今が生死

今が生死

2019.04.10
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カテゴリ: 嬉しかったこと



山田方谷は彼が尊敬する人物だという。私は不勉強で全く知らなかった。
1805‐77(文化2‐明治10 73歳没)
幕末・維新期の儒学者。名は球,字は琳卿,安五郎と称する。備中松山藩の農民出身。新見藩儒丸川松陰に学び,25歳で 藩学 会頭に抜擢(ばつてき)される。その後佐藤一斎に従学,帰郷し学頭となる。教学振興につとめ藩治にも功績をあげ,老中となった藩主板倉勝静(かつきよ)を補佐してよく幕末期の難局を処理した。維新後は子弟教育に任じ,備前の 閑谷(しずたに)学校 の再興に尽力した。

人名辞典を引いたら以上のように出ていた。
松山藩の大蔵大臣として財政破綻しそうな藩の財政を立て直した手腕は卓越していた。自分が農民出身であることから農民や貧しい人から年貢を取り立てるのではなく、商人や富裕武士などから税金をとり、さらに新しく収入になることを考え、無駄は節約し、民が幸せになることを第一に考えて、 義による政治を行い民衆に慕われていた。明治政府が鉄道を作るとき村民の陳情で方谷駅ができたとのことでその人柄がしのばれた。私は不勉強で 山田方谷のことは 知らなかったが、知っている人がいても少ないと思う。このような隠れた英雄はもっと広く世に知らしめて行くべきだと思った。





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Last updated  2019.04.10 18:34:45
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