣腸します」といわれ、ベッドに横へなりました。おしりを押し開かれ、チューブを「こうもん」に差し込まれました。そろり液体の入ってくるのが判りました。僅か10秒かそこいらの処置でした。数分後、差し込みがあり、トイレに突っ込みました。渋り腹とはこのことだというような感じでした。便器に10分ほど座り、小康を得ました。トイレ備え付けのボタンを押して看護師を呼びました。すぐにやってきて排便の現物を確認してくれました。「はい、OKですよ。病室に戻ってください」。 前の患者の手術が長引いているようで、なかなか呼ばれませんでした。午後3時過ぎ、使者がやってきました。別階にエレベーターで移動しました。手術室入室には二つ扉がありました。二つ目を過ぎると別世界。スリッパを履き替え、頭にビニールを被せられました。女性が風呂に入る折、被るあれにちかかったです。すたすた前に進むと、無影燈の下に手術台がありました。縦横とも何とも狭い感じでした。私が上向きに横になって少し動けばはみ出るだろう、そのような広さでした。手術室の中はテレビで見たような器具がそこここに置かれ、広さは10m×10mほどでしょうか。広く感じました。全体の色調は少し暗い青かな。 ここで全身麻酔のことを。私が検査入院した病院は、専門医5人と麻酔医1人がスタッフのようでした。手術前、麻酔医からも丁寧な説明がありました。全身麻酔の投薬は手の甲の血管から入れる、呼吸が止まるので気管に管を入れ、人工呼吸の措置をとる、リスクは低いがあれこれの副作用あるかもしれない、その詳細まで詳しく聞かされました。最後に説明同意のサインを求められました。勿論、こちとら俎板の鯉です。サラリ、名前を書きました。 「Tさん、それでは麻酔、いきますよ。すぐ眠くなりますよ」。 途端、針を刺した左手甲からサーッ、冷たい感じの感覚が左半身に広がり始めました。それが最後でした。 「Tさん、わかりますか?」その声に意識が戻りました。午後6時ごろの病室ベッド上でした。痛みは全くありませんでしたが、尿道に違和感がありました。「ぺ〇ス」の先から膀胱へ向け、尿道カテーテル(ビニールの管)が差し込まれていました。加えて、左手甲に点滴の注射針が刺さっていました。その晩はカテーテルの為、尿意は無く、目の覚めたりうとうとしたり。スマホでアマゾンプライムの映画を見る余裕がありました。夜中、時折、当直の看護師が覗いてくれました。 一晩だけの検査入院ということで、4人部屋に入ったのですが、数年前に開院した病院ということで病室が広い。これまでのイメージの倍の広さがありました。夜中、イヤホンをつけてスマホをいじりましたが、同室、隣のベッドは同日、私の前に手術を受けた方でした。術前、随分重い病気を抱えていると本人に聞かされていました。術後、戻ってきた彼は一晩中痛みにうなされていました。 明け方、私の体から出た尿の色合いを見て(尿道カテーテルの先に目盛りの入った2.5リットルのビニール容器がついている)「はい、Tさん、抜きますよ」私の「ぺ〇ス」を摘まんで、ぬるり、カテーテルを抜いてくれました。その折、一瞬ですが、膀胱から尿道にかけてのところに疼痛が走りました。その足でトイレへ向かいました。尿が正常に出ることを確認。「しばらく血尿が混じります」といわれ、退院のOKがでました。 支払いは60ラーほどでした。クレジットカードを忘れ、近くのコンビニでキャッシュを引き出して病院に戻りました。恥ずかしかったです。 さて、生検の検査結果は12の月初め、ポカ休を取るわけにもいかず、土曜日のこととなりました。その内容は後に回すとして、生検後の経過について、付け加えておくことがあります。 20か所ほどに針を刺しましたが、痛みはほとんど残りませんでした。ただし、血尿が10日ほど続きました。最初は鮮血が混じりましたが、次第に赤黒くなり、時間の経過とともに薄くなりました。それはそれとして、「せいえき」です。なんと、「しゃせい」の折も鮮血交じりなのです。通常、「せいえき」は白濁です。驚きました。「しゃせい」の回数を経るごと、乾いた血糊のような色合いになり、これも10日ほどで正常の色合いに戻りました。精嚢から供給される「せいえき」も前立腺を通し、尿道に入り、「ペ〇ス」の先から出ます。前立腺に針をぶすぶす刺したのですから、これに血の混じるのは、当たり前と言えば当たり前でしょう。 とまあこんな日を過ごして検査結果の日に至ったのでした。(続く) 今日の写真はUNIONとの交渉前に食べたホカ弁のチキン南蛮弁当です。意外といけました。
2024年01月19日
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Wednesday, January 17, 2024 晴れ 色々ありまして、一か月余り、ブログ更新をしませんでした。年末年始を入退院。仕事は一昨日、15日(月)に復帰しました。ブログは今日から再開です。拙いあれこれですが、笑読してくれたら嬉しいです。 午前7時半出社。 夜,UNIONの交渉あり。帰宅は午後10時でした。帰り着いたら西の空に弓張月がかかっていました。南の中天にオリオン座。 もどります。さて、その「色々」とは、この元旦にアップした挨拶文の通り、先月初めに前立腺癌の診断が確定、大晦日を前に入院・手術を受けたことに伴う前後のあれこれでした。ドクターは「手術は春、暖かくなってからでもいいよ」と言ってくれました。彼なりに年度替わりが仕事に区切りのつけやすいこと、この癌の進行が遅いという特性をしてのことのようでした。しかし、年度末のスケジュールは既に立て込んでいて、3週間程度、会社を空けるのは心苦しい感じがしました。年末年始の休みを充てると、その思いが少し和らぐな。そう思い、年内手術の希望を頼み込みました。年末、株主代表会議の最終日を終え、その週の土曜日、24日にあった第九コンサートを聴きました。合唱に妻の声も交じり、聞き終えて「嗚呼、娑婆の垢を落とした気分」とはこのことだな、そう独り言ちました。 12月26日(火)入院、27日手術。前立腺を全摘しました。退院は年の明けた1月6日(土)でした。入院先は、別府にある腎臓と泌尿器の専門病院でした。写真はその病院最上階からの眺めです。目の前に別府湾の広がるいい眺めでした。売店の高級エスプレッソマシンが淹れてくれるエスプレッソは何倍飲んでも無料でした。 こちらは正月二日の日の出。嗚呼、酒を飲みたいな。 さて、予後の一週間は自宅療養。4㎏減った体重(79㎏になりました)と体力を取り戻すため、散歩を交えた時間を過ごしました。ドクターに「酒?ほどほどならいいよ」そう言われていました。それがいけませんでした。退院3日目に発熱。39℃が続きました。かかりつけの医院に行きましたが、インフルエンザ、コロナとも白でした。抗生剤と熱さましを処方してくれました。3日間寝込みました。酒をいきなり飲んではいけない、慣らし運転の必要を思い知りました。 1月15日(月)から出社。今日は17日(水)。やっと調子を取り戻したの感ありです。 前立腺は男性特有の臓器です。最近、この部位の癌は胃癌を上回り、男性に最も多い癌になったそうです。参考までに自身の「疑い、検査、確定、入院、手術、予後」を書いておくのも何かと参考になるのではないか、そう考えていますが、それはまたの機会。今日は取り敢えず復帰、ブログ再開ということで、それらはまた改めておいおいということにします。今日の一句寒行に弓張月の影が射し今日の写真は小説の新聞広告です。「中学生になるまでに読んでおきたい」というのがキャッチコピー。ほとんどが著作権切れです。青空文庫にありました。ということで入院中はこれらをまとめてやっつけました。
2024年01月17日
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謹賀新年 皆様、お変わりありませんか。私は今年66歳になります。経年、歳月を早く感じるこの頃です。それでは昨年のあれこれを記し、新年の挨拶とします。(コロナ禍) 正月、帰省の娘息子が相次ぎ罹患しました。私も濃厚接触者となり、仕事始めからの数日,休みました。七月には妻も感染。罹らなかったのは私だけでした。(野菜畑) 夏野菜冬野菜、あれこれを栽培しました。何れも出来栄えは今一でしたが、茄子は秋の深まっても結実でした。西瓜は父の足腰が弱り、作りませんでした。(読書と新聞) 本を手に取る時間が減りました。書斎に未読本山積み。読まずに断捨離が頭を過ります。新聞には目を通しています。毎朝、職場に午前7時半出勤。日読毎朝西合、都合5紙を斜め読み。好みは毎日新聞です。好きなコラムは日経「私の履歴書」と「朝日川柳」です。 趣味・運動) レコード・CDを聴きませんでした。音楽はもっぱらジョギングや散歩中のみ。俳句とブログも年の後半は滞りがち。通勤車中に「中高生の英会話 in English」を聞きました。ものになりません。自転車はゴールデンウィークのツール・ド・国東に出場。仏の里を75㎞、楽しみました。(酒) ほぼ毎日晩酌。2合程度。帰り道、魚屋で定置の小鰺を求めチャチャッ。刺身を楽しみました。外飲みは減りました。数カ月に1度程度だったかな。(家族) 妻は昨年も請われて支援学校に働きました。年末には第九を歌いました。都会に暮らす娘息子ともども息災です。この正月、1年ぶりに帰省予定。家族団欒の予定でした。しかし師走に入って私に前立腺癌が見つかりました。年末に入院手術、正月は病院ベッドの上です。幸い早期発見。心配無用に願います。 それではこの一年、皆様によいことがありますよう。 令和六年元旦 一人親方杣夫
2024年01月01日
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暫くブログを休みます。来月下旬には再開できそうです。当方のこと,放念下さい。それでは皆さん、酔いお年を。
2023年12月03日
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Wednesday, November 29, 2023 朝、よく晴れました。望を過ぎ,今日は立待月。月齢16です。午前7時半、出社した折、佐伯のランドマーク・城山(標高140m)の右上に懸かっていました。左の山頂部に僅か、石垣を見て取れます。 この城跡、先日、国の史跡に指定されました。私、この麓にある高校に通いました。体育の授業、冬場は登山道を駆け上がり、向こう側の麓、若宮八幡へ下り、帰りは山裾を廻るコース。今思うと,適当の体力作りではあります。 今日は私のまちに献血バスがやってきました。いつもですと、何はさておきなのですが、今回はそうもいきません。私、先月、前立腺癌のマーカーがボーダーラインを超え、別府の専門医を受診。1泊2日、泊まり込みで組織検査の検体採取を受けてきました。現在、生検の結果待ちです。ということで献血すること能わず。代わりと言うことではありませんが,妻は応じました。今回は地元ロータリークラブが支援。こんなものをお礼に貰ったとのこと。 今夜は缶ビールを半分飲んだ後、白波のお湯割り。夕ご飯の前に摘まんだのはこれ。下関・唐戸市場の高級生食竹輪です。これも妻が友人に貰った土産。プリプリで美味しい。でもキャッチコピーに「ふぐスープ仕立て」とあって、その点は食べてよくわかりません。 友人からの土産をも一つ。これも妻の友人がくれたもの。先日まで福岡に大相撲九州場所が懸かっていました。その何日目かを見に行ったそうでした。軍配のチョコレートが乙な味でした。 嗚呼,いろいろあって疲れました。 今日の写真は蟷螂です。先日、土曜日に撮りました。抱卵しているようです。体色は色変わり。産卵した後は・・・。世の常です。
2023年11月30日
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Monday, November 27, 2023 夜来の雨が昼前まで残りました。のち方、晴れて帰宅時刻に満月が昇りました。ラジオがビーバームーン云々の講釈を垂れていました。 会社から戻り、風呂を浴びてプシュッ。夜のお勤めは冷酒にしました。 当ては出来合いの鰹叩きと野菜の炒め物でした。後者は先日始末した野菜類の最終便(茄子、ピーマン、パプリカ)に加え玉葱、それに竹輪と豚肉を混ぜたもの。最後の最後まで茄子を食べ切った充実感ではあります。 書くことがないので、新聞に載った話題を肴に。 瀬戸内の島で酪農を営む方曰く、乳牛にモーツァルトを聞かせたら、濃厚な牛乳を出すそうです。この手の話、時折耳にします。観葉植物に音楽を聞かせたら元気を保つとか、酒の仕込みにクラシックを聞かせたらまろやかになる、というような。 記事を読んで、思い出した話を以下に。 若い時分、鹿児島を一人旅しました。阿久根市を訪ねた帰り、田園酒造に立ち寄りました。焼酎蔵でした。支配人と思しきおじさんが丁寧な説明をしてくれました。時の資本はコカ・コーラと聞いた記憶があります。も一つ、貯蔵にはクラシック音楽がいいとも。 その記憶が薄れて40代前半、仕事関連で大分・杵築にある中野酒造を訪ねました。当時、この蔵の杜氏は私の母校、経済学部を卒業した男でした。蔵の中を案内された折、モーツァルトが流れていました。それならばと、マーラーの5番を彼に送りました。暫くして連絡のあり、あの曲は日本酒に合わないと言われました。 そうか、マーラーはウイスキー樽向きだな。そう独り言ちました。写真は彼がバイエルン放送響を振った8番です。「千人の交響曲」と言われています。ウイスキーの熟成が進みそう。今夜はタンノイに灯を入れてみようかな。このレコードに針を落とすのは何十年ぶりだろう。
2023年11月27日
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Sunday, November 24, 2023 快晴、小春日和が続きます。 朝ご飯の折「今日は大根を漬けるわ」。妻が言いました。15本、引いて束子で水洗い。ピーラーで皮を剥き、半分にカットしました。あとは彼女の役目です。塩を塗して樽の中に。私が重しを載せて、水の出るのを待つばかり。写真を取り忘れました。残念です。 昼を挟んで、頼まれていた地区の野暮用を片付けました。高齢者Rさん宅の庭木(モチノキ直径50㎝)を私の背の高さに切り込みを入れて倒したのです。この手の依頼はお安い御用。その写真も失念。 その足で父の山に薪取り。この秋、3回目の入山。山中は深閑。独り、この感じが好きなのです。 杉木立に混じってマンリョウが実を付けていました。父の山、奥の方にこの群落があります。正月前、其処で剪定、実の沢山ついた枝を採る予定です。病気を病む妻の友人に届けよう。 3日間で樫を3本倒しました。都合軽トラ3車分の薪を手当。写真のそれ、軽トラ1車分で10日から半月ほど、暖をとることができます。 今日の薪は根元近くの丸太でした。40cm前後に玉切ったものを4つに。生木は割れやすいです。斧の刃を見せただけでパカン。気持ちがよかったです。ちなみに斧はダイナマックス。オーストリア製です(多分)。薪割り斧の中で最重量かと。 Kさん宅の敷地外れに富有柿があります。鈴生りです。熟し始めて,今が収穫の最終便でした。夕方、籠一杯穫りました。これを大好きの人がいます。明日にでも届けてあげよう。 今日の写真、最後の一枚は紫式部の実です。拙宅庭にいい感じとなっています。これのあるのを今まで気づかない杣夫でした。妻に訊いたら「数年前、種がどこからか飛んできたんでしょう,居着いたのよ」。
2023年11月27日
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Saturday, November 25, 2023 菜園に高菜が出来ました。密植です。 間引きがてら収穫しました。 菠薐草や青梗菜も。午前、これを友人知人に配布。高菜は漬物用ですが、それを厭う人には無用。気を遣います。 秋の深まってきました。夏中、お世話になった茄子は終わりです。これを始末することにしました。 もったいないので,小さな実を摘みました。妻はこれをどんな料理にするんだろう。 午後は山仕事。薪の手当です。父の山に樫を切りました。これは早くとも2年後に燃やし始めます。暫く梅林下に天日乾燥。来春、雨の多くなる前に薪小屋へ収納します。 大きいものは斧で割りました。生なので気持ちよくパカン。写真は山仕事の七つ道具です。 嗚呼、山で汗をかくのは命の洗濯です。深閑の中にチェーンソー、木屑まみれになって山を下りました。麓がいい色合いでした。
2023年11月26日
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先日、nkucchanが飛行機に乗ってやってきました。奥様と一緒でした。来県の目的は、大学時代、アパートに一緒暮らした面々との久闊だそう。 連絡のあって、宿のロビーで待ち合わせしました。 「土産は荷になるから持って行かないよ。親方もそうしてね。帰りに重いものは持ちたくないからね」事前、TELにてそう言われました。真に受けました。ったくもう、写真は名古屋名物外郎と海老煎餅。前者は妻の好物。 後者は名古屋城の鯱をイメージの箱入りでした。 安酒場に乾杯。締め鯖を頼んだら,真っ白でした。それでも楽しい話を2時間近く。互い夫婦の馴れ初め、今の仕事をいつまで続けられるか,リタイアしたら旅行したいね、亮さん禁玉さんのあれこれも肴、盛り上がりました。写真、もう一枚はホテルへ送ってのロビーショットです。次はいつ会えるかなぁ。
2023年11月25日
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久しぶりの更新です。ぼんやり過ごしていて、ブログ更新を怠っていました。 さても一週間程で師走。慌ただしくなってきました。そんな中、取引先が弊社に置いていくカレンダーが目につき始めました。日記のページ数も残り少なって、博文館の当用日記を注文しなければ。 その日記について。私、学生時代は大学ノートが日記帳でした。クリーム色の地に横線。罫線はAタイプが好きでした。好みはツバメノート社製。 しかし、社会人になって酒の味を覚え、必然、書くことが億劫。日記更新は怠慢になりました。毎年の年頭、今年こそはと思いながら三日坊主。いけませんでした。 怠惰を断ち切るため、浮気もしました。気分転換、毎年末に縦書きや横書き、5年や10年ダイアリーを求めました。ある年は書かずにワープロソフトを使いました。 彷徨い続けて50代、朝日・天声人語に博文館の当用日記が紹介されたというキャッチコピーを目にしました。以来、その会社のフラグシップを愛用しています。馴染むのです。A5ハードカバー縦書きです。 数年前、東京・荒川区に吉村昭記念文学館を訪ねた際、書斎を再現した本棚にこの手、博文館のものが暦年、並んでいました。大作家もこれを使うのか、嬉しくなったのでした。 ということで今日の写真は2023博文館大型当用日記です。帯に「手書きは日本の文化、残そう手書き文字」とあります。 青のインクが好きなんです。 一句 晦の前に求める博文館
2023年11月24日
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ご無沙汰しました。 私、別にどうということはありません。 げんきにやっております。 さてものブログ、今ひとつです。 天邪鬼、奇を衒う当方、いい加減のの内容を許にの更新でした。 バカボンのパパ然りの態です。 ということで、これからは趣向を変えた内容にしたいです。 も一つ、魔の差して、ブログ、遠来の交誼を頂いている皆さんに、蜜柑を送りました。 お口に合えば幸いです。 届かなかった方には申し訳ありません。 写真は今日、帰宅して散歩途中に撮影の苺ハウスです。 本調子になったら、またブログ再開します。
2023年11月06日
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Tuesday, October 24, 2023 晴れ 南南西の風平均風速2.0 21.7℃ 11.5℃ 81-61% 午前5時起床。 朝食は栗ご飯でした。 残りは妻がおにぎりに。これを会社に持参、昼に食べようと思いました。がしかし、今日は若手入社5年目の社員とのランチミーティングを予定。箱弁を食べることにしました。 午前7時半出社。午後5時半退社。写真は出勤時、霧の立ちこめる木立橋付近です。橋の向こうに見える建物は、木立特産の苺集荷場です。あとひと月経つと、ここは忙しくなります。 もう一枚、霧中写真を。人影は木立小学校に通う子どもたちです。朝霧の中を通学は、彼らの思い出になるのかな。 さらに一枚。木立の地形は盆地状です。茶屋ケ鼻トンネルを抜け、市街地に入るとこの通り、霧が晴れます。この時刻、佐伯のランドマーク、城山に登り、木立方面を眺めたら、雲海を認めることができます。ちなみに道路左側のユーマートは、いつも私の突っ込むスーパーです。ここのテナント、S鮮魚は実に品がいいのです。私、大昔、酔散の学校を卒業、加えて築地市場に青物のセリ人でした。魚の目利きについては、人様より少しだけ長けているという自負があるのです。ということでその私が一押しのS鮮魚、小さなお店ですが、素晴らしい(特に鯵)のです。 戻ります。今日は、朝からトラブルに振り回されました。参ったな、という気分です。内容は書くこと能わず。 ここで急に話が飛びます。 私、地元の方言というか、言葉の言い回しに妙味のあって好きな表現があります。 「ほらみれ!あねーゆうたじゃねーか!」⇒ほらみろ、あんなに言って聞かせただろうに 「あねーあんのよ」⇒(あの人は)あのような人だからどうしようもない(仕方がない) 「どうかのう!」⇒その有り様はどういうつもりか! 「そげなんがあんのか!」⇒そのようなことはあり得ない(相手の話を全否定) これらの言い回しのうち、今日のトラブルは「どうかのう!」「ほらみれ!あねーゆうたじゃねーか」呆れる言葉二つを重ねるほどのものでした。 思いあまって、つい、机上のインク瓶をひっくり返してしまいました。いつも優しい秘書のTさんがとりあえずの処置を施してくれ、メンテナンス会社の方に連絡をとってくれました。カーペットのその部分だけ剥がし、新しいものに替えてくれました。ごめんなさい。 帰り道、今日は妻が仕事で遅くなることを思い出しました。当てが必要だな。上記記載、いつものスーパーに寄りました。歯鰹(きつね)の三枚おろしがありました。それを購入。帰り着いて、その皮を剥ぎ、刺身に。足に纏わり付くトラに裾分けしました。ガッツキました。うん、私も食べて美味い。脂の乗りが素晴らしい。刺身苦手の妻もこれには舌鼓を打ちました。 既に外は真っ暗でしたが、着替えて散歩。途中、危うく蝮を踏むところでした。道路の真ん中に寝そべっていました。ニョロニョロ、草むらに這い込みました。 今日の一句 秋深し霧に濡れたるランドセル 今日のラン なし 今日の酒 冷酒1合 芋焼酎お湯割り正味1合5勺 今日の音楽 なし 今日の写真は拙宅菜園の茄子です。この時期に至っても猶花を付けるの図。期待を持たせてくれますが、果たして実を結ぶかどうか。
2023年10月24日
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Monday, October 23, 2023 晴れ 南の風平均風速2.2 21.9℃ 11.5℃ 77-55% 午前5時起床。7時半出社、5時半退社。 弊社、今月いっぱいまでクールビズですが、私は今日からネクタイ着用。 仕事の方はあれこれあってバタバタ。書くこと能わずです。 ということでネタ切れ。 帰宅して野菜に水を遣りました。その後、少しラン。暗がりなので、気分が乗りませんでした。写真は家に戻って台所に置いてあったピーマンです。妻が菜園に収穫だそう。どうするんだろう、籠一杯を。 風呂を浴びて夜のお勤めをしました。菠薐草も結構育ち、こうして食べることの出来る大きさになりました。 今日の一句 どうするの抱えたピーマン籠一杯 今日のラン 3km 今日の酒 VAT69ハイボール2 白波お湯割り正味5勺 今日の音楽 なし 今日の写真は先日、地方紙大分合同新聞に掲載の広告です。川合玉堂展。二階堂酒造が焼酎製造販売の利益で拵えた美術館に玉堂展開催です。行ってみたいなぁ。
2023年10月24日
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