浜松中納言物語 0
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源氏物語〔2帖帚木 ははきぎ19〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語2帖帚木の研鑽」を公開してます。男に永久性の愛を求めない態度に出ると完全な妻になれない。左馬頭の話の嫉妬深い女も、思い出としてはよいが、今暮らす妻なら堪らなく、嫌になってしまう。琴の上手な才女というのも浮気の罪がある。私の女も本心の見せられない点に欠陥がある。どれがいちばん良いとも言えない事は、人生そのものです。何人かの女から良いところを取り、悪いところは省いたような、そんな女はどこにもいない。鬼子母神の娘で、毘沙門天の妻吉祥天女を恋人にしようと思うと、仏法臭く困ると中将が言ったので皆笑った。式部の所にはおもしろい話があるだろう、少しずつでも聞きたいものだと中将が言い出す。私どもは下の下の階級で、面白い事はないと式部丞は話を断っていたが、頭中将が本気になり、早くと話を責め立てるので、どんな話をしたら良いか考えたが、まだ文章生時代のことで、私はある賢女の良人になり、左馬頭の話のように、役所の仕事の相談相手にもなり、私の処世の方法なんかについても役だつ事を教えてくれた。学問は博士は恥ずかしいほどで学問の事では、前で口が利けなかった。ある博士の家へ弟子になり通っていた時に、娘が多くいる事を聞いていたので、機会をとらえて接近してしまった。親の博士が二人の関係を知るとすぐに杯を持ち出し、白楽天の結婚の詩を歌ってくれたが、実は私は気が進まなかった。 ただ博士への遠慮でその関係はつながっていた。先方では私を気に入り、よく世話をして、夜分寝ている時にも、学問のつくような話をしたり、官吏としての心得方を言ってくれた。手紙は皆きれいな漢文で、仮名なんか一字も混じってない。良い文章を送ってくるので別れ難く、今でも師匠の恩をその女に感じるが、そんな細君を持つのは、学の浅い人間や、間違いだらけの生活をしている者には堪らない事だとその当時思っていた。また二人のような優れた貴公子方には必要はないだろう。
2024.06.19
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源氏物語〔2帖帚木 ははきぎ18〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語2帖帚木の研鑽」を公開してます。久しく訪ねて行かなかった時分に、ひどい事を私の妻の家の方へ出入りする女の知人を介して言わせた。私はあとで聞いた事だが、そんなかわいそうな事があったとも知らず、心の中では忘れないでいながら手紙も書かず、長く行きもしないでいると、女はずいぶん心細がり、私との間に小さな子供もあり、煩悶した結果、撫子の花を使いに持たせたところ、中将は涙ぐんでいた。どんな手紙を書いたのかと源氏が聞いたところ、なに、平凡なものですよ。山がつの垣は荒るともをりをりに哀れはかけよ撫子の露と送った。私はそれで行く気になり行って見た。穏やかなものなんですが、少し物思いにふける顔をして、秋の荒れた庭をながめながら、虫の声と同じような力のない様子で見ているのは、小説のようで、咲きまじる花は何れとわかねどもなほ常夏にしくものぞなきと、子供の事は言わずに、母親の機嫌を取った。打ち払ふ袖も露けき常夏に嵐吹き添ふ秋も来にけりと、こんな歌をはかなそうに言って、正面から私を恨む素振りもない。うっかり涙を零しても恥ずかしそうに誤魔化してしまう。恨めしい理由をみずから追究して考えていくことが苦痛らしく、私は安心して帰って来てしまい、 またしばらく途絶えているうちに消えたようにいなくなってしまった。まだ生きていれば相当、苦労をしているだろう。私も愛していたから、私をしっかり離さずにつかんでいてくれたなら、そうしたみじめな目に逢いはしなかった。長く途絶えて行く事もせず、妻の一人として待遇のしようもあった。撫子の花と母親の言った子もかわいい子なので、何とか捜し出したいと思っていたが、今だに手がかりがない。素知らぬ顔をして、心で恨めしく思っていた事も気付かず、私は愛していたが一種の片思いと言える。もう今は忘れかけているが、あちらではまだ忘れられずに、今でも時々は辛い悲しい思いをしているのだろう。
2024.06.18
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源氏物語〔2帖帚木 ははきぎ17〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語2帖帚木の研鑽」を公開してます。菊を折って、琴の音も菊もえならぬ宿ながらつれなき人を引きやとめけると言って、よい聞き手が来られた時にもっと弾いて聞かせて上げなさいと、嫌味なことを言うと、女は、木枯らしに吹きあはすめる笛の音を引きとどむべき言の葉ぞなきと言ってふざけ合っている。私がのぞいているのも知らないで、今度は十三絃を派手に弾き出した。才女でないがキザな気がした。遊び半分の恋愛をしてい る時は、宮中の女房たちと交際していたが、時々、愛人として通って行く女ではおもしろくないと思い、その晩のことを口実にして別れた。二人の女を比べると、若い時でもあとの上品な女は信頼が出来ないと感じた。私は年配になっており、今後はまた今まで以上に実質がともわずうわべばかりは嫌になる。男に裏切られた女のわびしさや、落ちそうな笹の上の霰のような艶やかな恋人がいいように思うでしょうが、私の年齢まで、あと七年もすれば分かりますよ、私があえて言うと、風流好みな多情な女には気をおつけなさい。三角関係を発見した時に良人の嫉妬で問題を起こしたりする。左馬頭は二人の貴公子に忠言を呈した。中将はうなずき、少しほほえんだ源氏も左馬頭の言葉に真理がありそうだと思う。あるいは二つともばかばかしい話であると笑っていたのかもしれない。私もばか者の話を一つしようと中将は前置きをして語り出した。私がひそかに情人にした女は、見捨てずに置かれる程度のもので、長い関係になろうとも思わぬ人だったが、馴れていくとよい所が見つかり心惹かれていった。たまにしか行かないけど、女も私を信頼するようになった。愛しておれば恨めしさの起こるこちらの態度だがと、気のとがめることがあっても、その女は何も言わないでいる。久しく間を置いて逢っても始終来る人といるようにするので、気の毒で、私も将来のことでいろんな約束をした。父親もない人だったから、私だけに頼らなければと思っている様子が何かの場合に見えて可憐な女だった。
2024.06.17
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源氏物語〔2帖帚木 ははきぎ16〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語2帖帚木の研鑽」を公開してます。近衛の中将は指をかんだ女をほめちぎった。その時分にまたもう一人の情人があり、身分もそれは少しよいし、才女らしく歌を詠んだり、達者に手紙を書いたり、音楽のほうも相当なものだったようで、感じの悪い容貌でもなかったので、やきもち焼きの方を世話女房にしておき、そこへおりおり通って行ったころにはおもしろい相手だった。あの女が亡くなったあとでは、今さら惜しんでも死んだものは仕方がなく、度々もう一人の女の所へ行くようになり、風流女を主張している点が気に入らなく、一生の妻にしてもよいという気は無くなった。(昨日朝は慌ただしくロウソクを家に忘れてしまった)あまり通わなくなったころに、また他の恋愛の相手ができたようで、十一月ごろのよい月の晩に、御所から帰ろうとすると、ある殿上役人が来て私の車へいっしょに乗り、その晩は父の大納言の家へ行って泊まろうと思っていた。途中でその人が、今夜私を待っている女があり、そこへ寄ってやらないでは気が済まないと言う。女の家は道筋にあり、壊れた土塀から池が見え、庭に月の光りが射しているのを見ると、私も寄ってもいいという気になり、その男の降りた所で私も降りた。だが、その男が入るのは私の行こうとしている家だった。初めから今日の約束があったのだろう。男は夢中で門から近い廊の室の縁側に腰を掛けて、気どったふうに月を見上げている。それは実際白菊が紫をぼかした庭へ、風で紅葉がたくさん降っているから、身にしむように思うのも無理はない。男は懐中から笛を出して吹きながら合い間に、飛鳥井に宿りはすべし蔭もよしと歌うと、中では和琴をきれいに弾いて合わせる。律の調子は女の柔らかに弾くのが御簾の中から聞こえ、華やかな気がして、明るい月夜に合っている。男はおもしろがり、琴を弾いている前へ行き、紅葉の積もり方を見るとだれもおいでになった様子はなく、あなたの恋人は中々冷淡なようと皮肉なことを言っていた。
2024.06.16
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源氏物語〔2帖帚木 ははきぎ15〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語2帖帚木の研鑽」を公開してます。暗い炉を壁のほうに向げて据え、暖かそうな柔らかい綿が沢山入った着物を、乾かす竹のかごに掛けて、寝室へ入る時に上げる几帳の布も上げて、こんな夜にはきっと来るだろうと待っていた様子が見え、そう思っていたのだと私は得意になったが、妻自身はいない。何人かの女房だけが留守をしていて、父親の家へちょうどこの晩移って行ったという。艶な歌も詠んでおらず、気のきいた言葉も残さずに、じみにすっと行ったので、つまらない気がして、やかましく嫉妬をしたのも私にきらわれるためだったと、むしゃくしゃするので、とんでもないことまで忖度した。しかし考えてみると用意してあった着物なども普通よりよくできてるし、その点では実にありがたい。別れた後のことまで考えて話した。彼女は別れるものか慢心を抱き、それからは手紙で交際を姶めたが、私の元へ戻る気がうかがえるし、全く知れない所に隠れる素振りもないし、反抗的な態度を取ろうともせず、前のような態度では我慢ができない、すっかり生活の態度を変えて、一夫一婦の道を取ろうと言っている。暫らく懲らしめてやる気で、一婦主義になるとも言わず、話を長引かせていたら、精神的に苦しんで死んでしまったので、責められて当然である。家の妻というものは、あれほどの者でなければならないと今でもその女が思い出される。風流ごとにも、まじめな間題に話し相手にすることができた。また家庭の仕事はどんなことにも通じており、染め物の立田姫(日本の秋の女神)にもなれたし、七夕の織姫にもなれたと語った左馬頭は、いかにも亡き妻が恋しそうであった。技術上の織姫でなく、永久の夫婦の道を行っている七夕姫だったらよかった。立田姫もわれわれには必要な神様で、男に良くない服装をさせておく細君はだめで、そんな人が早く死ぬんだから、いよいよ良妻は得がたいということになる。
2024.06.15
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源氏物語〔2帖帚木 ははきぎ14〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語2帖帚木の研鑽」を公開してます。将来まで夫婦でありたいなら、少々辛いことがあっても耐え忍んで、気にかけないようにして、嫉妬の少ない女になったら、私はまたどんなにあなたを愛するかしれない、人並みに出世してひとかどの官吏になる時分には立派な私の正夫人でありうるわけだと利己的な主張をした。女は少し笑いながら、そのうち出世もできるだろうと待ち遠しいことであっても、私は苦痛とも思わなかった。あなたの多情さを辛抱して、良人になるのを待つことは堪えられないことだと思った。別れる時になり色々な事を言い憤慨させ、女も自制が出来ない程、私の手を引き寄せて一本の指に噛みつき 、私は痛みに耐えられず、痛い痛いと声をあげた。こんな傷もつけられては私は杜会へ出られない。侮辱された子役人は人並みに上がってゆくことはできない。私は坊主にでもなることにするだろうと脅して、指を痛そうに曲げて、いよいよ別れだと言い家を出た。「手を折りて相見しことを数ふればこれ一つやは君がうきふし」言いぶんはないと言うと、さすがに泣き出し、「うき節を心一つに数へきてこや君が手を別るべきをり」反抗的に言ったりもした。本心では我々の関係が解消されるものでないことをよく承知しながら、幾日も手紙一つやらずに私は勝手な生活をしていた。賀茂神社・石清水八幡宮の臨時の祭りに行う舞楽を、楽所で予行練習するが、霙が降る夜で、皆が退散する時に、自分の帰って行く家庭というものを考えるとその女の所よりないと思いなおす。御所の宿直室で寝るのも惨めだし、また恋を風流遊戯にしている局の女房を訪ねて行くことも寒いことだろうと思わ れ、様子も見がてらに雪の中を、少しきまりが悪いが、こんな晩に行ってやる志で女の恨みは消えてしまうと思いながら、入って行く。
2024.06.14
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源氏物語〔2帖帚木 ははきぎ13〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語2帖帚木の研鑽」を公開してます。昔、まだ重要な役をしてないとき、一人の愛人があったが、容貌は良くない女だったので、若い浮気な心には、この人とだけで一生を暮らそうとは思わず、妻とは思っていたが物足りなく外に愛人を持っていたが、とても嫉妬するので、何ともいやな思いで、穏やかに見ていてくれればよいのにと思いながらも、あまりにやかましく言われ、自分のような者をどうしてそんなにまで思うのだろうとあわれむような気になる時もあり、自然に身持ちが修まるようだった。この女性というのは、自身にできぬものでも、この人のためならばと努力してかかり、教養の足りないところも自身で努力し補い、恥のないようにと心がけて、行き届いた世話をしてくれて、私の機嫌を損ねないよう心を尽くし表面に出さなくなり、私だけには柔順な女になって、醜い容貌なんぞも私にきらわれまいとして化粧に骨を折って、この顔で他人に逢っては、良人の不名誉になると思っては、遠慮して来客にも近づかなくなり、とにかく賢い妻になり、同棲するうちに、彼女の利巧さに彼の心は引かれて。ただ一つ嫉妬癖、それだけは彼女自身どうすることもできない厄介なもので、みじめなほど私に参っている女なんだから、二度と嫉妬をしないように懲らしめる仕打ちに出ておどして嫉妬を改めさせよう、もうその嫉妬ぶりに堪えられない、いやでならないという態度に出たら、これほど自分を愛している女なら、うまく成功するだろうと、そんな気で、ある時にわざと冷酷に出して、女がおこり嫉妬し出す時、あさましい事を言うなら、どんな深い縁で結ばれた夫婦の中でも、この関係を破壊してよいのなら、今のような推量でも何でもするがいいと言ってやった。
2024.06.13
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源氏物語〔2帖帚木 ははきぎ12〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語2帖帚木の研鑽」を公開してます。決まった形式を必要としないものは、しゃれた形をこしらえたものなどに、これはおもしろいと思わせられて、いろいろなものが、次から次へ新しい物がいいように思われるが、ほんとうにそれがなければならない道具というような物を上手にこしらえ上げるのは名人でなければできない。また絵所に幾人も画家がいるが、席上の絵の描き手に選ばれ大勢出る時は、どれが良いのか悪いのか分からないが、非写実的な蓬莱山や荒海の大魚や、唐にしかいない恐ろしい獣の形などを描く人は、勝手ほうだいに誇張したもので人を驚かせて、それは実際にほど遠くても通る。普通の山の姿や水の流れとか、自分たちが日常見ている美しい家や何かの図を写生的におもしろく混ぜて描き、我々の近くにある高くない山を描き、木をたくさん描き、静寂な趣を出したり、あ るいは人の住む邸の中を忠実に描くような時に上手と下手の差がよくわかるものだ。字でもそうである。深味がなく、あちこちの線を長く引いたりするのに技巧を用いたものは、ちょっと見がおもしろいようでも、それと比べてまじめに丁寧に書いた字で見栄えのせぬものも、二度目によく比べて見れば技巧だけで書いた字よりもよく見えるものだ。ちょっとしたことでもそうである、まして人間の問題なので、技巧でおもしろく思わせるような人には永久の愛が持てないと決めている。好色がましい多情な男に思われるかもしれませんが、 以前のことを少しお話ししましょうと言って、左馬頭は膝を進めるが、源氏も目をさまして聞いていた。中将は左馬頭の見方を尊重すると見せて、頬杖をついて正面から相手を見ていた。坊様が過去未来の道理を説法する席のようで、おかしくないこともないのであるが、この機会に各自の恋の秘密を、持ち出されることになった。
2024.06.12
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源氏物語〔2帖帚木 ははきぎ11〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語2帖帚木の研鑽」を公開してます。悪くても良くてもいっしょにいて、どんな時も許し合って暮らすのがほんとうの夫婦で しょう。一度そんなことがあったあとでは真実の夫婦愛がかえってこないもの。また男の愛がほんとうにさめている場合に家出をしたりすることは愚か。恋はなくなっていても妻であるからと思っていっしょにいてくれた男から、これを機会に離縁を断行されることにもなる。なんでも穏やかに見て、男にほかの恋人ができた時にも、全然知らぬ顔はせずに感情を傷つけない程度の怨みを見せれば、それでまた愛を取り返すことにもなるもの。浮気な習慣は妻次第でなおっていくもので、あまり男に自由を与えすぎる女も、男にとっては気楽で、その細君の心がけがかわいく思われそうであるが、だが、ほんとうは感心のできない妻の態度だ。つながれない船は浮き歩くということになると言うと、中将はうなずく。現在の恋人で、深い愛着を覚えていながらその女の愛に信用が持てないということはよくない。自身の愛さえ深ければ女のあやふやな心持ちも直して見せることができるはずだ。方法はほかになく、長い心で見ていくだけかもと頭中将は言って、自分の妹と源氏の中はこれに当たっているはずだと思うのに、源氏が目を閉じたままで何も言わぬのを、物足らずも口惜しくも思った。左馬頭は女の品定めの審判者であるというような得意な顔をしていた。中将は左馬頭にもっと語らせたい心があってしき りに相槌を打っている。ほかのことに当てはめるならば。指物師がいろいろな製作をしても、一時的な飾り物でしかない。
2024.06.11
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源氏物語〔2帖帚木 ははきぎ10〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語2帖帚木の研鑽」を公開してます。子供の時に女房などが物語を読んでいるのを聞いて、物語の女主人公に同情した立派な態度だと涙までも零したもので、今思うとそんな女のやり方は考えが浅く、調子にのり行動する様子は、実にわざとらしい。自分を愛していた男を捨てておいて、その際にちょっとした恨めしい事があっても、男の愛を信じないように家を出たりして、無用の心配をかけて、そうして男をためそうとしているうちに取り返しのつかない困った事態に至るし、嫌なことだ。りっぱな態度だと誉めたてられると、図に乗ってどうかすると尼にもなる。その時は爽やかでない未練は持たずに、すっかり恋愛を清算した気でいるが、 何とも悲しい、こんなにまであきらめてしまいになってと、知った人が訪問して言い、心の底から憎くは思っていない男が、それを聞いて泣いたという話が聞こえてくると、召使いや古い女房などが、殿様はあんなにあなた思っているのに、若い体を尼にしてしまいになり惜しいと言う。このような事を言われる時、髪を短くして後ろ梳きにしてしまった前髪に手が行って、心細い気になると自然に物思いをするようになる。忍んでもう一度涙を流せばあとは始終泣く事になる。弟子になった上でこんな事では仏様も末練を憎み、一般庶民であった時よりも罪は深く、地獄へも落ちるように思われる。また夫婦の縁が切れずに、尼にはならず、良人に連れ戻されて来ても、 自分を捨て家出をした妻である事を良人に忘れてもらう事は難しい。
2024.06.10
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源氏物語〔2帖帚木 ははきぎ9〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語2帖帚木の研鑽」を公開してます。横を向いて一人で思い出し笑みを浮べたり、かわいそうなものだなどと独言を言うようになった。そんな時に何なんですかと突っ慳貧(つっけんどん)に言って自分の顔を見る細君などはたまらないではないか。ただ一概に子供らしくておとなしい妻を持った男はだれでもよく仕込むことに苦心するものである。たよりなくは見えても次第に養成されていく妻に多少の満足を感じるものだ。一緒にいる時は可憐さが不足を補い、それでも済むでしょうが、家を離れている 時に用事を言っても何もできないような。遊戯も風流も主婦としてすることも自発的には何もできない、教えられただけの芸を見せるにすぎないような女に、妻としての信頼を持つことはできない。だからそんなのもまただめで、平生はしっくりといかぬ夫婦仲で、淡い憎しみも持たれる女で、何かの場合によい妻であることが痛感されるのもあると、こんなふうな通な左馬頭にも決定的なことは言えないと見えて、深くため息をついた。だからもう階級も何も言いません。容貌もどうでもよく、片よった性格でさえなければ、まじめで素直な人を妻にすべきだと思う。その上に少し見識でもあれば、満足して少しの欠点はあってもよいことにする。安心のできる点が多ければ、趣味の教育などはあとからできる。上品ぶって、恨みを言わなければならぬ時も知らぬ顔で済ませて、表面は賢女らしくしていても、そんな人は苦しくなってしまうと、すごみをきかせた言葉や身に染む歌などを書いて、思い出してもらえる言葉を残して、遠い郊外とか、まったく世間と離れた海岸とかへ行ってしまいたい。子供の時に女房などが小説を読んでいるのを聞いて、そんなふうな女主人公に同情したものです。
2024.06.09
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源氏物語〔2帖帚木 ははきぎ8〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語2帖帚木の研鑽」を公開してます。二人のような貴公子にはまして対象になる女があるものですか。私などの気楽な階級の者の中にでも、この方と打ち込んでいいのはないですからね。見苦しくもない娘で、それ相応な自重心を持っていて、手紙を書く時には樹木・草花・岩の一部に文字を組み込んだ絵のような簡単な文章を上手 に書き、墨色のほのかな文字で相手を引きつけておいて、もっと確かな手紙を書かせたいと男をあせらせて、声が聞かれる程度に接近して話そうとしても、息よりも低い声で少ししかものを言わないというようなのが、男の正しい判断を誤らせるのです。なよなよとしていて優し味のある女だと思うと、あまりに柔順すぎたりして、またそれが才気を見せれば多情でないかと不安になります。そんなことは選定の最初の関門ですよ。妻に必要な資格は家庭を預かることですから、文学趣味とかおもしろい才気などはなくてもいいようなものですが、真面目一方で、なりふりもかまわないで、前髪をうるさがって耳の後ろへはさんでばかりいて、た だ物質的な世話だけを一所懸命にやいてくれる、そんなのではね。お勤めに出れば出る、帰れば帰るで、役所のこと、友人や先輩のことなどで話したいことがたくさんあるんですから、それは他人には言えません。理解のある妻に話さないではつまらない。この話を早く聞かせたい、妻の意見も聞いてみたい、こんなことを思っていると何処ででも独笑が出るし、一人で涙ぐむこともある。また自分のことでないことに正義感から出る憤りを起こし、自分の心にだけ置いておくことに我慢のできぬような時、自分の妻はこんなことのわかる女でないのだと思う。
2024.06.08
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源氏物語〔2帖帚木 ははきぎ7〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語2帖帚木の研鑽」を公開してます。式部丞の方を見ると、妹たちが若い男の中で相当な評判になっていたが、それを暗に言っているのだと思い、式部丞は何も言わなかった。そんなに男の心を引く女がいるであろうか、上の品にはいるものらしい女の中にだって、そんな女は中々少ないものだと分かっていると源氏は思っている。 柔らかい白い着物を重ねた上に、袴は着けずに直衣だけを落ち着いた感じに掛けて、体を横にしている源氏は平生よりも美しく、女性であったらどんなに綺麗な人だろうと思われた。 この人の相手には 極楽浄土往生の九品の中の最上位の中から選んでも飽き足りないと見えた。ただ世間の人として見れば無難でも、実際自分の妻にしようとすると、合格する女性は見つからないものですよ。男だって官吏になって、お役所の勤めというところまでは、誰もできるが、実際適材適所が行くということは難かしい。どんなに聡明な人でも一人や二人で政治はできないのだから、上官は下役に助けられ、下役は上に従 って、多数の力で役所の仕事は済むが、一家の主婦にする人を選ぶのには、備えさせねばならぬ資格が幾つも必要である。これがよくてもそれには適しない。少しは譲歩してもまだなかなか思うような人はない。世間の多数の男も、いろいろな女の関係を作るのが趣味ではなくても、生涯の妻を捜す心で、できるなら一所懸命になり自分で妻の教育のやり直しをしたりなどする必要のない女はないかとだれも思うのでしょう。必ずしも理想に近い女ではなくても、結ばれた縁に引かれて、一生を共にするのはまじめな男に見え、また捨てられない女も世間体がよいが、だが世間を見ると、上手くいっていませんね。
2024.06.07
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源氏物語〔2帖帚木 ははきぎ6〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語2帖帚木の研鑽」を公開してます。宮仕えをして思いがけない幸福のもとを作ったりする例も多いと、左馬頭(さまのかみ)が言うと、それでは何でも金持ちでなければならないと源氏は笑っていた。あなたらしくない事を口にするものではありませんよと、中将は軽く注意を促すように言った。左馬頭はなお話し続けた。家柄も現在の境遇も一致している高貴な家のお嬢さんが平凡な人であった場合、どうしてこんな人ができたのかと情けないことだろうと思うと話す。そうではなくて地位に相応しくすぐれたお嬢さんであったら、それはたいして驚きませんね。当然ですもの。私らにはよくわからない社会の事ですから上品は省く事にしましょう。こんなこともあります。世間からはそんな家のある事なども無視されているような寂しい家に、思いがけない娘が育てられていたとしたら、発見者は非常にうれしいでしょう。意外であったという事は十分に男の心を引くカになる。父親がかなり年寄りで、醜く肥った男で、見掛けの姿のよくない兄を見ても、娘は知れたものだと軽蔑している家庭に、思い上がった娘がいて、歌も上手であったりなどしたら、それは本格的なものではないにしても、ずいぶん興味が持てるだろう。完全な女の選択には入りにくいでしょうと言いながら、同意を促すように式部丞の方を見ると、自身の妹たちが若い男の中で相当な評判になっていると思った。
2024.06.06
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源氏物語〔2帖帚木 ははきぎ5〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語2帖帚木の研鑽」を公開してます。階級の別はどのようにつけるのですか。上中下を何で決めるのですか。よい家柄でもその娘の父は不遇で、恵まれない役人で貧しいのと、並みの身分から高官に成り上がっていて、それが得意で贅沢な生活をして、初めからの貴族に負けないような家の娘と、 どちらへ属させたらいいのだろうと、こんな質問をしている所へ、左馬頭(さまのかみ)と藤式部丞とが、源氏の謹慎日を共にしようとして出て来た。風流男という名が通っているような人だったので、中将は喜んで左馬頭を問題の中へ引き入れた。不謹慎な言葉も多く、いくら出世しても、もとの家柄がよいとは言えないから世間の思わくもやはり違う。もとはいい家でも逆境に落ちて、何も昔の面影もない姿になってみれば、貴族的な品のいいやり方で押し通せるものでもないし、見苦しいことも人から見られるわけだから、それはどちらも中流階級ですよ。受領といって地方の政治にばかり関係している連中の中にもまたいろいろ階級がありましてね、いわゆる中流として恥ずかしくないのがありますよ。また高官の部類へやっとくらいの家よりも、参議にならない四位の役人で、世間からも認められていて、もとの家柄もよく、富んでいてのんきな生活のできている所などはかえって朗らかなものですよ。不足のない暮らしができるのですから、倹約もせず、そんな空気の家に育った娘に軽蔑のできないものがたくさんあるでしょう。
2024.06.05
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源氏物語〔2帖帚木 ははきぎ4〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語2帖帚木の研鑽」を公開してます。親がついていて、大事にしてもらい、屋敷内の奥の邸宅の建物の部屋で育っているうちは、その人の一部分だけを知って男は自分の想像だけで十分補って恋をすることになるですね。顔がきれいで、娘らしくおおようで、そしてほかにすることがないのですから、そんな娘には一つくらいの芸の上達が望める。それができると、仲に立った人間がいいことだけを話して、欠点は隠して言わないようにしている。そんな時にそれは嘘だなどと、こちらもいい加減なことを言う事は可能ではなく、真実だろうと思って結婚したあとで、だんだんあらが出てこないわけはない。中将がこう言って嘆き溜息をついた時に、ありきたりの結婚失敗者ではない源氏も、何か心にうなずかれることがあるか微笑を浮べていた。今言った一つくらいの芸ができるというほどの取り柄もできない人も世の中には存在する。そんな所へは初めからだれもだまされに行きませんよ。何も取り柄のないのと、完全であるのとは同じほどに少ないもの。上流に生まれた人は大事にされて、欠点も目だたないで済みますから、その階級は別ですよ。中の階級の女によってはじめてわれわれはあざやかな、個性を見せてもらうことができるのだと思う。またそれから一段下の階級にはどんな女がいるのだか、まあ私にはあまり興味が持てないと言って、愛想を振りまく中将に、源氏はもう少しその観察を語らせたく思った。
2024.06.04
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源氏物語〔2帖帚木 ははきぎ3〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語2帖帚木の研鑽」を公開してます。初めからほんとうに秘密の大事な手紙などは、だれが盗んで行くか知れないので棚などに置くわけにもいかない、だがこれはそれほどの物でもないのだから、源氏は見てもよいと許した。中将は少しずつ読んでから、いろんなのがありますねと想像だけで、だれとかかれとか筆者を当てようとする。上手く言い当てるのもあるが、全然見当違いのことを言いながら、それであろうと深く追究したりする。そんな時に源氏はおかしく思いながらも、あまり相手にならぬようにして、上手く皆を中将から取り返した。あなたこそ女の手紙をたくさん持っているでしょう。少し見せてほしいものだ。そのあとなら棚のを全部見せてもいい。あなたの御覧になる価値のあるものはいないでしょうと、こんな事から頭中将は女についての感想を言い出した。これならば完全だ、欠点がないという女は居ないと私は今やっと気付いた。ただ上っつらな感情で達者に手紙を書いたり、こちらの言うことに理解を持っているような利巧な人もたくさんいるので、そこを長所として取ろうとすれば、きっと合格点に入るという者は中々いないと思う。自分が少し知っている事で得意になって、 ほかの人を軽蔑する事のできる厭味な女が多い。
2024.06.03
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源氏物語〔2帖帚木 ははきぎ2〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語2帖帚木の研鑽」を公開してます。嵯峨(さが)天皇の皇子、源融(みなもとのとおる)の左大臣の子息たちは宮中の御用をするよりも、源氏の宿直所への勤めのほうが大事と考えていた。そのうちでも宮様腹の中将「頭中将の実母(左大臣の正妻)」は最も源氏と親しくなっていて、遊戯をするにも何をするにも他の者の及ばない親交ぶりを見せた。大事がる舅の右大臣家へ行くことはこの人もきらいで、恋の遊びのほうが好きだった。結婚した男はだれも妻の家で生活するが、この人はまだ親の家のほうにりっぱに飾った居間や書斎を持っていて、源氏が行く時には 必ずついて行って、夜も、昼も、学問をするのも、遊ぶのもいっしょで、謙遜もせず、 敬意を表することも忘れるほど仲よしになっていた。五月雨がその日も朝から降っていた夕方、殿上役人の詰め所もあまり人影がなく、桐壼も平生より静かな時に、灯りを灯していろいろな書物を見ていると、置き棚にあったその本を取り出した。それぞれ違った色の紙に書かれた表面を覆っている手紙の殻の内容を頭中将は見たがった。無難な所を少しは見せてもいい。見苦しいのがあるからと源氏は言い、見苦しくないかと気になさるのを見たいのですよ。平凡な女の手紙なら、私には私相当に書いて下さるからいいんです。特色のある手紙で、怨みを言っているとか、ある夕方に来てほしと書いて来る手紙で、そんなのを拝見できたらおもしろい。
2024.06.02
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源氏物語〔2帖帚木 ははきぎ1〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語2帖帚木の研鑽」を公開してます。源氏物語2帖帚木(ははきぎ)を研鑽。桐壺帝が命名した光源氏、すばらしい名で、青春を盛り上げてできたような人と想像できる。また自由奔放な好色生活が想像されるが、実際はそれよりずっと質素な心持ちの青年だった。その上恋愛という一つのことで後世へ自分が誤って伝えられるようになってはと、異性との交際を極力内輪にしていたのであるが、ここに書く話のような事が伝わっているのは世間のうわさからおもしろがって広まる。自重してまじめな風体の源氏は恋愛風流などには疎かった。好色小説の中の交野の少将(中納言なる人物が交野の鷹狩りが縁で大領の娘と契るが、以後訪れないため娘は投身自殺をはかるという物語)には笑われていたであろうと思われる。中将時代にはおもに宮中の宿直所に暮らしていた時、たまにしか舅の左大臣家へ行かないので、左大臣は光源氏が別に恋人を持っているかのような疑いを受けていた。舅の左大臣は世間にざらにあるような好色男の生活はきらいであった。まれには風変わりな恋をして、たやすい相手でない人に心を打ち込んだりする欠点はあった。梅雨のころ、帝の謹慎日が幾日かあって、帝の傍に仕える大臣は家へも帰らずに皆宿直する。こんな日が続いて、源氏の御所住まいが長くなった。大臣家ではこうして途絶えの多い婿君を恨めしくは思っていたが、やはり衣服その他贅沢を尽くした新調品を御所の桐壼へ運ぶのに飽きることはなかった。
2024.06.01
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源氏物語〔1帖桐壺27完〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語1帖桐壺の研鑽」を公開してます。新夫婦付きの女房はことにすぐれた者をもってしたり、気に入りそうな遊びを催した り、一生懸命である。御所では母の更衣のもとの桐壼を源氏の宿直所にお与えになって、御休息所に侍していた女房をそのまま使わせておいでになった。更衣の家のほうは修理の役所、内匠寮へ帝が命じて、非常にりっぱなものに改築された。もとから築山のあるよい庭がついた家であったが、池なども以前よりずっと広くされた。二条の院がこれである。 源氏はこんな気に入った家に自分の理想どおりの妻と暮らすことができたらと思って始終嘆いて溜息をついていた。光の君という名は鴻臚館を訪れた高麗人が、源氏の美貌と天才を褒め名付けた言われている。光源氏の母の桐壺更衣が他界したのは光源氏が3歳の時である。私の母が他界したのは3歳半の時で入水し引き上げられ自宅へ送り届けられた実母の生前の姿は断片的にしか記憶がない。顔は全く記憶がなく私が36歳の時の33回忌で母の顔写真を始めて見た。この事からも桐壺更衣に似た帝の妃の藤壺に心惹かれる表現は小説の世界だからなのだろう。源氏物語1帖桐壺はこれで終り、明日よりは光源氏17歳からの源氏物語2帖帚木(ははきぎ)を研鑽し公開していきたいと思います。
2024.05.31
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源氏物語〔1帖桐壺26〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語1帖桐壺の研鑽」を公開してます。左大臣は何人かの妻妾から生まれた子供を何人も持っていた。内親王腹のは今蔵人少将であって母宮との間には蔵人の少将の位にとても若く見目よい方がいて年少の美しい貴公子であるのを左右大臣の仲はよくないが、その蔵人少将をよその者に見ていることができず、大事にしている四女の婿にした。これも左大臣が源氏の君を大切がるのに劣らず右大臣から大事な婿君として、かしずかれていたのはよい一対のうるわしいことであった。源氏の君は帝が傍を離しにくくしているので、ゆっくりと妻の家に行っていることもできなかった。源氏の心には藤壼の宮の美が最上のものに思われてあのような人を自分も妻にし たい、宮のような女性はもう一人とないであろう、左大臣の令嬢は大事にされて育った美しい貴族の娘とだけはうなずかれるがと、こんなふうに思われて単純な少年の心には藤壼の宮のことばかりが恋しくて苦しいほどであった。元服後の源氏はもう藤壼の御殿の御簾の中へは入れていただけなかった。琴や笛の音の中にその方がお弾きになる物の声を求めるとか、今はもう物越しにより聞かれないほのかなお声を聞くとかが、せめてもの慰めになって宮中の宿直ばかりが好きだった。五、六日御所にいて、二、三日大臣家へ行くなど絶え絶えの通い方を、まだ 少年期であるからと見て大臣はとがめようとも思わず、相も変わらず婿君のかしずき騒ぎをしていた。
2024.05.30
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源氏物語〔1帖桐壺25〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語1帖桐壺の研鑽」を公開してます。杯を賜るついでに、 いたいけな宮が初めて髪を結ぶ元結には末長い寿ぎ(ことほぎ/祝いの言葉を唱えて神に祈る)の気持ちに娘との末長い縁の願いをこめたであろうの元結の礼に結婚の祝福のご趣向もあって大臣をはっとさせていた。大臣の女との結婚にまで話が及び、天皇が綴る和歌は大臣を驚かした。「結びつる心も深き元結ひに濃き紫の色しあせずば」と返歌を奏上してから大臣は、清涼殿の正面の階段を下がって拝礼をする。左馬寮の御馬と蔵人所の鷹をその時に賜わった。そのあとで諸員が階前に出て、官等に従ってそれぞれの下賜品を得た。この日の饗宴の席の折り詰めの料理、籠詰めの菓子などは皆右大弁の命令により作った物である。一般の官吏に賜う弁当の数、一般に下賜される絹を入れた箱の多かったことは、東宮の元服の時以上であった。夜源氏の君は左大臣家へ婿になって行った。この儀式にも善美は尽くされた。 高貴な美少年の婿を大臣はかわいく思った。姫君のほうが少し年上であったので、年下の少年に配されたことを、不似合いに恥ずかしいことに思っていた。この大臣は大きい勢力を持った上に、姫君の母の夫人は帝の同胞だったが、あくまでもはなやかな家である所へ、今度また帝の愛子の源氏を婿に迎えたのであるから、東宮の外祖父で未来の関白と思われている右大臣の勢カは比較にならぬほど気押されていた。
2024.05.29
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源氏物語〔1帖桐壺24〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語1帖桐壺の研鑽」を公開してます。申の刻(午後四時)に源氏の君が参った。上で二つに分け、耳の所で輸にした童形の礼髪を結った源氏の顔つき、少年の美、これを永久に保存しておくこ とが不可能なかと惜しまれた。理髪の役は大蔵卿で、美しい髪を短く切るのを惜しまれた。帝は御息所がこの式を見たならばと、昔を思い出すことで堪えがたく、悲しみを抑えていた。加冠が終わり、いったん休息所に下がり、そこで源氏は服を変えて庭上の拝(大饗の儀式)。参列の諸員は皆小さい宮人の美に感激の涙をこぼす。帝はまして自制できない感情があった。藤壼の宮を迎えて以来、紛れていることもあった昔の哀愁が今一度に蘇った。まだ小さくて大人の頭髪の形になることは、その人の美を損ねないかという懸念もあるが、源氏の君には驚くほどの新彩が加わって見えた。加冠の大臣には夫人の内親王との間に生まれた令嬢があった。東宮から後宮にと望んだが受られず返辞を躊躇していたのは、初めから源氏の君の配偶者に疑っていたからである。大臣は帝の意向をも伺った。それでは元服したのちの彼を世話する人もいることであるから、その人と結ばれたらと仰せだったから、大臣はその実現を望んでいた。今日の侍所の座敷で開かれた酒宴に、親王方の次の席へ源氏は着いた。娘の件を大臣がほのめかしても、きわめて若い源氏は何とも返辞をすることができなかった。 帝のお居間のほうから仰せによって内侍が大臣を呼びに来たので、大臣はすぐに御前へ行った。 加冠役としての下賜品はお傍の命婦が取り次いだ。白い大袿に帝の服が一襲(一つに重ねた)で、 これは昔から定まった品である。酒杯を賜わる時に、次の歌を詠まれた。「いときなき初元結ひに長き世を契る心は結びこめつや」
2024.05.28
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源氏物語〔1帖桐壺23〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語1帖桐壺の研鑽」を公開してます。桐壺更衣によく似たあの方と親しくなりたいという望みが心にあった。帝には二人とも最愛の妃であり、最愛の御子であった。帝は藤壺へ彼を愛してあげなさいと言い、不思議なほどあなたとこの子の母とは似ていると言った。失礼だと思わずにかわいがってやってください。この子の目つきや顔つきがまたよく母に似ていますから、この子とあなたとを母と子と見てもよい気がしますなど帝がおとりなしになると、子供心にも花や紅葉の美しい枝は、まずこの宮へ差し上げたい、自分の好意を受けてという態度をとるようになった。現在の弘徽殿の女御の嫉妬の対象は藤壼の宮であったからそちらへ好意を寄せる源氏に、一時忘れられていた旧怨も再燃して憎しみを持つことになった。女御が自慢にし、ほめられてもおいでになる内親王方の美を遠くこえた源氏の美貌を世間の人は言い現わすために光の君と言った。女御とし て藤壼の宮の御寵愛が並びないものであったから対句のように作って、輝く日の宮と一方を申していた。源氏の君の美しい童形を変えたくないように帝はおぼしめしたが、いよい よ十二の歳に元服をさせることになる。男子が成人になったことを社会的に承認し祝う通過儀礼の儀式の元服式の準備も何も帝御自身で指図された。前に東宮の元服式を紫宸殿であげた時の派手やかさにせず、その日官人たちが各階級別々にさずかる饗宴の仕度を内蔵寮、穀倉院などでするのは公式の仕度で、十分でないと仰せがあって、華麗をきわめたものにした。清涼殿は東に面しているが、庭の前の座敷に玉座の椅子が置かれ、元服される皇子の席、 加冠役の大臣の席がそのお前に出きていた。
2024.05.27
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源氏物語〔1帖桐壺22〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語1帖桐壺の研鑽」を公開してます。皇后も桐壺更衣を追うように崩御。姫宮がお一人で暮らしと帝は聞いて、女御というよりも自分の娘たちの内親王と同じように思って世話がしたいと入内を勧た。母宮のことを思っ て来られるより、宮中の生活に帰ったら慰みものになると、お付きの女房やお世話係の者が言い、兄君の兵部卿親王も賛成になり、それで先帝の第四の内親王は帝の女御になった。御殿は藤壼である。典侍の話のとおりに、姫宮の容貌も身のこなしも不思議なまで、桐壼の更衣に似ていた。この方は御身分に批の打ち所がない。すべて立派なものであって、だれも貶めることはしなかった。桐壼の更衣は身分と御愛寵とに比例の取れぬところがあった。お傷手が新女御の宮で癒されたと もいえないであろうが、自然に昔は昔として忘れられていくようになり、帝にまた楽しい生活がかえってきた。桐壺更衣のことも永久不変でありえない人間の恋であった。桐壺更衣の忘れ形見の源氏の君と自然に女御の御殿へも従って行く。帝がしばしば行く御殿は藤壼であって、宮も馴れず隠れてばかりでおいでにならなかった。 どの後宮でも容貌の自信がなくて入内した者はなく、皆それぞれ美しい人たちであったが、もう皆だいぶ年がいっていた。その中へ若い美しい藤壼の宮が現れたが、恥ずかしがって顔を見せぬようにしていたが、自然に源氏の君を見ることになる場合もあった。母の桐壺更衣の面影も覚えていないが、よく似ていると典侍(ないしのすけ)が言ったので、子供心に母に似た人として恋しく、いつも藤壼へ行きたくなった。
2024.05.26
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源氏物語〔1帖桐壺21〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語1帖桐壺の研鑽」を公開してます。臣下の列に入れて国家の柱石にすることがいちばんよいと決めて、以前にもましていろいろの勉強をさせた。大きな天才らしい所が現われてくると人臣にするのが惜しいという気持ちになったが、親王にすれば天子に変わろうとする野心を持つような疑いを当然受けそうにお思われた。上手な運命占いをする者に尋ねても同じような事を言うので、元服後は源姓を賜わって源氏の何がしにしようと決めた。年月がたっても帝は桐壼の更衣との死別の悲しみを忘れることができなかった。慰みになるかと思い美しいと評判のある人などを後宮へ召いたこともあったが、結果はこの世界には故更衣の美に準ずるだけの人もないという失望を味わうことになっただけである。そうしたころ、先帝桐壺帝の従兄あるいは叔父君桐壺帝の父か兄の第四の内親王で美しいことをだれも言い、母君の后が大事にしている方のことを、帝のそばに奉仕している典侍は先帝の宮廷にいた人で、后の宮へも親しく出入りし、内親王の幼少時代も知り、現在でも顔を拝見する機会が多く帝へ話した。お亡れになった御息所の容貌に似た方を、三代も宮廷にいた私すらまだ見たことがないのに、后の宮様の内親王様だけがあの方に似ていることにはじめて気がつき、とても美しい方です。もしそんなことがあったらと大御心(おおみごころ)が動いて、先帝の后の宮へ姫宮の入内のことを懇切に 申し入れた。后は、そんな恐ろしいこと、東宮のお母様の女御が並み外れな強い性格で、桐壷の更衣が露骨ないじめ方をされたと話はとん挫していた。
2024.05.25
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源氏物語〔1帖桐壺20〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語1帖桐壺の研鑽」を公開してます。高麗人が来朝した中に、上手な人相占いの者が混じっていた。帝はそれを聞いたが、宮中へ呼ぶが亭子院の誡めがあって出来ず、だれにも秘密にして皇子のお世話役のようになっている右大弁の子のように思わせて、皇子を外人の旅宿する鴻臚館(こうろうかん)へ住まわせた。人相占いは不審そうに頭をたびたび傾けた。国の親になって最上の位を得る人相であって、それでよいかと拝見すると、そうなる ことはこの人の幸福な道でない。国家の柱石になって帝王の輔佐する人として見てもまた違うと言った。弁も漢学のよくできる官人であったから、筆紙をもってする高麗人との問答には おもしろいものがあった。詩の贈答もして高麗人はもう日本の旅が終わろうとする期に臨んで 珍しい高貴の相を持つ人に逢ったことは、今さらにこの国を離れがたくすることであるという ような意味の作をした。若宮も送別の意味を詩にお作りになったが、その詩を非常にほめてい ろいろなその国の贈り物をしたりした。朝廷からも高麗の相人へ多くの下賜品があった。その評判から東宮の外戚の右大臣などは第二の皇子と高麗の相人との関係に疑いを持った。好遇された点が腑に落ちない。聡明な帝は高麗人の言葉以前に皇子の将来を見通して、幸福な道を選ぼうとしていた。 それでほとんど同じことを占った相人に価値を認めになった。四品以下の無品親王 などで、心細い皇族としてこの子を置きたくない、自分の代もいつ終わるか分からないか ら、将来に最も頼もしい位置をこの子に与えた。
2024.05.24
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源氏物語〔1帖桐壺19〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語1帖桐壺の研鑽」を公開してます。宮の外祖母の未亡人は落胆して更衣のいる世界へ行くことのほかには希望もないと言って一心に 御仏の来迎を求めて、とうとう亡くなり、帝はまた若宮が祖母を失われたことでたいそう悲しみになった。これは皇子が六歳の時の事であるから、今度は母の更衣の死に遭遇した時とは違い、 皇子は祖母の死を知って悲しんだ。今まで始終お世話をしていた宮と別れる事が悲しいという事ばかりを言って外祖母の未亡人は亡くなった。その後は若宮は宮中にばかりいる事になった。七歳の時に書初め式が行なわれて学問を始めたが、皇子の類ない聡明さに帝は驚くことが多かった。もうこの子をだれも憎むことはできないでしょう。母親のないという点だけででもかわいがってやりなさいと帝はすこし話されて、弘徽殿へ昼間来られる時もいっしょになりそのまま御簾の中にまで入った。どんなに強さ一方の武士でも仇敵でもこの人を見ては笑みが自然にこみ上げるであろうと思われる美しい少童であったから、女御も愛を覚えずにはいられなかった。この女御は東宮のほかに姫宮を二人授かっていたが、その方々よりも第二の皇子のほうがきれいであった。姫宮がたもお隠れにならないで賢い遊び相手として扱っていた。学問はもとより音楽の才も豊かであり、言えぼ天才児であった。
2024.05.23
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源氏物語〔1帖桐壺18〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語1帖桐壺の研鑽」を公開してます。人目をはばかって寝室へ入ってからも安眠を得ることはできなかった。朝の目ざめもまた、夜明けも気付かずに語り合った昔の追憶が気になり、寵姫(ちょうき/君主の寵愛する侍女のこと)の在った日も亡いのちも朝の政務は怠けることになる。食欲もなく、簡単な朝食はわずかにお取りになるが、朝食として用意される大床子(長方形の食卓)のお料理などは召し上がらないことになっていた。それには殿上役人のお給仕がつくのであるが、それらの人は皆この状態を歎いていた。側近の給仕する人は男女の別なしに困ったことであると歎いた。よくよく深い前生の縁で、その当時は世の批難も後宮の恨みの声も耳には入らず、その人に関することだけは正しい判断を失ってしまい、亡くなったあとではこのように悲しみに沈んで政務も何も顧みなく、国家のために良くないことであるといって、支那の歴朝の例までも引き出して言う人もあった。幾月かののち第二皇子が宮中へ入る事になった。ごく小さい時ですら美貌の備わった方であったが、今は一層輝いて見えた。その翌年立太子(天皇の跡継ぎを定めること)があった。帝のおぼしめしは第二の皇子にあったが、だれという後見の人がなく、まただれもが肯定しないことであるのを悟っておられて、かえってその地位は若宮の前途を危険にするものであると思い、心の中をだれにも洩らしにならな かった。東宮になったのは第一親王である。この結果を見て、あれほどの御愛子(おんまなご)でもやはり太子にはできないのだと世間も言い、弘徽殿の女御も安心した。
2024.05.22
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源氏物語〔1帖桐壺17〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語1帖桐壺の研鑽」を公開してます。「尋ね行くまぼろしもがなつてにても魂のありかをそこと知るべく」絵で見る楊貴妃はどんなに名手の描いたものでも、絵における表現は限りがあって、それほどのすぐれた顔も持っていない。太液の池の蓮花にも、未央宮の柳の趣にもその人は似ていたであろうが、また唐の服装は華美ではあったであろうが、更衣の持った柔らかい美、艶な姿態をそれに思い比べて御覧になると、これは花の色にも鳥の声にもたとえられぬ最上のものであ った。お二人の間はいつも、天に在っては比翼の鳥、地に生まれれば連理の枝という言葉で永 久の愛を誓っていたが、運命はその一人に早く死を与えてしまった。秋風の音にも虫の声にも帝が悲しみを覚えておいでになる時、弘徽殿の女御はもう久しく夜の御殿の宿直にもお上がりせずにいて、今夜の月明に更けるまでその御殿で音楽の合奏をさせているのを帝は不愉快に思うほどであった。このころの帝のお心持ちをよく知っている殿上役人や帝付きの女房なども皆弘徽殿の楽音に反感を持った。負けずぎらいな性格の人で更衣の死などは眼中にないというふうをわざと見せているのであった。月も落ちてしまった。「雲の上も涙にくるる秋の月いかですむらん浅茅生の宿」命婦が御報告した故人の家のことをなお帝は想像しながら起きておられた。右近衛府の士官が宿直者の名を披露するのをもってすれば午前二時になったのであろう。
2024.05.21
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源氏物語〔1帖桐壺16〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語1帖桐壺の研鑽」を公開してます。勿体なさをどのように始末してよいやら。こうした仰せを承っても愚か者はただ悲しいとばかり思われる。「荒き風防ぎし蔭の枯れしより小萩が上ぞしづ心無き/厳しい世間の風当を防いでいた母君の桐壺の更衣が亡くなってから、若宮のことが心配で気がかり」というような、歌の価値の疑わしいようなものもあるが、悲しみのために落ち着かない心で詠んでいるのであるからと寛大に御覧になり、帝はある程度はおさえていなければならぬ悲しみであると思うが、それが困難なようだ。はじめて桐壼の更衣の上がって来たころのことなどまでが心の表面に浮かび上がってきてはいっそう暗い悲しみが帝の心を痛めた。その当時しばらく別れているということさえも自分にはつらかったのに、こうして一人でも生きていられるものであると思うと自分は偽り者のような気がするとも帝は思われた。死んだ大納言の遺言を苦労して実行した未亡人への酬いは、更衣を後宮の一段高い位置にすえることで、そうしたいと帝はいつも思っていた。今となっては何もかも皆夢に終わって、未亡人に限りない同情をされてた。しかし、桐壺更衣はいなくても若宮が天子にでもなる日が来れば、故人に后の位を贈ることもできる。それまで生きていたいとあの夫人は思っているだろうという仰せがあった。命婦は贈られた物を御前へ並べた。これが唐の幻術師が他界の楊貴妃に会って得て来た玉のかんざしであったらと、帝は甲斐ないこともお思いになった。
2024.05.20
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源氏物語〔1帖桐壺15〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語1帖桐壺の研鑽」を公開してます。意匠を凝らせた贈り物をする場合でなかったので、故人の形見ということにして、裳唐衣(もからぎぬ/公家女子の正装のことで、朝廷出仕の女官で部屋を与えられた者の朝服)の一揃えに、髪上げの用具の入った箱を添えて贈った。若い女房たちは更衣の死を悲しむのはむろんであるが、宮中住まいに慣れていて、寂しく 物足らず思うことが多く、優しい帝の様子を思ったりして、若宮が早く御所へ帰られるようにと促すが、不幸な自分がいっしょに上がっていることも、また世間に非難の材料を与えるようなものであろう。またそのことかといって若宮とお別れしている苦痛にも耐えきれる自信がないと未亡人は思うので、結局若宮の宮中入りは実行性に乏しかった。御所へ帰った命婦は、まだ宵のままで寝室へ入っていない帝を気の毒に思った。中庭の秋の花の盛りを愛でているようで四、五人の凡庸でない女房たちを傍において話をしていた。最近帝の御覧になるものは、玄宗皇帝と楊貴妃の恋を題材にした白楽天の長恨歌を、亭子院が絵にして、伊勢や貫之に歌を詠ませた巻き物。そのほか日本文学でも、愛人と別れた人の悲し みが歌われたものばかりを帝は読んでいた。帝は命婦に事細かに大納言家の様子を聞いていた。身にしむ思いを得て来たことを命婦は外への声を気にしながら申し上げた。未亡人の返事の文を帝は御覧になる。
2024.05.19
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源氏物語〔1帖桐壺14〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語1帖桐壺の研鑽」を公開してます。陛下の深い愛情がかえって恨めしいように、こんな話をまだ全部も言わないで未亡人は涙でむせ返ってしまったりしているうちに深夜になった。それは陛下も仰せになり、自分の心でありながらあまりに穏やかでないほどの愛しかたをしたのも前生の約束で長くはいっしょに居られない二人であることを意識せずとも感じていたのだろう。自分らは恨めしい因縁でつながれていたと思った。自分は即位してから、だれのためにも苦痛を与えるようなことはしなかったという自信を持っていたが、あの人によって負ってはならぬ女の恨みを背負い、ついには何よりも大切なものを失って、悲しみに暮れて以前よりも更に愚劣な者になっているのを思うと、自分らの前生の約束はどんなものであったか知りたいとお話しになって湿っぽい様子ばかりを見せているとどちらも話すことにきりがなかった。命婦は泣く泣く、もう非常に遅いようなので、復命(命に従う)は今晩のうちにしたいと思いますと言って、帰る仕度をした。落ち際に近い月夜の空が澄み切った中を涼しい風が吹き、人の悲しみを促すような虫の声が聞こえるので帰りにくい。鈴虫が羽を振り声を限りに鳴くごとく長い秋の夜を泣き通しても、流れつづける涙で、どうにも車に乗り込めません。命婦はこんな歌を口ずさんだ。そうでなくても虫が鳴きしきる草深いこの侘しい鄙(ひな/いなか)の宿に ますますもって涙の露を置いてゆく雲の上からの使者よかえって訪問が恨めしいと申し上げたいと未亡人は女房に言わせた。
2024.05.18
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源氏物語〔桐壺13〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語1話桐壺の研鑽」を公開してます。若宮が目ざめるのを待って、若宮にお目にかかり、くわしい様子を陛下へ御報告したいのですが、使いの私の帰るのを待ちかねているでしょうから、それではあまりおそくなると言って命婦は帰りを急いだ。子をなくした母親の心の、悲しい暗さがせめて少しでも晴れる話をしたいと思っているのですから、公の使いでなく、気楽な気持ちでお休みがてらまた立ち寄ってくださいと伝えた。以前はうれしいことでよく来てくださいましたが、こんな悲し い勅使であなたを迎えるとは何ということだろう。返す返す運命が私に長生きさせるのが辛い。故人のことを申せば、生まれた時から親たちに輝かしい未来の望みを託した子で、父の大納言はいよいよ危篤になるまで、この人を宮中へ差し上げようと自分の思ったことを実現させてほしく、自分が死んだからといって今までの考えを捨てるようなことはしないでほしい。何度も何度も遺言を書いたのですが、確かな後援者なしの宮仕えは、かえって娘を不幸にするようなものではないだろうかとも思い、私はただ遺言を守りたいばかりに陛下へ差し上げましたが、過分な御寵愛を受けて、その光でみすぼらしさも隠していただき、娘は仕えていたのですが、皆さんの嫉妬の積もっていくのが重荷になり、寿命が尽きたとは思えないような死に方をしましたが、陛下のあまりに深い愛情がかえって恨めしいように、盲目的な母の愛からだと思います。
2024.05.17
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源氏物語〔桐壺12〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語1話桐壺の研鑽」を公開してます。娘を死なせた母親がよくも生きておられたというのに、運命がただ恨めしい、こうしたお使いが荒ら屋へ来て頂くとまたいっそう自分が恥ずかしくてならないと言って、実際堪えられないだろうと思われるほど泣いている。こちらへ上がりますと、またいっそう気の毒になり、魂も消えるようですと、先日典侍は陛下へ申し上げておられましたが、私のようなあさはかな人間でもほんとうに悲しさが身にしみますと言い、命婦は帝の仰せを伝えた。当分夢ではないであろうかとばかり思われたが、ようやく落ち着くととも に、どうしようもない悲しみを感じるようになりました。こんな時はどうすればよいのか、せめて話し合う人があればいいのですがそれもありません。目だたぬようにして時々御所へ来られてはどうですか。若宮を長く見ずにいて気がかりでならないし、また若宮も悲しんでおられる人ばかりの中にいてかわいそうなので、彼を早く宮中へ入れることにしてはいかがでしょうか。このようなお言葉ですが、涙にむせ返っておいでになって、しかも人に弱さを見せまいと遠慮をなさらないでもない御様子が気の毒で、ただおおよそのことだけを承りまいりましたと言って、また帝のお言づてのほかの御消息を渡した。涙でこのごろは目も暗くなっておりますが、過分なかたじけない仰せを光明にいたしましてと未亡人は文を拝見するのであった。
2024.05.16
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源氏物語〔桐壺11〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語1話桐壺の研鑽」を公開してます。野分ふうに風が出て肌寒さを感じられる日の夕方に、平生よりもいっそう故人が偲ばれになり、靫負の命婦(ゆげいのみょうぶ/衛門府の官人である女官)という者を使いとしてお出しになった。月がかかっている夕方の美しい時刻に命婦を出かけさせて、そのまま深い物思いをしておいでになった。以前には月夜は音楽の遊びが行なわれて、更衣はその一人に加わってすぐれた音楽者の素質を見せていた。またそんな夜に詠む歌なども平凡ではなかった。彼女の幻は帝のお目に立ち添って少しも消えない。しかしながらどんなに濃い幻でも瞬間の現実の価値はないのである。命婦は故大納言家に着いて車が門から中へ引き入れられた刹那からもう言いようのない寂しさが味わわれた。末亡人の家であるが、一人娘のために住居の外見などにもみすぼらしさがないようにと、りっぱな体裁を保って暮らしていたのである。だが、子を失った女主人の無明の日が 続くようになってからは、しばらくのうちに庭の雑草が行儀悪く高くなった。またこのごろの野分の風でいっそう邸内が荒れた気のするのであったが、月光だけは伸びた草にもさわらずさし込んだその南向きの座敷に命婦を招じて出て来た女主人はすぐにもものが言えないほどまたも悲しみに胸をいっぱいにしていた。
2024.05.15
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源氏物語〔桐壺10〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語1話桐壺の研鑽」を公開してます。桐壺の更衣は優しい同情深い女性であったのを、帝付きの女官たちは皆恋しがっていた。「なくてぞ人は恋しかりける」とはこうした場合のことであろうと思えた。時は人の悲しみにかかわりもなく過ぎて七日七日の仏事が次々に行なわれる、そのたびに帝からはお弔いの品々が下された。桐壺更衣が死んだのちも日が経っていくに従ってどうしようもない寂しさばかりを帝は覚えるようになり、女御、更衣を宿直にされることも絶えてしまった。ただ涙の中の御朝タであって、拝見する人までがしめっぽい心になる秋であった。「亡くなってからまでも人の気を悪くさせる御寵愛ぶりね」などと言って、右大臣の娘の弘徽殿の女御などは今さえも嫉妬を捨てなかった。帝は一の皇子を御覧になっても更衣の忘れがたみの皇子の恋しさばかりをお考えなって、親しい女官や、 御自身の乳母などをその家へつかわしになり若宮の様子を報告させていた。あまりの寵愛ぶりであったのでその当時は嫉妬を感じたのであるとそれらの人は以前のことを思っていた。優しい同情深い女性であったのを、帝付きの女官たちは皆恋しがっていた。
2024.05.14
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源氏物語〔桐壺9〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語1話桐壺の研鑽」を公開してます。父子の別れというようなことはなんでもない場合でも悲しいものであるから、この時の帝のお心持ちほどお気の毒なものはなかった。どんなに惜しい人でも亡骸は亡骸として扱われねばならぬ、葬儀が行なわれることになって、 母の未亡人は亡骸と同時に火葬の煙になりたいと泣きこがれていた。そして葬送の女房の車にしいて望んでいっしょに乗って愛宕の野にいかめしく設けられた式場へ着いた時の未亡人の心はどんなに悲しかったであろう。死んだ人を見ながら、やはり生きている人のように思われてならない私の迷いをさますために行く必要がありますと賢そうに言っていたが、車から落ちてしまいそうに泣くので、こんなことになるのを恐れていたと女房たちは思った。宮中からの使いが葬場へ来た。更衣に三位を贈られたのである。勅使がその宣命を読んだ時ほど未亡人にとって悲しいことはなかった。三位は女御に相当する位階である。生きていた日に女御とも言わせなかったことが帝には残り多くおぼし召されて贈位を賜わったのである。こんなことででも後宮のある人々は反感を持った。同情のある人は故人の美しさ、性格が温厚などで憎むことのできなかった人であると、今になって桐壼の更衣の真価を思い出していた。特別な寵愛ぶりであったからその当時は嫉妬を感じたのであるとそれらの人は以前のことを思っていた。
2024.05.13
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源氏物語〔桐壺8〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語1話桐壺の研鑽」を公開してます。桐壺更衣が死ぬのであったらこのまま自分の傍で死なせたいと帝は考えたが、今日から始めるはずの祈祷も高僧たちが準備をしていて、それも必ず今夜から始めねばというようなことも申し上げて方々から更衣の退出を促すので、別れがたく思いながらお帰しになった。帝は悲しみで一杯になって中々眠ることができなかった。帰った更衣の家へ文を書いたが使いはすぐ帰って来るはずがなかなか帰って来ない。使いが持ち帰った文に返辞それすらも書くことが出来ないでいた。更衣からの返辞を聞くことが待ち遠し いと仰せられた帝であるのに、使いは、夜半過ぎに桐壺更衣は、お亡くなりになりましたと言って、故大納言家の人たちの泣き騒いでいるのを見ると力が抜け落ちてそのまま御所へ帰っ て来た。更衣が亡くなった知らせを受けた帝の悲しみは大きく、そのまま引きこもっておいでになった。 その中でも忘れがたみの皇子はそばへ置いておきたく思ったが、母の忌服中の皇子が、穢れの多い宮中においでになる例などはないので、更衣の実家へ退出されることになった。 皇子はどんな大事があったとも知らず、侍女たちが泣き騒ぎ、帝のお顔にも涙が流れてばかりなので不思議に感じているふうであった。
2024.05.12
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源氏物語〔桐壺7〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語1話桐壺の研鑽」を公開してます。華やかな顔立ちの美人が非常に痩せてしまい、心の中は帝とお別れして行く無限の悲しみがあったがロヘは何も出して言うことのできないのがこの人の性質である。あるかないかに弱っているのを御覧になると帝は過去も未来も真暗になった気がする。泣く泣くいろいろな頼もしい将来の約束をしても更衣は返辞もできなかった。目つきもよほどだるそうで、平生からなよなよとした人がいっそう弱々しい感じになって寝ているので、これはどうなることだろうという不安が心を襲った。桐壺更衣が宮中から輦車(れんしゃ/人の手で引く車)で出てよい許可の宣旨を役人へ下しになったが、帝は病室へ直ぐ帰るということを許さなかった。死の旅にも同時に出るのがわれわれ二人であるとあなたも約束したのだから、私を置いて家へ行ってしまうことはできないはずだと、帝が話されると、その心持ちのよくわかる女も、非常に悲しそうに顔を見て、「限りとて別るる道の悲しきにいかまほしきは命なりけり(死がそれほど私に迫って来ていないのでしたら)」これだけのことを息も絶え絶えに言って、なお帝に言いたいことがあっても、 まったく気カがなくなってしまった。
2024.05.11
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源氏物語〔桐壺6〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語1話桐壺の研鑽」を公開してます。有識者はこの天才的な美しい小皇子を見て、こんな人も人間世界に生まれてくるものかと皆驚いていた。その年の夏のことである。御息所(皇子女の生母になった更衣はこう呼ばれる)は病になって、実家へさがろうとしたが帝は許さなかった。この頃どこか体が悪いということは桐壺更衣の常のことになっていた。帝は桐壺更衣が病だと言ってもそれほど驚きにならず、もうしばらく御所で養生をしてみてからにするがよいと言っているうちにしだいに悪くなり、そうなってからほんの五、六日のうちに病は重くなる一方だった。母の未亡人は泣く泣くお暇を願って帰宅させることにした。こんな場合にはまたどんな呪詛が行なわれるかもしれない、皇子にまで禍いを及ぼしてはとの心遣いから、皇子だけを宮中にとどめて、目だたぬように御息所だけが退出することになった。この上留めることは不可能であると帝は思い直して、更衣が出かけて行くところを見送ることも出来ない極めて尊いの御身の物足りなさを堪えがたく悲しんでおいでになった。
2024.05.10
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源氏物語〔桐壺5〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語1話桐壺の研鑽」を公開してます。送り迎えをする女房たちの着物の裾が一度の送迎でいたんでしまうようなことがあったりする。またある時はどうしてもそこを通らねばならぬ廊下の戸に錠がさされてあったり、そこが通れねばこちらを行くはずの御殿の人どうしが言い合わせて、桐壼の更衣の通り路をなくして辱しめるようなことなどもしばしばあった。数え切れぬほどの苦しみを受けて、更衣が心を痛めているのを御覧になると帝はいっそう憐れを多く加えて、清涼殿に続いた後涼殿に住んでいた更衣をほかへ移して桐壼の更衣へ休息室として与えになった。移された人の恨みはどの後宮のときよりも更にまた深くなった。第二の皇子が三歳におなりになった時に袴着の式が行なわれた。前にあった第一の皇子のその式に劣らぬような派手な準傭の費用が宮廷から支出された。それにつけても世問はいろいろな批評をしたが、成長されるこの皇子の美貌と聡明さとが類のないものであったから、だれも皇子を悪く思うことはできなかった。
2024.05.09
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源氏物語〔桐壺4〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語1話桐壺の研鑽」を公開してます。殿上で音楽その他のお催し事をする際には、誰よりもまず先にこの人を常の御殿へ呼び、またある時は引き留めになり更衣が夜の御殿から朝の退出ができず、そのまま昼も侍しているようなことになったりして、やや軽いふうにも見られたのが、皇子が生まれてより以後目立って重々しくお扱いになったから、東宮もどうかすればこの皇子を立てるのではと、第一の皇子の御生母の女御は疑いを持っていた。この人は帝の最も若い時に入内した最初の女御であった。この女御がする批難と恨み言だけは無関心にしてなれなかった。この女御へ済まないという気も十分に持っていた。帝の深い愛を信じながらも、悪く言う者と、何かの欠点を捜し出そうとする者ばかりの宮中に、病身な、そして無カな家を背景としている心細い更衣は、愛されれば愛されるほど苦しみが増えるばかりであった。住んでいる御殿は御所の中の東北の隅のような桐壼だった。幾つかの女御や更衣たちの御殿の廊を通い路にして帝がしばしばそこへ通いになり、宿直をする更衣が上がり下がりして行く桐壼であったから、始終監視していなければならず御殿の住人たちの恨みが量んでいくのも道理と言わねばならない。召されることがあまり続くころは、打ち橋とか通い廊下のある戸口とかに意地の悪い仕掛けがされていた。
2024.05.08
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源氏物語〔桐壺3〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語1話桐壺の研鑽」を公開してます。馬嵬駅(ばかいのえき/逃げ延びる皇帝玄宗に対し兵が楊貴妃の又従兄を殺害、寵姫の楊貴妃が賜死を受けた事件)がいつ再現されるかもしれぬ。その人にとっては堪えがたいような苦しい雰囲気の中でも、ただ 深い愛情だけをたよりに暮らしていた。父の大納言は故人で、母の未亡人が生まれのよい女で、娘を勢カのある派手な家の娘たちにひけをとらせないよき保護者と。だが大官の後援者を持たぬ更衣は、いつも心細い思いをしていた。前生の縁が深かったか、美しい皇子までがこの人から生まれた。 寵姫を母とした御子を早く御覧になりたい思いから、正規の日数が立つとすぐに更衣母子を宮中へ招いた。小皇子はいかなる美なるものよりも美しい顔をしていた。 帝の第一皇子は右大臣の娘の女御からお生まれになって、重い外戚が背景になっていて、疑いもない未来の皇太子として世の人は尊敬をささげている。第二の皇子の美貌にならぶことができないため、皇家の長子として大事にされ、これは自身の愛子として大事に思っていた。更衣は初めから普通の朝廷の女官として奉仕する軽 い身分ではなかった。ただ愛するあまりに、その人自身は身分の高い女性と言ってよいほどのりっぱな女ではあり、始終そばへ置こうとしていた。
2024.05.07
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源氏物語〔桐壺2〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語1話桐壺」の研鑽を公開してます。どの天皇様の御代であったか、女御(にょうご)とか更衣(こうい)とかいわれる後宮がおおぜいいた中に、最上の貴族出身ではないが深い御愛寵を得ている人があった。最初から自分こそはという自信と、親兄弟の勢力に頼む所がある宮中にはいった女御たちからは失敬な女としてねたまれた。その人と同等、もしくはそれより地位の低い更衣たちは嫉妬の怒りを燃やさないわけもなかっ た。夜の御殿の宿直所から退る朝、続いてその人ばかりが召される夜、目に見て耳に聞いて口惜しがらせた恨みのせいもあったからだが弱くなって、心細くなった更衣は多く実家へ下がりがちということになると、いよいよ帝はこの人にばかり心をお引かれになるという様子で、人が何と批評をしようともそれに遠慮などというものは起きては来ない。歴代天皇の徳を伝える歴史の上にも暗い影が残るようなことにもなりかねない。高官たちも殿上役人たちも困り、お目覚めになるのを期しながら、当分は見ぬ顔をしていたいという態度をとるほどの御寵愛ぶりであった。唐の国でもこの種類の寵姫、楊家の楊貴妃の出現によって国が弱くなったといわれる。今やこの更衣女性が一天下の煩いだとされるに至った。
2024.05.06
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源氏物語〔桐壺1〕「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「源氏物語1話桐壺」の研鑽を公開してます。源氏物語は平安時代に紫式部が書いた長編小説で、長保三年(1001年)頃に書き始められ、正式な成立年は不明だが、時代を超えて愛され、文豪・川端康成も「古今を通じて、日本の最高の小説」と評している。正・続編の五十四帖からなり、正編はさらに二つに分かれ三部構成となっており、第一部は主人公である光源氏の誕生から、栄華を極めていくまでの約四十年が描かれている。第二部はその後光源氏が亡くなるまでの晩年を描き、第三部では光源氏死後の子孫たちの模様が描かれている。「光源氏の誕生」の概要は、ある天皇の治世に、一人の更衣が帝の寵愛(ちょうあい)を受けていた桐壷の更衣(更衣とは、身分の名称で、帝の妃の中で1番低い位)だが、更衣の他の女性たちの嫉妬もあって病気がちになるが、天皇の寵愛はどんどん深くなる。若宮が誕生すると、第一皇子の母・弘徽殿女御(こきでんのにょうご)はこの若宮が皇太子になるのではないかと疑った。桐壺帝は、源氏物語に登場する最初の天皇。光源氏の父桐壺帝の更衣(天皇が衣服を着替えるために設けられた便殿 (べんでん) を更衣と称したが、のちに傍に仕える女官をさすようになる )は頼る人もなく一人辛い思いをして光源氏3歳の時亡くなる。これから時間のある限り源氏物語の研鑽をしていきたい。
2024.05.05
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源氏物語の女性たち3「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「紫式部が書いた源氏物語に登場する女性たち」末摘花(すえつむはな) 常陸宮(ひたちのみや)の姫君。契りを結んだ翌朝大きな赤鼻の醜女だったことを知る源氏だったが末摘花とは生涯関り続けた女性の一人。 美男美女ぞろいの源氏物語の中では異色の不美人である。源氏は彼女の困窮ぶりに同情し、また素直な心根に見捨てられないものを感じて、彼女の暮らし向きへ援助を行うようになった。名前の末摘花はベニバナのこと。源典侍(げんのないしのすけ) 桐壺帝に仕える高齢の女官。登場人物の一人の通称。年配だが色好みの高級女官として「紅葉賀」では五十七歳「葵」「朝顔」に登場する。先祖は皇族に連なる家の出身。琵琶を得意とし、趣味、教養、家柄、能力等、女官として申し分のない女性だが、年に似合わぬ色好みで有名であった。夫は修理大夫(すりのかみ)。朧月夜(おぼろづきよ) 右大臣の6番目の娘。弘徽殿女御の妹で朱雀帝の尚侍(ないしのかみ)。朧月夜は自ら光源氏と逢う機会をつくり、五十四帖「若菜」で光源氏と大恋愛するが、朧月夜は光源氏の実の兄である時の天皇に嫁ぐはずだった。光源氏との恋愛が発覚し白紙に。朧月夜の父は光源氏の政敵であり、光源氏は京都から須磨へ移り住むことに。朝顔の姫君(あさがお) 桃園式部卿宮(ももぞのしきぶきょうのみや)の娘、斎院。源氏に求婚されたが拒み通した。藤壺の死去と同じ頃、源氏の叔父の桃園式部卿宮も死去した。その娘、朝顔は賀茂斎院を退いていたが、若い頃から朝顔に執着していた源氏は、朝顔と同居する叔母女五の宮の見舞いにかこつけ頻繁に桃園邸を訪ねる。朝顔も源氏に好意を抱いていたが、源氏と深い仲になれば、六条御息所と同じく不幸になろうと恐れて源氏を拒んだ。六条御息所(ろくじょうのみやすどころ) 先の春宮妃。教養高く優雅な貴婦人だが、源氏への愛と恨みから怨霊となって女君たちに呪い祟る。光源氏の最も早い恋人の一人で、東宮の死後、年下の光源氏と恋愛関係に陥るが、美しく気品があり、矜持の高い彼女をやがて持て余し、逢瀬も間遠になる。源氏にのめり込む御息所は、源氏を独占したいと思いと年上だという引け目、自分を傷つけまいと本心を押し殺す。強い嫉妬のあまり、生霊として源氏に関わる女性を殺す。
2024.05.04
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源氏物語の女性たち2「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「紫式部が書いた源氏物語に登場する女性たち」女三宮(おんなさんのみや) 朱雀院の第三皇女。光源氏の二番目の正室。薫の母。若菜の帖から登場する女性で、蝶よ花よと育てられたが、出家に伴って娘達の今後を案じた朱雀帝のはからいで、光源氏の正妻になった頭の中将の長男・柏木に迫られ、拒み通せずに関係を持ち薫を出産。罪の意識に耐えられず、出家してしまう。空蝉(うつせみ) 伊予介の後妻。衛門督の娘。光源氏が口説こうと部屋に忍び込んだが、上着のみを残してするりと逃げてしまったことからそう呼ばれる。 しかし、空蝉が光源氏を拒んだのは、空蝉の夫への誠意による行動で、光源氏のことは内心では魅力的に感じていたが伊予介(後年は常陸介)の死後、出家。のちに、二条東院へ引き取られる。軒端荻(のきばのおぎ) 空蝉の義理の娘。明かりの落ちた部屋で光源氏が逃げまわる空蝉と何とか関係を持とうと忍びこんだ明かりの落ちた部屋で空蝉と間違われ、そのまま光源氏と関係を持つ。この女性を「軒端荻」と呼ぶのは光源氏が送った和歌「ほのかにも軒端の荻を結ばずは露のかことを何にかけまし」(夕顔巻)に由来する呼称である。夕顔(ゆうがお) 頭中将の愛人であり、玉鬘の母。光源氏が六条御息所と逢瀬を重ねていた頃、御所からの帰り、病にかかった乳母を、五条の家に見舞い、その家の隣に、垣根に夕顔の花の咲いた家があり、光源氏は夕顔に魅入られ二人きりになるため出かけた廃院で、物の怪に夕顔の君を取り殺してしまう。光源氏は夕顔の忘れ形見の撫子の姫君玉鬘を引き取ろうとするが、その消息は知れなかった。
2024.05.03
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源氏物語の女性たち1「Dog photography and Essay」では、「愛犬もも」と「紫式部が書いた源氏物語に登場する女性たち」桐壺更衣(きりつぼのこうい)桐壺帝が寵愛し通いつづけた身分の低い更衣との間に授かった光る君。光源氏が3歳の時、宮中での女御や更衣たちから疎まれ露骨な嫌がらせを受けストレスから病になり里帰りし実家で亡くなってしまう。藤壺中宮(ふじつぼのちゅうぐう) 先帝の第四皇女。桐壺帝の中宮。藤壺が亡き母によく似ており、5歳違いの彼女に恋慕懐き、元服後も彼女を慕い続け、次第に理想の女性として恋を抱く。藤壺が病のため里下がりした折に関係をもち、源氏に生き写しの男御子(後の朱雀帝の東宮、冷泉帝)をもうける。何も知らない桐壺帝は高貴な藤壺が産んだこの皇子を溺愛したが、藤壺の心中は複雑だった。その年の秋に中宮に立后する。葵の上(あおいのうえ) 光源氏の最初の正室。結婚当初から、源氏との夫婦仲は冷え切っていた。ふたりの関係は当初からぎこちなく、冷ややかで、高貴な家柄である葵の上は感情を表すこともなかった。 夫婦でありながら遠く冷めた存在だった光源氏の子を懐妊したのだが、夕霧を出産に際して物の怪に襲われて 急逝。紫の上(むらさきのうえ) 若紫とも。葵の上亡き後、光源氏の正室ではないが、見目麗しく、言葉巧みで優しく、さらに財力もある光源氏は信頼できる存在で、教えられることすべてを素直に吸収して、源氏の妻たちの中では、最も寵愛される。六条院の春の町に光源氏と共に住まう。明石の君(あかしのきみ) 光源氏の愛人で明石の女御の生母。六条院の冬の町の主。生真面目で我慢強い。 万事につけて出しゃばらず賢く振舞うが、反面出自の低さを補うためか矜持が高く、同じく気位の高かった元恋人の六条御息所と似ている、と源氏は述懐している。 皇女にも劣らない美しさと気品を備え、和歌や音楽にも洗練された趣味を持ち、特に箏の琴や琵琶の名手でもあった。花散里(はなちるさと)桐壺帝の妃・麗景殿の女御の妹で、 容貌はそれほど美しくはないが姉の女御同様温和な慎ましい性格で、裁縫・染物などにも堪能な女性。 源氏の妻の中では紫の上に次ぐ立場となり、 始めは源氏の通い所の一人であったが、後新造の二条東院の西の対に迎えられ、六条院造営後は夏の町の主となって夕霧と玉鬘の養母。
2024.05.02
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