浜松中納言物語 0
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「〔50〕お産のために簡素であった―十一月十八日」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。伝手(つて)をたどって文通などしたものだが、ただこのような物語をいろいろいじり、とりとめない話にじぶんを慰めたりして、だからといってじぶんなど生きてゆく価値のある人間だとは思わないが、どうにか恥ずかしいとか、辛いと思うようなことはまぬがれてきたのに、宮仕えに出てからは、ほんとうにわが身の辛さを思い知らされる。実家に帰った式部の索漠とした心境。式部の宮仕えの憂鬱は底知れぬほど深い。そんな気持ちも晴れようかと、源氏物語を読みかえしてみても、以前のようにはおもしろくなく、あきれるほど味気なく、うちとけて親しく語り合った友も、宮仕えに出たわたしをどんなに軽蔑しているだろうと思うと、そんな気をまわすことも恥ずかしくなって、手紙も出せない。奥ゆかしい人は、いいかげんな宮仕えの女では手紙も他人に見せてしまうだろうと、つい疑ってしまうから、そんな人がどうしてわたしの心の中を、深く思ってくれるだろうと思う。それも当たり前で、ひどくつまらなく、交際が途絶えるというわけではないが、しぜんと音沙汰がなくなる人も多い。わたしが宮仕えに出ていつも家にいないからと、訪れてくる人も、来にくくなり、すべて、ちょっとしたことにふれても、別世界にいるような気持ちが、実家では余計にして、悲しみに気がふさぐ。式部の孤独な悲しみの思いの丈を述べている。彼女にとって華美な宮廷生活は、肌に合わないという程度のものではなく、生まれつきが合わないのである。
2024.02.11
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「〔49〕若宮の参内を心待ちに―十二月中旬」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。若宮の成長若宮は、すでに「あ」「う」などと声をお出しになる。帝が、若宮の参内を心待ちにしていらっしゃるのも、うなずける。里居の物憂い心中宮さまの前の庭の池に、水鳥が日に日に多くなっていくのを眺めながら、中宮さまが宮中にお帰りになる前に雪が降ってくれれば、この庭の雪景色は、どんなに素敵だろうと思っているうちに、ちょっと実家に帰っていた間、二日ほどして雪が降るなんて心さわいだ。なんの見どころもない古里の木立を見ると、憂鬱で思いが乱れて、夫の死後数年来、ただ茫然と物思いに沈んで暮らし、花や、鳥の、色や声も、春から、秋に、移りかわる空の景色、月の影、霜や、雪を見ても、ああ、そんな季節になったのだなあと気づくだけで、いったいわたしはどうなるのだろうと、将来の不安は晴らしようがなかったけれど、それでもなんとか取るに足りない物語をつくったり、話をして気心の合う人とは、手紙を書きあった。
2024.02.10
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「〔48〕御冊子(みそうし)づくり--十一月中旬」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。御冊子(みそうし)づくり―十一月中旬中宮さまが内裏へお帰りになる日が近くなるが、女房たちは行事が続いて落ち着く日もないのに、中宮さまは物語の冊子をお作りになるというので、夜が明けると、わたしはすぐに中宮さまと対座し、色とりどりの紙を選び物語の原本をそえて、書写を依頼する手紙を書いて配り、一方では書写したものを綴じたりして過ごす。どこの子持ちが、こんな冷える季節にこんなことをするものかと、殿は中宮さまにおっしゃったが、上等の薄紙や、筆、墨など、持ってきて、硯まで持ってこられ、中宮さまがそれをわたしに下さったのを、女房たちは大げさに騒いで、いつも奥のほうにいるくせに、こんな仕事をするとはと咎めるが、殿は墨挟(小さくなった墨を挟んで磨る道具)、墨、筆など下さった。 じぶんの部屋に、物語の原本を実家から取り寄せて隠しておいたのを、中宮さまの所へ行っている間に、殿がやってきて探し出され、内侍の督(ないしのかん)の殿(道長次女妍子)に与えてしまわれた。なんとか書き直した本は、みな紛失してしまって、手直ししていないのが出まわって、気がかりな評判がたったことだろう。この物語とはまさに「源氏物語」のことで、「源氏物語」も原本、清書本、自分の部屋にあった本、なんとか書き直した本などが存在していたことを示している。
2024.02.09
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「〔47〕若宮を大切になさるから―十月十八日」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。このように殿のようなお方が若宮を大切になさるから、すべての儀式も箔がついて立派に見えるのだろう。とても、その気持ちがわかる。千年でも満足できない若宮の繁栄が、わたしのような数にも入らない、取るに足らない者にも、思いつづけられるのである。宮さま、聞いていますか、上手に詠みましたよと、殿は自画自賛している。わたしは父として宮にふさわしいし、宮も娘としてふさわしい。母も幸福だと笑ってるようだ。きっとよい夫を持ったと思ってるだろうなと、ふざけられるのも、深酔いのせいと見受けられる。冗談だけでたいしたこともないので、不安な気持ちをしながらも、結構なことと思う。これを聞いていおられる北の方は、聞きづらいと思われたか、退席されるようすなので、見送りしないと、母が恨んではいけないなと言って、殿は急いで中宮の御帳台の中を通り抜けられる。娘とはいえ中宮の御帳台の中を通り抜けるなんて、宮はさぞ無作法だと思われるだろう。だけれど、この親がいたから、子も立派になったのだよと、独り言をおっしゃるのを、女房たちは笑っている。女房、中宮、北の方と、無邪気に冗談をいう道長。その人間味あふれた言動に式部も好感を抱いているように感じた。
2024.02.08
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「〔46〕わが子が道長から杯を受ける―十月十八日」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。敬って前を通らないで、南の階下から殿の前に行ったのを見て、内大臣はわが子が道長から杯を受ける光栄と父に対する礼儀をわきまえた行動に感激して酔っては涙をこぼす。権中納言(藤原隆家)は、隅の間の柱の下に近寄り、兵部のおもと(着せ綿の菊の露で身を拭えば、千年も寿命が延びるという菊の着せ綿の中宮女房)の袖を無理矢理引っ張っているし、殿は殿で聞きづらいふざけた事をおっしゃっている。この時点では源氏物語がすでに藤原公任のような官人にも知られている。八千歳(やちとせ)の君が御代 何だかこわいことになりそうな酔いかたなので、宴が終わるとすぐに、宰相の君と言い合わせて、隠れようとすると、東面の間に、殿のご子息たち(藤原頼通・藤原教通)や、宰相の中将(道長の甥、藤原兼隆)などが入り込んで、騒がしいので、二人は御帳台の後ろに隠れていると、殿が几帳を取り払って、わたしたち二人の袖をとらえて座らせられ、祝いの歌を一首ずつ詠めば許してやるとおっしゃる。うるさいし怖いのでこう詠む。 いかにいか(五十日)が かぞへやるべき 八千歳(やちとせ)の あまり久しき 君が御代(みよ)をばいかに誕生五十日目をかけ、幾千年にもわたる若宮の御代をどうして数えることなどできましょうと呼んだところ、ほう、うまく詠んだなと、殿は二度ばかり声に出して詠われて、すぐにこう詠まれた。あしたづの よはひしあらば 君が代の 千歳の数も かぞへとりてむあしたづは葦の生えた水辺の鶴。私に鶴のように千年の齢があったなら、数える事ができるのに あれほど酔っていたのに、歌は心にかけている若宮の事だった。
2024.02.07
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「〔45〕誰とは気づかれない―十月十八日」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。わたしはみんなが酔っ払っているから分からないと、また、誰とは気づかれないだろうと思い、右大将にちょっとしたことを話しかけてみたところ、当世風に気取っている人よりも、右大将は一段と立派でいらっしゃるようだ。祝杯がまわってきて賀歌を詠まされるのを気になさっていたが、このような祝いの席でよく口になさる千年(ちとせ)万代(よろずよ)のお祝い歌ですまされた。神楽歌の『千歳法』は雅楽の噂で唱えられた. 漢語を使っているとみることも可能のようである。本歌「千歳千歳千歳や 千歳や 千年の千歳や」末歌「万歳万歳万歳や 万歳や 万代の万歳や」内省的な式部が、しかも酒の席で話しかける。藤原実資に注ぐ式部の視線は好意的である。実資は、阿諛追従(相手に気に入られようと調子のよいことばかりを並べたてこびへつらい、相手の機嫌をとり従う)のはびこる宮廷の中で、理非曲直をわきまえた人物である。左衛門の督(藤原公任?)が、失礼だが、このあたりに、若紫はいらっしゃいますかと、几帳の間からのぞかれる。源氏の君に似てそうな人もいないのに、どうして紫の上がいるのと、聞き流していた。三位の亮(藤原実成)、杯を受けろと殿がおっしゃるので、侍従の宰相(藤原実成)は立って、父の内大臣(藤原公季五十二歳)がそこにいらっしゃる。
2024.02.06
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「〔44〕寝殿正面の階段の東の間―十月十八日」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。上達部を御前に召きましょうと啓上なさり、お聞き届けになったというので、殿をはじめとして、上達部はみな参上される。寝殿正面の階段の東の間を上座にして、そこから東の妻戸の前までお座りになっている。女房たちは、廂(ひさし)の間に二列三列に並んで座らされた。御簾を、その間に割り当てられて座っていた女房たちが、近寄って巻き上げる。大納言の君(小ぢんまりとした方)、宰相の君(中宮付きの女房では古株)、小少将の君(大納言の君という女性の妹)、宮の内侍(藤原道長の姉で一条天皇の生母)というふうに座っておられる。右大臣が近寄ってきて、几帳の垂れ絹の開いた部分を引きちぎって酔ってお乱れになり、いいお年なのに(右大臣は六十五歳)と、つつき合っているのも知らずに、女房の扇を取り上げ、聞きづらい冗談なども多くおっしゃる。中宮の大夫が盃を取って、右大臣の方へ出てこられた。催馬楽の「美濃山(みのやま)」を謡って、管弦の遊びもほんの形ばかりだが、とてもおもしろい。そのつぎの間の、東の柱下に、右大将(藤原実資、権中納言正二位五十二歳)が寄りかかって、女房たちの衣装の褄や袖口の色を観察しておられるのは、ほかの人とはかなり違っている。
2024.02.05
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「〔43〕三位以上の上達部たちの席―十月十八日」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。摂政・関白・太政大臣・左大臣・右大臣・大納言・中納言・参議、および三位以上の上達部たちの席は、例によって東の対の西側の棟にある部屋である。殿のほかもうお二人の大臣(右大臣藤原顕光と内大臣藤原公季)も参上されている。渡り廊下の橋の上に行かれて、また酔い乱れて騒いでおられる。折櫃物(おりびつもの/檜の薄板を折り曲げて作った小箱)や籠物(こもの/かごに入れたもの)など、殿のほうから殿の家司たちが取り次ぎ献上したものを、高欄(廊下や橋などの転落防止などに取り付ける柵)に沿って簀子に並べてある。松明の光でははっきり見えなく、四位少将などを呼び寄せ、紙燭をつけさせて人々は献上物を見る。それらは宮中の台盤所に持っていくはずだが、明日から帝の物忌みということで、今夜のうちにみな急いでかたづけてしまう。中宮の大夫が、中宮の御簾のところへ来て、上達部を御前に召きましょうと啓上なさる。
2024.02.04
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「〔42〕お産のため簡素だった―十月十八日」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。西側寄りのが中宮さまのお膳には、例によって沈の折敷(おしき/お盆とは違う)とか、あれこれの台が置いてあるが、そちらのことは見ていない。お給仕役は宰相の君讃岐(彰子所生の後一条天皇の乳母となる)で、取り次ぐ女房も、釵子(さいし/髪に挿す飾りの金具)や元結などをしている。若宮のお給仕役は大納言の君で、東側寄りに供えてある。小さなお膳台、いくつかのお皿、お箸の台、洲浜(巌、鶴、松などの祝賀の景物をあしらった飾り物)なども、まるで雛遊びの道具のように見える。そこから東にあたる廂の御簾を少し開けて、弁の内侍(藤原信実の娘女流歌人)、中務(なかつかさ)の命婦、小中将の君など、主だった女房だけが、お膳を取り次いでさし上げる。奥にいたので、詳しくは見ていない。この夜、少輔(しょう)の乳母が禁色の着用を許される。きちんとした様子をしている。若宮を抱いて、御帳台の内で、殿の北の方がお抱きになってにじり出ている灯火に照らされた姿は、格別に立派である。赤色の唐衣に、地摺の裳をお召しになってるのも、もったいなく見える。中宮さまは葡萄染めの五重の袿に、蘇芳の御小袿を召されて、殿が若宮に五十日のお餅は差し上げなさる。
2024.01.28
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「〔41〕お産のために簡素であった―十月十八日」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。お二人とも、何の悩みもなさそうな様子であるので宰相(実成)は、わたしには返事をされないで、大夫(斉信)を特別に待遇なさるなんて、もっともですが良くないよ。こんなところで、上官と差をつけるなんてあってならないと、とがめられる。そして、今日の尊さは?などと、催馬楽をいい声でうたっている。夜が更けるにつれて、月がとても明るい。格子の下をはずしなさいと、二人は責められるが、ひどく品格を下げてこんなところに公卿たちが座り込まれるのも、こんな場所とはいえ、やはりみっともない。若い人なら道理をわきまえないでふざけていても、大目に見てもらえるだろうが、どうしてわたしがそんなことができるだろう、不謹慎だと思うので、下格子ははずさないでいる。紫式部はいつも自分の年齢や身分をわきまえて物事を理性的・批判的に見る性分だから、上達部や殿上人とのつきあいも消極的になる。五十日(いか)の祝い十一月一日 誕生五十日目のお祝いは、十一月一日だった。いつものように、女房たちが着を飾って集まった中宮さまの御前の様子は、絵に描いた物合せ(歌合・花合・絵合・具合・扇合など、左右に分かれてて物を出し合って優劣を競う遊戯)の場面によく似ていた。御帳台の東の中宮さまの御座所のわきに、御几帳を奥の御障子から廂の間の柱まで、隙間もないように立てて、 南面の廂の間に中宮さまと若宮のお膳をお供えしてある。
2024.01.27
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「〔40〕お産のために簡素であった―十月十八日」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。このごろの中宮さまの部屋の設備は、お産のために簡素であったが、またもとにもどって、御前のありさまは申し分ない。ここ数年来待ち遠しく思っておられる皇子誕生が思いどおりになって、夜が明けると、殿の北の方もすぐに若宮のところへやってこられて、大切にお世話なさる。その華やかで盛んな様子は、格別の趣である。中宮の大夫と中宮の権の亮 日が暮れて、月がとても風情あるころに、中宮の亮(すけ/藤原実成)が、だれか女房に会って、特別に昇進(正四位下から従三位)したお礼を中宮さまに言ってもらおうというのか、妻戸のあたりも、若宮の産湯を使っていて湯気に濡れて、人音もしなかったので、こちらの渡り廊下の東の端にある宮の内侍の部屋に立ち寄り、ここにいらっしゃいましたかと声をかけられる。更にこの宰相(中宮の亮)はわたしのいる中の間によって、まだ桟(さん)のさしていない格子を押し上げて、いらっしゃいますかなどとおっしゃったが、出ていかないでいると、今度は中宮の大夫(斉信)が、ここでしょうかとおっしゃるのさえ、聞かないふりをしているのも、もったいぶっているようなので、ちょっとした返事などをする。
2024.01.26
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「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。「〔39〕御産剃り、職司定め―十月十七」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。藤原氏であっても、家門の別れた人たちは、その列にも立たれなかった。次に、親王家の別当になった右衛門の督が任官や叙位、禄を食む賜禄などの時に謝意な どを表す礼の形式で、再拝の後、立ったまま左右 左の順に袖を振りながらその方向を見、次いでひ ざまずいて同様にし、再び立って再拝して拝舞される。この方は中宮の大夫である。次が中宮職の次官である大夫(だいぶ)につぐ官で中宮の亮が続き、加階した侍従の宰相である。つぎづぎに人びとがお礼の拝舞をする。帝が中宮さまの御帳台にお入りになって間もないうちに、夜がたいそう更けました。輿を寄せると騒ぎ立てるので、帝は御帳台から出て行かれた。若宮誕生の先祖の善行の報いとして子孫が受ける幸せな余慶にあずからない人たちのことも記す紫式部の眼。御産剃(うぶそ)り、職司(しきし)定め―十月十七日 翌朝、帝から中宮への後朝の文使いが、朝霧もまだ晴れないうちにやってこられた。わたしは寝過ごして、それを見なかった。きょうはじめて若宮のお髪(ぐし)をお剃りになる。行幸の後でということだったので、今までお剃りにならなかったのである。 また、その日に、若宮付きの家司や別当や侍者などの職官が決まった。わたしはそのことを前もって聞いていなかったので、残念なことが多い。宮中の人事は後宮女房の推挙がかなり有効である。
2024.01.25
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「〔38〕唐綾の黄色の袿が表着のよう―十月十五日」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。天皇の御前で管弦の遊びがはじまって、興がのってきたときに、若宮の声がかわいらしく聞こえる。右大臣(藤原顕光六十五歳)が、万歳楽が若宮の声に和して聞こえると言って、座を盛り立てる。左衛門の督(藤原公任)などは、万歳、千秋と声をそろえて朗詠し、ご主人の大殿(道長)は、これまでの行幸をどうして名誉なことと思ったのか、きょうのような光栄があったのにと、酔い泣きなさる。今さら言うことでもないが、殿ご自身も、きょうの行幸をかたじけなく思っておられるのは、たいへん素晴らしいことである。殿は、あちらの方へ出られる。帝は御簾の中にお入りになって、右大臣を御前にお呼びになり、右大臣は筆をとって加階の名簿をお書きになる。中宮職の役人や、この邸の家司(親王・摂関・大臣家などの家政をつかさどる者)のそれ相当の者は、みな位階があがる。頭の弁(源道方四十歳)に命じて、加階の草案は、奏上されるようである。 親王宣下(せんげ)という若宮の慶祝のために、道長一門の公卿たちが、お礼の拝舞をする。藤原氏であっても、家門の別れた人たちは、その列にも立たれなかった。次に、親王家の別当になった右衛門の督が拝舞なさる。この方は中宮の大夫である。次が中宮の亮で、加階した侍従の宰相である。つぎづぎに人びとがお礼の拝舞をする。帝が中宮さまの御帳台にお入りになって間もないうちに、夜がたいそう更けました。輿を寄せますと騒ぎ立てるので、帝は御帳台から出て行かれた。
2024.01.24
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「〔37〕管弦の御遊び―十月十五日」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。管弦の御遊び、人々加階(かかい)―同日の夜日が暮れてゆくにつれて、楽の音がとてもおもしろい。上達部が帝の御前に伺候なさる。万歳楽(まんざいらく どのような境遇にあっても楽しむ心を失わないと言う随處樂の曲名)、太平楽(たいへいらく 雅楽の一種の唐楽の曲名)、賀殿(かてん 唐楽の曲名)などという舞曲、長慶子(ちょうげいし 唐楽の曲名)を舞楽が終わり、舞人が舞台から退場するときに演奏して、楽船が築山の先の水路を漕ぎめぐってゆくとき、だんだん遠くなっていくにつれて、笛の音も、鼓の音も、松風も、一緒に響きあってとても趣がある。 よく手入れされている遣水が、気持ちよさそうに流れ、池の水波がさざめき、なんとなく肌寒いのに、帝は袙(あこめ)をただ二枚だけお召しになっている。左京の命婦はじぶんが寒いものだから、帝にご同情申し上げるのを、女房たちは秘かに笑う。筑前の命婦は、「故院(円融天皇の女御で一条天皇の母の詮子。道長の姉)がご在世のときには、このお邸への行幸は、実にたびたびあったことです。あの時は、この時はなどと、思い出して言うのを、不吉な涙もこぼしかねないので、人々は面倒なことだと思って、特に相手にしないで、几帳を隔てているようである。ほんとうに、その時はどんなだったのだろうなどとでも言う人がいたなら、筑前はすぐに涙をこぼしてしまうだろう。
2024.01.23
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「〔36〕唐綾の黄色の袿が表着のよう―十月十五日」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。給仕役は橘の三位(橘徳子)で、青色の唐衣に、唐綾の黄色の菊襲の袿が表着のようである。この人も一髻の髪上げをしている。柱の陰で、よくは見えない。殿が若宮を抱かれて、帝(一条天皇)の前に出られる。天皇が若宮を抱かれたとき、少々泣かれた声がとてもかわいい。弁の宰相の君が、お守り刀を持って進み出られる。母屋の襖障子の西の方、殿の北の方がいらっしゃるところに、若宮をお連れなさる。帝が御簾の外に出られてから、宰相の君はもどってきて、あまりにも間近で、恥ずかしかったと言って、ほんとに赤くなっておられる顔は上品で美しく、着物の色合いも、この人は人より一段と引き立つように着ていらっしゃる。三種の神器とは、日本神話において、天孫降臨の時に邇邇芸命(ににぎのみこと)が天照大神から授けられたという八咫鏡(やさかのかがみ)・八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)・天叢)雲剣(あめの(むらくものつるぎ)のこと。日本の歴代天皇が継承してきた。宰相の君に式部はとりわけ心ひかれている。
2024.01.22
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「〔35〕女絵の美しいのにそっくり―十月十六日」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。 普段くつろいでいると時には、整っていない容貌が交じっていれば見分けがつくものだが、このようにみんなが精一杯身なりをつくろい、化粧して負けないように飾りたてているのは、女絵の美しいのによく似て、ただ老けているとか若いとか、髪が荒れているとか生き生きしてるかの違いだけが、目につく。これでは顔を隠した扇から見えている額が、不思議に上品にも下品にも見せてしまうものだ。こういう中にあって優れていると目につく人こそ、とびっきりの美人なのかも知れない。行幸以前から、内裏女房で、中宮さまにも兼ねて仕えている五人は、こちらへ参上して伺候している。五人のうち内侍が二人、命婦が二人、給仕役が一人である。帝に膳をさし上げるというので、筑前と左京が、一髻(ひともと/頭の頂に髷を一つ丸くむ結う)の髪上げをして、内侍が出入りする隅の柱のところから出てくる。これはちょっとした天女である。左京は柳の重ね袿の上に青色の無紋の唐衣、筑前は菊の五枚重ねの袿の上に青色の唐衣、裳は例によって共に地摺りの裳である。
2024.01.21
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「〔34〕打衣の下に着ている袿―十月十五日」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。藤中将(藤原兼隆)が御剣や御璽(みしるし)などをとって、内侍に渡す。 御簾の中を見わたすと、禁色(きんじき)を許された女房たちは、例によって青色や赤色の唐衣に、地摺り(じずり 白地に模様を摺りつける)の裳をつけ、表着(うわぎ)は、すべて蘇芳色の織物である。ただ馬の中将だけが葡萄染(えびぞ)めの表着を着ていた。打衣(うちぎぬ)などは、濃い紅葉薄い紅葉といろいろ混ぜあわせたようで、打衣の下に着ている袿などは、例によって梔子襲(くちなしいろ)の濃いのや薄いの、紫苑襲(くすんだ青紫)、裏が青の菊襲、あるいは三重襲などを着たりして、人それぞれである。綾織物を許されていない女房で、例の年輩の人たちは、唐衣は平絹の青色、あるいは蘇芳色(すおういろ/黒味を帯びた赤色)など、重ね袿はみな五重で、重ねはすべて綾織である。大海の模様を擦った裳の水の色は華やかで、くっきりしていて、裳の大腰の部分は、固紋(かたもん 織物の紋を人を浮かさないで固く織る)を多くの人はしている。袿は菊襲の三重や五重で、織物の紋様は用いていない。若い女房たちは、五枚重ねの菊襲の袿の上に唐衣を思い思いに着ている。上は白で、中は蘇芳色、下は青色で、袿の下の単衣は青いのもある。また、菊の五重襲は、一番上が薄い蘇芳色で、次々と下に濃い蘇芳色を重ね、間に白いのを混ぜているのもあるが、すべて配色に趣きのあるのだけが、気がきいているように見える。言いようもなく珍しく、大げさに飾った扇などもいくつか見える。
2024.01.20
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「〔33〕三種の神器の一つを捧げ持つ―十月十五日」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。左衛門の内侍が御剣(草薙剣くさなぎのつるぎ、三種の神器の一つ)を捧げ持つ。青色の無紋の唐衣に、裾濃(すそご 裾のほうが濃い染色)の裳をつけ、領巾(ひれ 飾りの布)と裙帯(くんたい 装飾の紐)は浮線綾(ふ(せんりょう 綾織物)を櫨緂(はじだん くすんだ黄茶色と白のだんだら染め)に染めている。表着(うわぎ)は菊の五重(いつえ)、掻練(かいねり)は紅で、その姿や振る舞い、扇から少しはずれて見える横顔は、華やかで清らかな感じである。弁の内侍は御璽(みしるし 三種の神器の一つの八尺瓊勾玉〈やさかにのまがたま〉)の箱を捧げ持つ。紅の掻練に葡萄染めの綾織の袿、裳と唐衣は前の左衛門の内侍と同じである。とても小柄で可愛らしい人が、恥ずかしそうに、少し固くなっているのは、気の毒に見えた。扇をはじめとして、左衛門の内侍よりも趣向を凝らしているように見える。領巾は楝緂(おうちだん 薄紫と白とのだんだら染め)に染めたもの。内侍たちが夢のようにうねりながら歩き、すんなり伸び立つ風情や衣裳は、昔、天(あま)降(くだ)ったという天女(てんにょ)の姿も、こんなふうだったろうかとまで思われる。近衛司(このえづかさ)の役人たちが、いかにもこの場にふさわしい身なりをして、御輿(みこし)のことなどを指揮している姿は、実に堂々として威厳がある。
2024.01.19
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「〔32〕女房たちの衣裳なども―十月十六日」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。 あちらの内侍の督(ないしのかん 道長の娘妍子)のところでは、女房たちの衣裳なども中宮さまのほうよりかえって、たいそう立派に支度なさるらしい。明け方に、小少将の君が実家から帰ってこられた。一緒に髪をといたりする。例によって、行幸は八時だといっても、遅れて日中になるだろうと、ついぐずぐずしていて、扇が平凡なので、別にあつらえたのを、持ってきてほしいと待っていたところ、行幸の鼓の音を聞いて、あわてて御前に参上するのもみっともないことである。 帝の御輿を迎える船楽が、とてもおもしろい。御輿をかつぎ寄せるのを見ると、かつぐ人が、身分が低いながら、階段をかつぎ上がって、ひどく苦しそうにうつぶせているのは、どこがわたしの苦しさと違っているのか。高貴な人々にまじわっての宮仕えも、身分に限度があるにつけて、ほんとうにたやすいことでないとかつぐ人を見る。人並みにあつかわれない御輿をかつぐ人の苦しげな姿に、人間共通の苦悩を見ている。御帳台の西側に帝のご座所を設けて、南廂の東の間に御椅子(ごいし)を立ててあるが、そこから一間おいて、東に離れている部屋の境に、北と南端に御簾をかけて仕切って、女房たちが座っている、その南の柱のところから、簾をすこし引き上げて、内侍(ないし)が二人出て来る。その日の髪上げした端麗な姿は、唐絵を美しく描いたようである。
2024.01.18
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「〔31〕時雨は何を恋いしくて―十月十六日」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。雲間なく ながむる空も かきくらし いかにしのぶる 時雨なるらむ時雨はなにを恋いしくて降っているのでしょう。それはあなた恋しさのわたしの涙の時雨みたい 前の手紙にどんな歌を書いたのか思い出せないままにことわりの 時雨の空は 雲間あれど にがむる袖ぞ かわくまもなき時節柄降る時雨の空は雲の絶え間もあるけれど、あなたを思うわたしの袖はかわくひまもないの小少将の君は、内面の苦悩も語り合え、慰めあえる無二の親友である。土御門邸行幸―十月十六日一条天皇行幸の当日、新しく作られた船を、殿は池の水際に寄せてごらんになる。竜頭(りゅうとう/りゅうず)や鷁首(げきしゅ/龍頭船と一対となり、王侯貴族の儀式、社寺の祭礼などに船楽を奏する船。水難を防ぐ意味で、船首に鷁(想像上の水鳥)の彫刻または絵画をつけたもの)の船は生きている姿が想像されるほどで、鮮やかに美しい。行幸は朝八時頃ということで、明け方から女房たちは化粧をして用意をする。上達部の席は、西の対屋なので、こちらの東の対のほうはいつもどおりで騒がしくない。
2024.01.17
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「〔30〕今はなにもかも忘れて―十月十二日」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。今はなにもかも忘れてしまおう、いくら思ってもどうしょうがないことだし、罪深いことだなどと思って、夜が明けると、ぼんやり外をながめて、池の水鳥たちが屈託なく遊んでいるのを見る。水鳥を 水の上とや よそに見む われも浮きたる 世をすぐしつつ水鳥を他人事とは思えない。このわたしだって同じように、浮ついた日々を過ごしている あの水鳥たちも、楽しそうに遊んでいると思えるが、その身になってみれば、きっと苦しいだろうと、ついわが身と重ねてしまう。現世的栄華に溶け込めない紫式部。そこに身をおけばおくほど、仏道にひかれてゆく自分をどうすることもできないのだろう。華麗な宮廷社会と自己との隔絶に悩み悶える紫式部。これ以後、「源氏物語」は、ブラックである暗黒の世界に突き進んだのではないだろうか?時雨(しぐれ)の空小少将(こしょうしょう)の君(紫式部と特に親しかった中宮女房、源時通の娘)の手紙の返事を書いていると、時雨がさっと降ってきたので、使いの者も返事を急ぐ。私だけでなく、空の景色もざわついてると返事の末尾にそえて、つたない歌を書いて送った。もう暗くなっているのに、返事がきて、紫色に濃く染めた雲紙に次の和歌がしたためてあった。
2024.01.16
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「〔29〕初孫をいつくしむ道長―十月十日」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。すきとおった薄物の唐衣を通して、つやつやした打衣が見える。そして思い思いの衣装に、一人ひとりの姿もはっきり見える。 こまのおもとという人が、宴席で恥をかいた夜である。白から色彩への転換。めずらしく、なまめいて、つやつやとという表現がとてもいい感じだ。初孫をいつくしむ道長十月十日過ぎまでも、中宮さまは産後の養生のため御帳台から出られない。女房たちは、その東母屋の西寄りにある御座(おまし)に、夜も昼もひかえている。殿が夜中にも明け方にもやって来られては、乳母のふところをさがして若宮をのぞかれるのだが、乳母がうちとけて寝ているときなどは、はっとして目をさますのも、ほんとうに気の毒に思われる。若宮はなにもわからないころなのに、殿が抱き上げて可愛がられるのは、もっともで結構なことである。 ある時、若宮が殿におしっこをひっかけられたのを、殿は直衣の紐をといて脱がれ、御几帳のうしろで火にあぶってお乾かしている。若宮のおしっこに濡れるのもよいもので、この濡れたのを、あぶるのも、ほんとうに思い通りにいったような気持ちだと喜ばれる。初孫におしっこをかけられて喜ぶ道長の人間性に共感する紫式部だった。
2024.01.15
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「〔28〕九日の御産養(うぶやしない)―九月十九日」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。八日目の日、女房たちは、色とりどりの衣装に着替えた。中宮に慕(した)わしさをつのらせる紫式部。 九日の御産養―九月十九日の夜 誕生九日目の夜は、東宮の権の大夫(ごんのだいぶ 道長の長男、藤原頼通)が御産養を奉仕なさる。白い御厨子一対に、お祝いの品々がのせてある。儀式は変わっていて現代ふうである。銀製の衣箱には、海浦(かいふ 大きな波に貝や海藻をあしらった模様)の絵模様がうち出してあり、その中にそびえる蓬莱山など、型通りの趣向だが、今風に精巧で素晴らしいのを、一つ一つとりたてて説明することができないのが残念である。白一色の几帳に代えて、朽木形(くちきがた)の模様のある几帳を普段と同じように立てて、女房たちは、濃い紅の打衣(うちぎぬ)を上に着ている。それが今までの白装束を見なれた目には目新しく、奥ゆかしくて優美に見える。
2024.01.14
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「〔27〕七日の御産養(うぶやしない)―九月十六日」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。小さな灯炉が御帳台の中にかけてあるので、すみずみまで明るく、美しいお肌が、一段とすきとおるようにきれいで、ふさふさとした髪は、横になって乱れないように元結でくくられると、いっそうふさふさとして見事である。こんなことを言うのも、いまさらという気がするので、よく書き続けることができない。 だいたいの儀式は、先日五日の夜の御産養(うぶやしない)と同様である。産養の主要行事に〈廻粥(めぐりがゆ)〉(啜粥(すすりがゆ))の儀がある。上達部への褒美は、御簾(すだれ)の内から、女の装束に若宮のお召し物などを添えて差し出す。殿上人への褒美は、蔵人(くろうど)の頭(とう)二人をはじめとして、順に御簾のそばへ寄って受け取る。朝廷からの褒美は、大袿(おおうちき 裄や丈を大きく仕立てる)、衾(ふすま 夜具)、腰差(こしざし 巻絹 軸に巻いた絹の反物)など、例によって公式通りだろう。御乳付の役を奉仕した橘の三位への贈物は、きまりの女の装束に、織物の細長を添えて、銀製の衣箱に納め、その包なども同じように白かったのだろうか。また、別に包んだ品を添えて与えられたなどと聞いた。
2024.01.13
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「〔25〕七日の御産養(うぶやしない)―九月十六日」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。左近の命婦(素性未詳)、筑前の命婦(後に彰子に従い出家した)、少輔の命婦(素性未詳)、近江の命婦(素性未詳)たちの話であるが、詳しく見て知っている人たちではないので、間違いもあるかもしれない。内裏の女房たちの突然の訪れに、船に乗っていた若い人たちも、あわてて家の中に入った。殿が出て来て、なにもない様子で、歓待したり、冗談をいう。内裏の女房たちへの贈物なども、それぞれの身分に応じて与えられた。黄、白、黒のシンプルなカラー表現である。〔二〇〕七日の御産養(うぶやしない)―九月十七日の夜誕生七日目の夜は、朝廷主催の御産養。蔵人の少将道雅(みちまさ)を勅使として、天皇から若宮に贈られる目録を、柳筥(やないばこ)に入れて来られた。中宮さまはそれをごらんになると、そのまま宮司に返される。歓学院(かんがくいん)の学生(がくしょう)たちが、整然と威儀を正して歩いてくる。その参賀の人々の連名簿などを、中宮さまにごらんにいれる。中宮さまはこれもすぐに宮司に返される。禄なども賜れるだろう。今夜の儀式は、朝廷の御産養なので一段と盛大で、大騒ぎしている。歓学院(かんがくいん)は左大臣冬嗣が藤原氏の子弟教育のために開いた私学校であり、氏の長者の家に慶事があるときは、学生が別当(長官)に引率されて参賀する。そして、この参賀には、練歩除歩などの一定の作法があり、これを「歓学院のあゆみ」といった。中宮さまの御帳台をのぞいたところ、このような国の母として崇められる麗しい様子でもなく、少し苦しげで、面やつれして、休んでいらっしゃる様子は、いつもより弱々しく、若くて美しい。
2024.01.12
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「〔25〕七日の御産養(うぶやしない)―九月十六日」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。小大輔(こたいふ 中宮の女房 素性未詳)、源式部(げんしきぶ 中宮の女房 加賀守源重文の娘)、宮木(みやぎ)の侍従(中宮の女房 素性未詳)、五節(ごせち)の弁(中宮の女房 中納言平の惟仲の養女)、右近(中宮の女房 素性未詳)、小兵衛(こひょうえ 中宮の女房 左京大夫源明理の娘)、小衛門(こえもん 中宮の女房 素性未詳)、馬(中宮の女房)、やすらい(中宮の童女 素性未詳)、伊勢人(やすらいの注記の混入か)など。端近くに座っていたのを、左の宰相の中将(源経房 道長の妻明子と兄弟)と殿のご子息の中将の君(教通 十三歳)が誘い出されて、右の宰相中将兼隆(かねたか)に棹をささせて、舟にお乗せになる。一部の女房たちは船に乗らないでそっとぬけて残ったが、やはりうらやましいのだろうか、池のほうに目をやっていた。真っ白な白砂の庭に、月の光が照り返し、その月光に映えて女房たちの白装束の姿や顔つきも、風情がある。北の陣に牛車がたくさん停めてあるというのは、内裏の女房が来たからだ。藤三位(左大臣師輔の娘繁子)をはじめとして、侍従の命婦(素性未詳)、藤(とう)少将の命婦(藤原能子)、馬の命婦(『枕草子』の「猫の乳母」と同一人だろうか)、左近の命婦(素性未詳)、筑前の命婦(後に彰子に従い出家した)、少輔の命婦(素性未詳)、近江の命婦(素性未詳)などであると聞いた。
2024.01.11
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「〔24〕月夜の舟遊び―九月十六日」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。「四条の大納言(藤原公任〈ふじわらのきんとう〉歌人)に歌を詠んで差し出す時には、歌の出来具合はもちろん、声の出し方にも気を配らなければ」 などと、ひそひそと言い合っているうちに、あれこれすることが多くて、夜もすっかり更けてしまったせいか、特別に名指して歌を詠むように盃をさすこともなく退出なさった。褒美などは、上達部には女の装束に若宮のお召し物と産着が加わっていたのだろうか。殿上人の四位の者には、袷(あわせ)の衵(あこめ)を一揃いと袴(はかま)、五位の者には袿一揃い、六位の者には袴一着と見えた。月夜の舟遊び―九月十六日 つぎの日の夜、月がとても美しく、そのうえ時候も風情あるときなので、若い女房たちは船に乗って遊ぶ。色とりどりの衣装を着ているときよりも、白一色の装束をつけている容姿や髪が、清浄で美しく見える。
2024.01.10
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「〔23〕―九月十三日」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。上達部たちは席を立って、渡り廊下の橋の上に行かれる。殿をはじめとして、皆で攤(だ 双六の一種)をお打ちになる。高貴な方々が賭物の紙を得ようと争われるのは、ひどくみっともない。お祝いの歌などが詠まれ、「女房、盃を受けて歌を詠め」 などと言われたときには、〈どんな歌を詠んだらいいのかしら〉 などと、めいめいが口々につぶやいて試作している。めづらしき 光さしそふ さかづきは もちながらこそ 千代をめぐらめ(若宮がお生まれになって 素晴らしい光が射しこむお祝いの盃は 手から手へと満月のように欠けることなく 千年をめぐり続けるだろう)
2024.01.09
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「〔22〕九月二十一日」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。この大式部のおもとは陸奥の守(みちのくにのかみ)の妻で、このお邸の宣旨女房である。大輔(たいふ)の命婦は、唐衣には趣向も凝らさないで、裳を白銀の泥で、とても鮮やかに大海の波の模様を摺り出しているのは、際立ってはいないが、感じがよい。弁の内侍(ないし)が、裳に銀泥の洲浜の模様を摺り、そこに鶴を立てている趣向は珍しい。裳の刺繍も、松の枝で鶴の千年の齢と競わせている趣向には、才気が感じられる。少将のおもとの裳が、これらの人たちに見劣りする銀箔なのを、女房たちは秘かにつつき合って笑う。少将のおもとという人は、信濃の守(かみ)藤原佐光(ふじわらのすけみつ)の姉妹で、この土御門邸の古参の女房である。その夜の中宮さまの御前の様子が、誰かに見せたいほどなので、宿直の僧が伺候している屏風を押し開けて、「この世では、こんな素晴らしいことは、またとごらんになれないでしょう」 と言いましたら、僧は、「ああ、もったいない、ああ、もったいない」 と本尊様をそっちのけにして、手を摺り合わせて喜んだ。
2024.01.08
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「〔21〕九月十八日」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。夜が更けるにつれて、月が曇りなく射しこんでいる所に、采女(お膳)、水司(もいとり 水・粥・氷室)、御髪上げ(理髪)の女房たち、殿司(とのもり 輿車〈よしゃ〉・御帳・火燭〈ひそく〉・薪炭)や掃司(かんもり 舗設・掃除・式場の設備)の女官などは、顔も知らない者もいる。闈司(みかどづかさ 後宮の門鍵の管理・出納)などという者だろうか、粗末な装束をつけ雑な化粧をして、仰々しく挿した髪飾りも、儀式ばった感じで、寝殿の東の縁や渡り廊下の妻戸口まで、隙間もなく無理に入り込んで座っているので、人が通ることもできない。お膳をさし上げるのが終わって、女房たちは御簾のそばに出て座った。灯火によって、きらきらと見渡される中でも、大式部(おおしきぶ)のおもとの裳や唐衣(からぎぬ)に、小塩山(おしおやま)の小松原の景色が刺繍してあるのは、とても趣がある。
2024.01.07
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「〔20〕御産養―九月十三日」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記20」の研鑽を公開してます。いつもは中宮さまにお膳をさしあげるとき、髪を結い上げることはしているのだが、このような晴れがましいときなので、殿がわざわざそれにふさわしい女房を選ばれたのに、「人前に出るのがつらい」とか「いや」だと嘆いて、泣いたりして、縁起が悪いほどに思われた。美しさを褒め称えたと思ったら、大役を恥ずかしがった若女房たちへの不満。紫式部特有の表現。御帳台の東に面した二間ほどの所に、三十人あまりも並んで座っていた女房たちの様子は、まさに見ものだった。威儀のお膳は采女(下級の女官)たちがさしあげる。妻戸口の方に、御湯殿を隔てた屏風に重ねて、さらに南向きに屏風を立てて、そこに白木の御厨子棚一対に威儀のお膳が置かれてある。
2024.01.06
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「〔19〕三日の御産養―九月十三日」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。この土御門の邸の人たちは、なにほどの人数にも入らない五位の者までもが、腰をかがめて会釈しながら行ったり来たりして、いそがしそうな様子をして、よい時勢に会ったという顔つきで、中宮さまにお膳を差し上げるというので、女房が八人、白一色に装束して、髪を結い上げて、白い元結をして、白銀の御盤(ごばん)をささげて一列になって入っていった。今夜の給仕役は宮の内侍(ないし--中宮女房、橘良芸子)で、堂々としていて、とても美しい容姿に、白元結に一層引き立って見える髪の垂れ方は、いつもより好ましい様子で、扇からはみ出て見える横顔など、ほんとうに美しかった。髪を結い上げた女房は、源式部(げんしきぶ--加賀の守、源重文の娘)、小左衛門(こざえもん--故備中の守、橘道時の娘)小兵衛(こひょうえ--左京の大夫、源明理の娘)大輔(伊勢の祭主、大中臣輔親の娘)、大馬(左衛門の大輔、藤原頼信の娘)、小馬(左衛門の佐、高階道順の娘)、小兵部(蔵人である藤原庶政の娘)、小木工(木工の允平文義という人の娘)で、みな美しい若女房ばかりで、向かい合って座っている様子は、本当に見ばえのあるものだった。
2024.01.05
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「18 五日の御産養―九月十三日」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。〔18〕五日の御産養―九月十五日の夜ご誕生五日目の夜は、殿が奉仕される御産養(おんうぶやしない--平安朝の貴族社会などで行われた通過儀礼の一つで、 小児誕生の夜を初夜といい、その日から3、5、7、9日目に当たる各夜ごとに親戚・知人から衣服ひゃ調度食物などが贈られ,一同参集して祝宴を張り、和歌・管絃の御遊に及ぶ)十五夜の月がくもりなく美しい上に、池の水際近くに、かがり火を幾つも木の下に灯して、屯食(屯食は平安時代、宮中、貴族の邸宅で饗宴で庭上に並べて下級職員、時に身分ある人に賜った物で、一説に、強飯(おこわ)を握り固めて鶏卵形にし五十具立て並べる。身分の低い男たちが話しながら歩きまわる様子も、御産養(おんうぶやしない)の晴れがましさを際立たせているようだ。主殿寮(とのもつかさ--令制の官司で宮内省に属し、殿庭の掃除、湯沐、薪油の事を、司った役所)の役人たちが松明をかかげて立ち並んでいる様子も真剣で、昼のように明るいので、あちこちの岩の陰や木の下に集まっている上達部の随身でさえ、それぞれ話し合っている話題は、このような世の中の光といえる皇子が誕生する事を、陰ながら思っていて、じぶんたちの望みどおりであったという顔つきで嬉しそうだ。
2024.01.04
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「〔17〕三日の御産養(やしない)」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。お互いに扇を見比べ、女房たちの人には劣らないという様子が、はっきり見える。裳や唐衣の刺繍はいうまでもなく、袖口に縁飾りをつけ、裳の縫い目には銀の糸を伏せ縫いにして組紐のようにし、銀箔を飾って白綾の紋様を押し、扇の様子も白一色なので、雪が深く積もった山を月の明るい夜に見渡しているようで、きらきら光り、見渡す事ができず、鏡が並べてあるようだ。〔17〕三日の御産(うぶ)養(やしない)―九月十三日の夜ご誕生三日目の夜は、中宮職(ちゅうぐうしき)の官人が、中宮の大夫(だいぶ)を始めとして、御産養を奉仕する。大夫の右衛門の督(えもんのかみ/藤原斉信)は中宮さまにさし上げるご祝膳のこと、沈の懸盤や白銀のお皿などを調進したが、詳しくは見なかった。源中納言(げんちゅうなごん)と藤宰相(とうさいしょう)は、若宮の御衣(みそ)、御襁褓(むつき)、衣箱の折立(おたて)、入帷子(いれかたびら)、包み、覆い、下机などを調進される。御産養(みうぶやしない)のいつもの例で、同じ白一色ではあるが、作り方に、人それぞれの趣向があらわれていて念入りにこしらえてあった。近江の守(源高雅)は、その他の全般的なことを奉仕するのだろう。東の対の西の廂の間は、上達部の席で北を上席にして二列に並び、南側の廂の間には、殿上人の席が西を上席にしてある。白い綾張りの屏風を幾つも、母屋の御簾にそえて、外向きに立て並べてある。
2024.01.03
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「〔16 七色を許された上級の女房〕」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記16」の研鑽を公開してます。東の対の局から御前に参上する女房たちを見ると、禁色(赤・青・黄丹おうに梔子・深紫・深緋色・深蘇芳(ふかすおう)の七色を許された上級の女房は、織物の唐衣に、同じく白地の袿(うちき)を着ているので、かえって端正な、感じがして、それぞれの趣向が見えない。禁色を許されない女房でも、少し年配の人は、みっともない事はしないと、なんとも言えない美しい三枚重ね、五枚重ねの袿に、表着(うわぎ)は織物、その上に織模様のない唐衣を地味に着て、その重ね袿には綾や羅(うすもの)を用いている人もいて、扇なども、見た目には、大袈裟に煌びやかにはしないで、風情がなくはないようにしている。扇には気のきいた詩文の一句をちょっと書いたりして、申し合わせたように、同じ文句なのも、各自は独自のものをと思っていたのに、年格好が同じ者は、やはり同じものになるのを、おかしなものだとお互いに扇を見比べている。
2024.01.02
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「〔16〕女房たちの服装―九月十一日」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記16」の研鑽を公開してます。浄土寺の僧都が、護身の法を行うために伺候していて、その頭にも目にも、散米が当りそうなので、頭に扇をかざすものだから、若い女房たちに笑われる。漢籍を読む博士は、蔵人の弁の広業(ひろなり/藤原広業)で、高欄の下に立って、史記の第一巻を読むと、悪魔を払う弦打(つるうち)は二十人、そのうちの五位が十人、六位が十人で、庭に二列に立ち並んでいる。夕方の御湯殿の儀といっても、形式的に繰り返して奉仕する。儀式は前と同じである。ただ読書の博士だけが変わったのだろうか。今度は伊勢の守致時(むねとき/中原致時)の博士とか。読んだのは、例によって孝経(こうきょう)の天子章の一章だろう。また挙周(たかちかは、史記の文帝の巻を読むのだろう。七日間、この三人が交替で読書の役を務める。〔16〕女房たちの服装すべての物が一点の汚れもなく真っ白な中宮さまの御前に、人々の容姿や、色合いなどまでが、はっきりと現れているのを見わたすと、まるで上手な墨書きの絵に、髪だけを黒く描いたように見え、いつもより増々決まりが悪く、恥ずかしい気がして、昼間は御前に顔も出さず、部屋でのんびりしていた。
2024.01.01
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「〔15〕安産を待ち望む人々8―九月十一日」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。女房たちは、薄物の表着にかとりの裳をつけ、唐衣を着て、頭には釵子(さいし 飾り具)を挿し、白い元結をしている。そのため髪の様子が、引き立って、美しく見える。若君にお湯をかける役は宰相の君、介添え役は大納言の君(源廉子)、二人の湯巻姿が、いつもとは違って、風情がある。 若宮は、殿が抱いて、御佩刀(みはかし)は小少将の君が、虎の頭は、宮の内侍(ないし)が持って、若宮の先導役をつとめる。宮の内侍の唐衣は、松笠の紋様で、裳は大波・藻・魚貝などを刺繍で織り出して、大海の摺り模様に似せてある。裳の大腰は薄物で、それに唐草の刺繍がしてある。小少将の君は、秋の草むら、蝶や鳥などの模様を、銀糸で刺繍して、輝かせている。織物は身分上の制限があって、誰も思うままに作れるわけではないから、裳の大腰のところだけを普通のものとは違う意匠にしているのだろう。 殿の子息二人(頼通十七歳と教通十三歳)と、源少将(源雅通)などが、散米(うちまき)を大声でまきちらし、自分こそ音高く響かそうと、競って騒いでいる。
2023.12.31
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「〔13/14〕安産を待ち望む人々7―九月十一日」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記13/14」の研鑽を公開してます。頼定に禄なども賜ったが、そのことはわたしは見ていない。若宮の御臍の緒を切るのは殿の北の方。御乳付けの役は橘の三位徳子。御乳母は、以前から仕えていて、親しくして気立てがよい人をということで、大左衛門(おおざえもん)のおもとが奉仕する。この人は備中の守宗時朝臣の娘で、蔵人の弁(藤原広業)の妻である。〔15〕御湯殿の儀(おおんゆどののぎ)御湯殿(おおんゆどの)の儀式は酉の時(午後5時~7時)とのこと。灯火をともして、中宮職の下級役人が、緑色の袍の上に白絹の袍を着て、お湯を運んでいる。その桶を置いた台などは、みな白い覆いがしてある。尾張の守知光(ちかみつ/美作守藤原為昭の子)と中宮職の侍長である仲信(なかのぶ/六人部仲信)が担いで、御簾のところへ運んでくる。御簾の中から水取役の女官二人、清子(きよいこ)の命婦と播磨(はりま)が桶のお湯を、取り次いで、湯加減をみながらよく水でうめて、それを女房二人、大木工と馬とが、ほとぎ(素焼きの土器)に汲み入れ、定められた十六のほとぎに入れて、余ったお湯は湯槽に入れる。
2023.12.30
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「13/14安産を待ち望む人々6―九月十一日」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記13/14」の研鑽を公開してます。 いつものように、渡り廊下の部屋から眺めると、寝殿の妻戸の前に、中宮の大夫(藤原斉信)や東宮の大夫(藤原懐平/ふじわらやすひら)など、その他の上達部たちも、大勢伺候している。殿は縁先に出て、随身に落ち葉などで埋もれた遣水の手入れをさせ、まわりの人々も、いかにものどかで心地よさそうである。心配事のある人も、このときばかりはふと忘れてしまいそうで、中宮の大夫はことさらに得意そうな笑顔を見せるわけではないが、嬉しさはだれよりもで、しぜんと顔に表れるのもうなづける。右の宰相中将(藤原兼隆)は、権中納言(藤原隆家/道隆の子)とふざけあって、東の対屋の縁側に座っている。〔14〕御佩刀(みはかし)・御臍の緒(みほぞのお)・御乳付(みちつけ)宮中から下賜された御佩刀(守刀の剣)を持参した頭中将源頼定は、今日は、伊勢神宮への奉幣使(みてぐらづかい)の出発する日なので、頼定は宮中に、帰っても、お産の穢れに触れているために清涼殿に昇れないので、殿は頼定に庭先に立ったまま、母子ともに平安でいる様子を奏上させる。
2023.12.29
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「〔12〕安産を待ち望む人々5―九月十一日」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記12-3」の研鑽を公開してます。〔12-3〕若宮の誕生3午の刻(午前十一時~午後一時)に、空が晴れて、朝日が射し出したような気持ちがする。安産でいらっしゃった嬉しさは類もないのに、その上皇子で、いらっしゃった喜びといえば、どうして並一通りのことであろう。昨日は、一日中泣いていて、今朝も秋霧の中で泣いていた女房なども、みな局に引きとって休む。中宮さまには年配の女房たちで、産後に相応しい人が付き添う。〔13〕人々のよろこび殿も北の方も、あちらの部屋に移られて、この数ヶ月御修法や読経に奉仕したり、昨日今日と参集していた僧侶たちにお布施をたまわったり、医師や陰陽師などで、それぞれの道で効験があった者に褒美(衣類・絹・布など)をお与えになったり、内々では御湯殿の儀式の準備をあらかじめさせているらしい。女房の各部屋では、大きな衣装袋や包などを運び込む人たちが出入りし、唐衣の刺繍や、裳のひき結びの螺鈿(らてん)や刺繍の飾りを、多すぎるほどして、人には見せないようにしている。そして、注文した扇をまだ持って来ないわねなどと、言いかわしながら、化粧をし身づくろいをしている。
2023.12.28
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「〔12〕安産を待ち望む人々4―九月十一日」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。〔12-2〕若宮の誕生2あの美しい宰相の君の、顔が変わってしまっている様子なども、本当に珍しいことで、まして私の顔などはどうだったのだろう。でも、そのときに顔をあわした人の様子が、お互いに思い出せないのは良かったのかも。 いよいよ出産なさる時に、物の怪がくやしがってわめきたてる声などのなんと恐ろしい事か。源の蔵人が出した憑坐(神霊が降臨)には心誉阿闍梨。兵衛の蔵人が出した憑坐(よりまし:神霊がよりつく人間)には妙尊という僧侶。延暦寺の妙尊阿闍梨という人を、右近の蔵人(くろうど)が出した憑坐(よりまし)には法住寺の律師を、宮の内侍の局にはちそう阿闍梨(勝算の弟子の千算か)を担当させていたところ、ちそう阿闍梨が物の怪に引き倒されて、気の毒だった。念覚(ねんがく)阿闍梨(園城寺の智弁の弟子の円明寺検校:大納言藤原済時の子)を、呼び寄せ加えて大声で祈祷する。阿闍梨の効験が薄いのではなく、物の怪が、酷く頑強だった。宰相の君の担当の招祷人(おぎびと:祈祷師)に、叡効(えいこう/四十四歳。加持に高名/栄花物語)を付き添わせたところ、一晩中、叡効は大声を上げ続けて、声も涸れてしまった。物の怪が移るようにと新たに呼び出した憑坐たちにも、みな移らないので大騒ぎ。
2023.12.27
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「〔11〕安産を待ち望む人々3―九月十一日」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。〔11-3〕安産を待ち望む人々3―九月十一日殿の子息たち(頼通17歳、教通13歳)や、宰相の中将(藤原兼隆) 四位の少将(源雅通)は勿論、左の宰相の中将(源経房40歳)、中宮の大夫(中宮職の長官、藤原斉信)など、いつもはあまり親しくない人たちまでも、几帳の上から覗き、泣きはらした私たちの目など見られても、恥もなにもかも忘れ、頭の上には魔除けの米が雪のように降りかかり、混雑で皺になった着物がどんなに見苦しかっただろうと、後になって考えるととてもおかしい。〔12〕若宮の誕生1中宮さまのお産が重いので、仏の加護を頼んで形式的に髪を剃って受戒(仏道の殺生・偸盗・邪淫・妄語・飲酒の五戒)をして安産を願っている間、途方にくれて、これはどうしたことかと、呆れるほど悲しんでいるときに、安らかにご出産なさって、後産のことがまだすまない間は、あれほど広い母屋から廂の間、縁の欄干のあたりまで大勢いる僧侶も俗人も、もう一度大声をあげて、額を床につけて礼拝する。 東面にいる女房たちは、殿上人にまじって座るような状態で、小中将の君(中宮女房)が左の頭の中将(近衛中将で蔵人頭を兼ねた者)とばったり顔をあわせて、あきれていた様子を、後になってみんなが言いだして笑う。この小中将はいつも化粧が行き届いた美人で、この時も明け方に化粧をしたが、泣いた為、化粧くずれで、呆れる程変わり、とてもその人とは見えななかった。
2023.12.26
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「〔11〕安産を待ち望む人々2―九月十一日」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。〔11-2〕安産を待ち望む人々2―九月十一日殿の北の方と讃岐の宰相の君(豊子)、内蔵(くら)の命婦(道長の五男教通の乳母)が御几帳の中に、仁和寺(にんなじ)の僧都と三井寺の内供(ないぐ)を呼び入れた。殿が万事に大声で指図される声に、僧も圧倒されて読経の声も静かになった。 もう一間にいる人たちは、大納言の君(中宮女房、廉子)、小少将の君(中宮女房)源時通の娘、宮の内侍(ないし)、(中宮女房、橘良芸子)、弁の内侍(藤原義子)中務(なかつかさ)の君(中務少輔源至時の娘)、大輔(たいふ)の命婦(中宮女房)(越前守大江景理の妻)、大式部(おおしきぶ)(道長家女房)のおもと、この人は、この邸の宣旨女房(帝の口宣を蔵人に伝える女官)。何れも長年仕える人ばかりで、心配して取り乱しているのは、尤もな事だが、中宮さまに仕えて日が浅い私は、中宮さまをお見慣れるほど比べものにならないとじぶんなりに思われる。私達の後ろに立ててある几帳の向こう側に、尚侍(かみ)(道長の次女妍子)付きの、中務の乳母(藤原惟風の妻高子)、姫君(道長の三女威子当年十歳)付きの少納言の乳母(道長家女房)、幼い姫君(道長の四女嬉子当年二歳)付きの小式部の乳母(道長家女房藤原泰通の妻)が無理に入り込んで、二つの御帳台の後ろの細い通路は容易に通ることができない。すれちがっても、お互いの顔も見分けられない。
2023.12.25
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「〔11〕安産を待ち望む人々1―九月十一日」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。〔11-1〕安産を待ち望む人々1―九月十一日十一日の明け方にも、北側の襖を二間とりはらって、中宮さまは難産のために場所を忌み嫌って、北廂の間に移られる。御簾かけることができないので、御几帳を重ね立てて、その中にいらっしゃる。観音院権僧正勝算(しょうさん)、定澄僧都、権法務済信権大僧都などがそばについて加持をされる。院源(いんげん)僧都(第二十六代天台座主)が、きのう殿が書かれた安産願いに、さらに尊い言葉を書き加えて、読み上げる言葉が、身に沁みるほど尊く、心強く思われるのに、そのうえ殿が一緒になって仏の加護をお祈りに、なるのはとても頼もしく、いくらなんでも大丈夫だろうと思うものの、やはりひどく悲しいので、女房たちはみな涙が流れるばかりだ。ほんとに不吉なこと、そんなに泣かないでと、お互いに言い合うものの、涙をおさえることができなかった。こんなに人が多くては、中宮さまもなおさら苦しいだろうと、殿は女房たちを南や東の間に出されて、どうしてもいなければならない人たちだけが、この二間の中宮さまの側に控えている。
2023.12.24
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「〔9〕重陽の菊の着せ綿―九月九日」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記9」の研鑽を公開してます。宰相の君は目をあけて、気でも狂ったの、寝てる人を思いやりもなく起こすなんてと言って、少し起き上がられた顔が、思わず赤くなっていらっしゃるなど、ほんとうにどこまでも美しかった。 普段でも美しい人が、時が時なので、特別に美しく見えた。〔8〕重陽の菊の着せ綿―九月九日兵部のおもと(式部と同輩の女房。おもとは女房の敬称)が菊の着せ綿を持ってきて、これをね、殿の北の方(鷹司殿倫子)が、特別にあなたにって。これでよく顔や体をぬぐって、老いを取り除きなさいって言うので。菊の露 わかゆばかりに 袖ふれて 花のあるじに 千代はゆづらむ菊の露に私はほんの少し若返る程度に袖に触れて、千代の長生きは菊の花の持ち主である北の方さまにお譲りしましょうと詠んだ。9月8日の夜に菊の花に綿をかぶせ、翌朝、菊の香りと露を含んだ綿で体を拭うというもの着せ綿を返そうとしたら、北の方はもうあちらのお部屋にお帰りになってしまわれたと言うので、着せ綿が無用になり、菊の花に真綿を覆って、翌朝夜露に濡れて菊の香りが移った綿で、顔や体をぬぐうと老いが除くと信じられた。
2023.12.23
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「〔8〕同日の夜、中宮産気づく」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記8」の研鑽を公開してます。〔8〕同日の夜、中宮産気づくその夜、中宮さまの御前に参上したところ、月が美しい頃で、部屋の端近には、御簾の下から裳の裾などがこぼれ出ているあたりに、小少将の君(源時通の娘)や大納言の君(源扶義の娘廉子)などが控えていた。中宮さまは、香炉に、先日の薫物を土中かに取り出させてお入れになり、出来具合をためしてごらんになった。取り出してきた女房たちが、庭の景色の素晴らしさや、蔦(ツタ)が色づくのが待ち遠しい事などを、口々に口々に申し上げていると、中宮さまはいつもより苦しそう。中宮さまの苦しそうな様子になるので、加持などされるところなので、なんだか落ち着かない気がして御几帳の中へ入った。そのうち人が、呼んでいるというので、自分の部屋に下がり、しばらく休んでいようと思ったが寝てしまった。夜中に中宮さまが産気づいたと大騒ぎしている。
2023.12.22
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「平安時代の随筆 紫式部日記7」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「平安時代の随筆 紫式部日記7」の研鑽を公開してます。増して、何故か、私自身が思うことは、憂愁の思いが少しでも、少ない身であったならば、風流がってみせ、若々しく振る舞い、この無常の世も過ごすのだけれど、私の憂愁は極めて深いものなので、そんな浮わついた気持ちにはなれない。道長一家の繁栄の素晴らしい事や、面白い事を見たり聞いたりするにつけ、俗世間を逃れたい気持ちを、ただ心に決めていた事に魅かれる事ばかりが、強く全てが憂鬱で、思い通りにならず、嘆かわしい事が増え大層つらい。どうにかして、今はもう物思いも忘れよう、思ってもしかたがない。悩んでばかりいては、罪も深いことだろうなどと思いなおして、夜が明けてしまえば、ぼんやり眺めて物思いをして、お庭の池に、水鳥たちが、物思う事もなさそうに遊びあっているのが見え心うるう。
2023.12.21
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「〔6〕宿直(とのい)の人々」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記6」の研鑽を公開してます。中宮さまは、中宮の大夫(藤原斉信/ただのぶ)、左の宰相の中将(源経房)、兵衛の督(かみ)(源憲定)、美濃の少将(源済政/なりまさ)などと一緒に、演奏を楽しまれる夜もある。だが、表立っての管弦のお遊びは、殿になにかお考えがあるのだろう、お催しにはならない。この数年、実家に戻っていた女房たちが、ご無沙汰していたのを思い起こして、参り集まってくる様子も騒がしくて、その頃はしんみりしたこともない。〔7〕宰相の君の昼寝姿―八月二十六日八月二十六日、御薫物の調合が終わってから、中宮さまは、女房たちにもお配りになり、お香を練り丸めていた女房たちが、おすそわけにあずかろうと、御前に大勢集まっていた。中宮さまの御前から下がって部屋にもどる途中、弁の宰相の君(藤原道綱の娘豊子)の部屋をちょっとのぞいてみると、ちょうどお昼寝をなさっているときだった。萩や紫苑の色とりどりの袿に、濃い紅の艶やかな打衣をはおって、顔は襟の中に入れて、硯箱を枕にして寝ていらっしゃる。その額がとても可愛らしくなよやかで美しい。まるで絵に描いてあるお姫様のようなので、口を覆っている袖を引っぱって、まるで、こまのの物語の女君のようと言う。
2023.12.20
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「〔5〕御盤のさま」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記5」の研鑽を公開してます。〔5〕御盤のさま播磨守(平生昌/たいらのなりまさか)が、碁に負けて饗応をした日、わたしはちょっと里に退出していたので、後日に碁盤の様子などを、拝見したら、碁盤の華足(花形の脚)などがいかにも風流に作られていて、洲浜の波打ち際の水に次の歌が書きまぜてあった。紀の国の しららの浜にひろふてふ この石こそは いはほともなれ紀伊の国の白良の浜で拾うというこの碁石こそは 中宮の御代とともに末長くあって 大きな巌となりますようにこんなときの扇なども、趣向を凝らしたものを、そのころ臨席した女房たちは持っていた。〔6〕宿直(とのい)の人々―八月二十日過ぎ八月二十日過ぎの頃からは、上達部や殿上人たちで、当然お邸に、伺候する人々は、みな宿直することが多くなって、渡殿の橋廊の上や、対屋の簀子などに、みなうたた寝をしては、とりとめもなく管弦の遊びをして夜を明かす。琴や笛の演奏などは、未熟な若い人たちの読経くらべや今様歌なども、こういう場所柄としては、おもしろかった。
2023.12.19
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「〔4〕殿の子息三位の君」「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語の紫式部日記」の研鑽を公開してます。〔4〕殿の子息三位の君しっとりした夕暮れに、宰相の君(藤原道綱の娘豊子。式部と最も親しい女房)と二人で話をしていると、殿のご子息の三位の君(道長の長男頼通十七歳)がいらっしゃって、簾の端を引き上げて、お座りになる。年齢のわりにはずっと大人びて、奥ゆかしいご様子。女はやはり、気立ての良い人となると滅多にいないものだと、男女関係の話をしんみりとしていらっしゃる。その様子は、幼いと世間の人が侮っているのはよくないことだと、こちらが恥ずかしくなるほど立派に見える。あまり打ち解けた話にならない程度で、おほかる野辺にの歌を詠む。女郎花 おほかる野辺に 宿りせば あやなくあたの 名をや立ちなむ女という名を持つ女郎花の多い野原に泊まったら 別に多くの女と寝たというわけでもないのに 理不尽にも浮気者だという浮名が立つだろう古今集・小野美材和歌を口ずさんで退出なさった様子こそ、物語で褒めている男君そっくりのような気がした。 このくらいのちょっとしたことで、後々ふと思い出されることもあるし、その時はおもしろいと思ったことでも時が経つと忘れてしまうことがあるのは、いったいどういうわけなのだろう。朝の道長の戯れと夕の頼通の端正なふるまい。この父子の対照は、物語の光源氏と夕霧の対照になぞらえられる。
2023.12.18
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