【四】先生日光祭田の荒蕪を開き百姓安撫の命を受け巡村開業す6
先 生 炎熱 を 冐 し八十九ヶ 村 周 く 巡回 し、 尽 く 土地 の 肥磽 人民 の 勤惰 得失 を 察 し、 光 山 に 帰 りて 之 を 旧復 するの 策 数 十ヶ 条 を 記 して 奉行 某 に 呈 す。 甞 て 諸侯 の 封内 を 再復 するや 数 十 年 の 租税 を 平均 し、 其 の 平均度 を 以 て 分度 と 定 め、 興復 安民 の 仁政 施行 に 由 つて 余 外 に 生 ずる 所 の 米財 を 以 て 分外 と 為 し、 此 を 以 て 開墾撫術 の 用度 に 充 つ。 故 に 毎歳 の 用 度 尽 く る 事 なく、 仁沢 の 及 ぶ 所 窮 りなし。 譬 ば 川源 一たび 開 くる 時 は、 末流 の 潤沢 疆 り 無 きが 如 し。 然 るに 神領 の 租税 に 於 けるや 僅 々 たる 薄税 なり。 是 れ 山間 幽谷 の 土地 瘠薄 にして 民 食 甚 だ 乏 し。 往々 余業 を 以 て 生活 の一 助 となす。 故 に 租税 を 薄 くして 以 て 此 の 民 を 永続 せしめんとの 恩沢 なるべし。 租税 の 定 額 此 の 如 し。 田圃 廃蕪 に 帰 すると 雖 も 敢 て 税額 を 減 ぜず。 是 を 以 て 許多 の 開田 を 成 すと 雖 も 些 しも 租税 を 増 す 所 なく、 惟 民食 を 裕 かにし 生養 を 安 んずるの 仁術 のみ。 更 に 分 外 となす 可 き 仕法 用度 の 由 る 所 なし。 故 に 先 生 興 復 の 大業 を 開 くに 当 り、 従前 開墾安撫 の 浄財 幾 千 金 を 光山 官廨 貸附所 に 託 し、 毎 歳 利子 を 以 て 仕法 の 資本 となし、 且 積年 諸侯 の 封内 再興 の 為 に 数 千 金 を 抛 ち 其 の 廃 を 挙 げ 其 の 領民 を 安 んず。 光山 良法 開業 の 際 、 返金 あれば 之 を 撫育 の 費用 に 加 ふ。 奥州 中村 侯 報 恩 の 為 め 日光 開墾 撫恤 用度金 として五千五百 両 を 年賦 に 献 ず。 官 之 を 先 生 に 附与 し、 以 て 撫恤 せしむ。 嘉永 七 寅年 二 月 幕府 先 生 の 長男 弥太郎 に 命 ずるに 父 と 同 じく 安民法 を 施 行 す 可 き 旨 を 以 てす。 是 に 於 て 父 子 同 力 黽 勉 益々 興国 の 良法 を 拡張 せんとす。