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2016年02月26日
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カテゴリ: 鈴木藤三郎
いまいち一円会の木村先生の「鈴木藤三郎の『米欧旅行日記』を読んで」

八月二十九日 米国第一の都市紐育(ニューヨーク)を後に汽船ルカニア号で大西洋に出づ。海路七日間で英国に着船する。

九月四日 気車(汽車)でロンドン着。同二十三日まで、ロンドンの工場視察や各製造所のカタログ及び説明書を取り調べたり、在住の日本人と会う。その中には日本公使館の加藤高明公使(後の外務大臣)・山本達雄(後の日本銀行総裁)など明治後期に活躍する多くの人物がいた。

九月二十四日 イギリス内地旅行に出発する。各地の精製糖器械製造所を視察する。

ロンドン→ダービー→バーミンガム→マンチェスター→リバプール→グラスゴー→グラスゴー→エジンバラ→ニューカスル→十月二十日ロンドンに帰る。

GAIA氏の解説(「二宮先生と余が欧米観」)によると

▲英国観 米国においてほとんど絶望的に蹴落とされたが、英国において救い上げられた。英国は二宮先生のいわゆる「小から大に及んだもの」である。英国における多くの事業は初め一人が小さな規模で起こし、それが次ぎの大には、父子合名会社となり、漸次大きくなって合資会社となり、終には株式会社となったもので、たいてい三十年四十年と歳月を経たものである。建築もまたその通りで歴史が残っている。その歴史が英国人の誇りで、祖先の苦心経営を以て自家の光栄とするものであった。四十数日英国滞在の感想である。

(内地旅行間の日記で興味ある記述もあった。)

十月十八日 日曜 雨降



(日曜は、工場、商店、交通機関まで休業と徹底していた。当時のアメリカ・イギリスでは、キリスト教の安息日が厳守されていた。)

十月十九日 アームストロング会社視察。日本海軍技師に面会し工場の案内及び説明を聞きて見物せり。アームストロング氏が始めて大砲を発明したる工場なり。(戊辰戦争で会津城攻防戦で威力を発揮したアームストロング砲の製造会社である。)

※長くなるから簡略する。

十一月八日 欧(ヨーロッパ)大陸旅行出発。ロンドン府ビクトリアステンションを発車、ドウバーに着しこれより気船(汽船)に乗替、仏国(フランス)カレー港に着せり。

十一月九日 巴里(パリ)。同二十八日 伯林(ベルリン)。十二月十七日蘭国(オランダ)より再び大陸旅行出発。ロンドンに帰る。
 その間の失敗談として、パリのレストランで藤三郎は外国語に通じず、献立表の初めより順次五品を指名す。五品ことごとくスープであった。
 一月二日 濃霧
 視界がきかず、ごく近い距離でも見分けがつかないこと終日なり。市中の鉄道、馬車の転覆等数カ所にて人民の怪我(けが)等甚だし。
「霧のロンドン」と云われるが、気候の関係ではなく、石炭などの燃焼に伴う煙や微粒子による恒常的なスモッグの発生であった。
 一月二十日 蘇国(スコットランド)グリーノツク市、二十一日グラスゴー。二月二日リバブルに着く。この夜、国民新聞主筆・徳富蘇峰氏に面会する。
 機械購入については、かけ引きがないイギリスの工場家を相手に平均で一割五分の値引きをさせた。ある製造家などは「開業以来の最低限で取引した」とこぼしたそうだ。


次回に続く





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最終更新日  2016年02月27日 05時21分38秒


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